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2011年09月27日

「まぼろしの世界」

まぼろしの世界


「幻の作品」って事で、此処的に言及すべきなのはビートルズではなく「片瀬那奈ちゃん」の其れですね。いえね、此処は「片瀬那奈全記録」と謳って居りますので、折々の記事で「此れは幻になってしまうのかっ」なんぞと書いては居るわけでですけど、好い機会だからまとめてみましょうかしらん。まず、歌手時代には二つの未発表作品が在ります。

ひとつは、2003年9月10日に発売予定されていた「タイトル未定(AVCD-30494)」です。此れは発売延期であり、後に2003年10月16日に発売されたシングル「Necessary / EVERY***(AVCD-30532/B、AVCD-30533)」として世に出たと思われておりますが、違います。2003年9月に発売予定だったシングルは「デビューアルバム「TELEPATHY」以降初のニューシングルは本人出演ブルボン「Crios」CMソング。初回分のみボーナストラックとして他のアーティストとのコラボレーション楽曲を収録。2ndプレス以降はこの楽曲の変わりに1stアルバム収録曲のリミックス曲を収録予定。」と告知されたのです。「本人出演ブルボン「Crios」CMソング」に関しては「Necessary」として実現していますが、「他のアーティストとのコラボレーション楽曲」と「1stアルバム収録曲のリミックス曲」は何処へ消えたのでしょう。シングルは一ヶ月以上も発売が延期されたのにも関わらず、発売された「Necessary / EVERY***」での片瀬那奈ちゃんは「人生最大の風邪」をひいた状態でのレコーディングで「何の為の延期だったのか?」と謎が深まるばかりでした。

もうひとつは、カヴァー路線に転じた2004年3月31日発売予定として一部で公的に報じられた「赤道小町ドキッ」です。結局「禁断のテレパシー」が発売されますが、2004年4月21日にリリースされたカヴァーミニアルバム「Extended」にも「赤道小町ドキッ」は収録されていません。単なる噂ではなく多くのメディアで告知されながら消えてしまった「赤道小町ドキッ」とは何だったのでしょう。更に、当時の片瀬那奈ちゃんは冠イベント「NANA KATASE WEEKEND FEVER 777」を2004年2月から始めましたが、何故か翌月までのたった三回で消滅しています。其の後も「DJ:NANA」が各所で出没していますし、実際に僕たちは「4月からもクラブでライヴとDJのイベントはやるの?」と那奈ちゃんに直接訊いたんですよ。那奈ちゃんは「やるよー!」と普通に笑顔で返してくれたから、何ゆえ「777」がたった三回で終わったのかが、未だにさっぱり分かりません。

さて、女優活動での「幻の作品」も、あたくしが認識するのは二作となります。おそらく、女優を本業とされる片瀬那奈ちゃんには多くの「幻のドラマ」や「幻の映画」が存在するでしょう。キャスティングの候補に挙がっていたものの、結果的には色んな事情で流れた作品は在ると思います。ファンとしては、其処までは踏み込めません。そもそも、そんなのマネジャーじゃあるまいし、分かるわけないじゃん。でもですね、アンテツならぬアンテナを張っていますと「幻」まで見えてくるのですよ。

「幻のドラマ」としてあたくしが最初に感知したのが「ホーム&アウェイ(2002年、CX)」でした。当時、片瀬那奈ちゃんは「プリティガール(2002年、TBS)」を最後にドラマから消えていました。「プリティガール」は1月期のドラマだったので、2クールも御無沙汰となった時に10月期の月9「ホーム&アウェイ」へのレギュラー出演の噂が飛び込んで来たのです。結局、当時の片瀬クンは音楽活動に専念し来るべき歌手デビューを控えていたわけですが、個人的には「オファーが在ったのではないか?」と思っています。

女優回帰した2004年以降は「幻のドラマなんて撮ってらんないでしょ」と思えるスケジュールなのですけど、うっかり怪しい物件も在ります。其れは「ぼくの妹(2009年、TBS)」です。当時、片瀬那奈ちゃんはドラマ「ゴーストフレンズ(2009年、NHK)」にレギュラー出演しつつ、舞台「僕たちの好きだった革命」の再演にも挑まれていた時期でした。ところが、幾つかのメディアで「ぼくの妹」にもレギュラー出演されると報じられたのです。俄かに信じ難い事でしたが、公式サイトで主要女性キャラをシルエットで表示する演出などで「もしかしたら、那奈ちゃんが演じるのか?」と思わされました。結局は出演せず「ガセネタ」と思われたものの「TVスター名鑑2010」の片瀬那奈ちゃんの項目で出演作品としてバッチリと記載されてしまいました。出ても居ないドラマが載ってしまったわけですけど、天下の「ガイドちゃん」が何ゆえそんなミスを犯したのでしょうかしらん。此れはですね、片瀬那奈ちゃんが「ぼくの妹」に出演するって話が「結構具体的に進んでいた」としか思えませんよ。

ドラマに関しては「企画段階でボツ」なわけで、片瀬那奈ちゃんが演じた姿などは存在しません。音源は、当然在るでしょう。でも、其れは演技の「NG」みたいなもんですからね。ひょっこり出て来たら「有り難や、有り難や」と狂喜乱舞するお宝なのです。でもですね「お宝」とか「レア」とかも好いんだけど、普通に那奈ちゃんのドラマは観れるし音楽も聴けるし司会する姿も拝めるわけですよ。先ず以って「公式盤」が大事です。「幻の作品」なんぞを求める前に、もっとやるべき事が在りますよっ。片瀬那奈ちゃんが認めた公的な活動こそが全てです。其の全てを、未だあたくしは網羅して居りません。其れでは「片瀬那奈全記録」の名に恥じますね。精進致します。


(小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 04:22| ERENA | 更新情報をチェックする

「燃ゆる太陽の如く」

Mccartney


ビートルズは、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」で終わってしまいました。いえ、やる気はあったのかもしれませんが一ヶ月を費やしてアルバムを作れなかったとの事実は重かったでしょう。然し、其処から立ち上がるのがビートルズでもありましてですね、キチンと「ABBEY ROAD」を制作し事実上の終焉を迎えます。でもですね、彼等は、1968年11月に二枚組の「THE BEATLES」を出して、1969年1月にはサントラ盤「YELLOW SUBMARINE」を出して、9月には「ABBEY ROAD」を出しているのです。更に、1969年4月には「GET BACK」、5月には「ジョンとヨーコのバラード」とシングルも発表しておりましてですね、正式リリースだけでもトンデモな急展開で進んでいたのです。

世には「幻のアルバム」と云うのが在りますが、ビートルズに関しては「1969年」だけでしょう。少なくとも1968年の「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」までは、アルバム制作が頓挫した事はありません。只、其の名を反する様な「バンド作品としてはバラバラ」な作品を発表した事で、もう此の時点でビートルズは死にました。ゆえに、其処からは「再生」の物語が始まります。「YELLOW SUBMARINE」は過去録音の寄せ集めですから、「THE BEATLES」の次は「ABBEY ROAD」であり、其の次は1970年の「LET IT BE」です。何ゆえ「ABBEY ROAD」が「LET IT BE」よりも先に発表されたのでしょう。其れは「LET IT BE」の元になった「THE GET BACK SESSIONS」を彼等が納得しなかったからです。

こうして、ビートルズ史上で初めて「未発表アルバム」が存在する事となりました。1969年4月にはシングルの「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」が云わば先行シングルとして発売されているのですから、普通なら次はアルバムでしょ。なのに、5月にアルバム「GET BACK」が完成していたのにビートルズは却下したのです。其れで幻のアルバム「GET BACK」が生まれましたが、音源的には翌年に「LET IT BE」として発表されます。ところがどっこい、「THE GET BACK SESSIONS」から「ABBEY ROAD」までの僅かな期間に「幻のアルバム」が在った!なんぞと当時から云われています。「HOT AS SUN」ってブツなのですけど、まぁほとんどインチキだと思われるものの、何となく信憑性が在る(収録曲とされた作品の何曲かが後にソロで発表されたりデモの存在が確認されている)様なお噺で御座います。

長生きはするもので、ビートルズに関しても随分と謎が解明される世界になりました。「THE GET BACK SESSIONS」が音源どころか映像でも観れるなんて、四半世紀前には「夢の夢」だったよ。此れからも、未だ未だお宝を隠し持っているアップルや、めげずに頑張る海賊盤屋さんなどにお世話になるのでしょう。でも、きっと「HOT AS SUN」みたいな謎は解けないのかもしれません。昔「HOT AS SUN」のブートを見つけた時に、あたくしは即買いしました。如何にも伝説に則った英文ライナーを読んで、ワクワクドキドキで聴いたら「スットコドッコイ音源」でへこみましたよ。ま、ブートなんてもんは見つけて買う時のトキメキが全てなのかもしれません。所詮は「幻」なのだ。


(小島藺子)


posted by 栗 at 01:57| FAB4 | 更新情報をチェックする