w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:リチャード・ラッシュ(4/13)、フィル・マクドナルド(4/14、10/31)
録音:1966年4月13日(take 2)、4月14日(take 2に SI 「歌、コーラス、ベース」)
MONO MIX:1966年4月14日(take 2 から 1-2)
STEREO MIX:1966年10月31日(take 2 から 1-3)
(1966年5月19日、20日 プロモ撮影)
1966年6月10日 シングル発売(最高位:英米1位)
パーロフォン R 5452(モノ)
ビートルズの1966年最初のシングルA面曲で、ポール・マッカートニーの作品。リッケンバッカーのベースを音圧マックスで弾きまくるポール、釣られて怒涛の太鼓を叩くリンゴ、ポールのアイデアでフランスの童謡「フレール・ジャック」から頂いたコーラスを決めるジョン&ジョージ、と明らかに「新たなる世界」へ踏み込んだビートルズが居ます。
先行シングルとして発売されB面の「RAIN」共々アルバムには収録されなかったものの、此の曲は来るべき「REVOLVER」セッションで録音された楽曲です。ポールがレベルが振り切れる程のベースを望み実現したのは、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンが奏でたベース(具体的には「I GET AROUND」)に触発されたからだと云われています。其のブライアンは「RUBBER SOUL」を聴いて、至上の名盤「PET SOUNDS」を完成させました。其れを聴いたポールは、後に語る「HERE, THERE AND EVERYWHERE」で対抗し、ブライアンは「SMiLE」へと向かいます。半世紀近く経った現在でも「ゾクゾクする様なライバル関係」です。
1966年のビートルズは劇的な転換期を迎えますが、エンジニアが前作までのノーマン・スミスからジェフ・エマリックに変わったのも大きな要素のひとつです。プロデューサーのジョージ・マーティンがEMIを退社独立した為に、ノーマン・スミスがプロデューサーに昇格しビートルズの現場を去る事になったのです。其処で抜擢されたのが、エマリックでした。彼の功績に関しては、此れから追々言及してゆきます。そして、此の年にビートルズはライヴ・ツアーを休止し、当時のライヴでは再現不可能なスタジオ録音へとのめり込んでゆくのです。ゆえに、データも其の辺を加味した記述にします。
革新的なサウンドの新曲ですが、ジョン・レノンの評価は辛辣です。曰く「ポールの「PAPERBACK WRITER」は、俺の「DAY TRIPPER」の二番煎じ。構造はおんなじだし、確か詩は俺も手伝った。ま、ポールの曲さ。俺は「三文文士」なんて他人の歌は書かない」とか云い乍ら、コーラスはノリノリなのがジョンらしいトコです。其のコーラスですけど、1993年に二度目の来日公演を実現させたポールは此の曲も披露しました。其れで、ジョンとジョージのパートを観客に歌わせようと試みたのですけど、ゆっくり丁寧に英語で説明したのにあまり伝わらなかったのです。ポールは「此処はヨーロッパじゃなかったんだな」とガッカリしてて、あたくしもカックンでした。(おそらく、此の顛末が、次の2002年来日公演での「同時通訳事件」とか「もうかりマッカ事件」とかに繋がるんですよね。)
シングルのみの発売だったので、当初はモノラル・ミックスしか行われていません。半年後にステレオ・ミックスが作られたのは「オールディーズ」に収録されたからです。「オールディーズ」は年間2枚のアルバム制作契約を守る為に苦肉の策で出された現役時代では唯一のベスト盤ですが、収録曲のほとんどは其れまでシングルのみでアルバム未収録だったのです。ゆえに、多くのシングル曲が1966年に初めてステレオ・ミックスされています。
(小島藺子)
さて、本日(11/1)は、キティちゃんのお誕生日です。キティちゃんこと「キティ・ホワイト」は双子なので、妹のミミィちゃんも今日がお誕生日です。そんでもって、二年前にキティちゃんとコラボした「カモノハシのイコちゃん」も11月1日生まれなんですよ。皆さん、御目出度う御座居ます。
(小島藺子)