w & m:
LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ケン・スコット(10/12、21、25)、ロン・ベンダー(10/26)
録音:1965年10月12日(「This Bird Has Flown」take 1)、
10月21日(リメイク take 4)
MONO MIX:1965年10月25日
STEREO MIX:1965年10月26日
1965年12月3日 アルバム発売 (
「RUBBER SOUL」 A-2)
パーロフォン PMC 1267(モノ)、PCS 3075(ステレオ)
ジョン・レノン作の傑作フォーク・ソング。村上春樹氏のベストセラー小説にショートカットされた邦題「ノルウェーの森」は、当然乍ら「誤訳」です。いまどき小学生でも「WOOD」なら只の「木」で、「森」なら「WOODS」だと理解するでしょう。実際の意味は「ノルウェーの木材で作られた部屋」と云ったトコロでしょう。「彼女が住むのは、ノルウェーの木材製で椅子もない安アパート」とか歌っているのです。森の話なんか出てきません。いえ、本当は「彼女は、すぐにやらせてくれそうだぜ( KNOWING SHE WOULD.)」の洒落だとシタールを初めて弾いて大きく此の曲に貢献した「弟分:ジョージ」が明かしています。仮題でも在った副題の「This Bird Has Flown」でもお分かりの通り、作者のレノン曰く「(当時の妻だった)シンシアに分らない様に、他の女との情事を歌にした」のが此の曲です。だから、タイトルの「NORWEGIAN WOOD」には、本来の意味などありません。ジョージが云う通りに「KNOWING SHE WOULD」のモジリだと考えた方が納得がいきます。
アルバム「RUBBER SOUL」は、所謂ひとつの「暗喩」が多様され、より「詩的」な作品集となりました。冒頭の
「DRIVE MY CAR」からしてそうなのですが、つまりビートルズは「SEX」を歌い出したのです。元々「抱きしめたい」と誤訳された時代から「君の手を握りたい」とか色恋沙汰ばかり歌っていたわけですけど、其れは「お気楽な恋の歌」でした。前作「HELP !」あたりから地続きで1965年の彼等は「大人の恋愛」を歌う様になります。もう当時のジョンは25才、ポールも23才です。ジョンとリンゴは既婚者で子持ち、ジョージもパティと1966年1月に結婚が決まっていました。唯一の独身者ポールにも美人女優の婚約者(ジェーン・アッシャー)がいて、彼女の実家に「マスオさん状態」で住んでいましたし、ポールこそが最大のプレイボーイで、既にハンブルグ時代に隠し子までいました。ビートルズは、十二分に成熟していたのです。
彼等のアルバムが其の作品を象徴する「ジョン・レノンの自信作」から録音されるのは、解散状態になるまで続く恒例です。アルバム「RUBBER SOUL」は1965年10月12日に録音が開始されますが、其の日に取り上げられたのはアルバムの最後に収められる
「RUN FOR YOUR LIFE(浮気娘)」と此の二曲のジョン・レノン楽曲でした。しかも、後述する様にジョン自身が「駄作だ!」と断じる(ファンはそうは思いませんが)「RUN FOR YOUR LIFE」を四時間半かけて完成させ、立て続けに此の楽曲のリハーサルと第一テイク(ボツ。「アンソロジー 2」で聴けます)だけに同じく四時間半も費やしたのです。結局、其れに納得しなかった彼等は九日後にリメイクし、公式盤で聴かれる幻想的な作品を完成させたのでした。つまり、此の楽曲がアルバム「RUBBER SOUL」の方向性を決めたのだと思えます。
シタールを初めて本格的に導入した楽曲で、前述の通り奏でるのはジョージ・ハリスンです。ジョージは後にシンセサイザーを初めて導入する事にもなりますが、そんな新しモノ好きな楽器ヲタな弟分を乗せて自作に活用するのが「ボス:ジョニー」の得意技でした。シタールやタンブーラなど印度楽器を使った楽曲で印象的で有名なのがジョージ作の印度音楽風な其れよりも、ジョン・レノン作の此の曲や
「TOMORROW NEVER KNOWS」や
「ACROSS THE UNIVERSE」等である点に注目しましょう。其処に「ジョン・レノン」の才気が在ります。ジョンはあくまでもシタールを自分の世界に取り込む方法を選択しました。ウブなジョージは、一聴すると印度音楽にしか聴こえない楽曲(ちゃんと聴けば、ジョージ作の印度風音楽がオリジナルでラガー・ロックの創造だった事実に気付きますが、当時はそんなもんは存在しなかったのですよ)になってしまったのだけど、ジョンの其れは「レノン節」なのです。此の楽曲など、其れまでに全くなかったはずなのに「大衆音楽」としても成立しています。其れはジョンの書く旋律が美しいからです。通常の音楽理論からは外れまくっているのに、ジョン・レノンが書く曲は自然で美しい。其れが「世紀のメロディー・メーカー」と称される相棒ポールには真似が出来ない才能でした。音楽一家で育ったポールには基礎が在り、ちゃんとギターが弾けたのです。ところが、ジョンは母親に習ったバンジョーのコードでギターを始め、曲作りも完全なる我流で、つまり「なんでもあり」なのだ。
此の楽曲にはビートルズの不可思議な部分が露呈しています。我流で書いたジョンの新曲に、史上初でジョージがシタールを導入します。其れだけなら、滅茶苦茶になったかもしれない。でも、打ち合わせも無しに寄り添う様に完璧なハーモニーを付けるポールがそばにいました。どんなにジョンが「ボブ・ディラン」以上の何かを目指しても、其れを許さない相棒が軌道修正します。そして、其れをジョンも望んでいました。何よりも彼自身の美しい旋律が、其れを証明しています。ジョンが書いた曲は、限りなく無垢で美しい。多くのカヴァー作品を聴けば分かるでしょう。しかも、ジョン・レノン作品は彼自身が歌わなければ眞の美を放ちません。例えば、ディラン作品はカヴァーの方が有名なものも多く、其れはディランがソングライターとしても優れている事実を教えてはくれます。でも、本人しか歌えない曲しか書けなかったジョン・レノンこそが「本物のシンガーソングライター」だと、強く思います。
(小島藺子/鳴海ルナ)