w & m:LENNON /
McCARTNEY P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:フィル・マクドナルド
録音:1966年12月29日(「Untitled」take 1-6)、
12月30日(take 6 を編集し take 7、さらに take 7 に SI 「歌」)、
1967年1月4日(take 7 に SI 「歌、ピアノ、ギター」)、
1月6日(take 7 に SI 「ベース、ギター、ドラム」、編集し take 8、
take 8 に SI 「ピアノ、手拍子、コーラス」、編集し take 9)、
1月10日(take 9 に SI 「効果音」)、1月12日(take 9 に SI 「管弦楽器」)、
1月17日(take 9 に SI 「ピッコロ・トランペット」)
MONO MIX:1966年12月29日(take 6 より 1-2)、12月30日(take 7 より 1-2)
1967年1月9日(take 9 より 5-6)、1月12日(take 9 より 7-8)、
1月17日(take 9 より 9-11)
STEREO MIX:1971年9月30日
1967年2月17日 英国シングル発売(最高位:英国2位、米国1位)
パーロフォン R 5570(モノ)
奇跡の両A面シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」の片面を飾ったポール・マッカートニーの大傑作。ジョン・レノンが「STRAWBERRY FIELDS」と来れば、ポール・マッカートニーが「PENNY LANE」と返す。此の絶妙のコムビネーションがレノマカの真骨頂です。レコーディングに専念すると決めたビートルズの意気込みは、半端ではありませんでした。たった三分間の歌に賭けた膨大な時間をデータで感じ取って頂きたいです。彼等をこんな偏執狂的な録音集団へと変貌させたのは、やはりライバルの「THE BEACH BOYS」いやさ「ブライアン・ウイルソン」の存在が大きいでしょう。彼は、1966年10月10日に発表し全米及び全英で首位を獲得したシングル「GOOD VIBRATIONS」の録音に、なな、なんと300時間も費やし、録音した90時間を編集し三分間のポップスへと昇華させたのです。ポール・マッカートニーが、萌えないわけがありません。
ポールは、ジョンほどには滅茶苦茶な要求はせず、最初から完成型と同じ形態で録音は進みます。ポールお得意の下ネタを交えた歌詞も、メジャーとマイナーを行き来するメロディーも素晴らしい。しかし、音楽大好きなポールはクラシック・コンサートをBBCで観て、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第2番ホ長調」を聴きましてですね、翌日、マーティンに「凄い高い音を出すトランペットを聴いたよ。アレを新曲に入れたいのだ!」と天才バカボンのパパ声で云い放ったのです。それで、マーティンはトランペット奏者のデヴィッド・メイスン(実際にポールが観た番組で演奏していた!)を呼び、ポールが「小鳥がさえずる様な感じでさ、ふん、ふん」などと即興で鼻唄するのを現場で採譜してメイスンにピッコロ・トランペットを吹かせたのでした。
「おいおい、ポールも思いっきり無茶苦茶な要求をしてるじゃん!」アメリカとカナダでのプロモーション盤ではエンディングにオマケのトランペットが入っていて、其れはミックス違いの魔境に進むキッカケのひとつとなりました。また、此の最強シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」は秀逸なプロモーション映像も制作されまして、二曲とも演奏シーンが無く連動したカタチになっているのですけど、幻想的な
「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」も好いけど、何と云っても「PENNY LANE」が凄い。ポールの曲なのに、何故かジョンが一人で歩く映像から始まり、四人が合流して馬に乗ったりするのですけど、最後にはふたたびジョンがひとりぽっちで街を歩く場面で終るのです。其の丸眼鏡をかけたジョン・レノンの「もう、どーだって好いや」と顔に書いてある表情が凄過ぎるのだ。此れは「達観してしまった人の顔」です。当時のジョン・レノンは26才。こんな顔をするには、余りにも早過ぎるっ。
尚、ステレオ・ミックスが行われたのが「1971年9月30日」と云うのは本当です。2010年の現在では、アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」に入っている曲と思われているでしょうけど、アレは米国キャピトルが出した編集盤で、元々はA面になった曲を収めた二枚組のEPとして英国では発売されます。ゆえにアルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」B面は、全曲が英国ではシングルのみ!と云うビートルズらしい潔い楽曲を集めた「1967年シングル集」です。だから、此の曲も当初はシングル用のモノ・ミックスしか行われなかったのです。本来なら「MAGICAL MYSTERY TOUR」と云う素晴らしいアルバムは存在しなかったわけですよ。1967年のシングルとEPをまとめただけなんだけど、瓢箪から駒って感じで「米国キャピトルのお手柄」かもしれません。でも、米盤はシングルの数曲が擬似ステレオで、最初にそれらのステレオが収録されたのは「西ドイツ盤」なのよさ。やっぱ、キャピトルはスットコドッコイです。
(小島藺子)