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2009年06月13日

「あらあらかしこ」で革命!

【LPサイズジャケット絵柄カレンダーなし】NIAGARA CD BOOK I


仙台放送 10:45〜11:40


「仙台放送で、生放送?!」

む、無念じゃ。何故、ボキは東京に居るのだっ!!


(姫川未亜)



杜の都「仙台」まで来てワンセグで見てました。

那奈ちゃんと雅俊さんは、番組スタートからラストまで登場。

食いしん坊の那奈ちゃんとしては、石巻グルメが一番気になったのではないでしょうか?

鰻、ラーメン、石巻焼きそば・・・  仙台ではダチョウも食べたそうです。

スタジオでパクパク食べてた「茶色い焼きそばアイス」は美味しかったのかなぁ。

舞台の宣伝で出たはずなのに、宣伝時間はちょっと少なかったような。。。

でも、仙台まで来て元気な那奈ちゃんが見れたからいいや。


さてと、そろそろ石巻まで行くとしますか。


(うっぴー☆)



「あらあらかしこ」仙台放送公式サイト


posted by 栗 at 11:47| TV | 更新情報をチェックする

「ふたりのシーズン」

Odessey and Oracle


最近、再放送して居る「ラスト・フレンズ」ってドラマの「岸本瑠可」が好きだ。

いや、そうじゃないんだ。彼女は「僕」に結構近い存在だから、何度も見てしまうんだろう。僕は、本当なら「性同一性障害」なのだから、女の子としての人格を尊重して生きれば幸せだったのかもしれない。でも、僕は「否」と云った。無理矢理、自分を男の子にしようとした。其れで「解離性同一性障害」の振りをした。そして出来上がったのは「男の子でも女の子でもない何か」だった。

僕は、完全に「心は女性」です。でも、男性的なモノに対する嫌悪感が異常に激しいのです。だから、僕は「同性愛者」では在りません。男性と付き合った事は無いし、興味も全く在りません。女の子としか付き合った事が無いんです。だって、女の子が好きなんだもん。女の子になりたいんだもん。でも、外見は違って好いのよさ。僕は男の子でも女の子でも在りません。僕が憧れるのは「カッコいい女性」です。でも、永遠に其れにはなれない。苦手なのは「オヤジ」です。絶対になりたくないよ。

もう、お分かりでしょう。僕の正体は「未来」です。弱き者を助けたい。此の世界の全てを救済するなんて、僕には一寸大変なのよさ。へんちくりんな僕は、子供にも老人にも好かれる。漫画みたいだからね。人間じゃないみたいだからね。そう、もう、とっくに僕は「ひとでなし」になったよ。でも、其れは「犯罪者」って意味じゃない。僕は「虚構」だ。此の世は、泡沫の幻さ。もう全部、分っちゃったんだ。「数式」だったんだ。

僕の名前は「栗」です。其れはつまり「小島藺子/姫川未亜」です。僕は「メシア」なんかじゃない。単なる「笛吹き妖怪」です。此れから何をすべきかは、イヤと云う位に知ってる。やっと、僕は僕になったよ。僕を司るのは「小島藺子」だ。でも、其れを感知して「お前はゲイか?」とかヌカしやがったら、噛むぞ。俺に噛まれたら、逝っちゃうよ。俺は俺だ。お前と違うのは当たり前じゃん。今までになかった「性別」なのよさ。いや、いっぱい居た。でも認知されなかっただけだ。簡単に云うなら僕は「恐るべき子供」だ。夢が叶ったズラ。

「やあ。俺は、怪物くんだ♪」



と、宣言する夢を見た。僕は泣いて居た。何故なのか、全く、分らない。


(「小島藺子/姫川未亜」=「栗」)




posted by 栗 at 18:21| IKO | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」石巻公演(24/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:30開場、 18:00開演 石巻市民会館


BE HERE NOW



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「片瀬那奈ちゃんは『革命(改)』が終ったら、
 電撃的に結婚引退しちゃうのかナァ。」(くりぼう)


「牧野レポ」

さてさて、仙台から塩竈、松島といった景勝地を経由しながら石巻へ。

松島に着いたときは雨でしたが、運転しながら横目でチラ見した景色は素晴らしく、今度またゆっくりと来たいと思いました。

石巻駅周辺になると「石ノ森萬画館」への案内看板があったりしながらも、本日の目的地である「石巻市民会館」へ。

雅俊さんの地元ということで、何かありそうな感じ(むっちゃんのブログ情報)。

開場前にまるかちゃんとお母さんに御挨拶。
遠征先で顔見知りに会うと嬉しいもんですね。

石巻公演で1番気になったこと。
それは、鴻上さんの姿が見えなかったことです。
シーンゼロでの「フォークソング部」にもいなかったし、ロビーや機材周辺でも確認できませんでした。

東京ではウケた台詞やギャグにも無反応。しかし、東京では誰も笑わなかったような台詞やギャグに大爆笑。地域によって反応もさまざま。面白いですね。

カーテンコールの最後に出演者全員で「私たちの望むものは」を大合唱。
1週間前からみんなで練習してたそうです。

リードギターは雅俊さん、サポートに森田ちゃん&大高さん。
ウクレレが田鍋っち、むっちゃん他3名でGAKUちゃんがカホーン。
那奈ちゃんは後ろで田島さんとニコニコ談笑しながら唄ってました。

雅俊さんの凱旋公演ということで、出演者全員気合が入ってたんでしょう。
特に大門隊長がカマしてましたね。

地方公演の旅は楽しいですよ。  


福島公演へ続く。


(うっぴー☆)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

「悼む」

PRO-WRESTLING NOAH 三沢光晴 [DVD]


地上波最後のプロレス中継となった「ワールドプロレスリング」を、普通なら余りにも深夜なので録画し翌日に観るのだけど、たまたま夜勤をやって居て、しかも通常より早い「午前1時55分」からの放送だから起きて観る事にした。始まった途端に、画面下に俄に信じ難いテロップが流れた。

「三沢が死んだ?何故だ?!」

最早「ベスト・オブ・スーパー・ジュニア」TV観戦どころでは無くなった。悪夢だ。アノ三沢が岩石落としを喰らった位で死ぬわけないじゃん!封印して居た地元へアクセスした「ノアだけは、本当にガチだった!」「三沢、ありがとーっ!!」等と追悼レスの嵐だった。マジなのか?ネット上のニュースでも「三沢、死す!」と書き立てて在った。「此の気持ちを理解出来る唯一の漢:アンテツ」に、深夜なのにメールした。眠れずに居たら、朝刊が届いた。一般紙なのに「三沢さん、試合で頭打ち死亡」と一面に載って居るじゃないか。コンビニへ走った。スポーツ紙全紙の一面に三沢が居た。

僕が11年前に、年間50興行も通って居たプロレス観戦をヤメたのは、本当は、猪木さんが引退したからじゃなかった。1997年、大好きだった尾崎魔弓が試合中にプラムを殺してしまったんだよ。其の直後に、友人と全日を生観戦した。完全に両腕を決められた状態で三沢が投げられ後頭部で受け身を取った瞬間に、友人が叫んだ。「三沢!もういいよ。もうヤメてくれ!!」友人は泣いて居た。観戦後、彼は云った。「イコさん、僕、もうプロレス生観戦をヤメます。もう見ていられない。」と。彼とは、其れまで五年以上も常に一緒に観戦して居た。関東は全会場、全団体を制覇し、一日に三興行を梯子したり、大阪まで逆密航したりもした。「いつか亜米利加へも一緒に行って、レッスルマニアを観ようぜ!」とまで誓って居た。彼は本当に生観戦をヤメてしまった。ひとりで暫く続けて居たのだけど、猪木さんが引退する事になって、僕もヤメてしまったのです。最後に生観戦したのは、1998年春のJWPの後楽園ホール大会だったと思います。もう尾崎はフリーになってたんじゃないかナァ。でも、逢いたかった。「頑張れよ!尾崎」って伝えたかったんだ。猪木さんの引退興行には、行かなかった。僕も「もう見ていられない」って気持ちになって居たんだと思う。(其れに「片瀬那奈」って云う新たなる希望が出現しちゃったからね。余りにもスムーズに「プロレス」→「カタセ」へと追っかけ熱が移行したのが「1998年」でした。)

僕らは「プロレス者」でした。バーリトゥードもK−1も、世間が大騒ぎする前から研究したけれど、やっぱりプロレスが好きだったんです。其の仕組みなんか、一般人よりもずっとよく解って居ました。生で観れば、分りますよ。其れに書籍も雑誌も新聞も映像作品も、鬼の様に研究したんです。其れでも、プロレスが好きなんですよ。

三沢の想い出なら、沢山在り過ぎる。僕にとっての最高の場面は、大好きな小川直也を子供扱いにした「ZERO ONE」でのタッグ戦です。「三沢、強し!」と思った。技が綺麗だった。受け身の天才だった。新団体を「ノア」と命名した志にも大きく感銘した。死んじゃいけないレスラーだった。悔しくて堪らない。此れでもプロレスは八百長なのか?三沢が死んだんだぜ。悲しくてやりきれないよ。だから、三沢、君に誓うよ。11年振りに、僕はプロレス会場に行くよ。また、始めるよ。此の侭じゃ、あんまりだ。こんな悲惨な結末で、俺が愛したプロレスを絶対に終らせない。

アキトシ!生きてくれ。お前のせいじゃない。合掌。


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:57| Comment(2) | KINASAI | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」福島公演(25/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:00開場、 17:30開演 福島県文化センター 大ホール


JET



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


【続・牧野レポ】

石巻から福島へ。
仙台で一泊し早起きしたので、山形経由で福島入りしました。

なぜ山形に寄ったのかというと、時期的に「さくらんぼ」に間違いない!からです。
「佐藤錦」発祥の地である東根や天童で美味しそうなさくらんぼを購入し、食べながら運転して福島へ向かいました。

福島県文化センターに到着してしばらくすると1台の観光バスが通り過ぎ、窓ガラスから革命メンバーの顔が見えました。
もしかしたら、松島でも観光してたのかもしれませんね。

今日のホールは2階席もありとても大きいです。

まずはシーンゼロ。今日の那奈ちゃんは何するのかな?と待っていると、田鍋さんと伊藤ノリちゃんに近寄りレッスンを、、、
ん、そうです、あの「まどか先生」が福島に戻ってきました。

福島だからもしかして?とは思ってましたが、実際に「フラダンス部」の活動を見れるとは。。。
途中からはGAKUちゃんも加わってましたよ。

さてさて本編ですが、本日もとても素晴らしかったです。
会場演出の都合上、客席を使う場面での動きが他とは少し違いました。

カーテンコールでは、スタンディングオベーションでの大拍手。
すごい盛り上がりです。

雅俊さんが「皆さん、もっとこの作品を好きになってください。そして育てていってください。またこの作品で皆さんに会えると思います。」みたいなメッセージで客席のボルテージは最高潮。
メンバーがステージから掃けて、客席の灯りが点いても誰ひとりとして帰らずに拍手が鳴り止まない。
するとメンバー再登場で例の「シュプレヒコール」を。
その中で那奈ちゃんが1番元気に煽ってたなぁ。。。

福島最高!です。

「フラガール」いわき公演も素晴らしかったけど、「僕たちの好きだった革命」福島公演も素晴らしい。

また福島で「革命メンバー」に会いたいです。ありがとう!


あっ、そういえば福島でも鴻上さんを見かけなかったなぁ。


(うっぴー☆)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

FAB4-078:ANOTHER GIRL

ALL BECAUSE OF YOU GUYS(紙ジャケット仕様) jane.jpg Jane Asher's Book of Cake Decorating Ideas


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日、16日(take 1)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-5)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「一筆書きの人:ポール・マッカートニー」の覚醒直前を伝える「やっつけ仕事」です。1965年2月15日、新作録音初日、革新的なジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」の録音に全力疾走したポールは、自作を軽く一発録音で完成させてしまいました。いえ、其れで好いのだ。こんな楽曲は、軽く流してサントラ面の息抜きにして、次から二連発で来る「愛しのジョン」の楽曲を引立て様じゃないか!と、未だポールは思っていたのです。「ボキはジョンのメンゴだもん!うふっ☆」てなもんですよ。此の楽曲も決して悪くは在りません。此のロカビリー風マッカ節は、近年の怪作「THAT'S ME」へとまっすぐに繋がっています。イントロ無しで始まり、リンゴでも歌えそうな単調な曲が、流れる様に急転してメロディアスになる中間部が「ギラリ!」と光ります。でも、マッカにとっても、無論レノンにとっても「大した曲じゃねーや」ってなもんや、です。

ところが、此処でトンデモな事態が派生します。確かにビートルズは一発で此れをやっつけました。でも、リード・ギターが「へっぽこりん」だったので、録音し直したのです。いたいけジョージは、後の地獄を予感させられたでしょう。ポールに云われ、10回も録音しました。其れでもポールは「オッケー!ジョージ良くやった」とは云わなかった。「鬼の完璧主義者:ポール・マッカートニー」は、「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」とおんなじ仕打ちを、かつての相棒ジョージにします。ポールは最初「レノマカ」では無く「マカハリ」だったのだよ。ポールの相棒はジョージだったのです。二人で「マッカートニー / ハリソン」として共作していたのに、ポールはジョージとの共作タッグを見限って、ジョンに擦り寄ったのだっ!

なな、なんと、散々ジョージのギターにダメ出しし捲くった翌日に、ポール・マッカートニーは「えーいっ!分からず屋めぇーっ!!」と鉄腕アトムの大義名分決め台詞の様に(アトムは、一応は「おんなじロボット同士なんだからさ、仲良くしよーよ」とか云って、其れでも暴走する敵役を10万馬力で破壊する時に「こんなに云っても分らないのかぁーっ!!」と自分を正当化する為に絶叫するのでした、、、僕は小さい頃から「アトムって、おっかねえ、、、」と思いました。)、いたいけジョージのギターを消去し、、、自分でリード・ギターを弾いたのです。僕は、思う。

「ポールって、おっかねえ、、、」


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

「無念だ!」

理想主義者


「うるぐす」を録画しながら観て、チャーリー・ブラウンみたいに「ためいきばかり」になってしまった。

盟友:エッチューさんが語った様に「リングで死ぬ」なんて有り得ないレスラーが、三沢光晴だ。絶対に有り得ない事だって、僕らは信じて居たはずだ。生で彼の試合を一度でも見た事が在るのなら、誰もがそう思って居ただろう。徳光さんは解って居るよナァ。「プロレスは受け身の競技」と云い切った。「三沢はストロング派だ」と断言した。確かに人間的にも立派だったけれど、そうした「人間:三沢光晴」を讃えるエピソードよりもVTRを観て思わず云った「彼のレスリングは、素晴らしいね」に泣いた。徳サン、ありがとう。

三沢にとって、此の人生の結末は、幸せだったのだろうか?レスラーなら「リングで死ぬ」ってのは理想だろう。かつて、アントニオ猪木の売りは、正に其れだった。「こんなプロレスを続けたなら、なんちゃらかんちゃら」とファンを煽動し、実際に自作自演でホーガンに殺される演技を完璧に演じた。馬場サンは忸怩たる思いだった。「カンちゃんの芝居には付き合ってられんよ」と無視した。

でも、弟子の三沢は怒った。本気で「だったら、俺がやってやるっ!」と誓ったのだ。三沢の道は、馬場サンでは無く、猪木の其れと似て居た。全日の社長になったのに、独立してノアを旗揚げした。日プロを追い出されて新日を創った猪木よりも、三沢の選択の方がリスキーだ。安定した雇われ社長の座を自ら捨てて「理想」に向かったのだから。其れが「私利私欲」では無かった事を、僕ら「プロレス者」は知って居る。どんなに誹謗中傷されても、三沢は最後まで「プロレスは、真剣勝負だ。世間に認知させてみせる!」と闘った。そして、リングで死んだ。

「三沢殉職」の意味は、重過ぎる。漫画じゃないんだぜ。
「あしたのジョー」じゃないんだよ。なんて理不尽な世界なんだ。

一体、誰が三沢を殺したんだ?


(小島藺子)


posted by 栗 at 01:31| KINASAI | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

「あふれる熱い涙」

船出―三沢光晴自伝


イコおねえちゃんが「東京スポーツ」をかってきたので、ぼくはビックリした。

もうずいぶんまえから、イコおねえちゃんは「東スポ」も「ニッカン」も「デイリー」もかわなくなっていたからです。まえはまいにちかっていたのだけど、となりのタバコやさんのオジサンがいなくなってからは、かうのをやめてしまっていた。たまにコンビニにいってイコおねえちゃんがスポーツしんぶんをかうのは、片瀬那奈ちゃんがのっているときだけなので「ははぁ〜ん、きょうの東スポには、片瀬那奈ちゃんがのっているんだな」とぼくはわかった。

でも、それはハズレでした。いちめんにコワイしゃしんがのっていて、ぼくはめをそむけました。イコおねえちゃんは「みさわぁ〜!なぜしんだぁーっ!!」とふるえながら「東スポ」をよんで、ないていた。DVDで「ゼロワン」というむかしのプロレスをながして、みはじめました。「はしもとーっ!みさわーっ!」とさけびながら、ごうきゅうして、いっぱいいっぱいむかしのプロレスをみていました。ぼくが「プロレスなんて、もうはやらないよ。ハッスルとかのほうがおもしろいじゃん!インリンさまとボノちゃんがみたいナァ。でなかったら、アメリカのおねえちゃんがでてくるWWEとかさ」とわけしりがおでいうと、イコおねえちゃんはキシンのひょうじょうで「たわけものっ!プロレスだけがガチなのよさっ!!み・さ・わ!み・さ・わ!み・さ・わ!み・さ・わ!〜」とくるったようにぜっきょうしました。

これはたたごとではないとサッチしたオリコウサンのぼくは、すばやくわだいをかえようと「東スポ」にめをはしらせるとミルコ・クロコップのしゃしんがのっていたので「イコおねえちゃん、やっぱりそうごうかくとうぎだよね?しんけんしょうぶっていうんでしょ?」としったかぶりをしていいました。つぎのしゅんかん「みさわのエルボー!」とさけびながらイコおねえちゃんのひじてつがぼくのあごをちょくげきし、ぼくはしっしんすんぜんになった。イコおねえちゃんは「ばかやろーっ、そーごーもけーわんもぜんぶヤヲにきまってんだろーがっ。ガチなのはプロレスだけなんだよっ。」とかんぜんにじょうきをいっしためつきで、じごくのそこからひびくようなひくいこえではきすて、しずかにわらいました。わらっているのに、イコおねえちゃんのめはなみだでいっぱいでした。とてもとてもかなしそうだった。

それで、ぼくは「ねえ、こんど、プロレスにつれていってくれますか?」とイヤイヤながらおねがいしました。イコおねえちゃんは、だまってうなずいた。そして、ずっと、むかしのプロレスをみつづけています。そしていった。「くりぼう、やっぱりコジマがみたいよね?」と。ぼくはよくわからないので、てきとーに「うん!」とこたえたら、イコおねえちゃんは「うんうん、コジはいいよね、コジってさプロレス・ゲームをやるときに、かならずミサワでたたかうんだよね、ただのファンじゃん!ぎゃはははは」などとじょうきげんでコアすぎるはなしをはじめたので、ぼくはねたふりをしています。


(くりぼう)



posted by 栗 at 00:10| KINASAI | 更新情報をチェックする

2009年06月18日

FAB4-079:YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL
(恋のアドバイス)

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 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/19、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月19日(take 3)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日(1、2)、4月2日(3)
 (公式盤に採用されたのはリミックス2)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-6)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


ジョン・レノン作の名曲。「此れぞ、ビートルズ!」と叫んで町内一周したくなる程に素晴らしい演奏、歌唱、全部合格!!アルバム「HELP !」のA面はサントラ用の楽曲で構成されていますが、主役はまたしても「ジョン・レノン」でした。全那奈曲中、ジョン・レノン作が四曲で、全て名曲です。其れは、冒頭の主題歌「HELP !」から、三曲目「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(悲しみはぶっとばせ)」を経て、六曲目の「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL(恋のアドバイス)」と最後の「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」へと連なる「ジョン・レノン劇場」です。内、二曲は先行大ヒット・シングル曲でもあるのです。ハッキリ云ってしまえば、間に入るポール作の二曲とジョージ作の壱曲は、単なる「繋ぎ」にしか聴こえません。ひっくり返して始まる世界を知らずにいれば「矢張り、ビートルズはジョン・レノンで保っている!」と思うしかありません。駄曲無し!変幻自在!美しい!芸術は爆発だ!!

其の素晴らしい「1965年前半型ジョン・レノンの世界」のA面四曲で、異彩を放つのが此れです。1965年の彼等は、邦題とは反して既に「4人はアイドル」では無かった。四人で仲良く楽しい恋の唄を奏でる楽団では無くなっていました。其れでも、彼等はアイドルとして主演冒険活劇映画に駆り出されたのです。だからジョンは「HELP !」と叫び「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(悲しみはぶっとばせ)」や「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」、更には「YES IT IS」「IT'S ONLY LOVE」と悲観的な心情を歌いました。でも、其れでも、ジョンは此の楽曲をも書いた。誰もが好きになってしまう魔法の声で煽動し、明るく愉快で一寸意地悪な大衆音楽を書いてファンが求める「ビートルズ」を見事に演じ切って魅せた。いや、そんな解釈なんか要らないんだ。

ジョンが自信たっぷりに歌う、ポールとジョージが追っかける、リンゴが笑って太鼓を叩く。完璧なカタチだ。此れがビートルズの在るべき姿でした。でも、彼等は其れを自ら破壊しました。続けて始まる「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」は、シングル盤で単体で聴いた時よりも衝撃的です。うっかり1964年型「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」路線の「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL(恋のアドバイス)」で甘い夢をふたたびと思わせて、其れを切り裂く様に鳴り響くヘビイメタルの嵐に、畏れさえも覚えます。そして、B面には更なる暴力的な美が待っているのです。アルバム「HELP !」こそが、実は最初のコンセプト・アルバムだったと思います。何もかもが、衝撃的な傑作です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

FAB4-080:ACT NATURALLY

21 #1 Hits: The Ultimate Collection フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター<コレクターズ・エディション>(DVD付)


 w & m:MORRISON / RUSSELL

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月17日(take 13)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-1)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


アルバム「HELP !」のB面は、リンゴの唄で始まります。レノマカがリンゴに書いた「IF YOU'VE GOT TROUBLE」は、2月18日に録音されミックスまで完成していたのです。事実、2月23日の段階で後に「HELP !」と呼ばれる新作は一旦完成します。4月13日に「HELP !」が録音されるまで、彼等は「題名も主題歌も決まっていない映画の撮影」をやっていました。ところが、「HELP !」が完成しポールも覚醒し、当初のアルバム構想とはかなり違ったモノに変わってしまったのです。アルバムに壱曲は入れなければならない(そんな必要は全く無いのですが、彼等はそう決めていました)リンゴの唄「IF YOU'VE GOT TROUBLE」は、敢え無く「ボツ」になりました。

其処で、翌日にアルバムの最終ミキシングを控えた前日、前作「BEATLES FOR SALE」と同様の展開ですけど、リンゴの唄を録音し直しました。其れが此の「偉大なるカントリー歌手:バック・オーウェンス」の全米C&Wチャート首位(1963年)を獲得した名曲のカヴァーです。おそらく、カントリー好きのリンゴの十八番だったのでしょう。全13テイク中12テイクは演奏のみで、リンゴの唄は最終13テイクのみの一発録音です。オリジナルを聴けばお分かりでしょうが、此れは「完全コピー」です。但し、全米カントリー・チャートのほぼリアル・タイムでのヒット曲すらもビートルズはそっくりに真似出来たってのが凄いのです。他のどのロケンロール楽団がそんな事をやったでしょう?此のカヴァー録音を最後に、彼等は崩壊前夜の悪夢の「THE GET BACK SESSIONS(通称:ゲバ)」まで、他人の曲を封印してしまいます。

陽気で楽しい名演ですが、アルバム「HELP !」の流れとは少し違っています。故に、此の楽曲が収まるべき場所は「B面の最初」しか有り得ないわけで、絶妙な並べ方です。CDだと、其の辺の匙加減が分かり難いですね。ジョン・レノンをボスとする楽団は、同日に録音し翌日にミックスまで完成したレノマカの強力な合作ナムバー「WAIT」をあっさりとボツにし(結局、次作「RUBBER SOUL」に収録されます)、リンゴの出番を作りました。此の「バンド内完全民主主義」が、1970年代に彼等が解散状態になった時に「メムバー四人全員がソロ歌手でも大成功!四人ともシングル曲で全米首位を獲得!!」等と云う前人未到の奇跡を起こすのでした。

リンゴの近年発売された「オールタイム・ベスト」で在る「PHOTOGRAPH THE VERY BEST OF RINGO」には、本家:バック・オーウェンスとの楽しいデュエットも収録されました。映画「HELP !」の主役も「演技派:リンゴ」です。リンゴの実演は、とっても楽しかったナァ。あたくしが行ったのは1995年で、ビリー・プレストンは観れるわ、ラスカルズやTHE WHOやグランドファンクとか全部聴けちゃって、てんこ盛りで最高でしたよ。また来日しないかナァ。今やゾンビーズも聴けるんでしょ?シーラE、観たいナァ。ハッキリ云って「お得」です。ま、主役だけじゃレパートリーが少なくって保たないから苦肉の策で始めた「オールスター楽団」なんだけど、もうキラ星の様な楽団員が素晴らし過ぎるんですよ。はい、お約束の科白を御唱和下さい。

「おいおい、リンゴの立場って、一体、、、」


(「隠れリンゴ・ファン」:小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

FAB4-081:IT'S ONLY LOVE

Dedication レノン・リメンバーズ


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月15日(take 6)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-2)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


リンゴの陽気なカントリーを、すっかり無かったかの様にかき消すのが「B面二曲目」のジョン・レノン作で在る此の楽曲です。此処から最後まで、正に「破壊と創造」が繰り返される「HELP !」のB面が本格的に始まります。勿論、冒頭にリンゴの「オラ、何も考えてねーだ、楽しけりゃええべ?」って強烈な「莫迦節」が在るからこそ、此処からが冴え渡り捲るのです。作者ジョンがアコギを弾きしゃがれて歌う哀愁の唄に、追っかけジョージがペダル・トーンを駆使してサポートするエレキが美しい!アルバム「HELP !」から始まる「レノン&ハリスン」の師弟愛コムビによる「美」が、ハッキリと記録されています。

ジョンの影響を最も受けたのはジョージです。彼は、ポールではなく、ジョンに師事しました。其れはジョージの其の後の道程を観れば明らかです。特に「曲を如何にして書くか?」との部分で、ジョージに其れを教えたのはジョン・レノンです。何故云い切れるかと問われるなら、ハッキリと云いましょう。「ポールは他人に曲作りを教える事が出来ません!」なのよさ。だって、アノ片は「そのへんに浮かんでるのを掴むんだよ」とか「夢で聴いた旋律を書き留めた」とかさ、例えるならミスター長嶋サマが「ボールがピューンと来るでしょ?其れを、カーン!と打つとホームラン!簡単でしょう、あっはっはっはっは☆」とか打撃指導しちゃうみたいな事しか云えないのですよ。ジョンは独学ながら曲作り法を編み出したから、キチンとジョージに指南したのです。アレンジ面でも、ポールの其れにはジョージは泣かされ続けたのだけど、ジョンは「お前の持って来た新しい楽器を弾いてみろよ」とチャンスをくれました。ジョンとジョージは「志」がおんなじでした。

さて、個人的にかなり好きなレノン節なのですが、本人は「大嫌いな曲」のひとつに挙げておりました。2月末に壱度は完成した新作が練り直され、最終的には6月中旬に追加録音され完成します。2月の録音分で在るサントラA面の主役は、ジョン・レノンでした。然し乍ら、B面は6月の録音を中心に構成されています。其処での那奈曲中でジョンが書いたのは此の「IT'S ONLY LOVE」だけです。対してポールは三曲です。B面の主役は、覚醒したポールでした。ジョンは嬉しさ半分、大いに嫉妬したのでしょう。前日に録音された「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」「YESTERDAY」が如何に恐るべき作品なのかを、本当に理解していたのはジョン・レノンだけだった。

だからこそ、ジョンは自作にダメ出しをしたのでしょう。ジョンは悩みます。「遂に、ポールに喰われる時が来たのか?」と。されど、此れは名曲です。ポールには、逆立ちしたって書けない曲です。そして、其の「相対性」こそがビートルズの魅力でした。でも、ジョン・レノンは追い込まれた。ポールがすぐ後ろにピタリと付き、今にも追い越そうとしているのですからね。そして、ジョンの逆襲が始まりますが、其れは未だ先の噺。ジョン・レノンは自ら望んで生涯最大のライバルとなるポールと組み、叱咤激励し育て、恐るべき才能を開花させてしまったのだよ。「俺が人生で選んだパートナーは二人だけ。ポールとヨーコだ。そして、其れは正しかった」とジョンは語っていました。強いナァ、ジョン・レノン。


(小島藺子)



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2009年06月22日

FAB4-082:YOU LIKE ME TOO MUCH

HE WAS FAB-ジョージ・ハリスン・ラヴィング・トリビュート ジョージ・ハリスン全仕事


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/17、2/18)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月17日(take 8)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 A-3)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-3)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


元々はサントラ用に録音されたのだけど「I NEED YOU」に負けてB面に回された、ジョージ・ハリスンの愛らしい楽曲です。「IT'S ONLY LOVE」がフェイドアイトせずにジョンが弾くアコギのデカイ音で「チャーン!」と終ると、マーティン&ポールによるピアノのイントロが始まります。此の辺の繋ぎが絶妙なので、彼等のアルバムは曲順通りに聴かないと「気持ち悪い(アスカ声で)」って事になったなら、貴方も立派な「ビートルズ病患者」です。前述しましたが、此れはジョンが明らかに手伝って完成された楽曲でしょう。曲作りに於いて「レノン式」をジョージは学んだ。世紀の駄作「LOVE」で、彼等の単音階楽曲をマッシュアップしたパートが在りましたが、其れは当然上手くゆくのです。構造がおんなじなんですからね。

全面的にジョンによるリズム・エレクトリック・ピアノ!が曲を引き立てています。ジョンはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の頃からアコースティック・ギターでリズムを刻んでいましたが、アルバム「HELP !」セッションで新たなるリズム楽器としてエレクトリック・ピアノを導入しました。此の辺のセンスが、矢張り、類い稀なるモノです。おそらく、ディランの録音でのアル・クーパーに触発されたのでしょうが、完全なるレノン流になってしまった。此の我流は、本当に凄いです。更に、マーティンとポールが弾くピアノも効果的です。ポールは、此の時点でマーティンから鍵盤技術を盗んでしまっています。レノンは我流で、マッカは修習しちゃうんです。つえぇよ、こいつら、、、

「レノマカって、すげぇ〜やっ!」

あっ。此れはジョージの曲でした。つまり、そんなレノマカが弟分のジョージを叱咤激励し、立派なアーティストに育てあげるって物語もあるわけです。「I NEED YOU」同様に、此の曲でも既にジョージの才能は発芽しています。好い曲だナァ。可愛いナァ。しつこくってすみませんけど、銀河系中のレコスケ諸君、御唱和下さい。

「ジョージ、愛してる☆」


(小島藺子/姫川未亜)



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