w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン、デイヴ・ハリス(12/8)
E:ジェフ・エマリック、デイヴ・ハリス(12/8)
2E:フィル・マクドナルド
録音:1966年11月24日(take 1)、11月28日(take 2-4)、
11月29日(take 5-6、take 6 を編集し take 7、take 7 に SI 「歌」)
12月8日(リメイク take 9-24)、12月9日(take 15 と take 24 を編集し
take 25、take 25 に SI 「打楽器、ドラム、ソードマンデル」)、
12月15日(take 25 に SI 「管弦楽器」、編集し take 26、
take 26 に SI 「歌」)、12月21日(take 26 にSI 「歌、ピアノ」)
MONO MIX:1966年11月28日(take 4 より 1-3)、11月29日(take 7 より 1-3)、
12月9日(take 25 より 4)、12月15日(take 26 より 5-9)、
12月22日(take 7 より 10、take 26 より 11、二つを編集し 12)
STEREO MIX:1966年12月29日(take 7 より 1、take 26 より 2、4、
1 と 2 を編集し 3、1 と 4 を編集し 5)
1967年2月17日 英国シングル発売(最高位:英国2位、米国8位)
パーロフォン R 5570(モノ)
実演活動をヤメたビートルズは、スタジオに篭ります。此処から始まる所謂ひとつの「青盤時代」は、レコードを作る事だけに賭けた、余りにも真摯なビートルズが居ます。1966年11月に、ビートルズは新しいアルバムのレコーディングを開始しました。其れは、後に「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」という、ロックの金字塔と賞賛され続ける作品となります。新作の録音となれば、当然乍らジョン・レノンの自信作から始まりました。然し乍ら、シングルを発売しなければならない契約から、此の曲と「PENNY LANE」が先行発売されたのです。
ジョン・レノン作の大傑作!両A面のポール・マッカートニー作「PENNY LANE」と合わせて、銀河系史上最強シングルと断言します。ところが、此のシングルでビートルズは英国チャートで三枚目の「FROM ME TO YOU」から続けていたチャート首位記録を途絶えさせてしまったのです。ビートルズが現役時代に出したシングルで、此の時までに英国で首位を獲得出来なかったのは、デビュー曲の「LOVE ME DO」(英国17位、後に米国ではどさくさ紛れに首位を獲得)と「PLEASE PLEASE ME」(英国では最高2位ですが、ローカル・チャートでは首位)と此れだけなのよさ。ゆえに英米どちらかで首位になった曲だけを収録した「1」には、なな、なんと「PLEASE PLEASE ME」も「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」も入ってないのだ!(杏奈声で)
「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」が首位を取れなかった!何じゃそりゃ?(「PENNY LANE」は米国では首位になっています。)
新しいアルバムは、当初は「子供時代を懐古する」ってテーマで行こうって事になっていたらしいのです。其れで、ジョンの此れとポールの「WHEN I'M SIXTY-FOUR」や「PENNY LANE」が録音されてゆきます。結局はポールのアイデアで「SGT. PEPPER'S」になり、ジョン・レノンの(そしてポール・マッカートニーの)大傑作「A DAY IN THE LIFE」が生まれてしまいまして、大いに方向転換されます。ゆえに、無理強いで「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」が先行シングルとして独立したのは「結果オーライ」になっちゃったのよさ。此の辺が、正に「ビートルズ・マジック」です。
四人の演奏によるビートリーなテイクが録音されましたが、ジョンは納得せず、管弦楽を加えたヘビーなリメイクを行います。普通なら、そのどちらかを選ぶのですけど、ジョンは「どっちも好いから、ひとつにまとめてよ」とマーティンに云ったのです。マーティンは「ジョン、其れは無理だよ。だって、キーも違うんだから」と返すと、ジョン・レノンは、
「君なら、出来るだろ?」
と云い放ったのでした。たぶん、あたくしがジョージ・マーティンの立場でも、ジョン・レノンにそんな事を云われたら、やります。かくして、マーティンは全く異なる二つのテイクをひとつにしてしまったのです。「未だに、繋いだ部分を聴くとドキドキするよ」とマーティンは語ります。確かに、其のつなぎ目が分ってしまうと、二度と此の曲は「ひとつの曲」には聴こえなくなってしまいます。其れでも、そうなったとしても、此の楽曲の美しさは決して失われません。此れは、ビートルズのジョン・レノンが放った稀代の名曲です。二つを繋ぐ為に「片方のキーを下げ、もう片方のキーを上げた」ので、ジョンのヴォーカルはどちらも通常速度ではありません。
エンディングでフェイドアウトしてふたたびフェイドインするのは、リンゴが激しいドラミングを叩き損ねたミスを隠す為に苦肉の策で行われたミックスなのですが、其れが実に幻想的な効果を生んでしまいました。ジョンの「クランベリー・ソース」と云う呟きは、「アイ・ベリード・ポール」と空耳されて所謂ひとつの「ポール死亡説」に発展します。後にも語りますが「ポール死亡説」って、絶対にビートルズ自身が仕掛けたトラップだったと、あたくしは思います。
(小島藺子/鳴海ルナ)