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2011年09月04日

「コピコン・リマスターズ」#11(2005年4月)

夢の翼 [DVD]


Part 1:4月10日

ビートルズ史に於いて、4月10日とは「負」をイメージさせる重大な日です。1962年4月10日に、スチュワート・サトクリフが21歳の若さで亡くなりました。1970年4月10日には、ポールの「ビートルズ脱退」発言が「デイリー・ミラー」紙のトップで報道されました。

スチュはジョンの親友で、画家志望だったのに半ば無理矢理ビートルズに加入させられ、弾けないベースを担当していました。彼が参加した演奏を公式に聴けるのは「アンソロジー1」に収録された1960年のポールの自宅での録音(3曲)しかありません。ハンブルグに巡業した時に知り合ったアストリットと恋仲になり、画家の道へもどる為に1961年の春に脱退したので、ポールがベースに転向するのです。ポールは、ジョンがスチュを特別に扱うことに嫉妬し辛く当たっていたと発言しています。ポールはスチュからビートルズでのすべてを奪い、其れが成功へと繋がりました。

ハーフ・シャドウのジャケットの原案や、マッシュルーム・カットを考案したのがスチュの恋人のアストリットであるのは有名です。スチュ自身も「ビートルズ」の命名や、黒を基調としたファションのアイデアを提供し、何よりジョンに、芸術や思想面で多大な影響を与えました。スチュが亡くなった年の暮れに、ビートルズは遂にメジャー・デビューを果たしましたが、彼は其れを見届けずに外国で逝ったのです。(余談ですが、「REVOLVER」や「アンソロジー」のジャケットを手がけ、ベーシストとしても有名なクラウスは、スチュが現れるまでアストリットと付き合って居たらしいです。)

8年後、翌週にソロ・アルバムの発売を控えたポールは、其のサンプル盤に付けたQ&A形式のプレス資料で「今後、ジョンとの共作やビートルズとしての活動は行わない」と公表します。此れがポールの脱退、ビートルズの解散、と大々的に報道されたのですが、其の日がスチュの命日だったのは単なる偶然なのでしょうか。

ビートルズの解散は何時なのか?と云う疑問に「其れはない(何故なら、現在も解散していないから)」と答えるのが一寸意地悪な正解だとは思いますけど、もし其れが在るとしたら、1970年4月10日であると云えるでしょう。「僕がビートルズを去ったのではなく、ビートルズがビートルズを去ったのだ。」とのポールの発言は、あまりにも深いです。


Part 2:4月11日

1969年4月11日に、ビートルズは、とても素敵なシングル盤を発売しました。「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」両A面と云っても良い此のシングルは、ビートルズ&ビリー・プレストンとクレジットされていました。「ゲットバック・セッション」での成果が形になったのです。此の侭、アルバムの「GET BACK」も出してしまえば良かったのだけど、残念ながら彼等は既に別のアルバムを作ろうとしていました。

其れから11年後、1980年4月11日にポールが「COMING UP」と云うシングルを発売しました。此の曲を聴いたジョンが「オレもやったるか」と、復活への刺激を与えられたなんて逸話も在る名曲です。ポール単独名義では、唯一「全米1位」になった曲だと云われますが、残念ながら其れは WINGS のライヴ・ヴァージョンの方だったのです。当然の事ですけど、ポールの曲がソロでのビートルズ関連では一番チャートを賑わせてくれました。でも、ポールは単独名義では、全米首位を取ったことが在りません。其処がバンドマンであるポールらしくてええなぁ、と思うね。


Part 3:4月26日

1982年4月26日、ポール・マッカートニーは三枚目のソロ・アルバム「TUG OF WAR」を発表しました。三枚目とは云うものの、其れまでの二枚が宅録系一人多重録音だったのに対して、超豪華ゲスト(リンゴ・スター、スティーヴィー・ワンダー、カール・パーキンス、スタンリー・クラーク、スティーヴ・ガット、エリック・スチュワート、など)を加えたバンド・スタイルで、プロデューサーはジョージ・マーティン!!正に「元・ビートルズのポール」が本気になった名盤でした。

でも、此の作品は元々 WINGS のアルバムとしてレコーディングされて居たのです。デニー・レインが参加して居るのが、其の名残ですね。あの日から、一年以上経たなければポールはアルバムを出せなかった。此の時は、絶対に恥ずかしいモンを出してはいけなかったからです。ポールは見事に其れに答えました。此のアルバムを最初に聴いた時の感動を、あたしは忘れません。


Part 4:4月27日

1981年4月27日、リンゴがボンド・ガールと再婚した。ジョージとポールも参列し、楽しくセッションもしたらしい。ジョンだけが、何故か居なかったけれど、其の理由を訊く者も居なかった。でも、同じ日にデニー・レインが「WINGS 脱退宣言」をしたってのが興味深いんです。(もうね、あたしは「デニーが、き・ら・い ☆」ってことで通ってますからね。)

WINGS ってバンドは、レコード上では存在しないと思う。根っからのバンドマンであるポールがバンドを求めたのは必然だけど、其の作品を聴く側は「ポールのソロ」だと思っていた。実際、メムバーはコロコロ変わって、WINGS は同一メムバーでスタジオ盤を一枚ずつしか残せなかった。だからその後の様に「ポールと其のバンド」でよかったと思うのだけどね。

メムバーの入れ替わりが激しい WINGS だけど、最初から最後まで付き合ったのは「ポール、リンダ、デニー」の三人なんだな。だからデニーこそが WINGS なんだろう。其の彼が抜けたら、WINGS はいらない。ってゆーか、もともとなかったんだよ、WINGS なんてバンドはさ。

だけど、ライヴ盤「Wings Over America」が残されて居る。此れは、WINGS の最高傑作かもしれないな。いや、違う。ライヴこそが WINGS の存在証明だったんだ。つまり、此れはたったひとつ残された WINGS の作品なんだよ。♪ごーなう、ごーなう、ごーなう♪


Part 5:4月28日

「おまいはなんにもわかってない、WINGSは在ったんだよ」とファースト・アルバムを聴いてセルフつっこみ入れてみよーかとも思ったけど、やっぱり「ないもんはないんだべさ」なのだ。

宅録のソロ→ポール&リンダ名義の「ラム」(内容はほとんどポールの多重録音にセッションやオーケストラを加えて、リンダのコーラスをダビングしたって感じ)と来て、「ラム」のセッションで太鼓を叩いたデニーと、もうひとりのデニーをメムバーにしたジャム・セッションみたいなのをレコードにしたのが WINGS だったわけです。

で、次のアルバムでは「ポール・マッカートニー&WINGS」になっちゃうんだな。其れには、なんと「ラム」のセッションで録音したものをベースにした曲まで入れてしまったんです。よーするにだ、デニー・レイン抜きの WINGS ってのがレコードになってしまったんですよ。此れってね、ビートルズでの「イエスタデイ」とは全くもって違うんだよね。だってさ、デニーが加入する前の録音なんだもん。あ、ポールの録音とWINGSの録音で「ポール・マッカートニー&WINGS」かって?そーかしら?そんでね、WINGS のベスト盤には、そりゃもう堂々とソロ名義やポール&リンダ名義の曲が入ってるんですよ。

アレだ、WINGS ってのは、ポールの変名なんだな。となると「ポール・マッカートニー&WINGS」ってのは、何なんでしょう?


(小島藺子)


初出「COPY CONTROL」
「僕がビートルズを去ったのではなく、ビートルズがビートルズを去ったのだ。」(2005-4-10)
「GET UP AND GO!」(2005-4-11)
「WANDERLUST」(2005-4-26)
「WINGS」(2005-4-27)
「続 WINGS」(2005-4-28)


(編集:鳴海ルナ)


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「コピコン・リマスターズ」#10(2008年7月)

THE BEATLES 1


現在、THE BEATLES の「ベスト盤」と云えば「1」って事になって居ます。2000年11月に全世界一斉発売された「1枚のディスクに27曲入り」のお買い得過ぎる此のCDは、発売当時に日本だけで300万枚も売り上げたと云われて居ます。其れどころか、全世界規模では軽く2千万枚を超え、34か国でチャート首位を獲得し、在ろう事か「2001年度、つまり21世紀初頭の全米ビルボード・チャート最高売り上げアルバム」にまでなってしまったのです.

あのですね、此れってさ、2000年の当時でも「38年前〜30年前の音楽」を集めた作品でしかなかったのですよ。其れが年間首位って。

「30年間のロック史の面目丸つぶれじゃまいかっ!」

彼らの作品は1987年から1988年に、全世界統一規格で「英国オリジナル盤に準ずるカタチ」でCD化されて以来、2008年の現在まで一度もオリジナル・アルバムはリマスターされて居ません。他の一部マニアしか知らない様なアーティストのアルバムが、CDの寿命(CDは20年が記録メディアとしての限界だと云われています)の為に何度もリマスターされて来たのに、肝心の天下無敵の「THE BEATLES」作品は20年前の製品が未だに発売され続け、しかも確実に売れ続けて居るのです。

「THE BEATLES のCDは此れしか出さんっ!」
と大見得を切った手前、アップルとしてもEMIとしても、なかなか他の作品をCD化するわけにはいかなかったわけです。しかし、CD化完了の際に英国盤に未収録のシングル曲やEP盤の曲を集めた「PAST MASTERS」を出しちゃったわけでして、まぁ、其れは「だって、おまいら『抱きしめたい』とか『HEY JUDE』とかまでオリジナル・アルバムには入ってないんだからさ、仕方ないべさ?」で通ってしまったわけですよ。其れで、目出度く「公式213曲+1」がCDで聴ける様になって、記念に全部入れた箱を発売して、めでたしめでたし。

なわけなかったわけだ。其れだと、初期はモノだけ、中期以降はステレオだけしか聴けないわけです。其処で英国オリジナル・シングルとEP盤の箱も発売しました。けど、其れだと全部買わないと有名で好きな曲すらも手に入りません。其処で、1993年9月に、遂に「掟破り」が開始されます。もうCD化完了から5年も経ったから「禊ぎは済んだ」って事だったのでしょう。みんなが待って居たベスト盤がCD化されたのでした。有名な「赤盤」と「青盤」です。

ところが、此のベスト盤は基本的にステレオ・ミックスで全曲収録された為に「赤盤」の前半は「初CD化ステレオ音源」になって居ました。更に「青盤」でも例えば「A DAY IN THE LIFE」はサントラ盤「IMAGINE(1988)」で初公開された「イントロからキチンと始まるヴァージョン」に差し替えられて居たのです。てゆーかさ、此れってキチンとしたオリジナル作品なのよ。だからオリジナル通りのフォーマットで出したのは正しいわけですよ。なのに、みんな、もうCDに毒されて居て「収録時間が短いんだから、赤盤は一枚で入っただろ?」とか「青盤だってCDにしちゃ短いんだから未発表曲とか他の曲をボーナスで入れろよ」とか云い出したわけです。其れが後の「1」発売の布石にもなりました。

でもさ、長けりゃええってもんじゃないじゃん。彼らのオリジナル・アルバムは、30分〜40分で終わってしまうのですよ。其れで満足じゃん。ライヴは毎回、11曲でアンコールなしの35分だったじゃん。

さて、其処からはもう「音源統一化」なんてお題目は何処へやらの無法の世界となります。1994年に、たかがラジオ番組用の一発録りを編集した「LIVE AT BBC」が二枚組で発売されます。純粋な未発表音源としては、1977年の「LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL」以来17年振りの作品でした。しかし、つまり公式に出なかったって事は出来が悪い「お蔵入り音源」なのです。彼らだって、まさか一回こっきりラジオで流れた演奏が商品化される未来なんて予想して居なかったでしょう。

さらに翌1995年からは、悪夢の「ANTHOLOGY」シリーズが登場します。こっちは、最早「公式海賊盤」と云うしかない完全なる「マニア向けボツ音源集」でしたが残念ながら、すべて「バカ売れ」しました。兎に角、「THE BEATLES の新作」は売れる!のです。現役のどんな素晴らしいアーティストの誰ひとりとして太刀打ち出来ないのです。現に、「ANTHOLOGY」が発売されて居た1995年〜1996年に元・ビートルズのポールが新作を出そうとしたら却下されたのです。EMI は、こうサー・ポールに言い放ちました。

「ポール、空気嫁。今はアンソロだべ?
 ビートルズの新作はひとつで好いんだよっ!」


哀れなり、ポール・マッカートニー。今や「ひとりビートルズ」と化した彼は、其れ以来ずっと「THE BEATLES の新作が出る年にはソロは出せない」と云う縛りを受け続けるばかりでは無く、「THE BEATLES の新作が出たらツアーで其の収録曲を演奏してプロモートする」と云う任務まで課せられて居るのでした。ん、リンゴ?リンゴじゃ無理でしょ。例えば「1」で彼が歌っているのは♪イエロサブマリン♪だけじゃん。「アルバムで一曲のひと」じゃん。挙げ句に、書いたのはポールじゃん。

「アンソロ」が終わっても出せば売れる「ビー商品」は毎年発売され続けて居ります。ボツ音源集の次は、神をも恐れぬ「リミックス盤」でした。其の「YELLOW SUBMARINE - SOUNDTRACK(1999)」は、オールド・ファンから顰蹙を買いまくります。「おいおい、音をクリアにすりゃええってもんじゃねーだろ?」って話です。ピーター・コビン、永久追放決定。

其れで懲りたのか、「リミックスはしたらアカン!」と気付き、翌2000年に満を持して発売されたのが「1」だったのです。(ま、其の後、世紀のトンデモ・リミックス盤「LET IT BE ... NAKED(2003)」や「LOVE(2006)」が乱発されるわけだが。)

「1」は、一般的には「一家に一枚のビートルズの最強ベスト盤」と謳われる作品です。確かに、全曲初めてリミックスではなく「リマスター」された音を最初に聴いた時には、かなりの衝撃を受けました。例えば「DAY TRIPPER」なんか、ノイズどころか昔から気になっていた演奏ミスまで修正されて居たのですよ。然し乍ら、此の作品は「ベスト盤」ではありません。27曲と、丁度「赤盤&青盤」の半分が最新リマスターで収録され、しかもお手軽過ぎる一枚で輸入盤なら新品で千円一寸で買えてしまう商品です。有難い世の中になりました。でも、此れは「英米どちらかで首位を獲得したシングル曲」のみを集めたとの縛りでの企画作品なのです。

ゆえに此の作品には、在ろう事か「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」が収録されて居ないのです。シングル集として考えたとしても、其の時点でアウトでしょう。ましてや、「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」が入って居ない彼らのベスト盤なんて存在して良いわけないじゃん。「1」は、単なる「コンピ盤」です。「ROCK'N'ROLL MUSIC」や「LOVE SONGS」同様の編集盤なのです。いや、音の良さを抜いて考えれば、あたくしにとっては、

「駅売りパチモンCDとおんなじです」

だってさ、ジャケットを見てよ。何、コレ?ジョンはいないし、ジョージは死にかけてたから仕方無いけど、よくぞピンピンしてた「ポールとリンゴ」が許可したよね。

あっ。二人とも、美的センス最悪でした。


【参考画像:ポールとリンゴのトホホなジャケより一例】

Wings at the Speed of Sound Ringo the 4th



(小島藺子)



初出「COPY CONTROL AGAIN」
「『THE BEATLES 1』をぶっとばせっ!」(2008-7-17)



「リマスター盤」が売りだった「1」が、うっかり「最新デジタル・リマスター盤」で再発されやがったので、此の記事を引っ張り出しました。余談ですが、ウチは「シューイチくん」を見る度に、此のアルバムを思い出します。

(鳴海ルナ)


posted by 栗 at 16:14| FAB4 | 更新情報をチェックする

「シューイチ」#021

(What's the Story) Morning Glory


日本テレビ 8:00〜9:55

【MC】中山秀征、片瀬那奈
【コメンテーター】中丸雄一(KAT-TUN)、手嶋龍一、尾木直樹、北澤豪
【プレゼンター】笛吹雅子(日本テレビ報道局)、辻岡義堂(日本テレビアナウンサー)
【シューイチガールズ】木村好珠、杉ありさ、中村アン、中村果生莉、ヒガリノ、三宅ひとみ、谷中麻里衣


今週も「頑張っている皆さんの味方」片瀬那奈ちゃんが日曜日の朝に登場です。朱色のミニワンピース姿で生脚全開!腰の黒いリボンが愛らしいですね。研音の可愛い後輩・福士蒼汰クンが主演の「仮面ライダーフォーゼ」が本日より裏番組で始まりますが、「若い芽は摘む」とばかりに叩き潰すお心算かっ。サッカーの話題から入ったので、出だしからノリノリの片瀬クンで御座います。ところで余談ですが、先日「9月上旬のTVで那奈ちゃん☆はレギュラー四本のみ」と書きましたけど、関西では明日から「地獄の沙汰もヨメ次第」の再放送が毎日放送で始まるとの事です。

放射能、台風、新政権誕生と話題が進むと、片瀬クンの表情も曇り勝ちになります。いつもなら「時刻は8時45分を回りました」がクリシェの片瀬クンが、「時刻は8時53分を回りました」と来たので「ん?押してるのかしらん」と思われます。「ショービズ」では、今週も百恵ちゃんを口ずさむ「小窓ちゃんの片瀬クン」が拝めました。其れにしても「ショービズ」で登場する方々の半数以上が「カタセカイ住人」となっている事実に、片瀬クンの歴史を感じたりもしますね。「まじっすか!?」では笑顔満開と云うかオッサン全開になっておりました。

どうも今週は「押してる」と思えば「トレナビ」をぶっ飛ばして「ぐるXとら」になってしまったっ。此処と致しましては、メインの「ぐるXとら」さえ在れば全く問題在りません。さあ、今週も片瀬クンの目付きがギラリンコと変わったぞ。VTRに食いつかんばかりのリアクションだっ。ところが、最近メキメキとリアクション芸を磨いておられる「ヒガちゃん」が結構「小窓ちゃん」で抜かれています。危うし!片瀬クン。ちっちゃくってタイプだからと可愛がっていると、うっかり飼い犬に噛まれる事態へ発展するかもしれません。然し、まだまだ片瀬クンのリアクション芸には遠く及びません。何せ、片瀬クンは「出川師匠直伝」なのだよ。

いつものコーナーをひとつ抜いた今回の「シューイチ」は、ゆったり感があって好かったと思います。お天気コーナーでの英語講座が無かったのは、些か残念ですけどね。番組が始まって早や2クールが過ぎようとしておりますが、定番のカタチに拘ることなくマイナー・チェンジする姿勢は評価出来るでしょう。数字的にも充分に合格点と云われておりますし、益々頑張って頂きたいです。てか、最後に「※予定を変更してお送りしました」ってテロップが出てましたね。台風の影響で、生放送ならではの「緊迫した展開」だったのかもしれません。


(小島藺子/姫川未亜)



【9/4の衣装】「ANAYI」(アナイ)のワンピース(「マネ日記」情報)

「シューイチ」日本テレビ公式サイト


posted by 栗 at 09:57| TV | 更新情報をチェックする

「カタセカイ列伝」# 042「内田有紀」

内田有紀 パーフェクト・ベスト


内田有紀は、1975年11月16日生まれの女優です。中学時代からモデルを始め、1992年にドラマ「その時、ハートは盗まれた(CX)」で女優デビュー、翌1993年にユニチカの水着キャンペーンガールに選ばれ、さらに翌1994年にはフジテレビビジュアルクイーンに選出されました。同年には主演ドラマ「半熟卵(1994年、CX)」の主題歌「TENCAを取ろう! -内田の野望-」で歌手デビューし、オリコン史上初のデビュー曲で首位を獲得しました。当時「アイドル冬の時代」と云われた中で、突出したアイドル人気が爆発し、ドラマ、映画、歌手と大活躍します。2000年に「北区つかこうへい劇団」に入団し、歌手活動を停止し舞台を中心とした本格派女優への転身を図りました。其の成果が出て「さあ、此れから!」となった2002年に結婚し、事実上の引退となります。ところが、2005年に離婚し、再び女優としての活動を再開。其の後は現在まで、数多くのドラマや映画で活躍中です。

片瀬那奈ちゃんとは、「氷の世界(1999年、CX)」で共演し、片瀬クンが友情出演された「検事・鬼島平八郎(2010年、朝日放送、テレビ朝日)」で11年ぶりの再共演を果たしました。見比べますと、「氷の世界」の頃には既に「本格派女優」へと脱皮しようとしておられた内田さんは11年後も然程変わらない印象ですが、片瀬クンの変貌には驚かされるでしょう。アノいたいけな七海ちゃんが、前科持ちのスリになってしまわれた。惨殺されて散骨された七海ちゃんが、堂々と内田さんをハメる役柄を演じた姿に感慨深いものがありました。

ま、内田さんに関しては、あたくしなんぞが語るべきではないのかもしれません。人生賭けちゃった輩を知っておりますのでね。でもですね「1994年の内田有紀は最高だった」と、あたくしも云えますよ。だって「時をかける少女」も「17才」も「半熟卵」も全話観て録画してましたし「TENCAを取ろう! -内田の野望-」も「純情可憐乙女模様」も「YUKISS」も買ったんですからね。知世ちゃんの「時かけ」を200回くらいは観て、科白も暗記してしまったあたくしが「内田版」を認めてしまったのもトンデモでしたけど、何と云っても「17才」ですよ。アレは大傑作でした。当時、あたくしは録画したヴィデオを何度も観直して「生きる糧」としていたのです。なのに、打ち切られた挙句に再放送も映像作品化もされないって、理不尽過ぎるぞ。ぜいはあ、、、。

さて、内田有紀ちゃんが次女役を演じた「マグロ(2007年、テレビ朝日)」で父親役で主演されたのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 00:12| KATASEKAI | 更新情報をチェックする