nana.812.png

2009年07月12日

FAB4-089:DRIVE MY CAR

ラバー・ソウル Doll in the Box


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(10/13、25)、ロン・ベンダー(10/26)
 録音:1965年10月13日(take 4)
 MONO MIX:1965年10月25日
 STEREO MIX:1965年10月26日

 1965年12月3日 アルバム発売 (「RUBBER SOUL」 A-1)
 パーロフォン PMC 1267(モノ)、PCS 3075(ステレオ)


アルバム「RUBBER SOUL」英国オリジナル盤の一曲目を飾ったポール・マッカートニーが主に書き、ジョン・レノンも協力した「プラスティック・ソウル」で、快作!ジョンが全面的にデュエットし、途中からジョージも加わって過激な三重唱を展開します。ギター・リフを考案したりと、アレンジ面でのジョージの貢献度もかなり高いようです。歪んだ表情のジャケットに衝撃を受け、針を落とし、明らかにオーティス・レディングを意識したイントロが流れた瞬間に、世界は変わりました。「プラスティック・ソウル」とは、つまり「白人が真似した紛い物の黒人音楽」って意味の差別語(ミック・ジャガーを揶揄して云われていたらしい)なのですが、ポールは「I'M DOWN」を熱唱した際に自嘲して「こんなのはプラスティック・ソウルだよ」と何度も云いました。其れが謙遜だった事は、歴史が証明しました。彼等は黒人音楽を愛し、必死でコピーして、其れを超えたのです。其の「偽物の魂」の延長線上に「RUBBER SOUL」は在ります。ビートルズは、「アイドル・ロケンロール楽団」では無く「ロック集団」へと変貌しました。黒人音楽だけでは無く、あらゆる音楽を咀嚼しビートルズ色に染め直し「オリジナル」として発表してしまう荒技に出たのです。

当時の彼等には年間二枚のアルバム契約と云う縛りが在り、世界制覇後の1965年の二枚「HELP !」と「RUBBER SOUL」のステレオ盤はCD化の際にジョージ・マーティンが「こんなんじゃ遺せない!」とわざわざリミックスした程に時間が無かった「やっつけ仕事」でした。其れなのに此のクオリティーです。てか、モノラルは好いんだから、其れをCD化すれば済む話だったわけだが。1965年に、レノン・マッカートニーは旬でした。ジョン・レノンを追いつづけたポール・マッカートニーが、遂に其の背中を視界に入れたのです。永遠に追われる立場だったジョン・レノンの「巨大な人間力」には驚かされます。何せ、彼を最も間近で追ったのは「ポール・マッカートニー」と「ジョージ・ハリスン」だったのですよ。「ボブ・ディラン」や数多の後塵楽団も、敬愛していた「キング・エルヴィス」ですら、ジョン・レノンを意識し対抗していました。想像を絶するプレッシャーだったでしょう。

そんな重圧に耐える時、相棒が「彼女が僕にアッシーくんをやれってさ、ピピ、ピピ、イエー!」なんぞと無意味にハモル曲を書いて来たら、ジョンはノリます。ジョンには絶対に書けない「下らない歌詞」で単純無欠の楽曲でしたが、其れが、ジョンは嬉しかったのです。「何でこいつは此処まで莫迦なんだ?女の事しか書けないのかよ?此れじゃビーチ・ボーイズとかの安っぽいホットロッドじゃん。」と呆れ果てながらも、嬉々として協力し歌詞もマシにしようと、結局は合作してしまいました。複雑怪奇な無理矢理で無茶苦茶なハーモニーが、最早「元ネタ」のR&Bを凌駕します。彼等には規制の音楽理論なんてありません。全員、譜面を書けないし読めないのです。意味なんてないんだ。かっこ良ければ好いのだ。ポールはベースのレベルを上げまくり出しました。唸りを上げるベースが完全に主導権を握ります。ビートルズのリーダーは、あくまでもジョン・レノンでした。されど、バンド・マスターはポール・マッカートニーです。そんなバンドが、確かに此の世界には存在していたのだよ。ジョン・レノンとポール・マッカートニーが同じバンドに居て、一緒に曲を書いて演奏して居たのです。

もしもブライアン・ウイルソンがオリジナルの「RUBBER SOUL」を聴いたなら、「PET SOUNDS」は違った作品集になっていたでしょう。ブライアンがドラッグをキメまくって聴き狂った米国盤「RUBBER SOUL」の最初の曲は、英国では前作「HELP !」に収録されていた「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」でした。改変された米国盤を聴いたブライアンは「此れは内省的なフォーク歌唱集だっ!素敵じゃないか!!」と勘違いします。ブライアンは「僕は絶対にビートルズに勝つんだ!」と誓った。つまり、彼はビートルズに恋焦がれてしまったのです。恋愛に勘違いは付き物で、其れが思わぬ展開を生み出すのも此の世の常なのです。大西洋を隔てた恋人同士は相互に誤解を重ねて、前人未到の芸術作品を創ってしまいます。ブライアンは、たった一人でビートルズに立ち向かおうとしていました。其れは「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてジョージ・マーティンを一人で打ち負かしてやる!」と云うトンデモな考えでしたが、ブライアンは挑んだのだよ。1965年の冬、世紀の恋愛音楽喜悲劇が始まったのでした。ピピ、ピピ、イエー!

「あっ。CRISTINA によるカヴァーは、是非、片瀬那奈ちゃんファンにも聴いて欲しい快作です。」


(小島藺子/鳴海ルナ)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする