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2009年06月08日

「僕たちの好きだった革命(改)」小平公演(21/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:30開場、 18:00開演 小平町文化交流センター


NO WORDS



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「さんぜんえん?」
「がくせい、にせんえん??」
「ぜんせき、じゆう???」
小平町のともだちが、裏山椎名(くりぼう)


「いきなりだナァ」で、突然ですけど「革命」千秋楽まで一気にアップしてしまいました。完売した会場も在りますが、より多くの方々に観て戴きたく思いまして、やってしまいました。

僕が此処を始めた時には「ブログ」とは「WEB上の日記」って認識がほとんどだったんです。通常の「HP」を作るよりも圧倒的に簡単に記事を書ける「BLOG」を「個人の日記」にしか使わないなんて勿体無いと思いました。其れで「COPY CONTROL」を始めた。最初から「片瀬那奈ちゃんと其れに関わる世界の記録」として始めたのだけど、「アングラだ」とか「前衛的でよく分んない」とか云われつつも、何故か其れ也に読まれて居ました。そんな時に「電車男の時刻表」と云うブログに出逢ったのです。未だ「電車男」が「2ちゃんねる」でのみ話題になって居た頃でした。其のサイト(最早、其れはブログを超えて居ました)を見て、僕は「片瀬那奈全記録」を発想したのです。「那奈ちゃんの活動を記録するブログをやってみよう!」と閃いた。

始めてから「そんな芸能人を記録するって発想のブログは他にも無いのかしら?」と探したら、色々と在りました。中でも衝撃を受けたのが、及川クンのファンが此処とおんなじ様な事を同時期に始めて居た事でした。「及川奈央はじめました〜ハダココ〜」ってブログで、現在も更新中で既に64万アクセス位でしょうか。兎に角、只只、及川クンの活動を記録し、先のスケジュールまでドンドンと予告し続けて居るのです。あたくしの様に余計な私見等が無い、本物の記録です。他の記録系ブログの多くが「違法なキャプチャ画像」を貼って居たのに、「ハダココ」には其れが無かったのも驚きました。姿勢が、真摯なんですよ。「及川クンには、凄いファンが居るんだナァ」って感心したものです。其れで、五年間禁じ手にして来たのですけど「ハダココ」のマネをして、うっかり未来までアップしちゃったのよさ。

「革命」とは関係無い話で失礼しました。

あっ。関係在るか。加藤鷹さんの「7000人」の一人は、及川クンだもんね。


(「ケガレシア礼賛」:小島藺子)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」

PS.「革命同志:キム&ハリケンレッド、御誕生日おめでとう。」


(ななごころ一同)



posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

FAB4-074:I'M DOWN

女はそれを我慢できない [スタジオ・クラシック・シリーズ] [DVD] パーマネント・ヴァケイション ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ [DVD]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 7)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年7月23日 シングル発売、パーロフォン R 5305(モノ)


「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」

ポールが敬愛するリトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It / 米 1956)」を観て、一気に書き上げたロケンロール。本国ではシングル「HELP !」のB面に収録され、通例通りオリジナル・アルバムには未収録ですが、他のB面曲とは違い有名な楽曲です。其れは、1965年以降の彼等の実演でラストを飾る曲に選ばれたからでしょう。おそらく、ポールが「女はそれを我慢できない」を観たのは、主演の「金髪グラマー:ジェーン・マンスフィールド」を観たいってモチベーションが音楽面よりも強かったに決まっているのだけど、結果的に「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」に代わる実演最終曲をモノにしました。が、待てよ。此の曲が「女はそれを我慢できない」同様にリトル・リチャード作で在る「のっぽのサリー」に似過ぎてはいないか?と云うか「女はそれを我慢できない」にも似過ぎてはいないか?つまり、

「のっぽのサリー」+「女はそれを我慢できない」
=「アイム・ダウン」じゃないのよさ。
(足して二で割らないのがポイントです。)

ポール、、、またやらかしたのね。此れはもう「潜在盗用」じゃ無いよね。本人がネタバレしてんだもん「『のっぽのサリー』に代わるライヴ最終曲を書こうとして『女はそれを我慢できない』を観たら閃いたんで、一気に書いた」と自白してるじゃん。だから、同日に録音した「卵料理」もみんなに「此れって盗作じゃないよね?」と訊きまくったわけだ。

「ポール、、、天然杉」

奇しくも、此の曲が録音された1965年6月14日は、三曲の「マッカートニー節」の傑作が連続して奏でられました。最初は「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」で、次が此の「I'M DOWN」で、最後が「YESTERDAY」です。フォーク・ロック、ハード・ロック、スタンダード・ロッカ・バラッドと変幻自在な名曲を三タイプも書き分け、続けて披露したのです。ジョン・レノンは嬉しかったでしょう。「お前ら観たか、此れが俺が選んだ相棒、兄弟、ポールの実力だっ!」と祝福するエレピが効果的です。

確かに元ネタはバレバレだけど、他の誰が此処まで「リトル・リチャード」を真似出来るでしょう?ポールこそが、白人最強のハードロック・ヴォーカリストです。エアロスミスやハートによるカヴァーを聴けば、如何にポールが凄いかが分ります。そもそも、リトル・リチャードって天才ですからね。黒人なのに白人の養子になったのは、彼が「同性愛者」だから実父に「お前みたいなオカマ野郎は、俺の息子じゃない!白い奴らにくれてやる!!」って地獄絵図だし、1955年にメジャー・デビューして名曲を量産して、1957年人気絶頂なのにヤメちゃって、神学を学んで牧師になっちゃって、1962年に復帰してって経緯からして「なんじゃそりゃ?」なのよさ。其れで英国ツアーの前座がビートルズだったわけですよ。リトル・リチャードのバック・バンドのギタリストには若き日のジミヘンが参加していたし、ビートルズが前座だった時の鍵盤が未だ10代のビリー・プレストンだったのですよ。みんな、リトル・リチャードの弟子じゃん。

さてさて、此の奇跡の「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」が、時を隔て突如として蘇った事が在ります。其れは2001年、あの忌まわしい同時多発テロで犠牲になった消防士の為に、父親もボランティア消防士をして居た(THE FIREMAN の由来は此れでしょう)ポールが発案し実現した「Concert For New York City」で起こりました。主催者で大トリで登場したポールは、在ろう事か「I'M DOWN」を絶叫し、「YESTERDAY」を歌い、トドメに「LET IT BE」までやらかしました。ポールは慈善公演で必ず「LET IT BE」を歌う事だけでも「おいおい、なすがままに、じゃ解決せんだろ?」とツッコミたくなるのだけど、「アイム・ダウン」で「イエスタデイ」で「なすがままに」じゃ全く救いが無いじゃん!間には悪名高き迷曲「フリーダム」までやってしまいました。「あたしゃカックン!〜昨日は好かったナァ〜自由ばんじゃーいっ!〜なすがままに〜もっかい、アメリカさいこーっ!」ってさ、、、レノンやジョージが観たら怒りを通り越して呆れ果てますよ。でも、ポールはやってしまいました。おそらく本人は「最後に亜米利加でビートルズが歌った曲だよ、最近演奏してなかったし、みんな大喜びさ」とか単純に思ってやったんですよ。

「ポール、全く、お前って奴は、、、」

時間軸を戻し、其の奇跡の三曲「夢の人」「アイム・ダウン」「イエスタデイ」がミックスされ完成した「1965年6月18日」は、ポールの23回目のお誕生日でした。其の時、遂に「レノン・マッカートニー」が完成しました。出来過ぎた様な展開ですが、歴史的事実です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 13:13| FAB4 | 更新情報をチェックする