ジョン・レノンの「イマジン」は、今でこそ世界平和を歌う世紀の名曲などと云われるけれど、1971年の発表時には本国で在る英国ではシングル発売されなかった。ジョンのシングルは「コールド・ターキー」や「マザー」が既に放送禁止になっていた時代だけど、「イマジン」は所謂「発売禁止」だったのですね。「天国はない」(キヨシロー訳)って頭の歌詞だけでお話にならねーよってことだったみたいです。ジョンは美しい曲を書くひとだったので、多くの曲が現在でも親しまれて居ます。でも、彼自身の歌声でないと魅力が無いって曲が大半です。普遍的で単純な歌詞の様で、其処には本人しか表現出来ない「何か」が在るのでしょう。「イマジン」って過激な歌なんだよね、アルバムを聴けば分るよね。てか、オリジナル・ミックスの「もわー」っとしたイントロなんてヤバイもんな。
同じ時代にジョージの「マイ・スウィート・ロード」や「ギヴ・ミー・ラヴ」が大ヒットして居ます。「神よ おお神よ 絶対あいたいです」とか「愛をください 此の世に平和をください 神様お願い」なんて云う「完全にいっちゃってる」歌詞なんですけど、こーゆーのはええわけだ。こっちの方が、かなりヤバイと思いますよ。
何かね、ジョンとかジョージって思想が在るとか云われてたんですよ。其れって違うよね、ただ「いっちゃってた」だけですよ。ポールも本質的には同じってゆーか、もともと天然なんで一番「危険が危ない」方なんですけど、どーしても大好きな下ネタに走ってしまうんで「ただのお莫迦」扱いされてました。で、開き直ったのが「心のラヴ・ソング」って歌で、「くだらない愛のうただよーん、ねーちゃん好きで悪いか?ごらぁっ!」ってな感じです。
ん、リンゴはどーしたって?太鼓を叩いてたんじゃないの?(ま、ホントはソロで売れてしまって勘違いしてた頃だな。)で、今じゃ息子がTHE WHOやオアシスで太鼓を叩いてるよ。息子と叩くとこは観たから、今度は孫と三人で叩いて欲しいね。
1970年代前半ってのは、世の中「ジョンとジョージ」でした。あと、意外にも「リンゴ」が売れてました。そして「ポール」は悪役でした。
ジョンはセールス的にはいまいちだったけど、世紀の名盤「ジョンの魂」で大きな衝撃を与え、常に変化し続ける「ビートルズ」の核はやはり「ジョン・レノン」だったんだと世間に知らしめます。挙げ句に、レコード会社との契約を更新せず主夫になってしまったこと(つまり引退したわけですな)までが、「流石はレノン」などと云われたんですからね。てか、ジョンがレコードを出さなかったのは約5年間で、正確には1976年1月にEMIとの契約が切れて1980年9月にゲフィンと契約します。当時の此のブランクは「完全引退」を思わせましたけど、現在ではインターバルが5年なんて別に珍しくないですね。
ジョージは、解散して一番得したひとになりました。いきなり三枚組ですからね。ネタがいっぱいあったわけですな、なんせビートルズではアルバムに2〜3曲しか自分の曲を取り上げてもらえなかったんですからね。もうイケイケでレコードを出しまくり、全部大ヒット!ところが、だんだんネタが尽きて来るわけです。先を急ぐと80年代にはオリジナル・アルバムが三枚。90年代はライヴ盤のみ。そんでもって次は、亡くなってからです。晩年のインターバルは15年!!だから、アルバムに2〜3曲だったんだって証明しちゃいました。あ、私、ジョージ・ヲタですよ。
リンゴなんて、アルバムに1曲のひとですからね。其れが売れた。70年代前半のリンゴって滅茶苦茶に売れてたんですよ。何故か?そりゃね、リンゴのアルバムには他の三人はもとより、豪華ゲストが満載なんですよ。そのうえ自作とクレジットされてる「明日への願い」なんてジョージのデモがあるんですよ。おいおい、此れはジョージの曲だろ?映画「レリビー」でも「蛸庭」をジョージが手伝って作ってるシーン(いや、もっと正確に云うと手伝う振りしてジョージが作曲しちゃうんだけど)がバッチリ映ってますからね。で、まぁ、勘違いしたリンゴも落ちぶれるわけです。飽きられちゃったんだね。だから現在のオールスター・バンドは、正にリンゴにとって最良の方法です。でも、何で此のひとにはみんな手を貸してあげちゃうのかなぁ。人徳って云われるけど、結構シニカルなひとだと思うよ。だって、こいつもビートルズだからね。
さて、ポールです。此のひとは常にレコードを作らないと、発狂してしまうんでしょうね。えっ?もともとだって?いや、そりゃそーなんだけどさ。ビートルズの音楽ってのは、簡単に云ってしまうとポール・マッカートニーの音楽なんですよ。特に中期以降は、ポールが音楽面でのリーダーだったので、ポールにはビートルズ以外の引き出しが無いんです。其れは今でもそうです。だからこそ、ポールには「他の誰か」が絶対に必要だったんです。ジョン、ジョージ、リンゴのレコードを聴いて、物足りないって感じはしないんだけど、ポールの其れは「何かが足りない!」って思わせるんです。そして、其れが「ジョン・レノン」で在ることは明確です。だから、ポールの音楽はずっとずっと「せつない」のです。
ジョンが凶弾に倒れた時、私は二十歳で、翌年に予定されて居たツアーを心待ちにして居た。ビートルズのファンになって那奈年、でも其の内の5年近くはジョンが引退して居たわけでして、リアル・タイムだと「マインド・ゲームス」「心の壁、愛の橋」「ロックン・ロール」「シェイヴド・フィッシュ」(インターバル)「ダブル・ファンタジー」あぼーん!ですよ。あんまりだよね。
何が云いたいかってゆーと、あたしみたいなオッサンでもジョンを体験出来た期間ってのが短かったってことなんだな。でもベスト盤から遺作までの5年間ってのは、そんなに長くは感じなかったよ。目の前には膨大な過去の作品が在って、ビートルズの編集盤やライヴ盤もドンドン発売されてて、WINGSやジョージ、リンゴもバリバリの現役だったからね。で、そろそろジョンの新曲も聴きたいなぁって頃には「どーも復活するらしい」って話が出てた。
ジョンが亡くなって四半世紀。生前にファンだった期間をとっくに超えてしまったし、自分自身がジョンの歳を超えてしまった。でも、きっと私は「生きているジョン」を体験したから、彼のファンで在り続けるんだと思う。若いファンと話しても決定的に違う何かを感じるのは、仕方がないんだろう。ジョンは「愛と平和の歴史的な偉人」なんかではないって、私は本当に知って居る。「神様」になる前のジョンを、私は選んだんだもの。
「スターティング・オーバー」を初めてFMで聴いた時の昂揚感って云ったら、なかった。私はきっと、もう二度とあんなに新作を待って、其れに感動するなんてことはないんだろう。でも、其れでいい。
(小島藺子)
初出「COPY CONTROL」
「1970年代ビートルズ物語」其の壱(2005-5-25)
「1970年代ビートルズ物語」其の弐(2005-5-26)
「1970年代ビートルズ物語」其の参(2005-5-27)