片瀬那奈ちゃんを語るサイトで「プロレス」ネタ連発ってのも如何なものか?なのですが、もう少しお付き合い下さい。
あたくしはプロレスを年間50興行くらい生観戦していた時代(1992年〜1998年)に「おいおい、こんなもん観てらんねーよ」と中座した事が壱度だけあります。其れはパンクラスの後楽園ホール興行でして、お目当てはメインの「鈴木みのる」だったのです。当時の彼は現在の「マヨネーズ和えチキン好き」なお腹がポッコリした体型ではなく、正に「猪木の後継者は、みのるだ」と思わせる「ハイブリット・レスラー(死語)」でした。
其の全盛期のみのるがメインで出る後楽園となれば、其の前に行われた今は亡き「無我」の興行(@恵比寿)との昼夜ダブルヘッダーも厭わず駆けつけたわけです。「無我」の興行も満足がゆくものでしたけど、其の日のメインは「鈴木みのる」でした。
ところが、休息時間に松葉杖をついた痛々しい姿のみのるが登場し、怪我による欠場の挨拶をしたのだ。メインが吹っ飛んじゃったわけで、あたくしと友人は「ふざくんな!」とばかりに中座し会場を後にしたのです。でもですね、其れは不慮の事故だったから致し方ない事なんです。
あたくしが観たプロレス興行で最も不満なのは、以前も書いた通り「1985年12月12日の宮城県スポーツセンターに於ける新日」なのだ。其の日は「IWGPタッグ・リーグ優勝決定戦」が行われたのです。ブロディ&スヌーカ組が首位で、猪木&坂口組と藤波&木村組が同点二位って星取りで、猪木組と藤波組が決勝進出戦を演じた後でブロディ組と決勝戦って流れになっていたのです。
でも、仙台にブロディは来なかった。其の内幕は、主に「ミスター高橋」によって暴露されて来ました。曰く「元々、藤波組の優勝とのブックに最後まで納得しなかったブロディが切れた」とか「折角、オレ様が坂口の脚をダメにして欠場ってアングルを無視して坂口が出るって云ってんのは何なんだ?とブロディが切れた」とか、よーするにブロディが悪いって話になってるんですよ。
だけど、そーゆーのを上手くまとめるのがピーターの役目だったんじゃねーの?ピーターはプロレス本を書き続ける事でしか生計を立てられないのでドドンガドン!と沢山本を出しています。そーするとですね、より詳細な記述に走らざるをえなくなりますね。一昨年(2009年)に上梓された『新日本プロレス伝説「完全解明」』(宝島社)あたりになりますと、件のブロディ「ボイコット」事件に関してもより詳しく書かれています。
其処で問題となるのは「偶然、猪木さんがひとつ遅れた外人レスラーと同じ新幹線に乗り合わせていたので、私は藤波のドラゴン・スープレックスで寝てくださいと打診した」なんてゆー「ファンタジー」や「メルヘン」が入ったピーターの自惚れ全開節ではないのだ。ピーターは、ブロディに新幹線が発車する前に「坂口は出ます」って云っちゃったと書いているのよさ。
何だ、そりゃ?そんなことを云ったら、ブロディが怒り狂うって分かってるじゃん。よーするに、高橋のボケが余計なことを云わずに仙台までブロディを連れてくれば好かったってだけじゃん。どー考えたって、外人担当のピーターが痛恨のミスを犯しましたって話を、自分でカミングアウトしてるわけじゃん。其れなのに、エラソーに「藤波が猪木さんをフォールする演出を提言したのは自分なのだ」なんて続けるんだから、笑止千万だぞ。
そーか、そーだったのか、あたくしがブロディに逢えなかったのは、おまいのせいだったんだな。何が「ファンからの不満は出なかった」だよ。アノ日、会場に居たあたくしは忘れないぞ。会場のファンは殺気立っていたよ。「地方だからって、なめんな!」「ブロディを出せ!金返せ!」って暴動寸前だったぞ。ピーター、いい加減な事ばっか書いてんじゃねーよ。
(小島藺子)