w & m:HARRISON
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:フィル・マクドナルド
録音:1966年6月2日(「LAXTON'S SUPERB」「I DON'T KNOW」take 1-5、
take 3 に SI 「歌、コーラス、タンバリン、マラカス、ピアノ」、
更に take 3 を take 4 へ編集)、6月3日(take 4 に SI 「ベース」)
MONO MIX:1966年6月3日(take 4 より 1-4)
STEREO MIX:1966年6月21日(take 4 より 1-2)
1966年8月5日 英国アルバム発売 (「REVOLVER」 B-5)
パーロフォン PMC 7009(モノ)、PCS 7009(ステレオ)
アルバム「REVOLVER」でジョージ・ハリスン作の三曲目です。前述の通りに「REVOLVER」には唯一三曲もジョージの曲が収録されましたが、1966年には彼もソングライターとして成長しておりまして、後のソロ三枚組「ALL THINGS MUST PASS」(1970年)に収録された楽曲のほとんどはビートルズ時代に書いたモノです。此の頃には「ART OF DYING」が既に書かれていました。
タイトルが「I WANT TO TELL YOU」に決定するまでには「LAXTON'S SUPERB」と呼ばれていましたが、それはマーティンがジョージに「何てタイトルなんだ?」と訊いたら「シラネ(I DON'T KNOW)」と応えた為にエマリック(彼は、一般的にはエメリックと表記されますけど、あたくしは発音により近いエマリックで通しています)がテキトーにテープボックスに書いた仮題だそうです。ジョン・レノンは「お前の曲はいつも題名がないナ」とからかっています。
ビートルズ時代にはライヴで披露されていませんが、1991年のソロ初来日公演で意外なオープニング・ナムバーとして演奏されました。其の時には「TAXMAN」も演ってくれたし、他のビートルズ時代の曲も惜しみなく(アノ「PIGGIES」まで飛び出した!)歌ってくれまして、バックを務めたクラプトン・バンドもオリジナルに忠実な演奏で素晴らしかったです。ジョージは、1974年の北米ツアーで「IN MY LIFE」などで改変をやらかして不評でしたが、大人になったのでしょう。ま、此の曲は「I WANNA TELL YOU」になっていましたけどね。
ジョージ作品で異常に張り切るポール・マッカートニーによるベースとコーラスが目立ちますが、元々のポールの相棒はジョージだったのです。「マッカートニー・ハリスン」で共作してたのに、ポールはジョージを捨ててジョンに走ったのでした。ポールの傲慢とも思える自作曲への介入や、ギター・プレイに対するダメ出しなどが鬱積し、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」で爆発し「ジョージ脱退事件」へと繋がるのです。
(小島藺子)