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2011年09月05日

「コピコン・リマスターズ」#12(2005年10月)

ジョン・レノンの軌跡(紙ジャケット仕様)


ジョン・レノンのベスト盤がまた出た。今回の売りは21世紀仕様にリミックスされたりリマスターされた音源を二枚組で38曲も収録しているってことらしい。なんせ「決定盤!ジョン・レノン」なんだもんな。選曲及び曲順を見て、げんなりしちゃって買う気もなかったけど、やっぱジョンだから買ってしまったわけだよ。で、よせばいいのに聴き始めてしまったんだよ。ジョンのベスト盤はこれまでも沢山発売された。

最初は引退する前に、自分のシングル盤がほとんど廃盤になっている事実に愕然としたジョン本人によって出された「Shaved Fish(1975)」で、当時はシングルでしか聴けなかった曲も多くて喜ばれた。「Give Peace A Chance」を最初と最後に収録して曲順にも気を配りジャケット・デザインも凝って、トータル・アルバムとしても聴ける作品に仕上げてある。特にラストの「Give Peace A Chance」は当時未発表だったライヴ音源で、あまりにもソウルフルなスティーヴィー・ワンダーの熱唱がほんのちょっとだけ収録されていて、一体此れはなんなんだ?と度肝を抜かれた。ジョンの本当のベスト盤は此れだけだって、どうしても思う。

次に、死後「The John Lennon Collection(1982)」が出た。レーベルの枠を超えた追悼盤だったし、ジャケットは撃たれる日に撮影された最後のポートレートで、文句をつけたりしてはいけないんだろう。でも、当然本人が関わっていない此のベスト盤から選曲に疑問を持つ様になった。サントラとして出た「Imagine (Music From The Original Motion Picture)(1988)」は、ビートルズ時代の曲も収録されたのだけど、特にソロ時代に関して、益々「?」が頭をよぎる選曲だった。

そんな不満を解消してくれたのが「LENNON(1990)」だった。此れは四枚組の箱で、年代順に73曲、きっちりとジョンの歌だけを聴かせるベスト盤で、全シングルは勿論、ライヴ音源も含めてジョンのソロ・キャリアから満遍なく選曲した決定盤だった。敢えて未発表音源を排したところも良かった。しかし、何故か廃盤になった。

その代わり?に登場したのが「Lennon Legend(1997)」で、此処でついに一曲目が「イマジン」になってしまった。一見、すべてのシングル盤を網羅した様に見せて、明らかにジョンのイメージを歪曲して後世に伝えようとする意図がみえる選曲なのだ。その後、四枚組未発表音源集「John Lennon Anthology(1998)」と、其のダイジェスト盤「Wosaponatime(1998)」や、同じ様なデモ音源集「Acoustic(2004)」も出て、オリジナル・アルバムもリミックス、リマスターされて来た。

そうした流れで登場したのが「決定盤 ジョン・レノン」でありまして、繰り返すけど二枚組で38曲入りなのです。聴いていて、涙が出そうだよ。一枚目は「(Just Like) Starting Over」「Imagine」と必殺の泣かせるレノンじゃん。で「Happy Xmas (War Is Over)」で幕ですよ。二枚目なんか「Woman」でスタートだもんね。挙げ句に最後がよりによってアンソロ版の「サー・ジョージ・マーティン最大の筆の誤り」とも云われる「へなちょこ版」の「Grow Old With Me」と来たもんだ。はぁ。

リミックスされてへなへなになり単なるシングル曲として放り込まれた「Mind Games」からは、もはや何のメッセージも聴こえない。そもそも此の曲順はなんなんだ?確かに過激な曲も選ばれては居るし、シングル曲もすべて収められても居る。甘く美しい曲だって、すべてがジョン・レノンだ。でも、こんなのあんまりじゃないか。此れが「決定盤」として後世に残るのかよ。「Mother」や「Cold Turkey」は、こんなトコに居ても刺激的だけど、其れはあたしがオリジナルを聴いているからじゃないか。初めて此のベスト盤でジョンを聴くコには、一寸だけ変わった曲とかクッション的な役目か、いやたぶん、スキップさせる捨て曲にしか聴こえないよ。こんなことならいっそのこと、甘いバラッド集にしちゃった方が良いぞ。なんでこんなことになっちまったんだ?誰がジョンを殺したんだ?

1980年10月17日、ジョンの「(Just Like) Starting Over」が発売されました。一ヶ月後に出る復帰作「DOUBLE FANTASY」からの先行シングルで、高らかに復活を宣言したのです。精力的にプロモーションを行い、次作のレコーディングも継続して、翌年には日本からツアーもやったるでぇ!って燃えまくっていたジョンの再スタートは、たった二ヶ月足らずで終わってしまいました。彼の死後、沢山の未発表音源が公開されました。なかには、生きていれば決して発表しなかったと思われる音源も含まれては居ます。けれど、ジョン・レノンと云う才能は、其れがらくがきで在っても発表されて然るべきなのだと思いました。

さて、20世紀が終わり今世紀に入る頃から、今度は完成した作品を磨くと云う展開になります。其れがリマスターで留まればそんなに違和感もないのだけど、リミックスしてしまったことで多くのファンは戸惑いました。また「ジョンの魂」の様な完成された作品に、余韻をぶち壊す様なボーナス・トラックを加えたことは批難されました。そしてオリジナル盤を廃盤にしてしまったことも大いに叩かれました。

其れでもジョンの意図通りの曲順でアルバムは残って居るのだからと、我慢してきました。生前のジョンのアルバムは、来月発売予定の二作でリミックス&リマスターも完結します。「WALLS AND BRIDGES」はオリジナル通りの曲順で、ボーナス・トラック入りの様です。最新ベスト盤ではシングル曲がリミックスされていて、「真夜中を突っ走れ」のエンディングなんかは疑問が残るのだけど、まぁ目をつぶってもええよ。

で「SOME TIME IN NEW YORK CITY」なんですけど、此れだけは許すわけにはイカンな。もともと二枚組だったのを一枚にするのもリミックスしちゃうのも、もうええんだ。だけど、何故、ザッパと共演したアナログのD面から3曲も外してしまうんですか?オリジナルの曲まで変えていいわけないじゃないか。例えばポールとリンゴが今頃になってマーティンに同調して「ホワイト・アルバム」の曲を半分にして一枚にしちゃって、元の二枚組を廃盤にしたりするかい?こっそりと「バンガロービル」や「レボ9」の女性の声をポールの裏声に差し替えたりするかい?

ジョンもザッパも故人だからな。もう、やりたい放題だな。代わりに「Happy Xmas (War Is Over)」と「Listen,The Snow Is Falling」を入れるんだってな。違うでしょ、削るなら「Don't Worry Kyoko」でしょ。「Listen,The Snow Is Falling」なんてどさくさ紛れに入れないでよ。「ジョンならこうしたわ」って、よく云うよ。自分に都合のええカタチにしてオリジナルを廃盤にしないで下さい。「Lennon Legend」DVDで改変しちゃったプロモも、元にもどして下さい。ヨーコさん、お願いします。


【後記】其の後も、レノンの編集盤は毎年の様に発売されています。2010年には、全てのオリジナル・アルバムが元通りのカタチに戻されリマスターされました。其れに伴って、新たなベスト盤も単品とDVD付き二枚組と四枚組で発売され11枚組の箱も出ましたが、全ての音源を入手するには「19枚」買わないと揃わないと云うトンデモ商法でした。音源がオリジナルに戻ったのは好かったのですけど、映像は改悪ヴァージョンの侭でありまして「歴史の改竄」は続いています。其れは兎も角「決定盤 ジョン・レノン」の存在価値は、僅か五年で終わったのでした。


(小島藺子)


初出「COPY CONTROL」
「ジョンはどこへいった」(2005-10-16)
「Honey Don't」(2005-10-17)


(編集:鳴海ルナ)


posted by 栗 at 20:26| FAB4 | 更新情報をチェックする

「カタセカイ列伝」# 043「渡哲也」

ゴールデン☆ベスト


渡哲也は、1941年12月28日生まれの俳優です。1964年に「石原裕次郎に会えるかも知れない」との想いで日活撮影所へ訪問しスカウトされ芸能界入りし、翌1965年に映画「あばれ騎士道」で俳優デビューしました。日活を退社後、大手からの誘いを断り尊敬する石原裕次郎の「石原プロ」へ入社し、当時は倒産寸前だった「石原プロ」を再建する為に数々の映画に出演し、自社制作のテレビドラマ「大都会(1976年〜1979年、日本テレビ)」や「西部警察(1979年〜1984年、テレビ朝日)」で主演するなど、副社長として大いに会社に貢献しました。ちなみに、石原と渡は「御誕生日が同じ」です。石原の死後は社長に就任し活躍しましたが、2011年に石原の23回忌(2009年)を終えた事と健康上の理由(1992年に直腸癌を患い克服している)から退任しました。俳優としての輝かしいキャリアは云うまでもありませんが、歌手としても「東京流れ者」や「くちなしの花」などのヒット曲を持っています。2005年には「紫綬褒章」を受章されました。

片瀬那奈ちゃんとは、団長主演ドラマ「熟年離婚(2005年、テレビ朝日)」で親子役で共演しています。残念乍ら映像作品化されていないドラマですが数字は高く、最終回は関西では「30%」を叩き出したのです。とゆーか、再放送とか映像作品化とかしてもらいたいと願うのは、其の「スットコドッコイなストーリー展開」が滅茶苦茶に面白いからです。前回からの繋ぎで「マグロ(2007年、テレビ朝日)」を用いたのはですね、「熟年離婚」と「マグロ」のキャスティングが被り過ぎだからなのだ。団長が父親で、松坂さんが母親で、息子が「21世紀の裕次郎」ってトコまでは、許そう。然し、次男が「あっちゃん」で、高島姐さんも出てるのだ。そんでもって、長女は「あまみん」で、次女が「内田有紀ちゃん」と来たなら「完全無欠のカタセカイ」ではありませんかっ。

団長の様な御方をあたくし如きが語るのは畏れ多いのですが、大河ドラマ「勝海舟(1974年、NHK)」で途中降板されたのは子供心にも残念でした。当時「仁科明子さんのファン」だったので、本当に無念です。それと「浮浪雲」は好きで全話観てましたね。其の後の「西部警察」は、団長などと云いつつ、リアルタイムでは全く観てないのですけど、其れは当時あたくしがTVを持っていなかったからでしょう。事実、あたくしは「1979年〜1984年」の期間、TVを持っていなかったのです。そんな貧乏噺は置いといて、片瀬クンも「ゾッコン☆LOVE」になってしまうのが分かる程に、団長は「カッコイイ」です。舞台「フラガール」の時に、団長は最高級の御花を届けられていました。東京公演全てに足を運んだあたくしが断言します。団長の送られた御花は、千秋楽まで枯れることなく飾られていました。

さて、団長とドラマ「結婚(2009年、テレビ朝日)」で共演されたのが、(つづく)


(小島藺子)


posted by 栗 at 00:43| KATASEKAI | 更新情報をチェックする