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2009年11月29日

「夢みる歌謡曲」第那奈章: 片瀬那奈がきこえる
#075:「赤道小町ドキッ」

Belle〜カネボウ・ヒット・ソングス 赤道小町ドキッ Shiny GATE(DVD付)


片瀬那奈のシングルは、第四弾予定だった「タイトル未定」から明らかな迷走を繰り返します。結果的には「Necessary / EVERY***」として世に出た作品の経緯に関しては既に書きましたが、カヴァー路線に向かい結果的に最後のシングルとなった「禁断のテレパシー」にも紆余曲折があったと思われます。

3月10日発売の「ミ・アモーレ」に続いて、1980年代アイドル歌謡のカヴァーでもう壱枚シングルを間髪入れずに3月31日発売し、更にカヴァー・アルバムを4月21日にリリースすると云う怒涛の展開は年明けから予告されていました。「ミ・アモーレ」に関しては発売よりも一ヶ月以上も前から実演でも披露されていましたので確定だったのですが、他の楽曲に関しては情報が交錯します。

此の「赤道小町ドキッ」は、山下久美子サンが1982年に放った大ヒット曲(オリコン最高位2位)で、作詞/作曲は松本隆/細野晴臣の「元・はっぴいえんど」です。と云うよりも当時大ブームだった「YMO」系のテクノ歌謡の代表曲と云った方が好いでしょう。何故此の作品を取り上げるかと云えば、一部の音楽サイトやCD店の店頭POPで「片瀬那奈カヴァー第二弾!赤道小町ドキッ」と堂々と告知されたからなのです。

片瀬音源で幻とされるのは、正式告知があった「タイトル未定(AVCD-30494)」と此の「赤道小町ドキッ」です。片瀬那奈のカヴァー路線は結果的には「Extended」として那奈曲入りのミニアルバムで発売されますが、常識的に考えて那奈曲しか候補曲が無かったとは思えませんし、実際に多くの楽曲が録音までされて選曲されたとするのが自然です。全く其の存在を明かされていない候補曲まで踏み込む事は不可能ですが、此の楽曲の様に正式告知があった作品は考察すべき物件でしょう。

残念乍ら、片瀬那奈による「赤道小町ドキッ」は告知のみしか未だに存在が確認出来ません。正に「幻のカヴァー曲」として語り継がれる「謎の音源」です。確かに告知があったと云う事実は「最終候補曲」として残った楽曲だったと想像させます。では、何故お蔵入りになったのか?勝手に想像すると「同じくカネボーCM曲だった『Rock’n Rouge』と『C-Girl』もカヴァーするのに三曲じゃ、赤ら様過ぎるだろ?松本の作品も被るし、元々テクノな楽曲じゃカタセ式なアレンジも目立たない。其れに、山下久美子はアイドル歌謡じゃないじゃん」とか色々とあったのかもしれませんね。

問題は、またしても制作上の迷いが露呈してしまった事でした。今にして思えば、2004年初頭には既に水面下では着々と「女優復帰」が画策されていたのでしょう。「歌手・片瀬那奈」は、最終局面に立っていたのです。


(小島藺子)


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「夢みる歌謡曲」第那奈章: 片瀬那奈がきこえる
#074:「渋谷 eggman」

片瀬那奈 2004年度カレンダー


2004年3月23日(火)@渋谷eggman
(BS日テレ「Bring Back! MUSIC!」公録)

セットリスト

(黒地に白模様、黄色のフリル付きTシャツに黒いパンツ、ダンサーは女性ふたり)
 01. EVERY***
 02. ミ・アモーレ


2004年3月の片瀬那奈は、5日〜6日の「777 Vol.2〜3(@六本木Velfarre〜名古屋 cafe abime)」を皮切りに、13日には昼に秋葉原でニッポン放送「赤坂泰彦のサタデーリクエストバトル」公開生放送、同日夜は代々木VIVIDでFM FUJI「JUNGLE PARADISE」公開生放送、15日に幕張でBay FM「BAY COMFORT」出演、翌16日には有楽町でTOKYO FM「HAPPY GO LUCKY」公開生放送、20日に名古屋で中京テレビイベント「EXPO MUSIC PARK 2004」に出演、23日に渋谷eggmanでのBS日テレ「Bring Back! MUSIC!」公録、25日は代々木VIVIDでFM FUJI「JUNGLE PARADISE」公開生放送、26日に幕張でBAY FM「SURFSIDE FM FINAL PARTY」公開生放送、27日に横浜でT-FM 三井アウトレットパーク「LIVE PICNIC」公開収録、29日には渋谷NHKホールで「POP JAM」公開収録、と正に「毎日、那奈ちゃん☆」な日々を駆け抜けます。

其の中でも衝撃的だったのが此の渋谷eggmanでの公開録画実演でした。出演が公録まで一週間を切った時点で公表されたと記憶して居りますが、僕らが2004年3月23日(火曜日)の夕方16時から始まった公録に参加したのは、なな、なんと前日(22日月曜日)の夕方に当時の片瀬担当チーフマネだった青うにょ師匠からの直電で誘われたからだったのです。職場で電話に出た僕は「未亜サンはいつも片瀬のライヴに来て下さってますので、御都合が宜しければいきなりですが、明日来て頂けませんか?」との呼び掛けに、後先考えず「はい!大丈夫です、喜んで参上いたします」と応えてしまったのでした。其れは、参加した多くの仲間もおんなじでした。平日の夕方に渋谷にワラワラと集う那奈ヲタ軍団。ジンちゃんが、アンテツが、うっぴー☆が、育美が、ふうこサン等多くの仲間たちが、仕事や学業を投げ打ってやって参りました。

ライヴハウスでの片瀬那奈は、前回の名古屋とはまた違った意味で余りにも近くに降臨します。歌い踊る片瀬那奈が、ほとんど立ち位置的に観客と変わらない高さなのです。其れは僕が最初に那奈ちゃんを観た渋谷タワレコに近い状況だったけど、アノ時は僕らは大人しく座っていました。アレから壱年近く経ち、僕らは当然乍ら最初から総立ちです。邪魔な椅子なんかもう無いんだもの。

ライヴハウス仕様でラフなスタイリングで登場した片瀬は、名古屋同様に狭いステージを考慮したのかテバサキ5も二名だけの三組で二曲を披露しました。其の模様は「Bring Back! MUSIC!」で放映されましたので、如何なる状況だったのかは御覧になった片はお分かりでしょう。「ミ・アモーレ」に関して云えば、此のスタイリングでのパフォーマンスの方が個人的には圧倒的に好きです。番組ではMCも一部流れましたが、流石に余りにも至近距離で歌う事で那奈ちゃんは相当に照れています。

番組ではカットされた実演後のMCで「平日の夕方に集まって戴いてありがとう、2曲でゴメン!」と片瀬那奈は云いました。でも、僕らは充分に満足だった。未だ明るい渋谷で僕らは大いに那奈ちゃんを語り合いました。「来週はもう次のシングルが出るね!」「アルバムだって一ヶ月もしない内に出ちゃうんだよ」「次の『777』は何処でやるんだろう?」「明後日は代々木だね」「ところで、アンテツは幾ら貢いだのよさ」等々、未来は光り輝いて居ました。そして片瀬那奈は其の後も実演を続けます。でも、其れは「777」では無かった。僕らは何も知らず、只只「那奈ちゃんと毎日逢える夢の日々」に酔っていました。


(「THANX 4 うっぴー☆」:小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 01:34| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする