w & m:HARRISON
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
録音:1965年2月15日、16日(take 5)
MONO MIX:1965年2月18日
STEREO MIX:1965年2月23日
1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-4)
パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)
いたいけジョージの、ビートルズ現役時代の公式盤で二曲目のオリジナル作品です。そして数在るジョージ・ハリスン作品の中で、あたくしが最も好きな曲です。中学生時代に多重録音してカヴァーした録音まで残っているのです。たぶん、コード進行も簡単だからやったのかもしれないけどさ。録音は1965年2月15日、つまりアルバム「HELP !」セッション初日に、ジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」、ポール・マッカートニー作「ANOTHER GIRL」に続けて行われました。アノ悪夢の「DON'T BOTHER ME」から一年半振りに、遂にジョージの出番が来たのです。テイク5でアコースティックな楽曲として完成した其れに、ジョージは翌日、新たな試みを加えます。相方のリンゴも、カウベルで盛り上げます。
「YES IT IS」でも演奏した「トーン・ペダル(所謂ひとつのワウワウ)」を、辿々しく弾くジョージも、イナタイ曲調も詩も、すがる様な哀願するワンコみたいな歌声も、何もかもが「可愛い」のです。いきなり「君は僕がどれだけ愛してるのか認識してない!」と始め「帰って来て、君が必要さ!」と畳み掛ける「ジャニーズも吃驚の小姓振り」も、此の時代のジョージなら大丈夫。日本人はジョージが好きだけど、ジャニーズも大好きです。そうです、其の通りです。ジョージこそが「ジャニーズの本質を体現した元祖」でも在るのです。何せ、ソロ・デビューまで「苦節15年!」の丁稚奉公だったのですよ。偉大過ぎる「レノマカ」の陰で、寡黙にコツコツと努力し、遂に花が咲くまで「第三の男」呼ばわりされ、ポールにダメ出しされたり、ジョニーに子供扱いされたりして耐えたのだよ。
「ビートルズって、ジョージの才能を開花させる為に存在した大いなる助走に過ぎないんじゃまいか?」と、同志:レコスケ声で叫びたいっ!!(ぜいはあ、、、)
だってさ、好い曲じゃないですか。「ポップス研究家:ジョージ」らしい、甘くドリーミーな楽曲は、明らかに「ブリル・ビルディング系」の王道アメリカン・ポップスの影響下に在りますが、既に此の時期のレノマカには書けなくなっていた(いや、幾らでも書けたけど、もう自分では歌えなくなっていた)永遠の美です。此の甘さが、此の時期の彼等には必要でした。だって「4人はアイドル」だったのですよ。最早、其れを体現出来るのは、ジョージだけでした。だから、あたくしは此の曲を愛しています。此の曲から、ジョージは本格的にスタートしたのです。
彼は生涯、壱度も此の曲を実演で披露しませんでした。彼が自作で披露した最も古い自作曲は「IF I NEEDED SOMEONE(恋をするなら)」で、次作「RUBBER SOUL」からの楽曲です。ベスト盤にも入らなかった。でも、あたくしがジョージの「オールタイム・ベスト」を選曲したなら、絶対に此の楽曲は入れます。「FAR EAST MAN」も入れます。ジョージの名曲群が遺されるのは素晴らしい事です。でも、矢張り、ベスト盤は「ファンがそれぞれ自分で作るモノ」だと思います。では、銀河系中のレコスケたちよ、御唱和下さい。
「ジョージ、愛してる」
(小島藺子/姫川未亜)