
Lyrics:NANA KATASE
Music:Anthony Mazza / Ron Harris / Requel Grassono
Arrangement:k-muto
Advisory Produder:Cobra Endo(Mugen)
Mixed by Dave Foad
品番:AVCD-30445/B、AVCD-30424
発売日:2003年2月19日
片瀬那奈のセカンド・シングル『Babe』は、全6作在るシングルの最高峰です。其れは、此の作品の潔さからも云えます。片瀬のシングルは、4作が基本的にはオリジナル曲で、2作がカヴァーです。其の内、最後の2作カヴァーは「廉価でタイトル曲と其のリミックス&カラオケのみを収録した通常版のみ発売」と云う「片瀬那奈ヲタを愚弄した商品」でした。「今度は何種のレーベルで出るんだ?預金を切り崩してでも全種ゲットだぜっ!」と燃え盛った那奈ヲタのパッションは収まらず、トンデモな展開へと進みますが、其れは後に語りましょう。其れまでの4作に関しては全て好く出来ていたものの、デビュー盤が「トリプルA面」で3枚目と4枚目が「ダブルA面」なのです。「好い曲ばかりでお得ですよっ」ってなわけですけど、其れは「リード曲を決められなかった」って事でも在るわけです。
つまり簡単明瞭に云うならば、片瀬那奈の全シングル中で「B面曲」が存在するのは『Babe』のみなのです。シングル盤とは「A面で恋をして、B面でうなずく」モノなのよさ。そして「B面曲はアルバム未収録」って「暗黙のセオリー」も遠い神代の時代から在るのですよ。其れをキチンと守っているのが、セカンド・シングル『Babe』です。故にカップリングされた「MY LIFE」と「for you」は、どちらも名曲なのにアルバム未収録となり、後にベスト盤で初めてアルバムに収録されたのでした。シングルのタイトルも『Babe』とA面曲のみの表記になっていて「潔い!」です。やっぱ、片瀬那奈は潔くなくてはなりません。
「MY LIFE」と「for you」は、おそらくアルバム『TELEPATHY』セッション中に同時進行で録音された楽曲でしょう。セカンド・シングルに収録されなければ、アルバム『TELEPATHY』にスンナリと収まっていたはずです。もっと云うならば、シングル『GALAXY / TELEPATHY / FANTASY』『Babe』『Shine / REVENGE〜未来への誓い〜』の三枚のシングルからアルバム『TELEPATHY』までの半年間は綿密に計画された流れで、全てが同時進行で制作されていたと思われます。ゆえに、アルバム『TELEPATHY』までの全曲を「TELEPATHY SESSIONS」と捉えて考察しましょう。
つまり片瀬の第一期音楽活動は、「TELEPATHY SESSIONS」〜「TELEPATHY LIVE」〜幻の「SECOND ALBUM SESSIONS」(『Necessary / EVERY***』のみ発表)〜「SHiNY GIRLS LIVE」〜「Extended SESSIONS」〜「777 LIVE」〜「Extended LIVE」〜「Reloaded SESSIONS」と区分け出来ます。そして、最も充実した録音を遺せたのは「TELEPATHY SESSIONS」でしょう。幻の「SECOND ALBUM SESSIONS」時期に体調不良を理由にシングル発売延期になり、片瀬は迷走します。シングル・デビューまで九ヶ月、アルバム発表までなら壱年三ヶ月もの期間、じっくりと制作出来たアルバム『TELEPATHY』セッションは、片瀬にとって今後も二度と実現不可能な「贅沢な時」でした。そんな芳醇な時に彼女が自ら書いた作品は多いのですが、特にセカンド・シングル『Babe』のB面曲(何度も云うけど、其れは即ち片瀬那奈のたった二曲のみのB面曲で在る)「MY LIFE」と「for you」は、かなり直接的かつ具体的に古参ファンや新たな聴き手に対する「片瀬那奈の生身のメッセージ」が示されている重要な楽曲です。
「MY LIFE」は当時としては少し前のハウスを下敷きにしたトラック(作曲は欧米人チームになっていますが、真偽は不明です)に乗せて、当時21歳にして「片瀬が己の人生観を語ってしまった」トンデモ楽曲です。思えば片瀬は16歳から芸能界にいたのですから歌手転向時には、既に「芸歴6年目」の中堅アイドルだったわけです。片瀬那奈は、在る意味、既に「完成」しており、確実に「最初の全盛期」を経験していました。若干19歳で「三代目きれいなおねえさん」になり「月9ドラマ」にもレギュラー出演していたのです。グラビア誌でも常連でした。順風満帆な「押しも押されもしない中堅アイドル」となった彼女にとって、其れは「此の侭で好いのか?」と悩む時期でも在ったのでしょう。「歌手転向」とは、其の安定した場所を捨てて「新たなる未知へと踏み出した時」でした。
次作シングル「Shine」等でも顕著に表される片瀬の作詞テーマのひとつに、未だ二十歳そこそこだったのに「過去が在ったから今が在る」と云う「自分史への絶対的な全肯定」が在ります。片瀬は自作歌詞で常に「アノ頃は好かったナァ」って後ろ向きでは無く、逆に「失敗も在ったけど、乗り越えて来たかけがえのない過去が在ったからこそ今が在る。だからきっと、全ては未来へ繋がる」と主張します。最早、片瀬は悟ってしまっているのです。「MY LIFE」の「ハプニングさえも 強さに変え」との一節を聴いた時に、ファンは「アノ伝説のデビュー」を思い出さずにはおれなかった。個人的には、かなり衝撃的な歌詞でした。「片瀬は本音を歌っている」と、デビュー以来のファンなら気付く「必殺のフレーズ」です。ファンは、片瀬の歌には「真実」が在ると、己の経験から書かれた「コトノハ」だと理解したから、心に響いた。「歌手なんかやってないで、女優道を突き進めっ!」と思っていたあたくしの気持ちも変えてしまった。
其れは、「ジョンの魂」や「PET SOUNDS」を初めて眞に理解して聴いた時と「全くおんなじ感動」でした。あたくしにとって、アルバム『TELEPATHY』セッションは「永遠のマスターピース」となりました。何故なら、其処には「片瀬那奈の魂」が在ったからです。「21歳の片瀬那奈の全て」が在りました。そんな作品を聴いて、感動する以外にないじゃないか。だって、あたくしは「アイドル:片瀬那奈」の大ファンだったのだよ。其のアイドルが、やってくれたのです。音楽活動を始めた彼女は、軽やかにアイドルを超えた。片瀬那奈が音楽活動をしていなければ、此処は存在していません。彼女の音楽を聴いて初めて「生身の片瀬那奈」に出逢えたんです。だから、のめり込んだ。其れは、中学生の頃にビートルズに出逢って以来の出来事でした。正直に云えば、まさか「アイドル:片瀬那奈」に其れをやらかされるなんて、思っていなかったよ。
確かにジョン・レノンも25歳で「IN MY LIFE」を歌った。ブライアンが「PET SOUNDS」を創ったのは若干23歳の時です。実演で披露する際に、片瀬は地団駄を踏みながら此の曲を歌いました。もがき苦しむ様なアクションで「あたしの人生」を表現したのです。片瀬那奈は、21歳で「MY LIFE」を本当に歌ってしまったのです。少なくとも片瀬那奈は、既に若干21歳で「己が生まれて来た意味」を、確かに知っていました。只只、眩しかったよ。涙が出た。銀河系に向けて、咆哮したかったよ。「見つけた」って、思った。あたくしも「己が生まれて来た意味」を、片瀬那奈に出逢って知ったのです。
「う〜む、やっぱ、御本尊様は凄いナァ。」(小鉄声で)
(小島藺子)