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2010年11月27日

「ヤマハブラザーズよ、永久に!」

昭和プロレス [DVD] 13cmFigureDX 星野勘太郎 (魔界マスク付き)


元プロレスラーの星野勘太郎さんが死去(デイリー 11/27)


盟友・小鉄の後を追う様に、星野勘太郎が逝ってしまったっ。

もっと、もっと、「ビッシビシ!」と、若手をしごいて欲しかったっ。

慎んで、御冥福をお祈り致します。


(小島藺子/鳴海ルナ/姫川未亜)


posted by 栗 at 18:29| KINASAI | 更新情報をチェックする

「未亜たん夢日記」其の肆

Good Evening New York City (W/Dvd) (Dig) (Ocrd)


ポール・マッカートニーの楽屋に居る。どうやら、僕ともうひとり(知って居る様で知らない、友人の様で他人みたいな人)と二人でバックステージに招待された様だ。ポールが「君たちは楽器は弾けるの?」と云うので、僕ももう一人も「ええ、少し、、、」と応えたら、いきなりだナァでポールが「じゃあ、来てくれ」と僕をステージに引っ張り出した。

会場は宮崎県のグラウンドで、グラウンドには観客を入れず、スタンドが満席。ドラムのアブラハムが「ラスティーが食あたりでプレイ出来なくなっちゃったのよ。だから代わりに演奏してネ」と巨体を揺さぶらせながら、赤ら様なオネエ言葉で云った。(勿論、会話は全部英語で進行中。)ベースが在ったので、取ろうとしたらブライアンが「おいおい、此れは俺が弾くんだよ」と云って、レスポールのエレキ・ギターを渡された。曲は「GETTING BETTER」、ガクブルで全く弾けない。なんとかカッティングすると、ポールが「違う!お前は高い音を出すんだよっ。使えないナァ」と怒鳴った。

「おまい、クビね」とポールに云われて退場すると、もう一人の奴が入って来て普通にラスティーの代役を務めた。「なんだ、あいつ、奥田民生じゃん」と、ようやく正体に気付いたけれど、傷ついた心は癒えない。「宮崎県なんだから、そのまんま東を探そう!」と涙を流し乍らスタンドの観客を観ている。ポールが「おい、こっち来い」と云ってふたたびステージに行くと「此れなら弾けるんだろ?」とウクレレを手渡した。これなら弾ける!と「RAM ON」を弾いた。いつの間にか、場所は楽屋に変わっていて、「そうか、夢だったんだな、僕はポールの楽屋で夢をみていたのだ」と認識する。すると「此れは、ジョージにもらったウクレレだ。お前にやるよ」とポールに云われ、サイン入りのウクレレを抱きしめて、僕は号泣した。


(姫川未亜)


posted by 栗 at 16:44| MIAMIA | 更新情報をチェックする

FAB4-123:LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS

Here & There Lucy With Glasses: The Very Best of


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ジェフ・エマリック
 2E:リチャード・ラッシュ
 録音:1967年3月1日(take 1-7、take 7 を編集し take 8)、
    3月2日(take 8 に SI 「歌、コーラス、ベース、ギター」)
 MONO MIX:1967年3月2日(take 8 より 1-11)、3月3日(take 8 より 1-4)
 STEREO MIX:1967年4月7日(take 8 より 1-5)

 1967年6月1日 英国アルバム発売 (「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」 A-3)
 パーロフォン PMC 7027(モノ)、PCS 7027(ステレオ)


ジョン・レノンが、当時は幼稚園児だった息子のジュリアンが描いた絵をヒントに書いた曲です。たまたま頭文字が「LSD」になっていたのは、偶然なのか狙ったのかは謎です。曲を書いたのはジョンですが、アレンジやコーラスでのポールの活躍ぶりも素晴らしく、完成形は合作に近いとも思えます。「レノン・マッカートニー」とクレジットされた楽曲のほとんどは実際にはどちらか片方が書いた作品も多いのですが、常に明らかにもう片方の影響も伺えます。当然の話ではあるのですけど、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは同じバンドに居て、二人で曲を書き、歌い演奏していました。

アルバムでは三曲目の此の楽曲から、世界はとってもカラフルに感じられます。色彩感があるんですよ。其れがドラッグによるものだったとしても、サウンドとしてキラキラする音像に昇華してしまったのは「ビートルズの才能」です。ジョン曰く、ルイス・キャロルに影響された詩(「万華鏡の瞳の女のコ」とか「新聞紙で出来たタクシー」とか、ゾクゾクします)を、独特のレノン節(ジョンの歌唱法は、語り掛ける様に自然で、しかも音節に見事に収めてしまうんです)で歌うだけでも、充分に幻想的です。

ビートルズのオリジナル・ヴァージョンはシングル化されなかったものの、1974年のエルトン・ジョンによるカヴァー・シングルにはジョン・レノンがギターとコーラスで参加し全米首位を獲得しました。当時、日本盤のシングルを買いましたが、ドーナッツ盤なのに「45回転」ではなく「33回転」でした。そんでもって「エルトン・ジョン・レノン」とか書いてありました。更に、其のお返しでエルトンが客演したジョンの「真夜中を突っ走れ」が彼のソロとしては初めて全米首位になり、ジョンはエルトンのライヴに客演し、此の楽曲も披露されました。

エルトンはジョンの親友で、ショーンの名付け親にもなっています。ジョンが育児休暇で「主夫」をしてた時代(実際には、単に遊んでいただけなんですけど)に、エルトンと一緒にベイ・シティ・ローラーズのライヴを観に行ったら、ファンの女のコに「エルトンの隣にいるオヤジは誰?」と云われたらしいです。1970年代には五年も引退状態では天下無敵のビートルズのリーダーであるジョン・レノンですら「あの人は今」だったのですね。エルトン・ジョンとビリー・ジョエルがジョイントで来日した1998年のコンサートには、あたくしも足を運びまして、アンコールで此の曲も演奏されました。ジョンのパートをビリーが受け持った構成でしたけど、感動したナァ。そー云えば「ルシ☆スカ」って居たナァ。どーしてんのかナァ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:05| FAB4 | 更新情報をチェックする