「うるぐす」を録画しながら観て、チャーリー・ブラウンみたいに「ためいきばかり」になってしまった。
盟友:エッチューさんが語った様に「リングで死ぬ」なんて有り得ないレスラーが、三沢光晴だ。絶対に有り得ない事だって、僕らは信じて居たはずだ。生で彼の試合を一度でも見た事が在るのなら、誰もがそう思って居ただろう。徳光さんは解って居るよナァ。「プロレスは受け身の競技」と云い切った。「三沢はストロング派だ」と断言した。確かに人間的にも立派だったけれど、そうした「人間:三沢光晴」を讃えるエピソードよりもVTRを観て思わず云った「彼のレスリングは、素晴らしいね」に泣いた。徳サン、ありがとう。
三沢にとって、此の人生の結末は、幸せだったのだろうか?レスラーなら「リングで死ぬ」ってのは理想だろう。かつて、アントニオ猪木の売りは、正に其れだった。「こんなプロレスを続けたなら、なんちゃらかんちゃら」とファンを煽動し、実際に自作自演でホーガンに殺される演技を完璧に演じた。馬場サンは忸怩たる思いだった。「カンちゃんの芝居には付き合ってられんよ」と無視した。
でも、弟子の三沢は怒った。本気で「だったら、俺がやってやるっ!」と誓ったのだ。三沢の道は、馬場サンでは無く、猪木の其れと似て居た。全日の社長になったのに、独立してノアを旗揚げした。日プロを追い出されて新日を創った猪木よりも、三沢の選択の方がリスキーだ。安定した雇われ社長の座を自ら捨てて「理想」に向かったのだから。其れが「私利私欲」では無かった事を、僕ら「プロレス者」は知って居る。どんなに誹謗中傷されても、三沢は最後まで「プロレスは、真剣勝負だ。世間に認知させてみせる!」と闘った。そして、リングで死んだ。
「三沢殉職」の意味は、重過ぎる。漫画じゃないんだぜ。
「あしたのジョー」じゃないんだよ。なんて理不尽な世界なんだ。
一体、誰が三沢を殺したんだ?
(小島藺子)