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2011年10月30日

「AFTER THE BEATLES」其の伍

Ringo Mind Games Band on the Run


1973年6月にポールはシングル「007 / 死ぬのは奴らだ」を発売します。此の楽曲は、ビートルズ時代以来初めてジョージ・マーティンがプロデュースを担当した楽曲で、いよいよポールの逆襲を予感させる傑作となりました。1971年にニューヨークに移住したジョンは、反体制活動家との交流で政治的な活動を行いアメリカ国家から目を付けられ何度も国外退去命令を出されていました。プレッシャーに耐えかねたジョンは、1973年9月にヨーコと別居しロスへ逃亡します。同行したメイ・パンは「ヨーコ公認」だったそうです。

さて、1973年は「赤盤」と「青盤」の大ヒットもありましたが、其れに乗じてトンデモな事が起こりました。11月にリンゴが発表したアルバム「RINGO」が大ヒットしてしまったのです。先行シングル「想い出のフォトグラフ」は全米首位!アルバムも全米2位!と「ビートルズではアルバムで一曲しか歌わない人」としては考えられない様な快挙を成し遂げてしまいました。とは云えカラクリがありまして、此のアルバムには「ジョン、ポール、ジョージ」が参加しているのです。解散して初めて四人が同じ作品に名を連ねたのですから、もう話題性抜群ですよ。

ジョージは「想い出のフォトグラフ」など三曲をリンゴと共作(いや、絶対ジョージがひとりで書いたに決まってる)、ポールは「シックス・オクロック」を提供し共演し(ロング・ヴァージョンではほとんどポールが主役になり、WINGSにリンゴが客演した状態になる)、第二弾シングル「ユア・シックスティーン」(なな、なんと此れも連続で全米首位!)にもマウス・サックスで参加、更にアルバム冒頭を飾るジョンの作品「アイム・ザ・グレイテスト」では、ジョン、ジョージ、リンゴ、ビリー・プレストン、クラウス・フォアマンでの演奏と云う「ポールだけいないビートルズ」まで実現したのです。でもですね、クラウスは「シックス・オクロック」でもベースを弾いているんですよ。ポールの曲でポールがほとんどの楽器やコーラスも担当しているのに、ベースはクラウスなのです。ビートルズの四人は、この頃にはかなり関係が良好になって来たのでしょう。

アルバム「RINGO」と同じ11月にはジョンのアルバム「MIND GAMES」が発売されます。単独名義(つまり其れはマトモな作品とも云える)では三作目ですが、「ジョンの魂」や「イマジン」の様な緊張感は感じられません。タイトル曲を始め佳作が多いのですが、どうにも「ビシッ」としたレノンらしさが欠けた「腑抜け」の様な出来栄えです。其れは其れで味わい深いとも云えるのですが、前年(1972年)の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」辺りからジョンのテンションが下がっていたと思わされます。そして、主役のポールですけど、彼も大変な事になっていました。折角WINGSが地道なライヴ活動やアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」で盛り上がって来たのに、なな、なんと、リードギタリストとドラマーが脱退してしまったのです。ジョージとリンゴが売れて、ジョンとポールが堕ちてゆくなんて「在り得ない事態」が起こってしまったのでした。

ポールは新作をナイジェリアのラゴスで行うと決めますが「アフリカになんか行きたくない」とメムバーが脱退し、奥さんのリンダと下僕デニー・レインの三人でレコーディングを強行します。リンダはほとんど素人ですから実際はポールとデニーだけと云う状況でしたが、其の逆境にポールは覚醒し、ほとんどの楽器をひとりで演奏します。特にドラムはキース・ムーンにも絶賛された程の鬼気迫る熱演でした。そうして完成したアルバム「BAND ON THE RUN」は、1973年12月に発売されます。名義は皮肉にも「ポール・マッカートニーとウイングス」ですが、事実上はポールのソロ作品に限りなく近い作品です。そして、此れが売れました。全英、全米で首位を獲得、世界的なロングセラーを記録し、解散後のポールとしては最高のセールスを記録したのです。

いえ、ポールは常に売れてはいました。只、評価が低かっただけです。其れは、誰もが「ポールはこんなもんじゃない!」と思っていたからでしょう。そして、遂にポールは売れた上に絶賛される事となりました。流石にこんな渾身の作品を出されたら、評論家も褒めるしかありません。ジョン・レノンも「流石はポールだナァ」と絶賛しました。矢張り、ポールはビートルズでした。ポールは「ビートルズである事実」を認め、生涯其れを貫く覚悟を決めたのです。「BAND ON THE RUN」で歌われるバンドとは「WINGS」ではなく「THE BEATLES」なのです。余りにも感動的な傑作と云えるでしょう。


(小島藺子)



posted by 栗 at 18:39| FAB4 | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の肆

SOMETIME IN NEW YORK CITY Red Rose Speedway Living in the Material World


ビートルズが解散状態になって最も得をしたのは、ジョージでした。1970年11月発売の三枚組「ALL THINGS MUST PASS」が「いきなりだナァ」と大ヒットし(英米首位、シングルの「MY SWEET LORD」も英米首位)、1971年8月には「バングラデシュ難民救済コンサート」を開催します。此のライヴには、ラヴィ・シャンカール、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、バッドフィンガー、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、ジム・ケルトナーなど豪華なゲストを迎え、更に当時活動休止状態だったボブ・ディランも参加しました。(ジョンも参加を予定していたと云う噺もあります。)翌1972年1月にライヴ盤が発売され、3月に映画も公開されています。ライヴ盤は1972年度グラミー賞で「Album of the Year」に輝いております。正に我が世の春を迎えたジョージは「嗚呼、ビートルズが解散して本当によかったっ」と思ったでしょう。「ほれ見たことか、ポール!」と勝ち誇ったかもしれません。

当時は、ジョン、ジョージ、リンゴの交流は続いていて、それぞれの作品に参加していました。ポールだけがハブにされていたのです。1972年のジョンは政治的な活動が目立って来て、1月に起きたアイルランドの「血の日曜日事件」に対する抗議デモ(2月)に参加します。ポールもシングル「アイルランドに平和を」を2月に発売し、放送禁止になっています。然し、メートルが上がったジョンは4月にシングル「女は世界の奴隷か!」を発売し放送禁止になりますが、ポールが5月に出したシングルは「メアリーの小羊」だったのだっ。とほほ。ジョンは6月に問題作「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を発表し、ラジカル度を増してゆきます。ポールはWINGSとしてゲリラ・ライヴを敢行しシングルも乱発しますが、12月に出した「Hi,Hi,Hi」がまたしても放送禁止となります。但し、理由は「ドラッグを連想させるうえに猥褻だから」なのでした。「アイルランドに平和を」には「流石、ポールは同志だ」と認めたジョンも「あたしゃ、カックン!」となる展開です。

1973年になりますと、4月に「赤盤」と「青盤」が発売され大ヒットします。選曲を担当したと云われるジョージは5月にシングル「GIVE ME LOVE」と其れを含むアルバム「Living in the Material World」を6月に発表し、またしてもシングル、アルバム共に全米首位を獲得しました。ポールは3月にシングル「MY LOVE」を発表し全米首位を獲得し、二枚組の構想でWINGSとしての新作をレコーディングしていましたが、レコード会社から「二枚組じゃ売れん!」と云われ、更に「WINGSなんて誰も知らないからポール・マッカートニーとウイングスに改名しろ!」と命令されます。そして5月にアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」が発売されました。アルバムも全米首位となり、評価も上向いて来ました。

アルバム「RED ROSE SPEEDWAY」は前述の通り二枚組の構想で、約30曲を録音したと云われています。しかし、実際には9曲(4曲のメドレーをバラしても12曲)で、しかも2曲は「RAM」のボツ音源です。いえ、あたくしは「RAM」のボツ音源を元にした「Get On The Right Thing」と「Little Lamb Dragonfly」が好きなんですけどね。「MY LOVE」は名曲ですし、メドレーも素晴らしいとは思います。然し乍ら、何だか「ピリッ」としない作品です。大体ですね、ジョージと首位争いをするなんて、数年前のポールだったら「考えられなかった未来」だったでしょう。果たしてポールは此の侭で終わってしまうのかっ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 16:25| FAB4 | 更新情報をチェックする

「シューイチ」#029

ステキな日曜日~Gyu Gyu グッデイ!~(初回限定盤)(DVD付)


日本テレビ 8:00〜9:55

【MC】中山秀征、片瀬那奈
【コメンテーター】中丸雄一(KAT-TUN)、手嶋龍一、尾木直樹
【プレゼンター】笛吹雅子(日本テレビ報道局)、辻岡義堂(日本テレビアナウンサー)
【シューイチガールズ】木村好珠、中村アン、中村果生莉、ヒガリノ、三宅ひとみ、谷中麻里衣

有楽町に大人のルミネ秘密解剖 今週の芦田愛菜 さよなら中村しかんさん・葬儀に名優集う つるの剛士と湘南旅・(秘)ラーメン&秋しらす 中丸は新大久保潜入・噂の美容鍋


「ステキな日曜日」の朝に、今週も片瀬那奈ちゃんが参上です。本日は、パープルのミニワンピースに黒タイツ姿で御座居ます。黒い大きな飾りも愛らしいですね。冒頭のルミネ有楽町店の話題からシューイチガールズ(木村好珠ちゃん)をリポーターに起用しているのは好いのですけど、思いっきり宣伝です。ニュースに一喜一憂と、相変わらず表情豊かな片瀬クンのリアクションが好調の滑り出しとなっております。「ショービズ」でも谷中麻里衣ちゃんがリポーターとなっており、ようやく「シューイチガールズ」の「宝の持ち腐れ」状態が解消されつつある様です。そんでもって「今週の芦田愛菜ちゃん」だってさ。ま、片瀬クンがメロメロになっているから好いんですけどね。然し、手嶋せんせいも「谷中さんは英語が流暢と云うよりも、日本語より英語がお上手」って、思いっきり毒を吐きますね。

此処では、矢張り「食い道楽ネタ」が無いと淋しいと苦言を呈して来ましたが、今週は「ショービズ」「まじっすか!?」「トレナビ」で取り上げていました。てか、片瀬クンは「毒だらけ」だったのかっ。「トレナビ」は湘南特集で、中村アンちゃんとヒガリノちゃんが出張です。片瀬クンはサザンの曲に合わせてノッテおられましたが、秋しらす寿司が出ると目の色が変わりました。ラーメンも登場し、ギンギラギンの眼差しになったところで「片瀬山」に「片瀬海岸」と来ましたよっ。何故か、片瀬クンは「ビミョーな表情」をしておりました。少し涙目になっている様にも見えます。カレーや海鮮と続くのに、何やら感傷的になっておられます。ところで、ラーメンを吸えないヒガリノちゃんは「片瀬クン直系の弟子」ですね。ラーメンと云えば「ショービズ」に出ていた「ローガン・ラーマン」くんを、片瀬クンは昨年「上から目線」で「この子は今後、演技で伸びそうな気がしますね」なんぞと語っておりました。

時間調整の「シューイチラボ」では、今週も実家のプライベートに言及する片瀬クンがいます。もう此れは、確信犯的に「あっちゃんへの挑発」なのでしょう。大活躍だった谷中麻里衣ちゃんは肝心のお天気コーナーでやらかしてしまいましたが、人気が上がりそうですね。先週につづき、今週の「シューイチ」もなかなか好い感じでした。楽屋オチもなくなったし、シューイチガールズの出番が増えています。片瀬クンは、湘南特集とかサッカーとかでコトノハを抑えた様な感じが見どころでした。さて来週は、片瀬那奈ちゃん「20代最後の生放送」ですね。期待しましょう。


(小島藺子/姫川未亜)



「シューイチ」日本テレビ公式サイト


posted by 栗 at 09:57| TV | 更新情報をチェックする