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2011年11月01日

「COVERS」#127

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「10月下旬の看板」


(2011年9月作)



「撤収!」済みだよん (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 06:26| COVERS | 更新情報をチェックする

「カタセカイ列伝」# 054「伊東四朗」

みごろ ! たべごろ ! 笑いごろ !! みごろ ! BOX (初回限定版) [DVD]


伊東四朗は、1937年6月15日生まれの喜劇役者です。1958年劇団「笑う仲間」に研究生として加入、翌1959年解散後は「笑う仲間」からの師匠・石井均が旗揚げした劇団「石井均一座」に入団します(同期に財津一郎がいる)。1961年に「石井均一座」が解散し、三波伸介、戸塚睦夫と共に「ぐうたらトリオ」を結成。1963年に日劇出演の際、支配人から「ぐうたらでは困ります」と云われ「てんぷくトリオ」に改名しました。「てんぷくトリオ」はテレビでも人気者となりますが、1973年に戸塚睦夫が42歳の若さで逝去。其の後も三波伸介と「てんぷく」の名で活動するものの、1975年以降は三波の意向で「てんぷく」としての活動を抑制します。1976年から始まったバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!(NET)」での「ベンジャミン伊東」が大人気となり、小松政夫とのコンビで活躍する様になりました。1982年には三波伸介も52歳の若さで亡くなり、たったひとりの「てんぷく」となった伊東は葬儀で号泣。翌1983年の「おしん(NHK)」で演じたおしんの父親役でシリアスな演技でも絶賛され、以後は俳優業を中心としつつ多くの番組で司会者としても活躍、「伊東四朗一座」として喜劇舞台も行うなど、精力的に活動しています。

片瀬那奈ちゃんとは、ドラマ「地獄の沙汰もヨメ次第(2007年、TBS)」で「祖父と孫娘」役で共演していますが、其れ以前に「不機嫌なジーン(2005年、CX)」でも絡みはないものの名を連ねています。また、片瀬那奈ちゃんがオープニング・テーマ「ハタチでGALAXYですよっ。GALAXY !!」(しょこたん声で)を担当された「逮捕しちゃうぞ(2002年、テレビ朝日)」にも伊東さんは出演されています。さらに、ベンジャミンが司会を務める「芸能人格付けチェック(テレビ朝日)」には、2005年9月と2007年1月に片瀬クンが出演しています。特に2007年の「芸能人格付けチェック これぞ真の一流品だ!!'07お正月スペシャル!」は「片瀬VS猪木」と云う「究極の異種格闘技戦」が行われた伝説の番組です。尚、「ハタチでGALAXY」発言は、CCCDが発売された時に片瀬クンが「21歳」だったので間違っていると思われがちですが、「逮捕しちゃうぞ」が放送開始された時点では「20歳」だったので正確なのです。

ベンジャミンは幼少の頃に観た「てなもんやシリーズ」から知っておりましたが、キャンディーズ目当てで観ていた「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は、初めは同一人物とは思えなかったです。「てんぷくトリオ」時代は地味な印象でしたので、其の突き抜けた変貌ぶりに驚かされた記憶があります。藤田まことさんはベンジャミン伊東を見て「あいつはバカになったのか?」と驚嘆したと云われています。三波伸介さんの葬儀でリポーターが「ひとりぼっちになっちゃいましたね、どんなお気持ちですか?」などとトンデモ質問を投げかけた時に、「こんな時に、そんな淋しいことを云わないで下さい!」と号泣した姿も忘れられません。「笑ゥせぇるすまん(1999年、テレビ朝日)」の喪黒福造も素晴らしかったですね。単にコスプレしているだけではなく「全く瞬きをしない演技」は、正に「マンガ役者の鑑」と云えるでしょう。昨今多くのマンガ原作の実写化がありますが、是非とも見習って頂きたいと思います。

さて、ベンジャミンと「芸能人格付けチェック」で共に「格付けマスター」を務めておられるのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 07:50| KATASEKAI | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

「カタセカイ列伝」# 055「浜田雅功」

検事・鬼島平八郎 (浜田雅功 出演) [DVD]


浜田雅功は、1963年5月11日生まれのお笑い芸人です。1982年、小学校から中学校まで同級生だった松本人志を誘い「吉本総合芸能学院(NSC)」第1期生となり、何度かの改名を経てコンビ名を「ダウンタウン」にしました。関西で大人気を得て、1989年に東京へ進出し全国区の人気者となります。ドラマ「ADブギ(1991年、TBS)」や「十年愛(1992年、TBS)」などから俳優としても評価を得て、1995年に小室哲哉とのユニット「H Jungle with t」名義での「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」がミリオンセラー(オリコン7週連続1位!)となり紅白歌合戦にも出場するなど歌手としても活躍しています。現在まで、ダウンタウンとしてだけでなく、多くのバラエティで単独でも司会を務め、俳優、歌手、CMなど多方面で活躍を続けています。

片瀬那奈ちゃんとは、数多くのバラエティ番組で共演しています。特に、2005年から2008年まで継続的に出演した「浜ちゃんと!(読売テレビ)」では、伝説の「片瀬那奈改造計画」に始まり「最高食材シリーズ」ではレギュラーとなるなど「片瀬クンをお笑い開眼へ導いた師匠」と云える存在です。浜ちゃんが主演のドラマ「検事・鬼島平八郎(2010年、朝日放送・テレビ朝日) 」には片瀬クンが「友情出演」され、其処から発展したバラエティ番組「Oh!どや顔サミット(2011年〜、朝日放送)」(パイロット版は2010年)では共に司会を務めています。

「浜ちゃんに突っ込まれたタレントは売れる」との「ジンクス」が在ると云われますが、片瀬那奈ちゃんも前述の「浜ちゃんと!」や「芸能人格付けチェック」などで大いに「浜ちゃんに弄られ」化けました。例えば「浜ちゃんと!」の「片瀬那奈改造計画」では、長身がコンプレックスと云う片瀬クンに超厚底ブーツを履かせ「2メートル超えの巨人」に変身させたり、出川師匠を招き「リアクション芸」を伝授させたりしました。片瀬クンの豪快な食いっぷりも「最高食材シリーズ」で広まったと云えます。「芸能人格付けチェック」でもウンコ型の指し棒で片瀬クンの頭を容赦なく叩き捲くり「きれいなおねえさん」や「クールビューティーな美人女優」のイメージを根底から覆してしまったりと、大いに片瀬クンを鍛えたのです。そんな経験はバラエティだけではなく、女優としても「美月うらら」「高瀬リコ」「姫様」などで活かされています。

さて、浜ちゃん&片瀬クンと「検事・鬼島平八郎」〜「どや顔」でトリオを組んでおられるのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 07:14| KATASEKAI | 更新情報をチェックする

「こんな記事までカタセカイって、大丈夫か、自分?」

若気の至り


郷ひろみ 元プロ野球選手を父に持つ20代モデル新恋人発覚(NEWSポストセブン 11/2)


検索で引っ掛かったので「何事か?」と思ったら、郷さんの新恋人らしき女性が、

「小顔に大きな目が印象的な、女優・片瀬那奈似の美女だ。」

で拾っちゃっただけでした。Google先生はこんなトコまで逃さないとは、優秀ですね。そんでもってですね、此の記事をコピペしただけのブログが大量に検索で引っ掛かるのは迷惑です。片瀬クンと「全く関係ない」じゃまいか。


(小島藺子)



posted by 栗 at 08:42| KATASEKAI | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の陸

心の壁、愛の橋 グッドナイト・ウィーン ダーク・ホース


1973年9月から1975年3月までの約一年半、ジョンはヨーコと別居しロスで暮らします。此の期間は「失われた週末」と呼ばれ、ジョンは酒浸りで暴力事件を起こすなどスキャンダラスな話題も提供し、「愛と平和のレノン」的には「黒歴史」とされています。然し乍ら、メイ・パンと同棲していたとは云え、久しぶりに「独身気分」となったジョンは精力的にレコーディング活動を行いました。其の成果は、1974年9月発売のアルバム「心の壁、愛の橋」や1975年2月発売のアルバム「ロックン・ロール」と二枚のソロ作品となります。個人的には「リアル・タイムのジョン・レノン」が此の時期からだったので思い入れもありますし、完成度も高い作品だと思います。

其ればかりではなく、1974年3月発売のニルソン「プシー・キャッツ」(リンゴも参加)を全面プロデュースし、11月発売のリンゴ・スター「グッドナイト・ウィーン」でもタイトル曲を提供、演奏でも参加、シングルでヒットしたカヴァー曲「オンリー・ユー」でも全面的にバックアップし(元々、ジョンが「ロックン・ロール」で取り上げる予定をリンゴに譲ったと云われています)、CMのナレーションまで務めています。更に、エルトン・ジョン、ミック・ジャガー、デビッド・ボウイとも共演し、エルトンとの共演作シングルは二曲共全米首位を獲得しました。ジョン・レノン名義での「真夜中を突っ走れ」は、なな、なんとビートルズ解散後で初めての全米首位でありまして、つまりジョンが他の三人よりも後で商業的な成功を収めた事となります。

エルトンやボウイとはビートルズ時代のセルフ・カヴァーでも共演していますが、何と云いましても此の時期にポールとの再会が在りました。お遊び程度の音源ですが、海賊盤で1974年3月にセッションした様子も聴けます。其のセッションには、ニルソンやスティーヴィー・ワンダーも参加したと伝えられています。リンゴは前作「リンゴ」の大成功を踏襲した前述のアルバム「グッドナイト・ウィーン」で引き続きヒットを飛ばし、ポールは前年(1973年)末に発表したアルバム「BAND ON THE RUN」が特大ヒットとなり、1974年にシングル・カットした「JET」や「BAND ON THE RUN」も売れ捲くりました。共演したエルトンの「真夜中を突っ走れ」が全米首位になったらステージでも共演して欲しいとの要望が実現し、ジョンが約束を果たしエルトンのマジソン・スクエア・ガーデン公演に飛び入り参加し、エルトンの「粋な計らい」で楽屋でヨーコと再会し、よりを戻します。此のエルトンの「粋な計らい」を「余計な事をしやがって」と思う方々もおられるでしょう。

さて「ビートルズが解散して一番得した男」ジョージは、「レノマカの逆襲」となった1974年に迷走します。親友クラプトンに奪われた妻パティと1月頃から別居し、心機一転「ダーク・ホース・レコード」を5月に設立するも契約問題で自作はアップルからのリリースが続きます。11月から12月に掛けて、26都市全45公演と云う「解散後のビートルズで初の全米ツアー」を強行しますが、ツアー前の煽りで発売を予定していた「ダーク・ホース」は進まず、渡米後もやっつけ仕事で録音する事となり、米国では11月、英国では12月の発売となりました。多忙なスケジュールでジョージは体調を崩し、アルバムでもツアーでも喉を枯らした不完全な状態となり不評を買いました。解散後に順風満帆だったジョージも壁にぶち当たってしまったのです。とは云え、アルバムには「FAR EAST MAN」と云う特大名曲が収録されていますので、侮れません。

「志ん生の噺はいつも聞けるが、寝てる志ん生はなかなか見れない。寝かしときな」って逸話がありますが、「ジョージのハスキー・ボイスは、なかなか聴けない」し、「片瀬那奈ちゃんの風邪声の歌は、なかなか聴けない。しかも鼻をすすってる姿なんざ、滅多に拝めないお宝だ」と、所謂ひとつの「通」なら云いたいところです。ジョージも「サッチモみたいで好いじゃん」と、ポジティブに語っておりました。1974年にポールはアルバムを出していませんが、「BAND ON THE RUN」の成功に胡坐をかかず、6月から新作をナッシュビルで録音しております。10月に発売されたシングル「ジュニアズ・ファーム」は、新生WINGSによる最高にカッコいいロケンロールです。あたくしは、此の曲のプロモを観てベースを始めました。


(小島藺子)



posted by 栗 at 15:35| FAB4 | 更新情報をチェックする

「日経トレンディ」が選ぶ「2011年ヒット商品ベスト30」発表会にゲスト出演!

剛力彩芽 [2012年 カレンダー]


日経が選ぶ“今年の顔”に剛力彩芽! ハタチの来年は「内面からきれいに」(オリコン 11/2)
剛力彩芽 :日経トレンディの“今年の顔”に選出「すごく幸せで充実した1年」(毎日 11/2)
今年のトレンディは剛力彩芽!(テレビ朝日 11/2)
現在大ヒット中の映画監督「今のところ、次の仕事がまだ…」(スポニチ 11/2)
AKB藤江れいなはパギャル?「びっくり 違うぞって」(スポニチ 11/2)
剛力彩芽2011ヒット商品今年の顔に(デイリー 11/2)
'11年大活躍した人は片瀬那奈と「モテキ」の大根仁監督!(web ザテレビジョン 11/2)
剛力彩芽「今年の顔」に選出!(ニッカン 11/2)
剛力彩芽「今年の顔」選出に「すごく幸せ」(報知 11/2)


はい、こっちは紛れも無い「カタセカイ」ニュースですよっ。てか、、、

「出てるじゃん、那奈ちゃん、出てるじゃん!」

と云うわけで、片瀬那奈ちゃんが本日(11/2)に東京都港区ANAインターコンチネンタルホテル東京で行われた「日経トレンディ」が選ぶ「2011年ヒット商品ベスト30」発表会にゲストで御出陣された模様です。「「さまざまな分野で活躍した人物」として女優の片瀬那菜(原文ママ)」「今年、女優・MCと幅広く活躍した片瀬那奈さん」「2011年大活躍した人として出席した片瀬那奈」「司会業への挑戦などで新たな一面をみせた女優・片瀬那奈」などと記事中で紹介されており、御写真やコメントも掲載されております。片瀬那奈ちゃんの今年の躍進ぶりが「売れっ子」と認められたがゆえの「ゲスト」なのでしょう。

相変わらず「いきなりだナァ」で発覚しましたので、混乱しましたが「2011年大活躍した人」に選出されてゲスト出演されたのだと思われます。「今年の顔」となった「剛力彩芽ちゃん」は「IS」で「福田沙紀ちゃん」と絡んでおりましたが、うっかり「カタセカイ」に参入してきました。お二人の2ショットを掲載しているメディアが多いのが嬉しいですね。記事を読むとまたしても「もうすぐ結婚するかもしれないキャラ」をアピールするコメントをぬかしやがって生脚も全開の片瀬クンだったと思われますので、是非「動画も見たいナァ」と願います。明日のスポーツ紙やワイドショーで取り上げられたら嬉しいですね。

其れにしても昨日「最近、旅に出ていますけど明かせません」なんぞと云いやがった敢えて名は伏せませんが「マネ日記」の「姑息なやり口」には、毎度の事ですが失笑するしかありません。「未だ明かせません」って予告だけして「永遠に明かさない」じゃん。「いえいえ、ちゃんと公式で明かしていますよ」なんて云わせないからね。「アノ時に未だ明かせませんとお知らせしたのは、実は此の作品だったのです」ってオチをつけてもらわなきゃ困るわけですよ。「マネ日記」が中途半端で投げっ放しだから、敢えて名は伏せるが「片瀬那奈全記録」なんて鬼畜ブログが蔓延っているのだよ。


【続報】

2012年ヒット予測、“脱巣ごもり”でスカイツリー、格安クルーズがブレイク(日経トレンディ 11/2)
剛力彩芽、今年の“顔”に選ばれて「光栄」(日テレ 11/2)
剛力彩芽「今年の顔」選出 (デイリー 11/3)
2011年の「顔」は…19歳の剛力彩芽!(スポニチ 11/3)
剛力彩芽、『日経トレンディ』が選ぶ"今年の顔"に選出「光栄でびっくり!」(マイコミ 11/3)
剛力彩芽「すごく光栄でビックリ!!」(リアルライブ 11/3)
片瀬那奈、30歳間近 結婚願望のぞかせる(サンスポ 11/3)

日経ちゃんは主催ですので、もっとも詳細な記事をたっぷりと掲載されました。日テレちゃんは動画あり!「私は特に大ヒット作もないのに選ばれておこがましい」と謙虚な片瀬クンのツカミが好いです。「シューイチ」でも流れると好いですね。サンスポちゃんは「片瀬クン推しの見出し」で、紙面にもカラー写真入りで掲載されています。(11/3 付記)


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 18:06| EVENT | 更新情報をチェックする

2011年11月03日

「カタセカイ列伝」# 056「西村雅彦」

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西村雅彦は、1960年12月12日生まれの俳優です。大学を中退し専門学校を卒業後、22歳の時に地元・富山でアマチュア劇団に参加した事をきっかけに役者を志し上京、「劇団文化座」の研究生となり入団します。「劇団文化座」で脚本家の大石静と出会い演劇を学びますが、1987年に同世代の三谷幸喜と出会い彼が主催する「東京サンシャインボーイズ」に入団しました。劇団は人気を博し成長しますが、1994年に活動を休止します。其の後、活動の場をテレビドラマや映画に広げ、1994年から始まった三谷脚本ドラマ「古畑任三郎シリーズ」での「今泉慎太郎」役で知名度が上がりました。映画「マルタイの女(1997年)」では数多くの助演男優賞を受賞し、三谷監督映画「ラヂオの時間(1997年)」では「日本アカデミー賞最優秀助演男優賞」を獲得しています。現在まで、シリアスからコメディまで様々な役柄を演じられる「演技派俳優」として、舞台、映画、ドラマで活躍し、司会、CM、大学客員教授など幅広い活動を続けています。

片瀬那奈ちゃんとは、ドラマ「熟年離婚(2005年、テレビ朝日)」で「義兄と妹」役で初共演し、「検事・鬼島平八郎(2010年、テレビ朝日、朝日放送)」「ボクら星屑のダンス(2011年、テレビ東京)」でも共演されました。但し「検事・鬼島平八郎」では「浜ちゃん演じる鬼島からスリをした片瀬クン演じる新村慶子を追う西村さん演じる武藤巡査」と云う流れなので、お二人が同時に画面に映る場面はありません。また、映画「20世紀少年 第2章 最後の希望(2009年)」と「ジーン・ワルツ(2011年)」でも絡みはありませんが名を連ねています。そして、バラエティ番組「Oh!どや顔サミット(2011年〜、朝日放送)」(パイロット版は2010年)では御一緒に司会を務めています。

「ボクら星屑のダンス」では上司と部下として「完全なるシリアス演技」での共演でしたが、「どや顔」の印象が強くお二人が登場しただけで笑ってしまいました。「熟年離婚」は基本的にはシリアスな作品なのでしょうけど、此処で何度も指摘した様に無茶苦茶な展開で最終回直前まで家族が大問題を抱えてゆくのに、ラストで信じられないハッピーエンドを迎える「問題作」で、DVD化されていないのが勿体無いトンデモ爆笑ドラマです。西村さんは「古畑任三郎」や「王様のレストラン」で人気者になった頃に、うっかりCDデビューしています。一曲目のキング・クリムゾンのカヴァー「21世紀の精神異常者」から全編イカレた内容の怪作ですが、本人は真剣そのもので挑んでおられ爆笑必須です。

さて、デコと映画「GTO(1999年)」ドラマ「竜馬におまかせ!(1996年、日本テレビ、三谷脚本、浜ちゃん主演)」「ワンダフルライフ(2004年、CX)」「ロト6で3億2千万円当てた男(2008年、テレビ朝日)」などで共演されたのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)



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「テレビでスペイン語」再び!#04 再放送

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NHK Eテレ 13:30〜13:55

「決める」

 講師:貫井一美
 ナビゲーター:片瀬那奈
 パートナー:フリオ・ビジョリア・アパリシオ、マリア・ゴメス・ペドヤ
 リポーター:マルタ・マルティン・モリーナ



「テレビでスペイン語」第4課の四度目の放送です。出だしからタメグチ全開でエラソーな片瀬クンが、ノリノリで御座居ます。くるくる変わる表情も好く、何度観ても楽しめる番組となっております。現在よりも些かムッチリしておられる「一年半前の片瀬クン」もステキですね。矢張りメインは「姫様」ですが、片瀬那奈ちゃんは、こーゆー衣装も実によくお似合いです。見栄えのする長身でスタイル抜群ですし表情も豊かで全身を使った演技も出来て、正に「舞台向き」とも云えるでしょう。

こうして「テレビでスペイン語」が再放送されていますと、是非ともドラマの再放送もやって頂きたいと願わずにはおれません。特に現在はレギュラー司会番組とバラエティ番組へのゲスト出演しか本放送がない状況ですので、こんな時期にこそ「温故知新」とばかりに過去の作品を再放送して欲しいのです。「シューイチ」や「どや顔」そして再放送の「テレビでスペイン語」で片瀬那奈ちゃんに興味を持った方々に、「女優・片瀬那奈」を知る機会をつくってはくれないか。あたくし達ファンは個人的に「勝手に再放送」していますけどね。


本放送:2010年4月23日
再放送:2010年4月29日
再々放送:2011年10月27日

【参考記事】:2010年4月22日「プロゴルファー花」#03


(小島藺子/姫川未亜)



「テレビでスペイン語」NHK公式サイト


posted by 栗 at 13:57| TV | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の那奈

ロックン・ロール Venus & Mars ジョージ・ハリスン帝国


1975年1月に、ようやく法的に「ビートルズ解散」が確定されました。但し、ビートルズとしてのEMIとのレコーディング契約は翌1976年2月まで残っており、四人は其れまではアップル・レーベルから作品を発表してゆきます。1975年2月に、ジョンは前作「心の壁、愛の橋」から半年足らずでアルバム「ロックン・ロール」を発表しました。此の作品は、実際には「心の壁、愛の橋」よりも前から制作していたカヴァー集です。ビートルズ時代の作品「COME TOGETHER」がチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」の盗作だと版権者(モリス・レヴィ)から訴えられそうになり、版元の楽曲を三曲カヴァーする条件で示談になりました。ジョンは、問題の「You Can't Catch Me」を堂々とカヴァーしております。

所謂ひとつの「失われた週末」に入った直後の1973年10月から12月までフィル・スペクターのプロデュースで録音されますが、発狂したスペクターがマスター・テープを持って失踪します。海賊盤を聴くとジョンもへべれけに酔っ払っていて、無茶苦茶なセッションだったと思われます。テープは1974年6月にジョンの元へ還って来ますが、ほとんど使い物にならないと判断したジョンは1974年10月に三分の二に及ぶ9曲を再録音しました。ところが、アルバム完成間近の音源が盗まれ、1975年初頭に「ROOTS」として通販で販売されてしまいます。当然ジョンは訴え後に勝訴しますが「こっちが本物だ!」とばかりに「ロックン・ロール」を発売したのでした。ジャケットには1961年のメジャー・デビュー前にハンブルグで撮影されたショットが使われ、ジョンの前を横切っているのは「ポール、ジョージ、スチュ」です。原点回帰とも云えるロケンロールのカヴァーは「やはり、ジョンはビートルズだ」との印象を強く受ける傑作となったのでした。

発売当時のインタビューで「今回はカヴァー集ですから、レノンさんには印税が入らないのですけど、マッカートニーさんには入るって知ってますか?彼はバディ・ホリーの版権を持っているんです」と訊かれたジョンが「それは知らなかったな。でも、誰か知らない奴が俺のレコードで儲けるよりも、ポールが儲けた方がずっといい。あいつは、俺の兄弟だからな」と応えているのは、結構ぐっとくるエピソードです。其のポールは1975年5月に新生WINGSとしてのアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」を発表し、前作に続き大ヒットを記録します。9月からは世界ツアーを開始し来日公演も発表されますが、麻薬の前科を理由に入国拒否となり中止されました。然し乍ら、遂に名義を「WINGS」と認めさせたのですから、もうポールはイケイケドンドン状態へと向かいます。しかも、ポールは一足先にアップル・レーベルから抜けております。先行シングルの「あの娘におせっかい」(なんと云う邦題!)から、ポールだけはアップルではなくなっているのです。反してリンゴは1975年7月にモーリンと離婚し、イケイケ状態だったソロ活動も低迷してゆきます。

さて、ジョージは1975年9月に先行シングル「二人はアイ・ラヴ・ユー」(トンデモ邦題!)とアルバム「ジョージ・ハリスン帝国」(もっとトンデモ邦題!)を発表します。「YOU」(「二人はアイ・ラヴ・ユー」の原題)は名曲ですが、実は1970年の「ALL THINGS MUST PASS」の頃にロニー・スペクターの為に書いた楽曲で、バッキング・トラックも当時の録音を流用した作品でした。第二弾シングル「ギターは泣いている」も明らかにビートルズ時代の二番煎じで、「ビートルズが解散して最も得した男」の称号に翳りが見えて来ました。既に自分のレーベルを持っていたジョージは、契約上でアップルから出さなければならない事でダラケていたのかもしれません。レーベルには芯だけになった林檎マークが描かれ、オリジナル・アルバムとしてはビートルズ四人の最後の作品となりました。う〜む、ダンダンダンと主役がポールからジョージに代わってきた感じもしますね。此の頃にはポールは大成功しちゃったので、落ちぶれてゆくジョージの方が面白くなるんですよ。あたくしは「苦しみの中から立ち上がる物語」が好きなんです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 17:45| FAB4 | 更新情報をチェックする

「テレビでスペイン語」再び!#05

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NHK Eテレ 23:25〜23:50

「知らないものを尋ねる」

 講師:貫井一美
 ナビゲーター:片瀬那奈
 パートナー:フリオ・ビジョリア・アパリシオ、マリア・ゴメス・ペドヤ
 リポーター:マルタ・マルティン・モリーナ



今回の第5課から二ヶ月目に入った「テレビでスペイン語」の再放送です。テキストも11月号に変わりました。再放送のテキストは昨年の本放送時のリニューアル版で、表紙にもそれぞれ昨年版時の別ショットが使われていますが、先月も今月も再放送時の別ヴァージョンの方が好い写真だと個人的には思います。此の第5課は、本放送時はゴールデン・ウイークに重なったので四回リピートされています。ゆえに今回は再々再々放送で五回目となります。但し、本放送時には何故か夜の放送を観れず、朝だけ録画しておりましたので、三度目の録画となりました。

片瀬那奈ちゃんの「ムッチリ感」が半端ではなくなっておりますね。なるほど「高瀬リコちゃん」と同じ時に撮影されたと分かります。「プロゴルファー花」と「闇金ウシジマくん」は同時進行で撮影されましたが、クランクアップは「闇金ウシジマくん」の方が先だったと思われますので、同時期の「テレビでスペイン語」ではドドンガドンドン!と「高瀬リコ」化してゆく片瀬クンがいます。

ナビゲーター時には、カメラに向かって指をさすトコがゲロマブです。視聴者を指差した様に感じられ、結構「ドッキンコ」としますね。メインの姫様は、益々ぶっ壊れてきましてですね、冒頭の「絵が見たい!絵が見たい!早く見せるのじゃ!」からテンションが尋常ではありません。フリオへの無理難題も「アノ牛を連れてまいれ」だけでもトンデモなのに「牛の背中に乗って連れてまいれ!」と無茶苦茶な事を絶叫しております。やはり「姫様が最強」かもしれません。

第5課では、ナビゲーター時と姫様で「同じ薄いピンクのネイル」なので、此の回に関しては「同じ日に撮影された」と推察できるでしょう。どんな進行で撮られていたのかは分かりませんが、「同日にナビ役と姫様を演じ分けた時が確かに何度かは在った」のは確実で、其れは結構「どえらい事実」だと思います。エンディングの「アスタレゴ〜!」で手を振る時にも、毎回片瀬クンだけ腕を上に上げて大きく振っていて目立ちます。兎も角、此の「テレビでスペイン語」での片瀬クンは始終テンションが高く、元気溌溂なのが印象に残ります。


本放送:2010年4月30日
再放送:2010年5月6日
再々放送:2010年5月7日
再々再放送:2010年5月13日

【参考記事】
 2010年4月29日「プロゴルファー花」#04
 2010年5月6日「プロゴルファー花」#05


(小島藺子/姫川未亜)



「テレビでスペイン語」NHK公式サイト


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2011年11月04日

「カタセカイ列伝」# 057「反町隆史」

ゴールデン☆ベスト 反町隆史


反町隆史は、1973年12月19日生まれの俳優です。研音に移籍し「反町隆史」となる前にはジャニーズ事務所に所属し「平家派」のメムバーだった事は知られています。本格的な俳優デビューは研音に移籍し改名後の1994年で、ドラマ「ビーチボーイズ(1997年、CX)」や「GTO(1998年、関西テレビ)」などの主演作で大ブレイクしました。1997年には 「ビーチボーイズ」の主題歌「Forever」(ちなみに、米国の超有名バンド「ビーチ・ボーイズ」には「Forever」と云う人気曲が存在します)で歌手デビューし、「紅白歌合戦」にも出場しています。「GTO」の主題歌「POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」なども大ヒットし、シングル6枚、オリジナル・アルバム3枚を発表しています。歌手活動は2000年で休止し、以後は俳優に専念し多くのドラマや映画で活躍中です。

片瀬那奈ちゃんとは、彼女の本格的な女優デビュー作と云える「GTOドラマスペシャル(1999年、関西テレビ)」でガチンコ共演されています。片瀬クンの女優デビュー作は「美少女H2 最後のデート(1999年、CX)」ですが、其れは深夜に放送されていた「新人のプロモーション企画」でした。「女優なんてチョロイチョロイ」と天狗状態で主役を演じた片瀬那奈ちゃんは出来上がった作品での自分の演技に絶望し、三ヶ月後に放送された「GTOドラマスペシャル」では見違える様な成長を遂げます。「GTOドラマスペシャル」時の台本は片瀬クンの書き込みが尋常ではないらしく「伝説の台本(シュガー命名)」と呼ばれています。片瀬クン自身もデビュー当時の苦闘は思い出深い様で、2011年のイベント「Message 2011」では総合司会を務めた立場上、多くの研音所属俳優さんとの共演噺は封印されていたにも関わらず、反町さんとだけは「GTOドラマスペシャル」での共演を語っておられました。また、反町さんが第1話で声優を担当されたアニメ「人間交差点(2003年、テレビ東京)」のオープニングテーマ「REVENGE〜未来への誓い〜」は、歌手時代の片瀬那奈ちゃんが担当しています。

「GTOドラマスペシャル」の時に片瀬那奈ちゃんは未だ研音所属ではありません。では何ゆえ当時の台本に関するエピソードが語られたかと申しますとですね、片瀬クンが研音でマネージメントされた時から現在までずっとマネジャーを務め、現在は「チーフ・マネ」となられた「シュガーちゃん」が其の前に反町さんの担当だったからです。其ればかりか、歌手時代にチーフ・マネだった「青うにょ師匠」も反町さんの担当から片瀬クンに移動しましたし、なな、なんと現在の研音社長である「野崎研一郎さん」も反町さんのマネジャーをされていたのでした。本格的な共演作は「GTOドラマスペシャル」だけですが、反町さんと片瀬クンには看過出来ない浅からぬ因縁があります。「GTOドラマスペシャル」は最初期の片瀬那奈ちゃんを堪能出来る傑作でDVD化もされていますが、劇中で那奈ちゃんが反町さんの前で「POISON」を歌う「眩暈がする様な名場面」もありました。

さて、反町さんとドラマ「GTO」の共演をキッカケに御結婚され、大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年、NHK)」では夫婦共演もされたのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)



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「AFTER THE BEATLES」其の捌

Shaved Fish Blast From Your Past Best of


1976年2月にビートルズのEMIとのレコーディング契約が満了し、四人はそれぞれ新たな契約が可能となりました。ポールはEMIと契約を続行、ジョージとリンゴは別のレコード会社へ移籍し、ジョンはどことも契約しなかったのです。つまり、ジョン・レノンは引退したわけですね。其れで、EMIから離れるポール以外の三人はベスト盤を出す事となりました。最初は、ジョンです。ジョンは1975年10月9日(ジョンの誕生日)にヨーコとの間にショーンが生まれ、翌1976年7月にはアメリカ永住権を獲得します。当時はよく分からなかったのですが、引退記念としてベスト盤を発表したのでしょう。

当時ジョンのシングル盤がほとんど廃盤になっていた事に驚いたジョンが「シングル集」を出そうと決めたらしいです。ジョンはシングルとアルバムを別にすると云うビートルズ時代からの信念を持っていたので、多くのシングル曲がアルバム未収録でした。其れで、1975年10月にシングル集「Shaved Fish」を発表します。単なるシングル集ではなく、オープニングとエンディングに編集された「平和を我等に」を配しアートワークも凝った「レノンらしい」ベスト盤です。余談ですが、オリジナルの会心作からカヴァー集ときてシングル集で引退との流れは「歌手・片瀬那奈」と全く同じ流れでした。

次に、1975年12月にリンゴが矢張りほぼシングル集と云えるベスト盤「想い出を映して」を発売しました。全10曲とCD世代以後には些か物足りない曲数ではありますが、其の内の那奈曲がトップ10入りの大ヒット曲と云う「ビートルズでアルバムに一曲の人」とは思えない全盛期の狂い咲きしたリンゴが堪能出来ます。当時はシングルでしか聴けなかった曲もガッツリと収録したお徳用盤で、1970年代リンゴの最後の輝きと云える作品となりました。てゆーか、ハッキリ云って1970年代前半はリンゴが最も多くのヒット・シングル曲をぶちかましていたのです。アルバムも売れましたし、世の中が些かイカレポンチ状態になっていたのかもしれません。此の後、いい気になったリンゴはどん底まで堕ちてゆくので御座居ます。

さて、時系列で解散後のビートルズを語っている此の連載ですけど、此処で一寸反則をします。順番だと次はポールのWINGSからリンゴのアルバムへと続くのですけど、其れらを飛ばしてジョージのベスト盤を先に語ります。ジョージのベストは其の名も「THE BEST OF GEORGE HARRISON」として1976年11月に発売されました。既にジョージは自分のレーベル「ダーク・ホース」ごとワーナーに移籍し新作アルバム「33 1/3」を11月19日に発表するのですが、なな、なんと「THE BEST OF GEORGE HARRISON」はEMIから翌11月20日に発売されたのです。正に「過去と現在のジョージが闘っている!」状態を演出されてしまったっ。

ジョージはEMIからのベスト盤発売には協力し自ら選曲した様です。「赤盤」と「青盤」の選曲でも有名なジョージの選曲ですから、輝かしいソロ・キャリアから厳選されたベスト盤となったことでしょう。ところが、EMIから「おまいのソロ・ベストなんて売れないのだ」とダメ出しされ、勝手にアナログのA面はビートルズ時代の作品でB面がソロ時代の作品と云う屈辱的な編集盤にされてしまったのでした。ジャケットも「やっつけ仕事」で好い加減な出来栄えですし、アルバム未収録曲も「バングラ・デシュ」のみでした。ジョンは勿論、リンゴですらソロ作品でのベスト盤が出せたのに「ビートルズが解散して一番得した男」と呼ばれたジョージだけが「スットコドッコイなベスト盤」を出されてしまったのです。

でもですね、冷静に考えると確かに此の時期にはジョージは様々なトラブルを抱え、一時期のイケイケ状態も過ぎていたのです。「今更、ジョージのソロだけじゃ売れないべ」と判断されても仕方なかったのかもしれません。そんなこんなでジョンは引退し、ジョージとリンゴの栄華も続かずとなった1976年からは、正にポールの独り勝ち状態になってゆくのでした。解散後にボロクソに貶し捲くられたポールでしたが、気が付けばチャッカリとトップとなり独走していました。ちなみにポールがベスト盤を出すのは1978年12月でして、随分と先の事です。「ベスト盤なんか出さなくともオリジナルがバカ売れしてるじゃん!」と、余裕ぶっこいていたわけですね。


(小島藺子)



posted by 栗 at 09:21| FAB4 | 更新情報をチェックする

「SMiLE」を発禁にしろ!

スマイル スマイル(デラックス・エディション) Smile Sessions


ビーチ・ボーイズの幻の作品「SMiLE」が、45年の時を超えて公式盤として発表されてしまいました。全く以って長生きはするもので御座居ます。CD1枚の通常盤、箱入りCD二枚組、アナログ二枚組、更にCD五枚アナログ二枚EP二枚の計九枚入り豪華箱入りと多様な形態での発売となりましたが、とりあえず通常輸入盤を購入しました。と申しますのも、1966年から1967年に制作され、途中でブライアンが「ラリラリパッパラパー」になって頓挫したと云われる此の音源は、散々ブートレグで買い捲り内容は知っているからです。

1967年に未発表になったものの、シングル「GOOD VIBRATIONS」を始め音源は小出しに正式発表され、其れらの完成度が高いゆえに「もしも完全版が出ていたならロックの歴史は変わっていた」と云われ続けました。2004年にはブライアンがソロ作品として新録で発表しましたが、あたくしは正直に云って「幻は幻の侭にして欲しかったナァ」と思ったものです。ところが、今度は当時の音源での公式盤が出てしまったのです。海賊盤の音源も年々向上しておりましたが、矢張り公式盤には敵わないと思われますので、買ってしまったわけだよ。うわあ、無茶苦茶に音がええじゃまいか。

果たして本編と云える通常盤の内容は、1966年に構想された「SMiLE」を当時の音源を中心にして音も磨いて創りあげた労作でした。「Cabin Essence」や「Surf's Up」などは後にカールのヴォーカルを加えて完成された音源になっていますし、結構リミックスもされているみたいですが、確かに1966年から1971年頃までの録音が元になっている様で、少なくともブライアンの2004年版「SMiLE」とは比較にならないクオリティだと思います。でもですね、此れが当時完成して発表されていたとしても売れなかったでしょうね。

前作「PET SOUNDS」ですら当時は評価が低かったわけで、こんなトンデモ音楽が受け入れられたとは到底思えません。此れだけ綺麗にまとめても、やっぱり「SMiLE」は完全にイカレています。音楽が、余りにも美しく発狂しているのです。おそらく、あたくしが聴いたロックでは桁違いで別格の「キチガイ音楽」が「SMiLE」です。今回の公式盤を聴いても「やっぱり、キチガイだわ」とメルモちゃん声で呟いてしまいました。「SMiLE」を聴けば、ジョンとヨーコの前衛音楽も「おこちゃまのお遊び」と思えます。「SMiLE」は完全に狂っているのに、其れでも限りなく美しい音楽として成立しているのです。こんなモンを簡単に手に入れられる様にするって「犯罪」ですよ。よいこのみんなは、決してうっかり聴いたりしないでね。間違って箱なんか買っちゃダメですよ。あたくしは、たぶん買うけどさ。


(小島藺子)



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2011年11月05日

「AFTER THE BEATLES」其の玖

スピード・オブ・サウンド(紙ジャケット仕様) Ringo's Rotogravure 33 1/3


ポールは1976年3月にWINGSとして「スピード・オブ・サウンド」を発表します。前年1975年から始まった世界ツアーは5月から6月へかけて全米ツアーを控えており、其の前振りとして出したアルバムはまたしても大ヒットします。ライヴ・バンドとしても絶好調だったので、ポールは約半数の楽曲で他のWINGSメムバーにヴォーカルを任せ「バンドWINGS」を強調しましたが、矢張りメインとなるのはポールが歌う曲でした。リンゴは9月に移籍第一弾アルバム「リンゴズ・ロートグラビア」を発表、御馴染みのジョン、ポール、ジョージの援護も受け、バックにはエリック・クラプトン、ニルソン、ピーター・フランプトン、ドクター・ジョン、ジェシ・エド・デイヴィスなど豪華なゲストを迎え、敏腕プロデューサーのアリフ・マーディンが制作した作品でしたが、「リンゴ」や「グッドナイト・ウイーン」ほどは売れませんでした。ジョンが書きピアノでも参加した「クッキン」は、引退前の最後のレコーディング(1976年4月)で、ジョンは1980年の「ダブル・ファンタジー」まで完全に引退状態となります。

ビートルズのEMIとのレコーディング契約は1976年2月に満了しましたが、EMIには過去のビートルズ作品から編集盤を出す権利が残されたのです。其処で早速6月に二枚組の「ロックンロール・ミュージック」が発売されます。1973年の「赤盤」と「青盤」以来の正式な編集盤で、其の後は毎年の様に「ビートルズの新作」が乱発されてゆくのです。ジョージだけがスットコドッコイなベスト盤を出されたのは、ジョンとリンゴがまだEMIとの契約中だった1975年に出したのに、ジョージは契約が切れた後の1976年になってしまった事にも原因はあるでしょう。「ロックンロール・ミュージック」は単に過去のロケンロール楽曲を寄せ集めただけの編集盤にも関わらず、英国では10位まで上がり米国ではミリオン・セラーとなり全世界的にヒットしました。「矢張り、ビートルズは売れる」と分かったEMIとしては、ジョージのソロだけでなくビートルズも入れたいと考えるのは当然です。

前述の通り、ジョージは11月19日に移籍第一弾アルバム「33 1/3」を発表しますが、翌日に「THE BEST OF GEORGE HARRISON」を出されてしまいます。まるで「PET SOUNDS」の時のビーチ・ボーイズ(キャピトルは大胆な路線変更となった「PET SOUNDS」が過去のアルバムよりも売り上げが低いと判断し、直後に勝手にベスト盤をリリースし、皮肉にもベスト盤の方が売れてしまった為にブライアンは深く傷つき「ラリラリパッパラパー」となってゆく)の如き仕打ちを受けます。「33 1/3」はAOR路線のなかなかの良作ですが、当時のジョージはトラブル続きで散々でした。そもそもダーク・ホースはA&Mとレーベル契約していたのですが、ジョージはEMIとの契約でソロ作品を出せず新人のレコードばかりA&Mから出していました。ようやくジョージのソロも出せるとなり、1976年6月25日(ジョージが「33 1/3」歳になる日)にリリースが決まったもののジョージは締め切りに間に合わず、怒り狂ったA&Mに「訴えてやる!」と詰め寄られ、違約金を肩代わりしてもらう条件でレーベルごとワーナーへ移籍しました。更に、有名な「マイ・スウィート・ロード盗作問題」が裁判となり9月に「潜在意識による盗用」と云う訳の分からない理由でジョージが敗訴します。大瀧師匠は「アノ裁判官は、音楽の事を何も分かってないね」と語っております。

そんな苦境の時でしたが、ジョージは「33 1/3」からシングル・カットされた「THIS SONG」では盗作裁判をコミカルに歌い、美しい楽曲「愛のてだて」では「僕は君を愛そうとつとめている」なんぞと歌いA&Mの重役に捧げているのです。う〜む、ジョージは「お人よし」ですね。余談ですが、此の当時に渡英した中村雅俊さんがジョージと会っています。まーくんの感想は「ジョージに口ひげがなくて吃驚した」でした。パティとの離婚問題も抱えていたジョージは「33 1/3」発表後に趣味の「F1観戦」などに明け暮れる日々を送り、あわや「ジョンに続いて引退か?」とも思えるほどに音楽への興味を失ってしまいます。次のアルバム「慈愛の輝き」は二年半後の1979年2月まで待たされることとなります。リンゴはドドンガドンドン!と落ちぶれて、1970年代後半はポールの「ひとり勝ち」状態が続いてゆくのでした。


(小島藺子)



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「カタセカイ列伝」# 058「松嶋菜々子」

やまとなでしこ DVD-BOX


松嶋菜々子は、1973年10月13日生まれの女優です。1992年度「旭化成工業水着キャンペーンガール」となり、雑誌「ViVi」の専属モデルも務めます。バラエティ番組やCMで注目され、1996年にNHK朝の連続テレビ小説「ひまわり」で主演し女優としてもブレイク(なんとドラゴン藤波も出ていました!)、翌1997年には二代目「きれいなおねえさん」を襲名し、「好感度No1女優」となりました。以後も「GTO(1998年、関西テレビ)」「救命病棟24時シリーズ(1999年〜、CX)」「魔女の条件(1999年、TBS)」「氷の世界(1999年、CX)」など数多くのドラマや映画で活躍し、主演ドラマ「やまとなでしこ(2000年、CX)」は「平均視聴率26.4%、最高視聴率は34.2%」の大ヒット作となりました。2001年に俳優・反町隆史と結婚した後も、大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年、NHK)」や「美女か野獣(2003年、CX)」など主演作が軒並みヒット。二度の出産によるブランクをものともせず「数字を持っている女優」の実力は翳りを見せず、最新作主演ドラマ「家政婦のミタ(2011年、日本テレビ)」は近年の「ドラマは数字が取れない」状況下で平均「20%」に迫る勢いと好評を得て、2011年10月期ドラマのトップは間違いなしと云われています。う〜む、強いぞドラえもん!じゃないや、ミタさん。

片瀬那奈ちゃんとは、「GTOドラマスペシャル(1999年、関西テレビ)」「氷の世界(1999年、CX)」と、デビュー当時の重要な二作品で共演しています。また「旭化成工業水着キャンペーンガール」としても松嶋さんは片瀬クンの先輩です。更に、二代目の松嶋さんに続いて三代目「きれいなおねえさん」に抜擢されたのも片瀬那奈ちゃんでした。2001年3月14日に行われた「三代目襲名会」では、二代目から三代目へ文書でエールが送られておりました。水着キャンペーンガールからモデル、そして「きれいなおねえさん」で女優と、正に二代目は三代目の前を同じ様に進んだ経歴がありました。ま、お名前もおんなじ「ななこ」なわけだが。前述の通り反町さんは片瀬クンの事務所の先輩であり、夫婦揃って「創世記の片瀬那奈」から今日まで大きく影響を与えている存在と云えるでしょう。

そう云えば、2011年10月8日に放送された「日テレ系人気番組大集合!秋の番組対抗『世界一受けたい授業』1億人の国語理科社会音楽体育 秋の最強先生来襲スペシャル」では、久しぶりにチラリと「ダブル・ななこ」共演がありました。二代目主演ドラマ「家政婦のミタ」は、ナンダカンダ云って今期で未だ脱落していない作品です。後はエロス主演の「DOCTORS」になんとか付き合ってますけど、録画予約しているのは「家政婦のミタ」だけになってしまいました。数字が好いドラマには余り興味を持たないあたくしですが、「家政婦のミタ」は面白いです。特に「鈴木先生」こと長谷川博己さんの「ヘタレ親父」ぶりが最高です。「結婚なんかしたくなかったけど、娘が出来て脅されて仕方なく結婚したんだ!」とか云って「不倫して奥さんを自殺に追い込んだ」のに「しっかり子供が四人もいる」って「無計画なダメ男」が嵌りすぎで、ミタさんに愚痴ると華麗にスル〜され捲くる「どーしよーもない展開」が爆笑モンですよ。二代目も大胆なイメージ・チェンジで頑張っておられる。

さて、二代目の大ヒット主演ドラマ「やまとなでしこ」は何度も再放送され幸いにもDVD化されていますが、片瀬クンの傑作「2001年のおとこ運」と同じ事情で「現在は再放送は困難」となっております。其の「やまとなでしこ」で二代目と共演されたのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 14:11| KATASEKAI | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の拾

Over America Ringo the 4th ロンドン・タウン(紙ジャケット仕様)


世界ツアーを大成功させたポールは、1976年12月に全米公演を収録したライヴ盤「WINGS OVER AMERICA」を発表します。全米での全31公演を全て録音したポールは90時間にも及ぶソースから厳選し「28曲入りアナログ三枚組」と云うトンデモ盤を出しましたが、イケイケドンドン状態の勢いで大ヒットします。全盛期のWINGSを記録した名盤ですが、全米公演には引退したジョンも訪れ「ビートルズ再結成なんてないよ。見たければポールのWINGSを見ればいい。」と発言しました。此の頃にはジョンとポールの友情関係は完全に復活して、ポールはジョンの住むダコタ・ハウスに訪れたりしていた様です。でも、ジョンと仲直り出来たのが嬉しかったポールはアポなしでいきなり思い立って英国からニューヨークへ飛び、ギター片手に「やあ、ジョン、来ちゃったよ。一緒に曲を作ろう!」なんぞと云い、ジョンから「あのさ、ポール、俺たちはもうガキじゃないんだから、こーゆーのはないだろ?」と呆れられたらしいです。

WINGS結成時には敢えてビートルズ時代の曲をライヴで演奏しなかったポールも、WINGS(てか、ポールのソロなんだけど)の成功から此の頃にはビートルズ・ナンバーも演奏する様になり、正に全盛期を迎えました。WINGSはメムバーの入れ替わりが激しいバンドでしたが、此の「WINGS OVER AMERICA」の時期が最も充実していたと思えます。ポールはWINGSとしても、再び世界の頂点に達しました。リンゴは、1977年9月に「RINGO THE 4TH」を発表します。ソロ・アルバムとしては6作目ですが「4作目」としたのは、二作目まではお遊びで三作目の大ヒット作「RINGO」が本格的なデビュー作だと云いたかったからでしょう。しかし、邦題は「ウイングス〜リンゴ IV」と云う「恰もWINGSの人気に便乗した」様なものでした。相変わらず豪華なゲストを迎えた意欲的な作品でしたが「何を考えてるんだ?」と思えるジャケットが示す様に全く売れず、益々リンゴは落ちぶれてゆきます。

1977年にはビートルズの新作が二作も発表されました。5月に初めてのライヴ盤「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」が出ますが、此れは1964年と1965年のハリウッド・ボウル公演から編集された音源で、解散後に初めて公式に発表された未発表音源でした。発売当時でも十年以上も前の音源だったのに全世界でヒットしてしまいました。便乗して他社からデビュー前のライヴ音源まで発売され「やっぱり、ビートルズは売れるぞ」となりまして、11月には二枚組の編集盤「LOVE SONGS」が発売されました。そんな中でポールはシングル「夢の旅人」を11月に発売し、英国でのビートルズが持っていた「SHE LOVES YOU」の売り上げ記録を抜いたのでした。最早、ポールには向かうところ敵なし!となったのです。

然し乍ら、順風満帆になったポールにも「WINGSのメムバーが固定しない」と云う難題がありました。案の定、1977年5月から始まったレコーディングで、またしてもリードギタリストとドラマーが脱退してしまいます。「WINGS」と云う名のバンドは、同一メムバーでスタジオ録音盤を一枚ずつしか遺しておりません。「ポールと其のバック・バンド」と云うのが「WINGS」の正体ですから、そりゃ「飼い殺し状態」のメムバーはやってられなくなります。ところが、ポールは再びリンダとデニーとの三人になっても全くめげずにレコーディングを続行し、1978年3月にアルバム「ロンドン・タウン」を発表します。特大ヒット曲「夢の旅人」は敢えて収録しない潔い作品でそこそこにヒットしますが、前作までのメガ・ヒットには及びませんでした。最早「孤軍奮闘状態」となったポールの闘いは続きます。ジョンもジョージもリンゴも脱落し、もうビートルズを守るのはポールしかいなかったのです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 20:54| FAB4 | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

「シューイチ」#030

日経 TRENDY (トレンディ) 2011年 12月号 [雑誌]


日本テレビ 8:00〜9:55

【MC】中山秀征、片瀬那奈
【コメンテーター】中丸雄一(KAT-TUN)、手嶋龍一、名越康文
【プレゼンター】笛吹雅子(日本テレビ報道局)、辻岡義堂(日本テレビアナウンサー)
【シューイチガールズ】木村好珠、中村アン、中村果生莉、ヒガリノ、三宅ひとみ、谷中麻里衣

悠仁さま着袴の儀・秘蔵映像公開 2011年トレンドTOP30 ロンドン五輪への道・女子自転車を中山取材 夢は読モ♪イマドキ女子小学生に中丸驚き 秋の便利文房具


いきなりだナァ、と「明日で30歳です」のテロップで片瀬那奈ちゃんが登場です。ワインレッドの上着に柄ミニスカートで生脚全開!で、本日も爽やかな笑顔で始まりました。ニュースのコーナーで先日の「日経トレンディ」が選ぶ「2011年ヒット商品ベスト30」発表会の話題が取り上げられました。「2011年大活躍した人」として選ばれゲスト出演された片瀬那奈ちゃんも、チラリと映っております。ネットで観れた映像とは違う場面とコメントですので嬉しいですね。片瀬クンの「2012年の注目」は、なな、なんと「全録レコーダー」ですとっ。おいおい、「此れならバッティングも平気でしょ?」とでもおっしゃりたいのですか。ゲームを語る時のリアクションには「ゲーマー・那奈ちゃん」の真髄が出ておりました。オープニングでは些か眠そうな感じでしたが、御自分が関わった「日経トレンディ」の噺あたりからメートルが上がり、「中山のイチバン」での「小窓ちゃんリアクション」では表情の変化ばかりではなく、画面に合わせてお顔を振る荒業まで披露するなど、本日も絶好調です。「小窓ちゃん」の時にも片瀬クンは感想を呟く事が多く、結構マイクが拾っています。

番組は「ショービズ」へと進み、那奈ちゃんが「クリスマス・イヴ」を口ずさむサービスから「那奈ちゃん、今年のクリスマスの予定は?」とふられ「全然ロマンチックじゃないんですけど、ひたすらチキンを食べます!」と食いしん坊ネタで応えます。ヒガリノちゃん&三宅ひとみちゃんのシューイチガールズによるリポートもありまして、「カタセカイ住人」も満載のコーナーとなっております。好い傾向だと思ったら、過去VTRながらADが登場したのは頂けません。「今週も愛菜ちゃん大活躍」とまたしても芦田愛菜ちゃんの話題が出てましたが、どー考えても働き過ぎだと思います。あらら、放送事故だ。片瀬クンは「美魔女ネタ」では「小窓ちゃん」でも何やら大いに語り余談も披露しておられましたが、そりゃまぁ「どや顔」で取り上げてましたからね。其れにしても片瀬クンは、続く「まじっすか!?」でも矢鱈と雑談しております。どうやら周りの誰かに訊かれ、片瀬クンが解説している様に見えます。VTR明けのコメントも多く、なかなか宜しい。

てかさ、ナレーターが矢鱈と「なな、なんと」と云うのに反応しちゃいましたよ。「なな、なんと」って此処で随分と使っているフレーズでありましてですね、当然乍ら「那奈ちゃん」に掛けているわけです。そんな細かいトコまで「シューイチ」は「片瀬那奈色」に染まってしまったのでありましょうかしらん。「トレナビ」は便利文房具特集で、片瀬クンも思わず「小窓ちゃん」で「欲しい!」と食いつく物件もありましたが、思いっきり宣伝です。「うひゃひゃひゃひゃ〜!」とスタジオで片瀬クンが盛り上がっている音声が聞こえます。毎度の事ですが、後半になると場のムードがダラダラになってゆくのが「シューイチ」の味ですね。片瀬クンの「ビックリ顔リアクション」もバリエーションが増えており、最高級万年筆の値段を知った時の「ギャー!」と叫ぶ感じは「新ネタ」でした。

終盤の「シューイチラボ」は、もしかしたら「小窓ちゃん」の時によく分からなかったスタジオの雑談風景を見せてくれるコーナーなのかもしれません。「ダハハ、ダハハ」と笑い捲くり、ツッコミも入れ捲くる片瀬クンが全身ショットで堪能出来ます。谷中麻里衣ちゃんの「お天気コーナー」は、相変わらず「ハラハラドキドキ」ですね。おっと、今週はビーチ・ボーイズの「ココモ」じゃん。此処的には「旬」な選曲です。最後は、一足先に明日の御誕生日をお祝いされて「シューイチ・ポーズ」でおしまいとなりました。おそらく、番組終了後には御誕生日をお祝いされる展開となるのでしょう。片瀬那奈ちゃんの「二十代最後の日」を生放送で体感出来ただけでも、此の「シューイチ」の存在意義は十二分に在ります。片瀬那奈ちゃんのファンとして、出演者と番組スタッフの皆様に感謝いたします。


【関連記事】
 2011年11月2日:「日経トレンディ」が選ぶ「2011年ヒット商品ベスト30」発表会にゲスト出演!


(小島藺子/姫川未亜)



「シューイチ」日本テレビ公式サイト
「シューイチくん中山さんとシューイチの仲間たち(11/6放送分、11/7公開)
(収録後に御誕生日をお祝いされる動画が公開されています。)


posted by 栗 at 09:57| TV | 更新情報をチェックする

「COVERS」#128

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「11月初めの看板」


(2011年10月作)



「公開終了」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 12:07| COVERS | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

「今日から30歳です!」

那奈理名.jpg



本日は、片瀬那奈ちゃんと内山理名ちゃんの
30歳の御誕生日です。
おめでとうございます!


16歳のデビューから、気が付けば人生の半分近い期間をファンとして接することが出来ました。正直に申しまして、30歳の那奈ちゃんや理名ちゃんを応援している未来は想像しておりませんでした。こうなったら、トコトンお付き合いさせて頂きますよっ。那奈理名は永遠に不滅です。恒例の本日限定でコメントをお待ちしております。

初めて那奈ちゃんを知った時、16歳でした。女優の那奈ちゃんを観たのは17歳の時でした。歌手になって、初めて那奈ちゃんに逢えた時には21歳でした。結構、長い年月が経っているのですね。此処も5,700以上の記事を書いて来ましたが、まだまだ続きます。今後とも、何卒宜しくお願い致します。


(小島藺子/姫川未亜/鳴海ルナ)



「みなさん、今年もコメントを書いて下さって有難うございます。予定通り、限定コメントの受け付けは終了致しました。」


posted by 栗 at 00:07| Comment(4) | HAPPY☆ | 更新情報をチェックする

「YESTERDAY ONCE MORE」

Now & Then


16歳「衝撃のデビュー」
若干16歳で「旭化成工業水着キャンペーンガール」として堂々のデビューを飾りました。

17歳「女優デビュー」
「JJ」専属モデルを務め「美少女H2 最後のデート」で女優デビュー。「GTO ドラマスペシャル」「天国のKiss」「氷の世界」と着実に成長してゆきます。

18歳「グラビア全盛期」
「FLY 航空学園グラフィティ」などで熱演し、グラビア・アイドルとしても大活躍しておりました。

19歳「きれいなおねえさん」
三代目「きれいなおねえさん」を襲名し、知名度がアップ!「2001年のおとこ運」や「できちゃった結婚」とドラマでも絶好調!

20歳「驚愕の新展開」
「プリティガール」を最後に女優活動を休止し、グラビアも卒業。二十歳を機に新たな方向へ進みます。

21歳「歌手デビュー」
「あっ。」と驚く「歌手転向」を果たします。積み上げて来た女優としてのキャリアも休止しての背水の陣で臨んだ「余りにも潔い挑戦」でした。

22歳「歌手・片瀬那奈の時」
完全に「歌手・片瀬那奈」として音楽活動に専念し、雑誌媒体では女性ファッション誌を中心とした活動へ向かいます。其の音楽活動は「片瀬那奈は早過ぎた」と伝説化しています。

23歳「女優回帰」
今度は歌手活動を休止し、再び女優へ回帰しました。当初はCMなどと連動した「お嬢様路線」と云うイメージ・チェンジを図ったものの、徐々に本質が露わとなってゆきます。

24歳「怪優への序曲」
「小早川伸木の恋」「ビバ!山田バーバラ」「デスノート the Last name」などで様々な役どころを演じ切り、女優としての評価が高まってまいりました。

25歳「怪優開眼から奇跡の舞台デビュー」
完全に化けた「西豪寺エレナ様」を皮切りに、初舞台「僕たちの好きだった革命」で絶賛され、怪優開眼しました。デザイナーとしてもデビューし活動の場を広げてゆきます。

26歳「フラガールで舞台主演」
覚醒した片瀬那奈の勢いは止まらず、舞台「フラガール」での堂々とした主演など怪優道を突き進みます。ドラマでのバイプレイヤー振りも際立ってまいりました。

27歳「助演女優賞受賞」
「歌のおにいさん」で演じた「美月うらら」役で遂に助演女優賞を獲得!ドラマ、映画、舞台と八面六臂の大活躍。CMでもビキニ姿を披露し、サッカー番組などにも進出しました。

28歳「那奈変化の怪優道をゆく」
同時に三本の映画を掛け持ちし、連ドラでも「高瀬リコ」と「大久保千秋」を同時に演じ乍ら、語学番組「テレビでスペイン語」のナビゲーターも担当するなど「一体、いつ休んでいるんだ?」と思える状態で、新たなる演技の幅が広がってゆきます。

29歳「司会も務めるマルチな才能が開花」
「シューイチ」と「Oh!どや顔サミット」と週に二本のレギュラー司会を務め、女優としても相変わらず数多くの作品でコメディからシリアスまで演じわけ、「日経トレンディ」が選ぶ「2011年大活躍した人」に選出されました。


以上、ザックリと片瀬那奈ちゃんの足跡を振り返ってみました。もっともっと詳しく知りたい片は、敢えて名は伏せませんが「the diary of nana katase 片瀬那奈全記録」を御覧下さい。それほどコアでない方々には「公式サイト」や「Wikipedia」をオススメいたします。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 23:28| ERENA | 更新情報をチェックする