w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:リチャード・ラッシュ
録音:1967年2月1日(take 1-9)、2月2日(take 9 に SI 「歌」、編集し take 10)、
3月3日(take 10 に SI 「オーケストラ」)、3月6日(take 10 に SI 「歓声」)
MONO MIX:1967年2月2日(take 10 より 1)、3月6日(take 10 より 2-3)
STEREO MIX:1967年3月6日(take 10 より 1-8)
1967年6月1日 英国アルバム発売 (「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」 A-1)
パーロフォン PMC 7027(モノ)、PCS 7027(ステレオ)
1966年11月から開始された新しいアルバムのレコーディングは、実に複雑怪奇な展開となります。1966年8月で実演活動を休止したビートルズは、其れまでツアーに明け暮れた時間を休息へとはせず、鬼の様にスタジオに籠って録音する事へ移行しました。ジョンの新曲「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」、ポールの旧作「WHEN I'M SIXTY-FOUR」と新曲「PENNY LANE」、さらにはレノマカのトンデモ過ぎる新曲「A DAY IN THE LIFE」と録音が進むのですが、ポールが「架空のバンドが演奏したショーをアルバムにするのだ!」と天然バカボン振りを全開のアイデアを思いつき、さっさとテーマ曲を書いてしまいます。前述の通り、契約上で新しいシングルを出さなければならなかったので「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」を発売し、恒例通りに其の二曲はアルバムには入れない方針で進められるのでした。
アルバムの冒頭を飾ったのは「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」のコンセプトの発案者であるポール・マッカートニーが書いたテーマ曲です。イントロのオーケストラがウォーミング・アップしている様子は1967年2月10日に行われた「A DAY IN THE LIFE」のセッションで録音された音源で、何度も入る歓声は1964年8月23日と1965年8月30日のハリウッド・ボウル公演(1977年に二公演を編集してレコード化、未CD化作品)からオーヴァー・ダビングされています。楽曲そのものはストレートなロケンロールなのですが、其れ等の効果音や間奏のホルン、そして「直接ミキサーに通して録音した!」ポールのリッケンバッカー・ベース、更にはジョンとジョージの絶妙なコーラス等が、此れから始まる全く新たな世界を予感させます。
コンセプト・アルバムの元祖と云われる「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」ですが、最初と最後に此の楽曲を配し、曲間を無くしたメドレーと感じさせる構成になっているものの、個々の楽曲は関連性は在りません。但し、アンコールの「A DAY IN THE LIFE」までのサウンドは正しくトータリティーに貫かれています。正直、個々の楽曲だけを取り上げるとビートルズとしては弱いと思われる作品もあるものの、此のアルバムが「ロックの最高峰」と未だに語られるのは「アルバム全体でひとつの世界観を創造した」と云う事実からでしょう。ポールが主導権を握った作品だとの評価もありますが、此の時点でのビートルズはマーティンやエマリックを含めて、正に一丸となっていました。1967年、バンドとしてのビートルズの最後の輝きです。色んな意味で頂点を極めてしまった。
ところで、大瀧詠一師匠の名盤である「ナイアガラ・カレンダー」と「A LONG VACATION」の構成が全く同じだと看破したのは弟子である山下達郎あにさんですが、其の構成って「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」とおんなじなのよさ。大瀧師匠って、ソロ・デビュー作「大瀧詠一」の構成も何気に「ジョンの魂」だったりして、とってもビートリーな人でもあります。「せめて、エルヴィスとビートルズを聴いていないんじゃ、話にならないね」と云う御尤もな発言もありますよ。ステレオとモノの聴き比べでは、此の「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」と英国公式アルバムでは次作となる1968年の「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」が特にオススメです。誰もが分る違いが満載ですので、ステレオの箱しか買っていない片は、騙されたと思って限定モノ箱も是非とも買って下さい。泥沼のミックス違い道へハマる事は確実です。
(小島藺子)