ビートルズが1966年にライヴ活動を休止してしまったと言うのは有名な話です。来日したのも此の年なんですけど、其の時に完成していたアルバムが「REVOLVER」で、日本の警官が保持していた拳銃から命名されたらしいんですね。それで「REVOLVER」以降の曲はビートルズとしてはライヴで演奏されなかったわけです。例外として1969年1月30日のアップル屋上ライヴが在りますが、その時演奏されたのはすべて当時は未発表の曲ばかりで「公開ゲリラ・ライヴ・レコーディング」だったんですね。
ライヴを止めたもっともらしい理由が「REVOLVER」の曲はライヴでは再現不可能だと言うことだったのです。此れは現在の感覚では変に思うでしょうけど当時はシンセサイザーもコンピューターも無しにライヴをやっていたのですからね。シンセサイザー(しかも初期のムーグ)をビートルズが導入するのは、1969年の実質的なラスト・アルバム「ABBEY ROAD」まで待たなければなりません。ビートルズをレコーディング・バンドに変貌させるきっかけは、ビーチボーイズの「PET SOUNDS」でしょう。リーダーのブライアン・ウイルソンがツアーから外れて、スタジオ・ミュージシャンをこき使ってオケを完成させたうえツアーからもどったメンバーに自分の指示通りに歌入れだけさせた其の作品は、ビートルズの「RUBBER SOUL」に影響を受けて発想されたそうです。
解散後に4人はそれぞれビートルズ時代にライヴで演奏しなかった曲を沢山披露してくれています。ジョージは亡くなってしまいましたけど、生前に代表的な自作曲は演奏してくれました。まぁもともと彼の曲はビートルズ時代にそんなに多く発表させてもらえなかったんですけどね。リンゴはもっと少ないうえに現役ですから、ほとんどコンプリです。「ヘルター・スケルター」のエンディングの叫び声まで再現してくれましたよ。とほほ。ポールは沢山書いたけど、毎回ツアーのたびに違う曲をセットに加えてくれています。
問題は一番多く曲を書いたレノンさんです。彼はソロになってからライヴ自体ほとんどやっていませんし、さあこれからまたやるべ、と思った途端にいなくなってしまいました。そのうえビートルズがライヴをやめてから一番ライヴ向きではない曲を作ったのもジョンですから、ジョンの声で聴ける1966年から1969年のライヴ版ビートルズ・ナンバーってのは貴重です。アップル屋上の例外を除けば「COME TOGETHER」「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」「YER BLUES」くらいしかないんです。そして「COME TOGETHER」「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は解散後に披露されたもので「LSD」はエルトン・ジョンとの共演です。(ちなみにこの時はポール作の「I SAW HER STANDING THERE」も演奏してます。解散後、公式にポールの曲をライヴで歌ったのは此れだけです。)
対して「YER BLUES」はまだビートルズが活動中に二度もライヴで披露されました。しかし演奏したのはビートルズでは在りませんでした。
「YER BLUES」のオリジナル・ヴァージョンは1968年8月にレコーディングされ、同年11月発売の「THE BEATLES」(通称「ホワイトアルバム」)のC面2曲目に収録されました。かなりラフな演奏ですが、此れはわざとやっているのです。ふたつのテイクをぶったぎってはっきり分る様に繋いでますけど、此れも意図的なことなんでしょう。
ビートルズは「ホワイトアルバム」を制作した時点でいつ解散してもおかしくない状況だったそうです。実際リンゴが一時脱退していますが、なんとか丸くおさめられてしまいます。でもジョンはもっと明確に脱退の意志表示をし始めるのです。「ホワイトアルバム」発売の直後に発表された「TWO VIRGINS」を問題にしているのではありません。ソロの前衛作品ならジョージだって発表しているし、ビートルズ以外のZAPPLEカタログを増やすことは「経営者としてのビートルズ」的な立場から見れば当たり前なんです。
問題は12月に「YER BLUES」をTV番組収録ライヴ(ローリング・ストーンズの「ロックンロール・サーカス」)で、ビートルズではないバンドで演奏したことです。ジョン・レノン(ギター、ヴォーカル)、エリック・クラプトン(ギター)、キース・リチャーズ(ベース!!)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)による此のスーパー・バンドの名前は「THE DARTY MAC」と言います。これを知ったポールの衝撃は計り知れませんね。
ビートルズの曲を別のバンドで演奏されたんですよ。しかも名前が「ポール逝ってよし!」ですよ。其れでもポールは翌年1月2日からの「THE GET BACK SESSIONS」を敢行するのです。此れはもう散々なことになりましたね、なんせ完成したのが2003年ですよ。この時はジョージが脱退してしまいますが、ジョンは「代わりにクラプトンを呼ぼう」なんて言ってます。クラプトンが好きなんですねぇ。それ以前にジョンとポールが居ればビートルズなんですね。 5月にジョンとポールのふたりだけで「ジョンとヨーコのバラード」を制作し「ビートルズ名義で発売」しちゃうんですから、いやはや。夏には4人で「ABBY ROAD」を制作して、ビートルズはまだまだやれるってトコをみせつけました。
しかしジョンは「ABBY ROAD」発売(9月26日)直前、またしても「YER BLUES」をビートルズではないバンドで演奏するのです。9月13日「THE PLASTIC ONO BAND」としてカナダのトロントで行われた「ロックンロール・リヴァイヴァル・ショー」のトリで登場したジョンは、クラプトン、クラウス・ヴアマン、アラン・ホワイトを従えてロックンロールのカヴァーやPOBのオリジナル曲(クレジットはレノン・マッカートニーですけどね)と共に「YER BLUES」を歌いました。「あれはエリックと前にもやったから」と言うのが理由で、この時は移動中の飛行機でリハーサルをやったそうなので「なるほど」と思えますけど、おいおいだから「前にもやった」こと自体が問題でしょう。一週間後(このへんは諸説あり「ABBY ROAD」制作中の事だと言う記述もありますが、ドラマティックに行きたいので)其れでもビートルズの存続を願うポールにジョンは言いました。
「バカかおまえは?俺はもうビートルズはやめたんだよ。みてりゃわかるべ?」「YER BLUES」とはそんな曲なんです。
(小島藺子)
初出「COPY CONTROL」
「YER BLUES」(2004-9-26)
「YER BLUES (Reprise)」(2004-9-27)