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2011年10月26日

「カタセカイ列伝」# 053「野際陽子」

60’s TVヒッツ・コレクション


野際陽子は、1936年1月24日生まれの女優です。立教大学文学部英米文学科を卒業(ミス立教、長嶋茂雄読売ジャイアンツ終身名誉監督は同級生)後、1958年にNHKにアナウンサーとして入局(当時NHK専属女優だったトットちゃんこと黒柳徹子とは、50年来の友人)、1962年に退局後は広告代理店へ転職し「女性専科(TBS)」で生番組の司会を担当、1966年にはフランスへ留学しソルボンヌ大学で古典仏文学を学びました。1963年に女優デビューも果たし、フランスから帰国後の1968年から始まったドラマ「キイハンター」が大ヒットし、主題歌「非情のライセンス」も歌いヒットします。女優が本業となり、多くの映画、ドラマに出演しますが、1992年にドラマ「ずっとあなたが好きだった(TBS)」で「冬彦さんの母親」を演じ「姑役」として大ブレイク。以後は数多くの作品で「母親役」や「姑役」を、現代劇から時代劇まで、時にはシリアスに時にはコミカルに演じ活躍中です。

片瀬那奈ちゃんとは、ドラマ「地獄の沙汰もヨメ次第(2007年、TBS)」で「祖母と孫娘」として共演し、映画「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル(2010年)」でも絡みはないものの名を連ね、舞台挨拶では共に登壇しております。「地獄の沙汰もヨメ次第」は、初舞台を経験した片瀬那奈ちゃんが次に挑んだ連続ドラマで、演技に幅が感じられる佳作です。野際さんは、なな、なんと二役を演じられておりまして、事実上の「主演」でした。嫁を演じた江角マキコさんをも圧倒した其のバイタリティは、片瀬クンに大きく影響を与えたと思われます。

前述の通り、野際さんは英語やフランス語も堪能な才媛で、ミス立教からアナウンサーとなり、司会や女優へ転身され、歌手としても成功された「女性芸能人の鑑」とも云える輝かしい経歴を持っています。そんな知性溢れる彼女が、例えば「キイハンター」ではアクションやお色気シーンにも果敢に挑み、近年の「姑役」でも豪快な演技をぶちかますのですから、敵いませんね。個人的には、ドラマ「ガラスの仮面(1997年〜1998年、テレビ朝日)」で演じられた「月影千草」に注目しました。アレって「元祖・コスプレ女優」だったと思います。何気に「マンガ女優」でもあるのも好いですね。てか、添付画像は「非情のライセンス」のジャケットを元にしたコンピ盤CDなのですけど、45年近く前で此の「垢抜けた美貌とファッション・センス」は凄すぎですっ。

さて、野際さんと多くのドラマで夫婦役を演じておられるのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 06:14| KATASEKAI | 更新情報をチェックする

「あっちょんぶりけ」って何だ?とブラックジャックは訊いた。

手塚治虫の奇妙な資料


手塚治虫先生は、雑誌連載時を「原作」と呼び単行本化の際に描き直してしまう事が多かったのは有名なお話です。しかも、単行本が再版される時にも改変してしまい、多くの「別ヴァージョン」が存在します。其れも半端なモンではなく、例えば「ロック冒険記」では連載時に生き残ったはずの主人公ロックが単行本では死んでしまったり、「鉄腕アトム」で弟のコバルトが連載では死んだのに単行本では生き残ったりと、大胆過ぎる改変をやらかしていました。「奇子」のラストも連載時には生き埋めにされた中で奇子以外にも何人か生き残っていたのに、単行本では奇子以外全員死んでしまいます。

有名な「火の鳥」でも多くの改変があり、特に後半の「マンガ少年」や「野生時代」に連載された作品は、もう滅茶苦茶に変えられました。「望郷編」は連載時と違う展開のラストで単行本化されますが、再版の角川版ではノルヴァ(雌雄単体宇宙人)のエピソードが全て削除されたダイジェスト版に変貌しています。「乱世編」も同じ様に変わり、角川版では義経の最期が全く違うし、清盛と義経が猿と犬に転生する重要なエピソードなども削られています。そもそも此の「望郷編」と「乱世編」は「COM」で連載されたものの中断し、全く別の構想で描かれた経緯もありました。其れにしても文庫本にもなって広く読まれている角川版は酷いナァ。「マンガ少年」での「火の鳥」は駄作だと云われますが、其れはスットコドッコイなダイジェスト版である角川版の「望郷編」と「乱世編」のせいって部分もあると思います。ま、其れも手塚先生が改変しちゃったんだから仕方ない。

「生命編」のラストも連載と単行本では全く別ですが、最も違っているのは「火の鳥」の最後となってしまった「太陽編」かもしれません。過去と未来を行き来する構成の此の作品は、連載時と単行本で其の並べ方が全く違っています。ヒロインの名前まで別になっていたり、御茶ノ水博士が出て来なかったりと、もうやりたい放題の描き直しなのだ。「人間ども集まれ」の様に単行本と連載時を合わせて出版されたり(此の「人間ども集まれ」のラストも全く違うので驚かされます)、描き直しを検証した書籍も何冊も出版されています。手塚先生の描き直しに関して語ると延々と続いてしまいますが、興味の在る片は読み比べてビックリして下さいね。正に「あっちょんぶりけ」となるでしょう。

えっと、そんな偉大なる手塚先生ほど大した志ではないのですけど、此処も色々と日々ビミョーに書き直しています。いえ、正確に云えば、此処の場合は「書き足している」のです。本来、ブログとは日々の記録でしょうから、結構「一過性」のものと思われますが、此処は「片瀬那奈ちゃんの記録」です。あたくしが「片瀬那奈ちゃんを見ている」と云う事を書いているわけで、単なるファンですから公に出て来られた姿を「見たまんま」しか書けません。ゆえに、リアルタイムでは分からなかった事実などが判明した場合には、当該記事に付記せねばなりません。例えば、最近は結構「片瀬那奈ちゃんがテレビ番組で着ていた服」を知りたくて訪れる方々も多いのですけど、リアルタイムで実況状態で書いている時点ではブランド名まで分かりませんよ。後に追々と検証して「あっ。10月16日の「シューイチ」はグレースコンチネンタルの「ボーダーファーOP ピンク」で袖のファーを外していたんだ」とか分かるのだ。「マネ日記」は何故にそんなニーズに応えないのでありましょうかしらん。ま、探る方が「あたくしは面白い」んだけどね。

そんでもって、本日発売の「駅」ちゃん情報によると、片瀬那奈ちゃんはレギュラーに加えて「ありえへん∞世界(テレビ東京)11/8(火)19:00〜19:54」にゲスト出演される模様です。(【付記 11/8】駅ちゃんには珍しく誤報でした。)其れと、内山理名ちゃんが10/31(月)の「徹子の部屋(テレビ朝日)13:20〜13:55」に御出演されます。こちらは理名ちゃんの公式サイトでも告知されていますから確定ですが、片瀬クンが絡むかは不明です。あたくしは内山理名ちゃんが御出演されるので録画予約しましたけど、片瀬クン目当ての方々も如何でしょうかしらん。


(小島藺子)


posted by 栗 at 18:28| KINASAI | 更新情報をチェックする

「おじゃマップ」を流して居たら片瀬那奈ちゃんが土下座!

どげせん 1巻 (ニチブンコミックス)


フジテレビ 19:00〜20:54

いえね、ザッピングしてて途中から何となく流していたんですよ。「あっ。またやってるんだ」って感じですよ。以前に片瀬那奈ちゃんやウエッティが出ていて面白かったからさ。そしたらですね、

「出てるじゃん!那奈ちゃん、土下座してるじゃん!」

と、いきなりだナァと片瀬那奈ちゃんが登場だっ。ま、以前の再放送部分だったわけですけど、全く予想しておりませんでした。途中から見たので、もっと出ていたかもしれません。あらら、白菜の件も流れてるじゃん。おいおい、結構いっぱい那奈ちゃん出てるじゃん。録画してないですよ。幾ら再放送の名場面部分のみとは云え、ビミョーに違っているわけで、知っていたら録画してましたよっ。な〜んも告知されてなかったもんね。参ったナァ。こーゆーのって他にもいっぱい在るのかしらん。

(幸いにも、うっぴー☆が録画しておりました。う〜む、流石だ。)


本放送:2011年1月5日


(小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 20:57| TV | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

「テレビでスペイン語」再び!#03 再放送

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NHK Eテレ 13:30〜13:55

「有無を尋ねる」

 講師:貫井一美
 ナビゲーター:片瀬那奈
 パートナー:フリオ・ビジョリア・アパリシオ、マリア・ゴメス・ペドヤ
 リポーター:マルタ・マルティン・モリーナ



本放送は「諸事情」で録画出来ず、再放送は電波が乱れマトモに録画出来ず、先週の再々放送でようやく完全録画出来た「テレビでスペイン語」の第3課の再々再放送です。今回もキチンと完全録画出来ました。姫様、ありがとう。

NHK教育の語学番組は本放送の翌年に再放送されるのは定番ですが、此の「テレビでスペイン語」を本放送から「一年半後」の2011年に観るのは、「片瀬那奈ちゃん研究家」としては色々と考えさせられます。「真ん丸顔の那奈ちゃん」がフランクに挑む語学講座のパートも面白いし、絶対安心の「姫様」でのキレは矢張り「アッパー系の最高傑作」だったと思わされます。自由奔放で眩しいぞ。此れが片瀬那奈ちゃんなんだよ。

同時に演じておられた「高瀬リコちゃん」よりも際立って見えるのは、周りがど素人ばかりで「姫様の一人舞台」になっているからかもしれません。リコちゃんも素晴らしかったのだけど、周りが役者さんだったので無理に片瀬クンに絡もうとして空転していました。此の「テレビでスペイン語」と云う番組は、ブレーキを無くした「片瀬那奈ちゃんの独壇場」なのです。「奇跡の再放送」と呼ぶべき時を堪能しましょう。


本放送:2010年4月16日
再放送:2010年4月22日
再放送:2011年10月20日

【参考記事】:2010年4月15日「プロゴルファー花」#02


(小島藺子/姫川未亜)



「テレビでスペイン語」NHK公式サイト

posted by 栗 at 13:57| TV | 更新情報をチェックする

「テレビでスペイン語」再び!#04

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NHK Eテレ 23:25〜23:50

「決める」

 講師:貫井一美
 ナビゲーター:片瀬那奈
 パートナー:フリオ・ビジョリア・アパリシオ、マリア・ゴメス・ペドヤ
 リポーター:マルタ・マルティン・モリーナ



「テレビでスペイン語」の再放送が始まって、早くも一ヶ月が経ちました。此の番組が本放送されていたのは、2010年4月から9月までですが、此の期間の片瀬那奈ちゃんは女優として八面六臂の大活躍でした。見事に本放送がバッティングした「プロゴルファー花」で敵役の高瀬リコちゃんを演じ、連ドラが好評でスペシャル版が制作された「絶対泣かないと決めた日」で藤田千秋を引き続き演じます。そして此の「テレビでスペイン語」では姫様も演じられたわけですが、なな、なんと2010年10月期に放送された「闇金ウシジマくん」も撮影は此の時期だったのです。

「闇金ウシジマくん」ではヒロインの大久保千秋を演じており、併行撮影で「高瀬リコ、藤田千秋、姫様、大久保千秋」を演じ分けておられたのだっ。同時期に「高瀬リコと大久保千秋を演じた」だけでも「ドエライ事」です。どちらも「準主役」ですからね。昨年の「ピリピリした緊張感が伝わる演技」を観てしまった後では、今年(2011年)の「司会に重きをおかれる状況」を些か物足りなく感じてしまいます。何せ、昨年の此の時期には「テレビでスペイン語」のナビゲーターや「FIFAワールドカップ南アフリカ大会」のスペシャルサポーターも務められていたわけですから、鬼気迫るものがありました。

此の「テレビでスペイン語」は「ナビゲーターとしての片瀬那奈ちゃん」と「姫様を演じる片瀬那奈ちゃん」を同時に楽しめる「神番組」です。「高瀬リコと大久保千秋」を行き来していた時期だからこその「異様にテンションが高い」片瀬クンが居ます。尚、此の回の片瀬クンはナビゲーターの時には衣装に合わせてピンクのネイルをしていますが、姫様はしていません。ナビゲーター時には「初回と二回目は色なし」で「三回目と四回目ではピンク」です。そして、「初回から四回目までの姫様の指には色が付いていない」と云う点に、何となく注目して置きましょう。


本放送:2010年4月23日
再放送:2010年4月29日

【参考記事】:2010年4月22日「プロゴルファー花」#03


(小島藺子/姫川未亜)



「テレビでスペイン語」NHK公式サイト

posted by 栗 at 23:57| TV | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

「Numero TOKYO」52(2011年12月号)

Numero TOKYO (ヌメロ・トウキョウ) 2011年 12月号 [雑誌]


発行/扶桑社

「shop with stylish pros セルフ・スタイリング対決!本気ショッピング実況中継
 クール風Xキラキラのひねりとパンチを狙い買い 片瀬那奈」


に登場。カラー4頁(P68〜P71)

 Photos : Takashi Kamei
 Cutout photos : Yuji Namba
 Hair&Makeup : Jin Murahata
 Text : Michiru Nakajima


タイトルだけ見ると「片瀬クン、遂に格闘技参戦か?」と思えますが、オシャレなファッション雑誌です。トーガ原宿店、スワロフスキー表参道、ルシェルブルー渋谷店と「片瀬クンのナワバリ」を巡り、自らスタイリングに挑戦しています。正にモデルさん!と云う風情のカッコイイ片瀬クンが満載です。ビシッと決めると、流石に「片瀬那奈ちゃんは美人だ」と改めて思わされます。

然し、其処は片瀬クンですから、スワロフスキーでジュエリーのショーケースを被り付きで見つめるカットや、完成形では何故かソフォーに乗り「カタセ式シェー!」のポーズを決めるなど「おもしろ」も忘れません。ネイルを黒と赤で交互に染めている細かい芸も好いですね。実況と謳うだけあり、買い物中のショットが沢山掲載されていて楽しいのですけど、もう少し大きな写真も載っていればもっと好かったと思います。(【付記】P85の「おしゃれ上手はネットの達人!厳選オンラインショップ」にも片瀬那奈ちゃんの紹介コメントが掲載されていました。)

大変スタイリッシュな雑誌で、あたくしは初めて購入しましたが、片瀬クンが登場した特集の中(P79)に辛酸なめ子さんのコラムが載っていてビックリしました。しかも総天然色って、、、。そして、なめ子さんのノリは「BUBKA」と全く変わりません。片瀬クンの頁でのサブタイトルのセンスと云い、些か変わった雑誌なのかもしれませんね。勿論「買い!」ですけど、此れに限らず女性ファッション誌の付録はあんまり嬉しくないです。


(小島藺子/姫川未亜)



「Numero TOKYO」

posted by 栗 at 10:50| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

「Oh ! どや顔サミット」#023

TEENAGE PET SOUNDS


テレビ朝日 21:00〜21:54

温泉のプロが厳選した名湯秘湯の宿を女性がランキングし格付け!温泉好きの芸能人が通う温泉宿も必見!


オープニングで片瀬那奈ちゃんがウインク!はい、本日のハイライトはコレですね。そう云えば、先週はオープニング・タイトルがなかった様な気もします。今回の「どや顔」は「女性が格付け温泉宿」でして、食い道楽で温泉と来れば片瀬クンはスタジオで司会をやってる場合じゃないんですけどね。当然、料理には舌鼓を打ちたいでしょうし、散々焦らされて来た「もしもツアーズ」での「温泉に入らない片瀬クン」の件もあります。「お風呂キライ」を公言している片瀬クンですが、温泉には入るでしょ。おや、平愛梨ちゃんが出てるじゃん。どんなに好い温泉宿を紹介しても、テレビなんですから、片瀬クンとか愛梨ちゃんの様な綺麗どころを「旅人」にしなきゃ盛り上がりませんよっ。

そんでもって、いつの間にか「どや顔」って番組の構成が変わっていますね。以前は芸能人が自慢話をして「どや顔」で、海外のアホを紹介するコーナーとかも在ったと記憶しておりますが、此のところ「カウントダウン」で特集したりして「ど素人のどや顔」が連発され、益々不愉快な気分にさせられます。大体「カウントダウン」じゃ「シューイチ」と被ってしまうじゃまいか。其れでも例えば西村さんに「やらしい顔」などとボソッとツッコむ片瀬クンが存在するので観てますけどね。出来れば、編集するのが面倒なので、VTRの時に「小窓ちゃん」や片瀬クンの音声を切って頂きたいです。てか、此の番組に関してはワイプも無視してVTR部分は速攻で消してしまうんですけどね。だって、つまんないんですもの。

来週は「フィギュアスケート中継」で、またお休みらしいです。9月も10月も二週休んでますので、もう「どや顔」が放送されないのは慣れてしまいました。普通だったら「片瀬那奈ちゃんのレギュラー番組が飛ばされるなんて、怪しからん!」となりますが、此の「どや顔」に関しては「別にいいんちゃう、片瀬クンも忙しいし」と思ってしまうのです。毎週の様に「つまんない」って書くしかないのも辛いので「どうぞ、勝手に休んで頂戴」としか申し上げられません。今回も、何ゆえ愛梨ちゃんが呼ばれたのか全く分からないし、矢鱈と五月蝿い芸人とか居るし、面白くなかったです。


(小島藺子)



「Oh ! どや顔サミット」朝日放送公式サイト

posted by 栗 at 21:57| TV | 更新情報をチェックする

「Oh ! どや顔サミット」INDEX Part 2

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 「Oh ! どや顔サミット」INDEX Part 1(パイロット版、#1〜#10)

 2011年7月1日:「テレ朝V」で「どや顔」PR
 2011年7月1日:「Oh ! どや顔サミット」2時間スペシャル(#011)
 2011年7月15日:「Oh ! どや顔サミット」#012
 2011年7月15日:「美男ですね」第1話(初回拡大SP)
 2011年7月16日:「ノー・モア・バッティング」
 2011年7月22日:「Oh ! どや顔サミット」#013
 2011年7月29日:「Oh ! どや顔サミット」#014

 2011年8月5日:「Oh ! どや顔サミット」#015
 2011年8月12日:「Oh ! どや顔サミット」#016
 2011年8月19日:「Oh ! どや顔サミット」#017
 2011年8月26日:「Oh ! どや顔サミット」#018

 2011年9月2日:「Oh ! どや顔サミット」#019
 2011年9月9日:「Oh ! どや顔サミット」#020
 2011年9月30日:「Oh ! どや顔サミット 3時間スペシャル」#021


【主要関連過去 INDEX】
 「浜ちゃんと!」ゲスト出演リスト(2005年〜2008年の出演リスト)
 「検事・鬼島平八郎」INDEX


「3クール目」に入っている「Oh ! どや顔サミット」ですが、回数的には未だ「2クール」も消化していません。同時期に始まった「シューイチ」はもうすぐ「30回目」となりますが「どや顔」は随分と少ないのです。「シューイチ」も確か二回ほどお休みが在ったと記憶しておりますが、そう考えると「どや顔」はもっといっぱい休んでいるわけですね。てか「どや顔」は「30回」に到達出来るのでありましょうかしらん。


(小島藺子/姫川未亜)



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2011年10月29日

「53万アクセスがとおる」

三つ目がとおる(7) (講談社漫画文庫)


御蔭様で此処のアクセス数が「53万」を超えました。有難う御座居ます。一昨日のドラフトで、読売ジャイアンツの原監督の甥っ子さんが日本ハムに指名されて、何やら揉めておられるみたいですね。でも、ダルビッシュが折角マトモな事を云ったのに、肝心のカントクさんが「ハンカチにやった18番をあげてもいいから入団して下さい」って、ギャグですか?甥っ子と云えば「荒川アンダー ザ ブリッジ」で片瀬那奈ちゃんと共演されている「手塚とおる」さんって、手塚治虫先生の甥っ子さんなんですね。云われてみれば、確かに手塚先生に似てらっしゃる。其れで調べたら「ブッダ」や「人間昆虫記」にも出演されているし、映画「20世紀少年」にも出ておられたんですね。

以上、何となくの余談でした。では、今後とも「片瀬那奈ちゃん」と「ゼンキロ」を何卒宜しくお願い申し上げ奉ります。


(小島藺子/姫川未亜/鳴海ルナ)


posted by 栗 at 00:17| LOOK UP THE # | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の壱

Wonderwall Music 平和の祈りをこめて~ライヴ・イン・トロント(紙ジャケット仕様) Sentimental Journey


あたくしがビートルズを知ったのは1973年の「赤盤青盤」でありまして、もう既に解散状態になっていました。ゆえに、現役時代は全て後追いで聴いたわけです。当時はメムバーだった四人がソロ(ポールはWINGS)で大ヒットをそれぞれ出していて、何となく似た感じがするソロ作品を好きになっていたので、其の「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ」が実は少し前まで同じバンドに居たと「赤盤青盤」で知って吃驚したものです。其れで過去のビートルズ時代の作品を貪る様に聴いたのですが「何故こんなに素晴らしいバンドが解散したのだろう」と子供心に素直に思いました。

解散の経緯とかを調べると、当時は「ポールが悪い」と云われていて、映画の「LET IT BE」を観てしまうと「なるほど、ポールが悪いナ」と信じ込んでしまったのです。「ヨーコが悪い」って噺もあったものの、ハッキリ云って「メムバーの嫁さん」としてしか認識していなかったし、映画「LET IT BE」にはリンダ&ヘザーやモーリンも出ていたので「ビートルズは奥さんをスタジオに連れてくるのは普通の事なんだな」って印象しかありませんでした。そんな事よりも、ジョージのギターにダメ出しをしたり、ひとりで盛り上がっているポールが「自分勝手な奴」と映ったのです。

ソロ・アルバムを出して解散宣言をしたのがポールだと云う事も書かれていて、いたいけな子供はすっかり鵜呑みにしていたものです。ところが、ダンダンダンと「其れは些か間違っているのではないのか」と思う様になります。あたくしが初めて買った「解散後のビートルズ」作品は「BAND ON THE RUN」で、其れはビートルズの作品と同じ感動を与えてくれたのです。と云うよりも「最もビートルズと似ている」と思えました。そんな音楽を作る人がビートルズを解散させたとは信じられなくなりました。

現在では、解散の原因がポールではなかった事は分かっています。逆に、最後までバンドを存続させようと考えていたのがポールでした。アルバム「LET IT BE」発売の三週間前にソロ・アルバム発売を強行しトドメを刺したとの件も、史実を紐解けば全く以って変な噺となります。何せ、ポールはビートルズの四人で一番最後にソロを出しているのです。他の三人が出したのですから、ポールだって出したかったのでしょう。より正確に云えば、1967年に映画「ふたりだけの窓」のサントラ盤をポールは出していますが、アレンジはジョージ・マーティンで演奏もマーティンのオーケストラが担当しており、ポールは作曲で関わっただけで、其れをソロ作品とするのは些か無理があります。

ソロ作品を最初に出したのはジョージで、1968年11月に「不思議の壁」を発売しています。映画のサントラ盤ですが、同じ月に発売されたビートルズの「ホワイト・アルバム」よりも前に出しているのです。此れでは「レリビの前にソロを出すな!」との「ポールへのダメ出し」が通用しません。更に、同じ月にジョンは「TWO VIRGINS」を出します。「ホワイト・アルバム」発売の僅か一週間後の事でした。翌1969年5月には、ジョンが「LIFE WITH THE LIONS」を、ジョージが「電子音楽の世界」を同日に発売しています。ジョンは7月に「平和を我等に」10月に「冷たい七面鳥」とシングルも出し、11月に「ウェディング・アルバム」12月に「平和の祈りをこめて」を発売、翌1970年2月にはシングル「インスタント・カーマ」と、もうやりたい放題に「ビートルズ以外の作品」を出し捲くっています。挙句にリンゴまで3月にチャッカリと初ソロ「センチメンタル・ジャーニー」を発売しているのです。そりゃ、ポールだって「ボクも出したい」と云うでしょう。

アルバムに関しては、ジョージの最初のはサントラ盤で基本的にはインストですし、二作目は初期のシンセで遊んだだけのガラクタです。ジョンは、ライヴ盤以外の三枚はヨーコとの「前衛音楽」で、「レボリューション 9」に耐えられた片でも付き合い切れない代物です。ライヴ盤のA面は「流石はビートルズのボス・ジョニーだっ」と思わせますが、B面のヨーコで滅茶苦茶になります。リンゴは、スタンダード曲を贅沢に歌う企画盤です。それぞれのソロは確かに「ビートルズではやれなかった」との大義名分も成り立つ様なツクリになっていますが、ジョージのインド音楽やモーグ・シンセサイザーといい、ジョンのアバンギャルドといい、リンゴのスタンダードといい、全て「ホワイト・アルバム」などには「ビートルズ」として収まっているのです。

対して、ポールの初ソロ作品は、ほとんどが自宅録音で4チャンネルでひとりで演奏という「宅録」の元祖とも云えるもので、試みとしては最も「ビートルズではやれない事」とも思えます。「ホワイト・アルバム」でソロを何曲もやらかした経験から発展させたとも云えますけどね。半分はインストですし、サウンド・チェックでやった曲なども収録されたパーソナルな作品集なのです。然し乍ら、歌ものでは湧き出る「ポール・マッカートニー節」がギラリと光る名曲が揃っていて、其れはつまり「ビートルズの曲」と何ら変わらない美しさを放っています。本来なら革新的な「宅録」作品と評価されてもいい作品が「プロダクションが雑なビートルズの出来損ない」と酷評される事となったのでした。


(小島藺子)



 
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「AFTER THE BEATLES」其の弐

Mccartney All Things Must Pass [12 inch Analog] ジョンの魂


ビートルズのアルバム「LET IT BE」は、1970年5月に発売されました。音源のほとんどは1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」を元にしているので、実質的なラスト・アルバムは1969年9月に出た「ABBEY ROAD」と云われます。只、オリジナル作品として最後に発表されたのが「LET IT BE」であるのも事実です。ゆえに、1970年4月に発表されたポールの初ソロ・アルバム「McCARTNEY」は「未だバンドが存在中に出された作品」となります。其のアルバムのプロモ盤でポールが所謂ひとつの「ビートルズ脱退宣言」をぶちかまし、ジョンは「俺が先に離婚したのに、アイツはソロ・アルバムのプロモーションに利用しやがった」と激怒するのでした。

前回「ビートルズで最後にソロを出したのはポール」と書きましたが、実は「ビートルズを最後に脱退したのもポール」なのです。最初に脱退したのはリンゴで、1968年8月の「ホワイト・アルバム」セッションの時でした。「ポールがリンゴのドラムにダメ出しをした」なんて噺もありますが、他の三人がそれぞれのプロダクションで楽曲を制作しているのに、リンゴはやる事がなくて拗ねてしまったのでしょう。次はジョージで、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」で起こりました。此れは「ポールがジョージのギターにダメ出しをした」のが発端ですが、「ヨーコがジョージのビスケットを勝手に食べたので、ジョンとも喧嘩した」なんて噺もあります。そして、1969年9月にジョンが脱退宣言をします。此れらは全て当時は内密とされましたので、恰も1970年4月のポール脱退宣言が最初の様に思われていました。また、史実が明かされても必ず「ポールとの確執」が絡んだ様に伝えられたのです。

兎も角、1970年5月まではビートルズが存在していたので、本格的なソロ活動は其れ以後と云えるでしょう。其れで、最初にアルバムを出したのはリンゴだったのです。9月にチャッカリと二枚目のソロを発売しますが、今度もカントリーを歌うお気楽な作品で、たったの二日で録音しています。とは云え、天下のビートルズが解散したと騒がれた時期に真っ先にソロを出すあたりは商売上手と云えるでしょう。11月にはジョージが渾身の三枚組「ALL THINGS MUST PASS」を発表し、長年ジョンとポールの下で虐げられた鬱憤を一挙に晴らします。12月にはジョンが「ジョンの魂」を発表し「脱ビートルズ宣言」を音楽作品として昇華させました。ジョージとジョンの作品にはリンゴが参加しており、つまりは「ポールがいないビートルズ」が提示されたのです。其れはとても新鮮で、ジョージは商業的にも大成功しますし、ジョンは「流石はビートルズのボスだ」と賞賛されました。

単純な事なのですけど、ジョン、ジョージ、リンゴは「ポールがいない世界」を表現すればよかったのです。勿論、其処には確かに「ビートルズらしさ」も漂いますが、より強く個性が強調された音楽となりました。対して、ポールは個性を発揮すればするほど「ビートルズ」に近づいてしまうのです。其れは「ビートルズの音楽を作っていたのが、ポール・マッカートニーだった」からでしょう。他の三人には「ビートルズではない音楽もあった」のだけど、ポールには「ビートルズ以外の音楽はなかった」のです。確かに、ジョンもジョージもリンゴも「ビートルズ」と戦いました。でも、其れは「ビートルズ=ポール」だったのです。ポールだけが「自分自身との戦い」を強いられるのでした。


(小島藺子)



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「AFTER THE BEATLES」其の参

Ram Imagine Wings Wild Life


1970年12月31日に、ポールは「法的にビートルズを解散させる為の訴訟」を起こします。翌1971年3月にポールが勝訴し4月に他の三人が控訴を断念した事で「ビートルズ解散は確定」と思われましたが、色々と面倒な事情があって実際には1975年1月まで法的な確定は持ち越されます。2011年の現在でも「ビートルズは解散していない」とも云えます。只、四人が揃って活動する事はなくなりました。

1971年2月に、ポールは解散後初のシングル「ANOTHER DAY」を発表します。3月にはジョンがシングル「POWER TO THE PEOPLE」を、4月にはリンゴがシングル「明日への願い」を出し、それぞれヒットし、ジョージも三枚組からの「MY SWEET LORD」や「WHAT IS LIFE」がシングルでも大ヒットしていました。そして、5月にポールがアルバム「RAM」を発表します。名義は「ポール&リンダ・マッカートニー」となっていますが、実質的にはポールのソロ作品です。

ビートルズ解散後に最後にソロ・アルバムを発表したのもポールと云う事になります。ポールは、ジョージやリンゴの成功は別に何とも思っていなかったのでしょうけど、「ジョンの魂」にはムカついてしまったのでしょう。あからさまにジョンを揶揄した楽曲を何曲も収録し、喧嘩を売りました。作品としては「ポールの最高傑作」と後に評価が高まったのですが、発表当時はボロクソに貶されたのです。リンゴにまで「ポールは才能をスポイルしている」なんぞと云われたのですから、トンデモですね。いくら「明日への願い」が売れたからって、リンゴも随分と偉くなったもんですよ。そもそも「明日への願い」はクレジットはリンゴだけど、ジョージが書いた曲じゃまいか。

ポールは元々ジョージやリンゴを見下してましたから、全く気にしてなかったのでしょう。攻撃対象は「ジョン・レノン」ただ一人なのだ。でも、相手が悪かった。ジョンは10月にアルバム「イマジン」を発表しますが、たった一曲の「HOW DO YOU SLEEP ?」でポールを叩き潰します。ご丁寧に「RAM」のジャケットをコケにしたポートレートまで付けての、正々堂々とした返り討ちをやらかしたのです。「RAM」でのポールは逃げ場を作っての揶揄でしたが、やられたジョンは憤慨したのでした。アルバム「イマジン」にはジョージが参加していて「HOW DO YOU SLEEP ?」でもスライド・ギターで熱演していますが、メイキング映像を観ると此の曲をジョンがジョージにピアノで弾き語りして聴かせる場面があります。ジョージが「まさか、こんな曲をレコードにしないよね?」と訊くと、ジョンは「するに決まってるだろ!げへへへ」と返してジョージが呆然とするのでした。

見事にボコボコにされたポールは、12月に新しいバンド「WINGS」としての初アルバム「WILD LIFE」を発表します。荒削りな一発録音中心で二週間足らずでレコーディングされたと云われ、此れも発表当時は酷評されました。「RAM」は音楽的には「後期ビートルズの発展形」と云える作品でしたが「ビートルズの出来損ない、60年代ロックの汚物」と罵られ、新たなアプローチで「WILD LIFE」を出せば「あのビートル・ポールは何処へ行った?聴くに耐えないアマチュアの屑音源」と罵倒されたのです。嗚呼、哀れなり、ポール・マッカートニー。そして、ジョンに返り討ちにあったポールはアルバム後半の二曲で「あっさりと敗北宣言」までしてしまいます。何という「ヘタレ」ぶり。

「YESTERDAY」のコードを流用した「TOMORROW」では、後半に「DON'T LET ME DOWN」と切々にシャウトしますが、其れが誰に向けられているのかは明白でしょう。続く最後の「DEAR FRIEND」はもっと直接的にジョンに許しを請う内容です。別に其れが理由ではないのでしょうけど、ジョンは「WILD LIFE」を「好いんじゃないの」と評価していました。ポールは自分から喧嘩を売ったのに「もうやめよう」とマスコミで発言したりもしました。ビートルズを作ったのはジョンですが、ジョンも云う通り「ポールなしでは成功しない」のです。其のジョンの先見の明は見事に当たりますが、出会った当時に直感した「こいつに食われるかも」が現実味を帯びて来ます。だから、ジョンはビートルズと離婚しました。ジョージもリンゴも抜けました。でも、ポールには無理なのです。もうお気づきでしょうけど、此の「AFTER THE BEATLES」の主人公はポールです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 20:33| FAB4 | 更新情報をチェックする

2011年10月30日

「シューイチ」#029

ステキな日曜日~Gyu Gyu グッデイ!~(初回限定盤)(DVD付)


日本テレビ 8:00〜9:55

【MC】中山秀征、片瀬那奈
【コメンテーター】中丸雄一(KAT-TUN)、手嶋龍一、尾木直樹
【プレゼンター】笛吹雅子(日本テレビ報道局)、辻岡義堂(日本テレビアナウンサー)
【シューイチガールズ】木村好珠、中村アン、中村果生莉、ヒガリノ、三宅ひとみ、谷中麻里衣

有楽町に大人のルミネ秘密解剖 今週の芦田愛菜 さよなら中村しかんさん・葬儀に名優集う つるの剛士と湘南旅・(秘)ラーメン&秋しらす 中丸は新大久保潜入・噂の美容鍋


「ステキな日曜日」の朝に、今週も片瀬那奈ちゃんが参上です。本日は、パープルのミニワンピースに黒タイツ姿で御座居ます。黒い大きな飾りも愛らしいですね。冒頭のルミネ有楽町店の話題からシューイチガールズ(木村好珠ちゃん)をリポーターに起用しているのは好いのですけど、思いっきり宣伝です。ニュースに一喜一憂と、相変わらず表情豊かな片瀬クンのリアクションが好調の滑り出しとなっております。「ショービズ」でも谷中麻里衣ちゃんがリポーターとなっており、ようやく「シューイチガールズ」の「宝の持ち腐れ」状態が解消されつつある様です。そんでもって「今週の芦田愛菜ちゃん」だってさ。ま、片瀬クンがメロメロになっているから好いんですけどね。然し、手嶋せんせいも「谷中さんは英語が流暢と云うよりも、日本語より英語がお上手」って、思いっきり毒を吐きますね。

此処では、矢張り「食い道楽ネタ」が無いと淋しいと苦言を呈して来ましたが、今週は「ショービズ」「まじっすか!?」「トレナビ」で取り上げていました。てか、片瀬クンは「毒だらけ」だったのかっ。「トレナビ」は湘南特集で、中村アンちゃんとヒガリノちゃんが出張です。片瀬クンはサザンの曲に合わせてノッテおられましたが、秋しらす寿司が出ると目の色が変わりました。ラーメンも登場し、ギンギラギンの眼差しになったところで「片瀬山」に「片瀬海岸」と来ましたよっ。何故か、片瀬クンは「ビミョーな表情」をしておりました。少し涙目になっている様にも見えます。カレーや海鮮と続くのに、何やら感傷的になっておられます。ところで、ラーメンを吸えないヒガリノちゃんは「片瀬クン直系の弟子」ですね。ラーメンと云えば「ショービズ」に出ていた「ローガン・ラーマン」くんを、片瀬クンは昨年「上から目線」で「この子は今後、演技で伸びそうな気がしますね」なんぞと語っておりました。

時間調整の「シューイチラボ」では、今週も実家のプライベートに言及する片瀬クンがいます。もう此れは、確信犯的に「あっちゃんへの挑発」なのでしょう。大活躍だった谷中麻里衣ちゃんは肝心のお天気コーナーでやらかしてしまいましたが、人気が上がりそうですね。先週につづき、今週の「シューイチ」もなかなか好い感じでした。楽屋オチもなくなったし、シューイチガールズの出番が増えています。片瀬クンは、湘南特集とかサッカーとかでコトノハを抑えた様な感じが見どころでした。さて来週は、片瀬那奈ちゃん「20代最後の生放送」ですね。期待しましょう。


(小島藺子/姫川未亜)



「シューイチ」日本テレビ公式サイト


posted by 栗 at 09:57| TV | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の肆

SOMETIME IN NEW YORK CITY Red Rose Speedway Living in the Material World


ビートルズが解散状態になって最も得をしたのは、ジョージでした。1970年11月発売の三枚組「ALL THINGS MUST PASS」が「いきなりだナァ」と大ヒットし(英米首位、シングルの「MY SWEET LORD」も英米首位)、1971年8月には「バングラデシュ難民救済コンサート」を開催します。此のライヴには、ラヴィ・シャンカール、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、バッドフィンガー、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、ジム・ケルトナーなど豪華なゲストを迎え、更に当時活動休止状態だったボブ・ディランも参加しました。(ジョンも参加を予定していたと云う噺もあります。)翌1972年1月にライヴ盤が発売され、3月に映画も公開されています。ライヴ盤は1972年度グラミー賞で「Album of the Year」に輝いております。正に我が世の春を迎えたジョージは「嗚呼、ビートルズが解散して本当によかったっ」と思ったでしょう。「ほれ見たことか、ポール!」と勝ち誇ったかもしれません。

当時は、ジョン、ジョージ、リンゴの交流は続いていて、それぞれの作品に参加していました。ポールだけがハブにされていたのです。1972年のジョンは政治的な活動が目立って来て、1月に起きたアイルランドの「血の日曜日事件」に対する抗議デモ(2月)に参加します。ポールもシングル「アイルランドに平和を」を2月に発売し、放送禁止になっています。然し、メートルが上がったジョンは4月にシングル「女は世界の奴隷か!」を発売し放送禁止になりますが、ポールが5月に出したシングルは「メアリーの小羊」だったのだっ。とほほ。ジョンは6月に問題作「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を発表し、ラジカル度を増してゆきます。ポールはWINGSとしてゲリラ・ライヴを敢行しシングルも乱発しますが、12月に出した「Hi,Hi,Hi」がまたしても放送禁止となります。但し、理由は「ドラッグを連想させるうえに猥褻だから」なのでした。「アイルランドに平和を」には「流石、ポールは同志だ」と認めたジョンも「あたしゃ、カックン!」となる展開です。

1973年になりますと、4月に「赤盤」と「青盤」が発売され大ヒットします。選曲を担当したと云われるジョージは5月にシングル「GIVE ME LOVE」と其れを含むアルバム「Living in the Material World」を6月に発表し、またしてもシングル、アルバム共に全米首位を獲得しました。ポールは3月にシングル「MY LOVE」を発表し全米首位を獲得し、二枚組の構想でWINGSとしての新作をレコーディングしていましたが、レコード会社から「二枚組じゃ売れん!」と云われ、更に「WINGSなんて誰も知らないからポール・マッカートニーとウイングスに改名しろ!」と命令されます。そして5月にアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」が発売されました。アルバムも全米首位となり、評価も上向いて来ました。

アルバム「RED ROSE SPEEDWAY」は前述の通り二枚組の構想で、約30曲を録音したと云われています。しかし、実際には9曲(4曲のメドレーをバラしても12曲)で、しかも2曲は「RAM」のボツ音源です。いえ、あたくしは「RAM」のボツ音源を元にした「Get On The Right Thing」と「Little Lamb Dragonfly」が好きなんですけどね。「MY LOVE」は名曲ですし、メドレーも素晴らしいとは思います。然し乍ら、何だか「ピリッ」としない作品です。大体ですね、ジョージと首位争いをするなんて、数年前のポールだったら「考えられなかった未来」だったでしょう。果たしてポールは此の侭で終わってしまうのかっ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 16:25| FAB4 | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の伍

Ringo Mind Games Band on the Run


1973年6月にポールはシングル「007 / 死ぬのは奴らだ」を発売します。此の楽曲は、ビートルズ時代以来初めてジョージ・マーティンがプロデュースを担当した楽曲で、いよいよポールの逆襲を予感させる傑作となりました。1971年にニューヨークに移住したジョンは、反体制活動家との交流で政治的な活動を行いアメリカ国家から目を付けられ何度も国外退去命令を出されていました。プレッシャーに耐えかねたジョンは、1973年9月にヨーコと別居しロスへ逃亡します。同行したメイ・パンは「ヨーコ公認」だったそうです。

さて、1973年は「赤盤」と「青盤」の大ヒットもありましたが、其れに乗じてトンデモな事が起こりました。11月にリンゴが発表したアルバム「RINGO」が大ヒットしてしまったのです。先行シングル「想い出のフォトグラフ」は全米首位!アルバムも全米2位!と「ビートルズではアルバムで一曲しか歌わない人」としては考えられない様な快挙を成し遂げてしまいました。とは云えカラクリがありまして、此のアルバムには「ジョン、ポール、ジョージ」が参加しているのです。解散して初めて四人が同じ作品に名を連ねたのですから、もう話題性抜群ですよ。

ジョージは「想い出のフォトグラフ」など三曲をリンゴと共作(いや、絶対ジョージがひとりで書いたに決まってる)、ポールは「シックス・オクロック」を提供し共演し(ロング・ヴァージョンではほとんどポールが主役になり、WINGSにリンゴが客演した状態になる)、第二弾シングル「ユア・シックスティーン」(なな、なんと此れも連続で全米首位!)にもマウス・サックスで参加、更にアルバム冒頭を飾るジョンの作品「アイム・ザ・グレイテスト」では、ジョン、ジョージ、リンゴ、ビリー・プレストン、クラウス・フォアマンでの演奏と云う「ポールだけいないビートルズ」まで実現したのです。でもですね、クラウスは「シックス・オクロック」でもベースを弾いているんですよ。ポールの曲でポールがほとんどの楽器やコーラスも担当しているのに、ベースはクラウスなのです。ビートルズの四人は、この頃にはかなり関係が良好になって来たのでしょう。

アルバム「RINGO」と同じ11月にはジョンのアルバム「MIND GAMES」が発売されます。単独名義(つまり其れはマトモな作品とも云える)では三作目ですが、「ジョンの魂」や「イマジン」の様な緊張感は感じられません。タイトル曲を始め佳作が多いのですが、どうにも「ビシッ」としたレノンらしさが欠けた「腑抜け」の様な出来栄えです。其れは其れで味わい深いとも云えるのですが、前年(1972年)の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」辺りからジョンのテンションが下がっていたと思わされます。そして、主役のポールですけど、彼も大変な事になっていました。折角WINGSが地道なライヴ活動やアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」で盛り上がって来たのに、なな、なんと、リードギタリストとドラマーが脱退してしまったのです。ジョージとリンゴが売れて、ジョンとポールが堕ちてゆくなんて「在り得ない事態」が起こってしまったのでした。

ポールは新作をナイジェリアのラゴスで行うと決めますが「アフリカになんか行きたくない」とメムバーが脱退し、奥さんのリンダと下僕デニー・レインの三人でレコーディングを強行します。リンダはほとんど素人ですから実際はポールとデニーだけと云う状況でしたが、其の逆境にポールは覚醒し、ほとんどの楽器をひとりで演奏します。特にドラムはキース・ムーンにも絶賛された程の鬼気迫る熱演でした。そうして完成したアルバム「BAND ON THE RUN」は、1973年12月に発売されます。名義は皮肉にも「ポール・マッカートニーとウイングス」ですが、事実上はポールのソロ作品に限りなく近い作品です。そして、此れが売れました。全英、全米で首位を獲得、世界的なロングセラーを記録し、解散後のポールとしては最高のセールスを記録したのです。

いえ、ポールは常に売れてはいました。只、評価が低かっただけです。其れは、誰もが「ポールはこんなもんじゃない!」と思っていたからでしょう。そして、遂にポールは売れた上に絶賛される事となりました。流石にこんな渾身の作品を出されたら、評論家も褒めるしかありません。ジョン・レノンも「流石はポールだナァ」と絶賛しました。矢張り、ポールはビートルズでした。ポールは「ビートルズである事実」を認め、生涯其れを貫く覚悟を決めたのです。「BAND ON THE RUN」で歌われるバンドとは「WINGS」ではなく「THE BEATLES」なのです。余りにも感動的な傑作と云えるでしょう。


(小島藺子)



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