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2011年01月18日

「ピーター、勝ち逃げは許さんぞ」

プロレス至近距離の真実―レフェリーだけが知っている表と裏 (講談社プラスアルファ文庫)


「ピーター」って云うと「池畑慎之介さん」の芸名だと思われる片が多いでしょうけど、プロレスを語る時には「ピーター=ミスター高橋」ってのが基本です。彼は、昨年お亡くなりになった「鬼軍曹・山本小鉄」の幼馴染で、小鉄の勧誘で創立間もない時期(1972年)に新日本プロレスに「レフェリー兼外人担当」として入団し、以後、1998年まで四半世紀に渡って新日のプロレスを二万試合以上も裁いたのでした。かつての新日黄金時代には、TV中継でも「メイン・レフェリー」と云えば彼だったので、古くからの「プロレス者」ばかりか、世間一般的にもかなり有名なレフェリーでした。

そんなピーターが2001年に上梓した「流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである(講談社)」は、所謂ひとつの「プロレスのカラクリ」を近しい関係者が暴露したとしてベストセラー(プロレス本としては異例の20万部)となりましてですね、いたいけなファンは衝撃を受け、プロレス業界及びプロレス関連マスコミは黙殺し、当時の「総合格闘技ブーム=ガチこそはすべて幻想」も相まって「プロレス衰退を招いた」なんぞと云われました。

然し乍ら、バカ真面目にプロレスを観て居る「プロレス者」にとっては「其の仕組み」は「底が丸見えの底なし沼(I 編集長声で)」でありましたし、別にピーターが初めて其の内幕を明かしたわけでもなかったのです。元々、バルト本や村松本で「プロレス=演劇」論は古くから語られておりましたし、トルコ本や佐山本などの「レスラーからのカミングアウト」もとっくの昔からあったのです。ゆえに、ピーター本が出たからプロレスが衰退したなんてのは嘘なのだ。問題は、別にプロレスなんか好きでもない連中までもがピーター本を読んでしまった事でしょう。「な〜んだ、やっぱりプロレスなんて八百長じゃん!だって、実際に裁いていた高橋が明かしてるぞ」てなもんですよ。

あたくしが当時に初めて読んだ時に衝撃を受けたのは、ほとんどが「ケツ決め」だなんて事では無く「猪木さんは、対アリ戦と、対ペールワン戦で、ガチをやった」って部分でした。ピーターは更に「猪木さんは、本当に強かった」とも書いていた。幼馴染の小鉄からまで「リングの魂を金に換えた奴を友人とは思わない!」と絶縁されたピーターですが、彼なりの「リングの魂」は持っていると思えました。

アレから早10年、プロレスは衰退したものの未だ残っています。当時にイケイケだった総合やK-1は一過性のブームで終わってしまいました。今や、国技と云われるお相撲さえも風前の灯です。ピーターは、今でもかつての昔話を切り売りするしかない状況ですが、其れは根本的に何かが違うと思うのです。

あたくしも、ピーター本に限らず「プロレス(及び格闘技全般)の暴露本」は数多く読んで来ました。でも、其れって「海賊盤を聴く」って行為と限りなく近い「コアな悦楽」なのだ。どんなに裏話を明かされても、完成された作品には敵わないし、其れが揺らぐどころかより深く愛することになるのです。ジョン・レノンやジョージ・ハリスンは、もう何にも云えません。プロレスラーも昨今多くが鬼籍に入ってしまったけれど、生きている方々でも、例えば猪木は「どーってことねーや」だし、藤波なんかピーターに無茶苦茶云われてますけど反論なんかしません。其れは「同じ土俵には上がれませんよ」って事なのよさ。

ピーターは「辞めた人」なのです。もう関係ないから、いい加減な事を書けちゃえるのだよ。ブロディに関する文章なんて、本当に非道過ぎるぞ。ブロディにはもう反論する事は出来ないんだぞ。ピーターの本を読むと、矢鱈と「アノ名場面を提案したのは私だ」みたいな記述が多いのです。手柄は全部おまいかよっ。でもね、そもそも「そんなカラクリを墓場まで持ってゆく」と決めた方々には反論する術がないのだよ。反論したら「はいはい、ピーターが大前提としているカラクリってのは本当ですよ」って認める事になっちゃうんだもん。絶対に負けないね、ピーター。でも、其れって楽しいの?幼馴染で恩人の小鉄に見放されてまでやるべき事だったの?

「僕には分からないよ。(カヲルくん声で)」


(小島藺子)


posted by 栗 at 01:21| KINASAI | 更新情報をチェックする