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2009年06月14日

「僕たちの好きだった革命(改)」福島公演(25/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:00開場、 17:30開演 福島県文化センター 大ホール


JET



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


【続・牧野レポ】

石巻から福島へ。
仙台で一泊し早起きしたので、山形経由で福島入りしました。

なぜ山形に寄ったのかというと、時期的に「さくらんぼ」に間違いない!からです。
「佐藤錦」発祥の地である東根や天童で美味しそうなさくらんぼを購入し、食べながら運転して福島へ向かいました。

福島県文化センターに到着してしばらくすると1台の観光バスが通り過ぎ、窓ガラスから革命メンバーの顔が見えました。
もしかしたら、松島でも観光してたのかもしれませんね。

今日のホールは2階席もありとても大きいです。

まずはシーンゼロ。今日の那奈ちゃんは何するのかな?と待っていると、田鍋さんと伊藤ノリちゃんに近寄りレッスンを、、、
ん、そうです、あの「まどか先生」が福島に戻ってきました。

福島だからもしかして?とは思ってましたが、実際に「フラダンス部」の活動を見れるとは。。。
途中からはGAKUちゃんも加わってましたよ。

さてさて本編ですが、本日もとても素晴らしかったです。
会場演出の都合上、客席を使う場面での動きが他とは少し違いました。

カーテンコールでは、スタンディングオベーションでの大拍手。
すごい盛り上がりです。

雅俊さんが「皆さん、もっとこの作品を好きになってください。そして育てていってください。またこの作品で皆さんに会えると思います。」みたいなメッセージで客席のボルテージは最高潮。
メンバーがステージから掃けて、客席の灯りが点いても誰ひとりとして帰らずに拍手が鳴り止まない。
するとメンバー再登場で例の「シュプレヒコール」を。
その中で那奈ちゃんが1番元気に煽ってたなぁ。。。

福島最高!です。

「フラガール」いわき公演も素晴らしかったけど、「僕たちの好きだった革命」福島公演も素晴らしい。

また福島で「革命メンバー」に会いたいです。ありがとう!


あっ、そういえば福島でも鴻上さんを見かけなかったなぁ。


(うっぴー☆)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「悼む」

PRO-WRESTLING NOAH 三沢光晴 [DVD]


地上波最後のプロレス中継となった「ワールドプロレスリング」を、普通なら余りにも深夜なので録画し翌日に観るのだけど、たまたま夜勤をやって居て、しかも通常より早い「午前1時55分」からの放送だから起きて観る事にした。始まった途端に、画面下に俄に信じ難いテロップが流れた。

「三沢が死んだ?何故だ?!」

最早「ベスト・オブ・スーパー・ジュニア」TV観戦どころでは無くなった。悪夢だ。アノ三沢が岩石落としを喰らった位で死ぬわけないじゃん!封印して居た地元へアクセスした「ノアだけは、本当にガチだった!」「三沢、ありがとーっ!!」等と追悼レスの嵐だった。マジなのか?ネット上のニュースでも「三沢、死す!」と書き立てて在った。「此の気持ちを理解出来る唯一の漢:アンテツ」に、深夜なのにメールした。眠れずに居たら、朝刊が届いた。一般紙なのに「三沢さん、試合で頭打ち死亡」と一面に載って居るじゃないか。コンビニへ走った。スポーツ紙全紙の一面に三沢が居た。

僕が11年前に、年間50興行も通って居たプロレス観戦をヤメたのは、本当は、猪木さんが引退したからじゃなかった。1997年、大好きだった尾崎魔弓が試合中にプラムを殺してしまったんだよ。其の直後に、友人と全日を生観戦した。完全に両腕を決められた状態で三沢が投げられ後頭部で受け身を取った瞬間に、友人が叫んだ。「三沢!もういいよ。もうヤメてくれ!!」友人は泣いて居た。観戦後、彼は云った。「イコさん、僕、もうプロレス生観戦をヤメます。もう見ていられない。」と。彼とは、其れまで五年以上も常に一緒に観戦して居た。関東は全会場、全団体を制覇し、一日に三興行を梯子したり、大阪まで逆密航したりもした。「いつか亜米利加へも一緒に行って、レッスルマニアを観ようぜ!」とまで誓って居た。彼は本当に生観戦をヤメてしまった。ひとりで暫く続けて居たのだけど、猪木さんが引退する事になって、僕もヤメてしまったのです。最後に生観戦したのは、1998年春のJWPの後楽園ホール大会だったと思います。もう尾崎はフリーになってたんじゃないかナァ。でも、逢いたかった。「頑張れよ!尾崎」って伝えたかったんだ。猪木さんの引退興行には、行かなかった。僕も「もう見ていられない」って気持ちになって居たんだと思う。(其れに「片瀬那奈」って云う新たなる希望が出現しちゃったからね。余りにもスムーズに「プロレス」→「カタセ」へと追っかけ熱が移行したのが「1998年」でした。)

僕らは「プロレス者」でした。バーリトゥードもK−1も、世間が大騒ぎする前から研究したけれど、やっぱりプロレスが好きだったんです。其の仕組みなんか、一般人よりもずっとよく解って居ました。生で観れば、分りますよ。其れに書籍も雑誌も新聞も映像作品も、鬼の様に研究したんです。其れでも、プロレスが好きなんですよ。

三沢の想い出なら、沢山在り過ぎる。僕にとっての最高の場面は、大好きな小川直也を子供扱いにした「ZERO ONE」でのタッグ戦です。「三沢、強し!」と思った。技が綺麗だった。受け身の天才だった。新団体を「ノア」と命名した志にも大きく感銘した。死んじゃいけないレスラーだった。悔しくて堪らない。此れでもプロレスは八百長なのか?三沢が死んだんだぜ。悲しくてやりきれないよ。だから、三沢、君に誓うよ。11年振りに、僕はプロレス会場に行くよ。また、始めるよ。此の侭じゃ、あんまりだ。こんな悲惨な結末で、俺が愛したプロレスを絶対に終らせない。

アキトシ!生きてくれ。お前のせいじゃない。合掌。


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:57| Comment(2) | KINASAI | 更新情報をチェックする