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2009年11月15日

「夢みる歌謡曲」第那奈章: 片瀬那奈がきこえる
#066:「NANA KATASE WEEKEND FEVER 777 Vol.1」

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2004年2月6日(Fri.) @六本木 velfarre / TOKYO

1st stage (銀のレザー)
 01. Change this World〜 GALAXY〜A・I・O〜 MY LIFE
 02. Communication〜 Babe

DJ:NANA

2nd stage (ピンクのつなぎ)
 03. Every ***
 04. Necessary(→退場)
 05. Babe-Huge remix-(BGM、プロモ・コラージュ最新版映像)
 06. ミ・アモーレ(Meu amore...)(初披露、黄色のミニ)


「セレカジガールズ大集合!金曜イチオシのスペシャルデイ!華々しくここにデビュー!片瀬那奈と新たなパーティースタイルが全国を駆け巡る!おしゃれ娘が創るハッピーワールドに話題集中!更にスペシャルゲストの登場もあり見逃せない一夜になりそうな予感・・・。」(告知フライヤーより)

鳴りもの入りで始まった片瀬の冠イベント第一回は、DJ TIME(TETSUYA / YAMAMI と NANA=片瀬那奈)と、LIVE(片瀬那奈、ゲスト:Tommy☆angels)で構成されました。僕は例によって有給を取って昼前には現場へ到着したのですが、既に一人待機して居る若いファンの男の子が居ました。実は其の前の六本木velfarre X'mas Event「Supa☆Star」の時も開場の五時間前位に現場に行ったのに、其の若い男の子が既に居たのです。其れで此の時は6時間前には並んだのだけど、もう居たのでした。「こいつ、一体何時から待ってたんだよ、、、」と思ったものです。結局、其の後もどんなに早く行っても六本木velfarreに関しては一番乗りは出来ませんでした。「ヴェルファーレのイベントに早朝から並んで居る326似の青年ファン」としてファンの間では有名になった彼は、当時は「326(ミツル)」と呼ばれて居ました。ま、当然乍ら「イコ命名」ですけどね。後に、彼(ま、トモくんなんだけどさ)が「あの、皆さんは片瀬那奈ちゃんのファンの方々ですよね?」と声を掛けて来て仲間に入ったので、あたくしが「何であんなに早くから待ってんの?チミ、いつも朝から待ってるでしょ?」と訊ねたら、トモ教授は「だって、最初から待って無いと、定員オーバーとかで那奈ちゃんに逢えないかもしれないじゃないですか!」と当たり前の様に云い放ったので、かなり吃驚したものです。「はぁ?おまい、那奈莫迦もええかげんにしなさいっ!」と呆れ返りました。正直、那奈ちゃんファンの言動で本気で呆れたのは「アンテツの諭吉10人事件から始まる常軌を逸した貢ぎ活動」と「育美、留学ヤメました宣言」と此の「トモくんの大莫迦発言」位です。おまいらさ、どーかしてるって、、、ま、あたくしに云われたく無いだろうけどさ。

イベントは有料だったはずですが、僕はまたしてもペア・チケットをネット抽選で入手して居て(思えば、那奈ちゃんの歌手時代有料イベントの半分以上は抽選で当選して無料招待でした。ツイテたね)、「Tommy☆angels を観たい!」などと云う奇特なガールフレンドと一緒に行く予定だったのだけど、直前で彼女が行けなくなったので「顔見知りの那奈ちゃんファンで壱番最初に来た片を招待します」と公式BBSで呼び掛けました。それで僕の次の三番目に現れたのは育美だったので彼が当選したのだけど、続いてケンジが来て、訊けば愛媛県から此のイベントの為に有給を取って上京したケンジは在京の同世代の育美と待ち合わせして居て、現場に誰も居なかったので一緒に六本木ヒルズとかを見学して居たらしいのです。(「ヒルズに野際陽子サンが居ましたよっ!綺麗でした、俺等、野際サンならアノ年齢でもアリ!ですよっ」等と20代前半の二人が興奮して語って居た記憶が在ります。)当然、現場に最初に到着したのは早朝に来たケンジの方で、僕と対面したのがたまたま育美の方が早かっただけだったと後で判明しました。ま、「育美はラッキーボーイ」だったからね、、、(「育美はラッキーボーイ伝説」に関しては、後にじっくりと語ります。)

何しろ那奈ちゃんがどんなイベントを企んで居るのか等「いたいけな那奈ちゃんファン」には知るよしも無く、只只「片瀬那奈」の名の元に全国から集って来たわけです。アンテツ、ふうこ、ジンジン等の顔見知りなファンも集まり、いざ会場へ向かったものの、以前の様にすぐさまステージ前に殺到する雰囲気では無かったのです。フロアは無人で、カウンターバーやサイドテーブルで此れから何が起こるのかを待機する状況でした。最初に前座の前座としてデビュウ前のハーフっぽい女の子が洋楽カヴァー曲を熱唱した様な記憶も在ります。フロアに全く観客が居ない状態でサウンドチェックも兼ねた様な感じで歌った彼女は、シュガーちゃんこと現在の佐藤チーフマネ(当時、那奈ちゃんファンは「黄うにょ」と呼んでいました)が無人のフロアからハンディカムで撮影して居たので「おそらく研音の練習生なのだろう」と推測したのですが、其の後に星村麻衣ちゃんのバックコーラスも務めて居ましたので、ズバリ云って其の通りだったのでしょう。そんな初っ端から察せられた通りに「777」は会場こそはavexの拠点だったものの、研音主導のイベントだった様でした。本番の前座は「Tommy☆angels」でしたが、研音所属だったブリリアント・グリーンのトミーが当時ユーロビート路線のソロ活動をして居て、彼女たちはバックダンサーだったのです。どんな進行なのか全く分らなかったので、僕らも此の時点からはとりあえずステージ前に行って、チアガールみたいなショーを眺めて居ました。

DJ TIME を挟んでいよいよ登場した主役の片瀬は、御馴染みの銀のレザー姿で女性ダンサー4名との「テバサキ5」編成で「Change this World」を歌い始めたのですが、其れはワンコーラスで「GALAXY」へ移行し、更に「A・I・O〜 MY LIFE」へと立て続けに4曲をメドレーで披露したのです。挨拶のMCを挟んで「Communication〜 Babe」のメドレーへ繋ぎ、計6曲をメドレーで矢継ぎ早に歌い踊って退場してしまいました。

ふたたび DJ TIME へと移行したのですが、何やらステージと真逆に在る「DJ ブース」に関係者の方々が集まり出したので、僕らも向かいました。そして、DJ:NANA がブースに降臨したのです。片瀬那奈の新たな企みとは、歌手としてのステージと共に「DJ:NANA」としても登場し、イベントを全面的に片瀬色に染める事だったのです。「DJ:NANA」の正体が「片瀬那奈」で在る事は幼稚園児でも分るのですけど、本当に其れが実現した時の衝撃は未だに忘れられません。何故なら、そんな事は在ってはならない事態だったからです。いきなり那奈ちゃんに皿を回されても、ファンは戸惑うしか無かったのです。

CDJやターンテーブルを駆使し、実際にステージよりも低い真っ正面の至近距離で片瀬那奈が皿を回し始めたのですから、もう大変な事になってしまいました。会場を埋め尽くした大半は「片瀬那奈ファン」です。彼等は「那奈ちゃんが歌うから」との理由で、片瀬の歌手転向後に生まれて初めてクラブに足を踏み入れた者が大半でした。クラブでのステージだけでも戸惑って居たのに、片瀬自身が「DJ」として登場したのです。全て洋楽のダンス・ナンバーで間には効果音等も挟んだ「DJ:NANA REMIX」は、かなり本格的なモノでした。しかし、観客は呆然と立ち尽くしヘッドフォンを掛けてまっすぐにCDJやターンテーブルを見つめ真摯に初DJに挑んで居る片瀬那奈を凝視して居ました。約一ヶ月前のイベントで「ロケットマン」が皿を回しても気付かずに踊って居た僕も、流石に片瀬那奈に回されたのでは事情が違った。「必死で皿を回す片瀬と、其れを只観て居る事しか出来ない片瀬ファン」と云う異様な光景が展開されたのです。踊って居る観客は、ほとんど皆無に近かった。

驚愕の「DJ:NANA」を終えた片瀬は、再度ステージに登場し「歌のおねえさん」ファッションで「Every***」と「Necessary」の最強両A面シングル曲を熱唱し、ダンサーのコーナーを挟んで衣装替えをして現れました。目が眩む程に鮮やかなイエローの露出過多なミニで降臨した片瀬は「ミ・アモーレ」を発売から一ヶ月以上も前に初披露します。出だしの低音ヴォイスに、僕らは衝撃を受けました。其れまでの片瀬は高めの可愛いテレパシー・ヴォイスを売りにして居て、ファンは「那奈ちゃんは可愛い高い声の歌い手」と認識して居たのです。明らかに其れまでと違うオクターブ下のアルト・ヴォイスは、実は片瀬の地声により近い音域なのですが、ファンはまんまと騙されて居たのでした。

其のグラビア時代以来のビキニに近い衣装以上に、僕らは「片瀬那奈の低音」に吃驚して居ました。其れを確認した片瀬は「してやったり!」とばかりに、僕らを見てニヤリと笑ったのです。片瀬那奈の2004年が、確かに始動しました。其れは歌手転向時をも上回る「ファンへの裏切り」でした。「777」とは、「男性向けのグラビア・アイドル:女優」から「女の子のファッション・リーダー:歌手」に転身した時に振り落とされたファンの中から懸命にサバイバルして来た古参ファン残党を、更に脱落させる為の「地獄の関門」だったのです。「其処に那奈ちゃんが居るから行くのだ!」と純粋なアイドリアン気質で向かった多くの古参ファン残党にとって「クラブで歌うだけじゃなく、DJも自分でやって、新たなパーティーをセレカジガールで盛り上がろう!若い女の子集まれ!!」なるイベントは、つまり「野郎の古参ファンはイラネ!」と云う事なのです。実際に、歌手転向とはグラビア卒業と共に始まって居り、片瀬の掲載誌は「女性ファッション誌」を中心に変わってしまいました。古参男性ファンは、恥ずかしさに堪えて片瀬が連載する女性誌を購入して居たのです。「那奈ちゃんが好きだから!」との純粋な気持ちが、僕らを「何でも在り!」へと向かわせます。「女性限定イベント」等も多く開催される様にもなって居ました。其処に来てフライヤーにもハッキリと「セレカジガールズ大集合!」なんぞと謳われたのでは、男性ファンの居心地は悪くなる一方です。

然し乍ら、ピクチャー・レーベル多種封入りとか「こんな格好するのは久しぶりだから」と片瀬に云わしめた「ミ・アモーレ」の衣装は、明らかに男性ファンを意識した戦略でも在ったのです。そもそも「777」のコンセプトとカヴァー路線は相反する展開でした。何かが狂って来ていました。但し、「777」の「ステージとDJを全て自分でこなす」と云うコンセプト自体は、片瀬自身が望んだカタチだったと思います。何にしろ、またしても片瀬那奈は「ファンを置き去りにした」のです。「777」を敢行し、片瀬那奈は古参ファンを全て捨てました。此れは、歴史的な事実です。されど、那奈ヲタは「片瀬の変遷を感受する事が、愛なのだ」と思い始めたのでした。常にファンを裏切りつつ成長する片瀬那奈が進む道を、此れからも見守りたいと誓ったのです。

「777」が終った夜、僕らは朝まで語り合った。如何に那奈ちゃんが素晴らしいのかを、何故、那奈ちゃんじゃなきゃダメなのかを、大いに語りお互いにファン自慢なんかもしたのでした。楽しかったナァ。其の時にアンテツが云った。「未亜さん、アノ『月刊・未亜』って読んだんですけど、面白かったですよ。未亜さんが公式BBSで書いてる様な那奈ちゃんの活動をまとめたサイトなんかが在ったら好いですよね。那奈ちゃんのサイトって、もう全然無いんですよ」と。僕は「へぇ〜、那奈ちゃんのファン・サイトって今無いの?じゃあ、僕らで創っちゃおうか?」と応えた。2004年初頭、遂にデビュー時から更新されて居た彼女のファン・サイトは全て閉鎖されて居ました。此処が立ち上げられた2004年12月には「片瀬那奈のファン・サイトは皆無」だったのです。其れは、2009年の現在でも「Yahoo ! Japan」の検索で公式と此処しか登録されて居ない事実からも御理解戴けるでしょう。そして、もう二度と「那奈ちゃんのファンサイトが此の世界から消える」なんてバカげた事は起こらないと、断言します。あたくしが云うんだから、かなり信憑性が在るんじゃないかしら?


(小島藺子/姫川未亜)

posted by 栗 at 00:07| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする