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2009年06月06日

「僕たちの好きだった革命(改)」池田公演(20/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 池田町田園ホール


WHO CAN SEE IT



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「にせんごひゃくえん?」
「がくせい、せんごひゃくえん??」
いけだのともだちが、裏山椎名(くりぼう)


「女子マネちゃん、平気?」マジで心配だよ。僕たちは何ら利害関係が無い単なるファンだからさ、幾ら誤報を飛ばされたって好いのよさ。間違った情報を信じて雑誌を探して買ったら「那奈ちゃん、載ってないじゃん!」なんて事は何度も在ったよ。取材を受けた雑誌を教えてくれるだけで有難いんだよ。昔はさ、必死で自力で探してたんだよ。其れを「公式BBS」とか「ファン・サイト」とか「2ちゃんねる」とかでファン同士で情報交換してたんだよ。だから僕らは集ったんだよ。「片瀬那奈」って虚構の元に集い、仲間になったんだよ。だから、僕らの事なんかじゃないんだ。僕らが心配して居るのは「利害関係が在るクライアントを誤報した」って君の立場だよ。すぐに訂正しなきゃダメでしょ?って話なのよさ。「こんなんじゃ、もう片瀬さんの取材は出来ませんね!」とか云われたらさ、困るんだよ。もうスタッフ噺なんて書く気が失せたのに、何故、書かせる?好い加減にして頂戴。


(小島藺子/姫川未亜)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

FAB4-072:BAD BOY

Bad Boy BeatlesVIalbumcover.jpg


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット
 録音:1965年5月10日(take 4)
 MONO MIX:1965年5月10日
 STEREO MIX:1965年5月10日

 1965年6月14日 アルバム発売(「BEATLES IV」A-4)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)


此の曲は、「厄介な案件です。」アルバム「HELP !」セッションでは、シングルやアルバムに収録された楽曲以外にも録音された物件が在ります。其れは他のセッションでも同じで、通常なら其れらは「没音源」となり「海賊盤」でしか聴けなかったりする運命を辿るのです。此の「HELP !」セッションでも、ポールの駄作「THAT MEANS A LOT」とか、リンゴの唄「IF YOU'VE GOT TROUBLE」等の、タイトルを聞いただけで「ダメだ、こりゃ」な屑曲も録音されたものの、幸いにも未発表に終ったわけです。そんなクズ曲が現在では堂々と「アンソロジー」とか云って正規盤になっているのですよ。確かに「SESSIONS」なるブートで其れを初めて聴いた時、僕らは歓喜しました。でもね、所詮はボツ音源なのです。「IF YOU'VE GOT TROUBLE」よりも「ACT NATURALLY」の方が圧倒的に優れていたからこそ、「HELP !」での「壱曲だけのリンゴちゃん」は、そっちになったのだ。それでええじゃまいか。

ところが、「守銭奴:米国キャピトル」は、そんな「ビートルズの真摯な志」など「屁の河童」だったのだよ。1965年5月10日、彼等は「DIZZY MISS LIZZY」と此の「BAD BOY」を録音し、ミックスまで完成します。どちらもジョン・レノンの師匠の一人で在る「ラリー・ウィリアムズ」のカヴァーで、ジョンが最も得意とする楽曲でした。前作「BEATLES FOR SALE」での急場しのぎでのカヴァーでは無く、天才歌手ジョン・レノンが望んで行った事だったのでしょう。二曲やって好い方を選ぼうと思ったのでしょう。結果的に「DIZZY MISS LIZZY」がアルバム「HELP !」を「芸術作品」に昇華させるに到ったアルバム最後(其れは、つまり「YESTERDAY」の次の曲でもあります)に収められます。しかし、此の日の二曲は翌日には大西洋を渡り米国キャピトルに届けられてしまったのでした。そして、未だ英国ではアルバム「HELP !」が発売される遥か前に発売されてしまいます。本来ならボツ曲だった「BAD BOY」が本国英国で発売されるのは、1966年12月の事でした。そうです、あたくしが最初に買った彼等のベスト盤「オールディーズ」に「未発表曲!」として収録されたのが此れだったのよさ。でも、亜米利加ではとっくに発表されていたのでした。此の辺の経緯が、例の「ブッチャー・カヴァー事件」に繋がるのです。

前作のセッションでも「LEAVE MY KITTEN ALONE」を平気でボツにしたジョンは、今回も此れを捨てました。其の潔い姿勢こそが、彼等を永遠にしました。リンゴの唄なんか削ってでも、ジョージの作品を二曲も入れなくとも、ポールに自分と同じだけの場所を与えなくとも、誰も文句なんか云わなかったでしょう。ジョンが「二曲とも入れようぜ」と云えば、当然収録されたでしょう。でも、ジョンは、またしても我を捨てた。本物のリーダーです。凄過ぎる。そりゃ、他の三人がついて行くよ。分け分んない事(例えば、東洋人女性を録音現場に同席させちゃうとか、、、)をやらかしても、「否!」って云えません。結局は、ポールもジョージもリンゴも「凄玉・ジョン・レノン」の信望者でした。彼こそが、ビートルズの正体だったのです。小野洋子さんが「ビートルズはジョンが創って、ジョンがリーダーの楽団です。」と喧伝し続けるのも、ビリー・プレストンが「ジョンは最後までビートルズのリーダーだったよ。1969年に再会した時だって、ポールじゃない、他の誰でもない。ジョンがチーフ・ビートルだったよ。」と云ったのも、嘘偽りは無く紛れも無い「真実」です。但し、ジョンのそばには常にポールが居ました。其れを忘れちゃ、イカンよ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 20:36| FAB4 | 更新情報をチェックする

「女子マネちゃん!うしろ、うしろ!!」

番組誕生40周年記念盤 8時だョ!全員集合 2008 DVD-BOX【通常版】


あのさ、『FRaU7月号』にも『CREA7月号』とおんなじ記事が載ってんの?此れ、マズイでしょ?訂正しましょうね。

『FRaU7月号』って来週(6/12)発売だと思うんだけど、、、講談社だしさ、なるほど、其れにも那奈ちゃんが載ってるんだ。有難う!女子マネちゃん☆


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:05| IKO | 更新情報をチェックする

「CREA」2009年7月号

CREA (クレア) 2009年 07月号 [雑誌]


発行/株式会社文藝春秋

「ファッション通がこっそり教えます!
 今、ファッションサイトに夢中です!!」

に登場。カラー2頁(P34〜P35)、目次(P5)にも1カットあり。

 photographs:Keita Hagiwara(model),etc.
 styling:Kozue Ohnuma(kind)
 hair&make-up:Rie Aoyama(nude.)
 text:Yuki Imatomi


「元祖で本家の電脳女優!片瀬那奈」此処に在り
特集記事の巻頭でジャンプし勝ち誇る笑顔から、自信と誇りが伺えます。

「絶対に買い!」

表紙とカバーインタビューは、年上の後輩:みーたん。誌面には、「JJ」先輩:アンナさん、親友:瀬戸サン、ゲーム仲間の三浦春馬クン、何度も共演した蔵之介サン&直人ちゃん、などなど、「カタセカイ住人」満載で、トドメに「辛酸なめ子」で「コア」な片までフォローした、完璧な作りです。此れは、現物保存だっ!つまり最低二冊買い決定です。

「流石、文藝春秋だぜっ!」

かつて、2002年秋、僕はバンド仲間とスタジオ・セッションした後、太鼓叩きの部屋で宅呑みする途中で立ち寄った高円寺のコンビニで「CREA」2002年10月号を見つけ即買いした。ギタリストとドラマーは唖然となり「なんで女性ファッション誌なんか買うの?高いじゃん。読むトコ無いじゃん!」と云った。僕は「だって、此の表紙は片瀬那奈だよ。印象が違うけど、絶対にそうだ。」と返した。バンド仲間は呆れ返った。当時、那奈ちゃんはグラビアから消えて居た。何処に行ったのか、分らなかったんだ。それで、僕は女性誌を買う様になった。其れまでは仕事でしか関わって居なかった(会社にはサンプルが山程在る)女性ファッション誌を、身銭を切って買い続ける日々が始まったのでした。



(小島藺子/姫川未亜)



「CREA WEB」



posted by 栗 at 13:33| MAGAZINE | 更新情報をチェックする