新聞のテレビ欄に「大瀧詠一」の文字を見つけて、思わず録画予約したのはテレビ東京の「ミューズの晩餐」です。内容は鈴木雅之さんが大いに師匠を語ると云うモノで、コアなナイアガラーにとっても満足出来る良質な番組だったと思います。
今年(2010年)のナイアガラ記念日(3/21)には、以前に記事にした「大瀧詠一(通称・ファースト)」の新録カヴァー盤の他にも「大瀧詠一 Song Book I」の増補改訂盤や新たなカヴァー集、更にはアノ「TATSURO FROM NIAGARA」の改訂盤までも出しやがったわけで、一見、「おいおい、1970年代の狂想コロムビア時代の再来かっ!!」と思わせるのですが、勿論の事ですが「師匠の新録は欠片も無いっ!」ので御座居ます。正に「仙人」の道を突き進むばかりなのだ。
然し乍ら、大瀧師匠こそが「我が師」と思う輩は、五万節の様に存在します。何故なら、日本の大衆音楽界に於いて「眞の芸術家」と云えるのは「大瀧詠一」しかいないからなのです。今でこそ寡作を超えた世捨て人の様に新作を頑なに発表しなくなった師匠ですが、かつて、鬼の様にアイドルさながらに新作を連発していた時代が在りました。其れが例え契約上で仕方無くやった事でも、師匠が世に出した作品は時を超えて遺ったのです。
ジョン・レノンやジョージ・ハリスンだって隠居したのですよ。名作なんて生涯で壱枚創れれば大成功なのよさ。ずっと創作しちゃってるポール・マッカートニーが「変」なのです。音楽みたいなもんは、古いものの方が好いのだ。師匠はオールディーズになりたかったのでしょう。確かに今や大瀧作品は「古典」です。鈴木サンが熱唱した「Tシャツに口紅」を聴いて、なんとも云えない感動に包まれました。本当に、好い曲だ。でも、僕は発表された当時には、此の曲の素晴らしさが理解出来ませんでした。歳を重ねて、恐るべき名曲だと思ったのです。
本当に欲しい音楽や、絶対に失ってはいけない音楽は、もう既にすぐ近くに在る。其れでも、僕は新しいレコードを買います。但し、其れは決して「2010年に創られた音楽」ではありません。未だ聴いたことがない音楽が「新曲」なんです。そして、最もステキな新曲は、何度も繰り返し聴かずにいられない音楽です。だから僕らは其れを、ずっとそばに置いて居るのでしょう。
(小島藺子)