2007年の「女優・片瀬那奈」を考える時、矢張り最重要作は奇跡の初舞台と賞賛された「僕たちの好きだった革命」初演となります。初舞台を踏んで以後の片瀬は、更なる豊かな演技力を身につけました。鴻上さんが「主演の山崎くんは、中村雅俊さんでなければならなかった」と脚本に臨んだと同等に「小野未来を演じるのは片瀬那奈しかいない」と念頭に置いての起用だったとしか思えません。其の初舞台を観た山田監督が「舞台版のまどか先生を見つけたっ!」と直感し、翌年の初主演舞台「フラガール」が構想されます。そもそも、鴻上さんが片瀬を初舞台乍らヒロイン兼語り部と云う重要な役柄に抜擢したのは、彼が片瀬那奈の歌手時代に「真夜中の王国」で何度か共演し、歌手・片瀬那奈のステージを観ていたからでした。真摯に活動していれば、ちゃんと誰かが観ていて、後の活躍へと繋がってゆくのですね。
初舞台に始まった此の年の女優以外での詳細に関しては過去ログを参照して頂くとして、特筆すべき活動を挙げてみます。前年10月からレギュラーMCを務めていた「フェイク・オフ」は3月まで続き、終了後も数々のバラエティ番組で弾けまくる片瀬クンを観る機会が益々多くなりました。そんな中でも7月3日に放映された「サラリーマンNEO:セクスィー部長」でのエロ男爵との「息が合い過ぎたコント」は必見です。此の年の初頭(1月19日)「笑っていいとも!」のテレフォン・ショッキングに中村雅俊さんからの紹介で二度目の出演を果たした際に、片瀬クンが繋いだのがエロ男爵でした。4月からはエロ男爵担当だった「女子マネちゃん」が片瀬クン担当に変わり、「セクスィー部長」を経て、「2トップ」と呼ばれた「地獄の沙汰はヨメ次第」での共演へと繋がります。中学時代の憧れの人と公言し「できちゃった結婚(2001)」や「なな色のアフリカ(2005)」で関わりがあったエロス・沢村一樹さんと、最も濃密に絡み合った時でした。エロ男爵は其の機を逃さず、
「片瀬、お前の裸はもう見えているっ」とまで云い放ち、「下ネタは苦手」と語る片瀬クンを調教してゆくのでした。恐るべし、エロ男爵。いや、もう此の当時には「沢村一樹=エロ男爵」は衆知の事実で研音の若手女優に避けられていたのですから、敢えて「友達の輪」へと誘った「片瀬クンのオヤジ殺しな手練手管にエロスも落ちた」と見るべきかもしれません。「セクスィー部長」は先日(2010年4月21日)DVD化され片瀬クンが「大宮のホステス」を嬉々として演じた姿も収録されましたので「是非ごらんになって下さいね☆」(懐かしの女子マネちゃん声で)
「暴れん坊ママ」で終ったはずの此の年の12月に、片瀬クンは間髪入れずに翌2008年新春に放映される主演作「ミラクルボイス」の撮影に臨んでおりました。更に、クリスマス・イブにはJ-WAVEでラジオ・ドラマ「一番小さなメリークリスマス」が放送されます。片瀬クンは、ヒロインの斉藤恵を当然乍ら声だけで演じました。作品内容は「つまらないエロドラマ」ですが、果敢にも声優に挑戦した志は好しとすべきでしょう。片瀬クンは語り部としてもなかなかの技量を持っていて、其れは翌年の紀行番組などで大いに発揮されます。
あっ。そー云えば此の年には宿敵「FRIDAY」による久しぶりの「13日の金曜日」攻撃もありましたね。片瀬クンは謝罪文を書き、発売日翌日の名古屋でのトークショーでも深々と頭を下げてファンに謝罪しました。此の件で、スタッフ側は社長を始めとして関係者への謝罪しかしなかった。片瀬那奈本人だけが、真っ先にファンへ謝罪したのです。ハッキリ云いますけど、那奈ちゃんがあんなにも潔く、大昔の事で僕たちに頭を下げる必要なんてなかったよ。ファンに謝罪すべきだったのは、スタッフです。片瀬クンを守るのが、貴方達の仕事だろ?肝心な時にスポンサーにヘコヘコするだけなんて、一体何をやらかしてんの。あたくしは、此の件で「チーム片瀬」とかほざいてる連中への信用を根底から失ったのよさ。
叩いてもなかなか埃が出ない片瀬クンが大昔のプリクラなんぞを引っぱり出されてしまったのは、其れだけ「片瀬那奈が再びのし上がって来た」との証明にもなりました。馬車馬の如き片瀬クンの活躍は、更に加速度を増し乍らつづきます。
(小島藺子/姫川未亜)