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2009年06月06日

「CREA」2009年7月号

CREA (クレア) 2009年 07月号 [雑誌]


発行/株式会社文藝春秋

「ファッション通がこっそり教えます!
 今、ファッションサイトに夢中です!!」

に登場。カラー2頁(P34〜P35)、目次(P5)にも1カットあり。

 photographs:Keita Hagiwara(model),etc.
 styling:Kozue Ohnuma(kind)
 hair&make-up:Rie Aoyama(nude.)
 text:Yuki Imatomi


「元祖で本家の電脳女優!片瀬那奈」此処に在り
特集記事の巻頭でジャンプし勝ち誇る笑顔から、自信と誇りが伺えます。

「絶対に買い!」

表紙とカバーインタビューは、年上の後輩:みーたん。誌面には、「JJ」先輩:アンナさん、親友:瀬戸サン、ゲーム仲間の三浦春馬クン、何度も共演した蔵之介サン&直人ちゃん、などなど、「カタセカイ住人」満載で、トドメに「辛酸なめ子」で「コア」な片までフォローした、完璧な作りです。此れは、現物保存だっ!つまり最低二冊買い決定です。

「流石、文藝春秋だぜっ!」

かつて、2002年秋、僕はバンド仲間とスタジオ・セッションした後、太鼓叩きの部屋で宅呑みする途中で立ち寄った高円寺のコンビニで「CREA」2002年10月号を見つけ即買いした。ギタリストとドラマーは唖然となり「なんで女性ファッション誌なんか買うの?高いじゃん。読むトコ無いじゃん!」と云った。僕は「だって、此の表紙は片瀬那奈だよ。印象が違うけど、絶対にそうだ。」と返した。バンド仲間は呆れ返った。当時、那奈ちゃんはグラビアから消えて居た。何処に行ったのか、分らなかったんだ。それで、僕は女性誌を買う様になった。其れまでは仕事でしか関わって居なかった(会社にはサンプルが山程在る)女性ファッション誌を、身銭を切って買い続ける日々が始まったのでした。



(小島藺子/姫川未亜)



「CREA WEB」



posted by 栗 at 13:33| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

「女子マネちゃん!うしろ、うしろ!!」

番組誕生40周年記念盤 8時だョ!全員集合 2008 DVD-BOX【通常版】


あのさ、『FRaU7月号』にも『CREA7月号』とおんなじ記事が載ってんの?此れ、マズイでしょ?訂正しましょうね。

『FRaU7月号』って来週(6/12)発売だと思うんだけど、、、講談社だしさ、なるほど、其れにも那奈ちゃんが載ってるんだ。有難う!女子マネちゃん☆


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:05| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-072:BAD BOY

Bad Boy BeatlesVIalbumcover.jpg


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット
 録音:1965年5月10日(take 4)
 MONO MIX:1965年5月10日
 STEREO MIX:1965年5月10日

 1965年6月14日 アルバム発売(「BEATLES IV」A-4)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)


此の曲は、「厄介な案件です。」アルバム「HELP !」セッションでは、シングルやアルバムに収録された楽曲以外にも録音された物件が在ります。其れは他のセッションでも同じで、通常なら其れらは「没音源」となり「海賊盤」でしか聴けなかったりする運命を辿るのです。此の「HELP !」セッションでも、ポールの駄作「THAT MEANS A LOT」とか、リンゴの唄「IF YOU'VE GOT TROUBLE」等の、タイトルを聞いただけで「ダメだ、こりゃ」な屑曲も録音されたものの、幸いにも未発表に終ったわけです。そんなクズ曲が現在では堂々と「アンソロジー」とか云って正規盤になっているのですよ。確かに「SESSIONS」なるブートで其れを初めて聴いた時、僕らは歓喜しました。でもね、所詮はボツ音源なのです。「IF YOU'VE GOT TROUBLE」よりも「ACT NATURALLY」の方が圧倒的に優れていたからこそ、「HELP !」での「壱曲だけのリンゴちゃん」は、そっちになったのだ。それでええじゃまいか。

ところが、「守銭奴:米国キャピトル」は、そんな「ビートルズの真摯な志」など「屁の河童」だったのだよ。1965年5月10日、彼等は「DIZZY MISS LIZZY」と此の「BAD BOY」を録音し、ミックスまで完成します。どちらもジョン・レノンの師匠の一人で在る「ラリー・ウィリアムズ」のカヴァーで、ジョンが最も得意とする楽曲でした。前作「BEATLES FOR SALE」での急場しのぎでのカヴァーでは無く、天才歌手ジョン・レノンが望んで行った事だったのでしょう。二曲やって好い方を選ぼうと思ったのでしょう。結果的に「DIZZY MISS LIZZY」がアルバム「HELP !」を「芸術作品」に昇華させるに到ったアルバム最後(其れは、つまり「YESTERDAY」の次の曲でもあります)に収められます。しかし、此の日の二曲は翌日には大西洋を渡り米国キャピトルに届けられてしまったのでした。そして、未だ英国ではアルバム「HELP !」が発売される遥か前に発売されてしまいます。本来ならボツ曲だった「BAD BOY」が本国英国で発売されるのは、1966年12月の事でした。そうです、あたくしが最初に買った彼等のベスト盤「オールディーズ」に「未発表曲!」として収録されたのが此れだったのよさ。でも、亜米利加ではとっくに発表されていたのでした。此の辺の経緯が、例の「ブッチャー・カヴァー事件」に繋がるのです。

前作のセッションでも「LEAVE MY KITTEN ALONE」を平気でボツにしたジョンは、今回も此れを捨てました。其の潔い姿勢こそが、彼等を永遠にしました。リンゴの唄なんか削ってでも、ジョージの作品を二曲も入れなくとも、ポールに自分と同じだけの場所を与えなくとも、誰も文句なんか云わなかったでしょう。ジョンが「二曲とも入れようぜ」と云えば、当然収録されたでしょう。でも、ジョンは、またしても我を捨てた。本物のリーダーです。凄過ぎる。そりゃ、他の三人がついて行くよ。分け分んない事(例えば、東洋人女性を録音現場に同席させちゃうとか、、、)をやらかしても、「否!」って云えません。結局は、ポールもジョージもリンゴも「凄玉・ジョン・レノン」の信望者でした。彼こそが、ビートルズの正体だったのです。小野洋子さんが「ビートルズはジョンが創って、ジョンがリーダーの楽団です。」と喧伝し続けるのも、ビリー・プレストンが「ジョンは最後までビートルズのリーダーだったよ。1969年に再会した時だって、ポールじゃない、他の誰でもない。ジョンがチーフ・ビートルだったよ。」と云ったのも、嘘偽りは無く紛れも無い「真実」です。但し、ジョンのそばには常にポールが居ました。其れを忘れちゃ、イカンよ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 20:36| FAB4 | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」池田公演(20/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 池田町田園ホール


WHO CAN SEE IT



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「にせんごひゃくえん?」
「がくせい、せんごひゃくえん??」
いけだのともだちが、裏山椎名(くりぼう)


「女子マネちゃん、平気?」マジで心配だよ。僕たちは何ら利害関係が無い単なるファンだからさ、幾ら誤報を飛ばされたって好いのよさ。間違った情報を信じて雑誌を探して買ったら「那奈ちゃん、載ってないじゃん!」なんて事は何度も在ったよ。取材を受けた雑誌を教えてくれるだけで有難いんだよ。昔はさ、必死で自力で探してたんだよ。其れを「公式BBS」とか「ファン・サイト」とか「2ちゃんねる」とかでファン同士で情報交換してたんだよ。だから僕らは集ったんだよ。「片瀬那奈」って虚構の元に集い、仲間になったんだよ。だから、僕らの事なんかじゃないんだ。僕らが心配して居るのは「利害関係が在るクライアントを誤報した」って君の立場だよ。すぐに訂正しなきゃダメでしょ?って話なのよさ。「こんなんじゃ、もう片瀬さんの取材は出来ませんね!」とか云われたらさ、困るんだよ。もうスタッフ噺なんて書く気が失せたのに、何故、書かせる?好い加減にして頂戴。


(小島藺子/姫川未亜)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月07日

FAB4-073:HELP !

Shades of Deep Purple コブラの悩み(紙ジャケット仕様)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(4/12)、フィル・マクドナルド(4/18、6/18)
 録音:1965年4月13日(take 1-12?)
 MONO MIX:1965年4月18日(1〜3)、6月18日(4)
 STEREO MIX:1965年4月18日(1)、6月18日(2)

 1965年7月23日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5305(モノ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-1)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


1965年第二弾シングル曲で、前作から連続してジョン・レノンが主導の作品。然し乍ら、楽曲を聴けばお分かりの通りポール・マッカートニーが大いに協力しており、合作だとポールは語っています。あたくしも、確かに合作だと思います。二週間後(8/6)に発売される彼等の英国オリジナル五作目のアルバムでA面冒頭を飾り、タイトルにもなり、主演映画第二弾のタイトルにもなった、1965年前半を、いやビートルズを象徴する傑作で、代表曲です。元々は単に「BEATLES PRODUCTION 2」と仮題された彼等の主演映画第二作は、「EIGHT ARMS TO HOLD YOU」と勝手に決められ、レノマカは何とかそんな陳腐なタイトルを持つ曲を書こうとしたものの、出来たのは「EIGHT DAYS A WEEK」だったわけで、「確信犯:レノマカ(主にレノン)」の意志で却下されます。ジョンは前作映画同様に題名も決めてしまいました。

其れが此の「HELP !」です。現在では、此れが当時の「人間:ジョン・レノン」の真実の悲痛な叫びだった事は知られていますが、発表当時に其れに気付いた者は皆無に等しかったのです。総天然色の楽しいビートルズ活劇映画の主題歌として、愉快な大衆音楽として、此の楽曲は受け入れられ全世界で大ヒットしました。後にジョン自身が「あんなアップテンポでポップな編曲(追っかけコーラス部分は、当然乍らポールが編曲)にしたのは失敗だった。ビートルズ時代の最高の自信作だが、是非録音し直したいよ」と吐露し、実際にスローテンポでピアノ弾き語りの「HELP !」を「LOST LENNON TAPES」で聴く事も出来ます。でも、個人的な悲痛な叫びを大衆音楽にしてしまった事こそが、ジョンの才能だと思います。ポールが中心となってかけたオブラートが、其れを可能にしました。誰もが深い意味が在るなんて考えずに、此の楽曲を楽しく愉快に受け入れてしまったのです。此れは恐るべき事実です。

さて、データでお分かりな様に、此の楽曲は正式なデータでもモノラルが四種、ステレオが二種、合計六種ものミックスが行われております。基本的に彼等が現役時代に発表した楽曲には「ミックス違いは在るが、テイク違いは、ほとんど無い」のです。此の時点までなら、デビュー曲の「LOVE ME DO」と二曲目の「PLEASE PLEASE ME」が例外で「2テイクが公式に発表された」曲でした。ところが、此の曲は公式にはモノラルもステレオも同じ「テイク12」から作られたとなっているのですが、何回聴き比べても両者でのジョンのヴォーカルが全く違います。史上三曲目の「異なる二つのテイクが公式発表された楽曲」と考えるしかありません。マーク・ルウィソーン著の「レコーディング・セッション」によれば「HELP !」の録音は「1965年4月13日」の「12テイク」で、其の全てはブートレグで出回り容易に聴けます。なのに、其の何処にも「モノラルでのジョンの歌声」は存在しません。更に云うなら「映画での歌声」もありません。一体、いつ、別テイクは録音されたのでしょう?

前述の通りジョンは「HELP !」を相当気に入っていたもののビートルズでのヴァージョンには納得しておらず、新たに録音し直そうと考えていました。更に、1981年に計画されていた来日公演では一曲目に「HELP !」の新ヴァージョンを披露しようと決めていたと云われています。其れは、永遠に叶わぬ夢となってしまいましたが、実現していたなら世の中は変わらなくとも多くの人々の人生を変えたでしょう。1965年には届かなかったジョンの悲痛な叫びは、1981年なら多くの人々に理解できたはずです。「HELP !」は現在でも歌い継がれる名曲となりましたが、ジョン・レノンが本当に望んだカタチでは遺されずにいます。1990年にポールがライヴでカヴァーした時にピアノの弾き語りでスローに演奏したのを聴いて、「やっぱり、ポールはジョンを分かっているんだナァ」と当然過ぎる事なのに感動しました。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 14:19| FAB4 | 更新情報をチェックする

「36万アクセスへ、誓いの明日」

フィジカル・グラフィティ サムシング/エニシング?(ハロー・イッツ・ミー)(K2HD/紙ジャケット仕様) Journey Through the Secret Life of Plants


此処の総アクセス数が、36万を超えました。
こんな奇妙な世界を御愛読有難う御座居ます。


此の36万の内の「11万」は、合併した母体で在る「COPY CONTROL」の数字です。決してイカサマでは在りません。本隊は、既に此処に移動した記事は消えて居ります。本当は「11万」じゃ、少な過ぎるんです。かつて「コピコン」は此処の数十倍の支持を受けて居りました。僅か数人にしか存在を教えなかった場所に、毎日100人以上が来たのです。そして、彼等の大多数は云った。「片瀬那奈の記事が邪魔だ!」と。其れで、僕は此処を分家しました。メイン・カテゴリが追い出されたのです。「嗚呼、洋楽板からビーヲタが追い出された時とおんなじじゃん。」と、僕は思った。歴史は繰り返すのだ。そして、分家から半年間、此処の平均アクセスは壱日一桁でした。多くても20人も居なかった。確かに、誰にも云わなかったけど「此れじゃあんまりだ!那奈ちゃん、正直すまんかった」と思いました。酷い日には、三人しか踏まなかったのです。其の内の一人はあたくしで、もう一人は盟友:うっぴー☆です。だから、僕は三人目の誰かに向けて書いた。知らない誰かが、見てくれて居るから、其の人の為に書き続けました。其れが誰なのかを知らされた時の衝撃は、生涯忘れないでしょう。僕は、部屋に帰って号泣しました。生涯、此処を続けようと誓いました。

いつの間にか、アクセス数が増え、遂には母体をも呑み込んだ此処は、逆に本来のカタチに戻ったのです。「COPY CONTROL」のコンセプトは「アナログ二枚組」でした。何故「ホワイト・アルバム」の原題は「THE BEATLES」なのか?何故、ディランはアノ作品を「自画像」と名付けたのか?何故、スティーヴィー・ワンダーは1980年代からコンセプト・アルバムをヤメちゃったのか?何故、トッド・ラングレンは「SOMETHING/ANYTHING?」の内ジャケで太陽に向かって勝ちどきを上げたのか?何故、ZEPは「聖なる館」って曲を「聖なる館」ではなく、次の二枚組に入れたのか?更に云えば、何故、ジョージ・ハリスンは三枚組の箱でデビュウしたのか?

ジョージ・マーティンみたいに、みんなは云った。「コピコンに片瀬はいらない!」と。「ゼンキロ」でも那奈ヲタが云った。「ゼンキロに那奈ちゃん以外の話はいらない!」と。でも、此の過剰と饒舌こそが、片瀬那奈の記録だ。何卒、宜しく。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 18:56| LOOK UP THE # | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

FAB4-074:I'M DOWN

女はそれを我慢できない [スタジオ・クラシック・シリーズ] [DVD] パーマネント・ヴァケイション ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ [DVD]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 7)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年7月23日 シングル発売、パーロフォン R 5305(モノ)


「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」

ポールが敬愛するリトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It / 米 1956)」を観て、一気に書き上げたロケンロール。本国ではシングル「HELP !」のB面に収録され、通例通りオリジナル・アルバムには未収録ですが、他のB面曲とは違い有名な楽曲です。其れは、1965年以降の彼等の実演でラストを飾る曲に選ばれたからでしょう。おそらく、ポールが「女はそれを我慢できない」を観たのは、主演の「金髪グラマー:ジェーン・マンスフィールド」を観たいってモチベーションが音楽面よりも強かったに決まっているのだけど、結果的に「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」に代わる実演最終曲をモノにしました。が、待てよ。此の曲が「女はそれを我慢できない」同様にリトル・リチャード作で在る「のっぽのサリー」に似過ぎてはいないか?と云うか「女はそれを我慢できない」にも似過ぎてはいないか?つまり、

「のっぽのサリー」+「女はそれを我慢できない」
=「アイム・ダウン」じゃないのよさ。
(足して二で割らないのがポイントです。)

ポール、、、またやらかしたのね。此れはもう「潜在盗用」じゃ無いよね。本人がネタバレしてんだもん「『のっぽのサリー』に代わるライヴ最終曲を書こうとして『女はそれを我慢できない』を観たら閃いたんで、一気に書いた」と自白してるじゃん。だから、同日に録音した「卵料理」もみんなに「此れって盗作じゃないよね?」と訊きまくったわけだ。

「ポール、、、天然杉」

奇しくも、此の曲が録音された1965年6月14日は、三曲の「マッカートニー節」の傑作が連続して奏でられました。最初は「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」で、次が此の「I'M DOWN」で、最後が「YESTERDAY」です。フォーク・ロック、ハード・ロック、スタンダード・ロッカ・バラッドと変幻自在な名曲を三タイプも書き分け、続けて披露したのです。ジョン・レノンは嬉しかったでしょう。「お前ら観たか、此れが俺が選んだ相棒、兄弟、ポールの実力だっ!」と祝福するエレピが効果的です。

確かに元ネタはバレバレだけど、他の誰が此処まで「リトル・リチャード」を真似出来るでしょう?ポールこそが、白人最強のハードロック・ヴォーカリストです。エアロスミスやハートによるカヴァーを聴けば、如何にポールが凄いかが分ります。そもそも、リトル・リチャードって天才ですからね。黒人なのに白人の養子になったのは、彼が「同性愛者」だから実父に「お前みたいなオカマ野郎は、俺の息子じゃない!白い奴らにくれてやる!!」って地獄絵図だし、1955年にメジャー・デビューして名曲を量産して、1957年人気絶頂なのにヤメちゃって、神学を学んで牧師になっちゃって、1962年に復帰してって経緯からして「なんじゃそりゃ?」なのよさ。其れで英国ツアーの前座がビートルズだったわけですよ。リトル・リチャードのバック・バンドのギタリストには若き日のジミヘンが参加していたし、ビートルズが前座だった時の鍵盤が未だ10代のビリー・プレストンだったのですよ。みんな、リトル・リチャードの弟子じゃん。

さてさて、此の奇跡の「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」が、時を隔て突如として蘇った事が在ります。其れは2001年、あの忌まわしい同時多発テロで犠牲になった消防士の為に、父親もボランティア消防士をして居た(THE FIREMAN の由来は此れでしょう)ポールが発案し実現した「Concert For New York City」で起こりました。主催者で大トリで登場したポールは、在ろう事か「I'M DOWN」を絶叫し、「YESTERDAY」を歌い、トドメに「LET IT BE」までやらかしました。ポールは慈善公演で必ず「LET IT BE」を歌う事だけでも「おいおい、なすがままに、じゃ解決せんだろ?」とツッコミたくなるのだけど、「アイム・ダウン」で「イエスタデイ」で「なすがままに」じゃ全く救いが無いじゃん!間には悪名高き迷曲「フリーダム」までやってしまいました。「あたしゃカックン!〜昨日は好かったナァ〜自由ばんじゃーいっ!〜なすがままに〜もっかい、アメリカさいこーっ!」ってさ、、、レノンやジョージが観たら怒りを通り越して呆れ果てますよ。でも、ポールはやってしまいました。おそらく本人は「最後に亜米利加でビートルズが歌った曲だよ、最近演奏してなかったし、みんな大喜びさ」とか単純に思ってやったんですよ。

「ポール、全く、お前って奴は、、、」

時間軸を戻し、其の奇跡の三曲「夢の人」「アイム・ダウン」「イエスタデイ」がミックスされ完成した「1965年6月18日」は、ポールの23回目のお誕生日でした。其の時、遂に「レノン・マッカートニー」が完成しました。出来過ぎた様な展開ですが、歴史的事実です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 13:13| FAB4 | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」小平公演(21/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:30開場、 18:00開演 小平町文化交流センター


NO WORDS



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「さんぜんえん?」
「がくせい、にせんえん??」
「ぜんせき、じゆう???」
小平町のともだちが、裏山椎名(くりぼう)


「いきなりだナァ」で、突然ですけど「革命」千秋楽まで一気にアップしてしまいました。完売した会場も在りますが、より多くの方々に観て戴きたく思いまして、やってしまいました。

僕が此処を始めた時には「ブログ」とは「WEB上の日記」って認識がほとんどだったんです。通常の「HP」を作るよりも圧倒的に簡単に記事を書ける「BLOG」を「個人の日記」にしか使わないなんて勿体無いと思いました。其れで「COPY CONTROL」を始めた。最初から「片瀬那奈ちゃんと其れに関わる世界の記録」として始めたのだけど、「アングラだ」とか「前衛的でよく分んない」とか云われつつも、何故か其れ也に読まれて居ました。そんな時に「電車男の時刻表」と云うブログに出逢ったのです。未だ「電車男」が「2ちゃんねる」でのみ話題になって居た頃でした。其のサイト(最早、其れはブログを超えて居ました)を見て、僕は「片瀬那奈全記録」を発想したのです。「那奈ちゃんの活動を記録するブログをやってみよう!」と閃いた。

始めてから「そんな芸能人を記録するって発想のブログは他にも無いのかしら?」と探したら、色々と在りました。中でも衝撃を受けたのが、及川クンのファンが此処とおんなじ様な事を同時期に始めて居た事でした。「及川奈央はじめました〜ハダココ〜」ってブログで、現在も更新中で既に64万アクセス位でしょうか。兎に角、只只、及川クンの活動を記録し、先のスケジュールまでドンドンと予告し続けて居るのです。あたくしの様に余計な私見等が無い、本物の記録です。他の記録系ブログの多くが「違法なキャプチャ画像」を貼って居たのに、「ハダココ」には其れが無かったのも驚きました。姿勢が、真摯なんですよ。「及川クンには、凄いファンが居るんだナァ」って感心したものです。其れで、五年間禁じ手にして来たのですけど「ハダココ」のマネをして、うっかり未来までアップしちゃったのよさ。

「革命」とは関係無い話で失礼しました。

あっ。関係在るか。加藤鷹さんの「7000人」の一人は、及川クンだもんね。


(「ケガレシア礼賛」:小島藺子)



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「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」

PS.「革命同志:キム&ハリケンレッド、御誕生日おめでとう。」


(ななごころ一同)



posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

FAB4-075:THE NIGHT BEFORE

Steelin' the Beatles HELP! - 4人はアイドル


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/17、2/18)、マルコム・デイヴィス(2/23)、フィル・マクドナルド(4/18)
 録音:1965年2月17日(take 2)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日(1)、4月18日(2:未使用)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-2)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


さて、先行シングルでの曲が先に出ちゃってますけど、アルバム「HELP !」の登場です。邦題は映画のタイトルに合わせ「HELP ! 4人はアイドル」です。前作映画同様、水野先生のセンス、すぎょすぎです。つまり、彼等の主演第二作映画のサントラ盤としての側面を持つのですが、前作映画と同じく「A面にサントラ用の新曲、B面は其れ以外の新曲」ってカラクリになっており、サービス満点です。米国では、キャピトルによって無茶苦茶に解体され、収録曲は四枚のアルバムに分散されます。唯一の救いは、其の内の壱枚が純粋なサントラ盤だった事でしょう。

アルバム冒頭は当然、先行シングル第二弾として大ヒット中で映画の主題歌「HELP !」です。そして、二曲目に此のポール・マッカートニー作のやっつけ仕事が出て来ます。アルバム「HELP !」は、見事に「レノマカ」+α=「ビートルズ」が均等に配分されています。全14曲でリード・ヴォーカルは「ジョン:6、ポール:5、ジョージ:2、リンゴ:1」です。然し乍ら、未だ未だジョンに分が在ったと云わねばならないのは「A面でのポール駄作」の存在ゆえです。此の「THE NIGHT BEFORE」や「ANOTHER GIRL」更にはボツになった「THAT MEANS A LOT」を聴くと、未だポールは完全には覚醒しておりません。此れらはアルバム「HELP !」セッションの始めの時期(2月〜3月)に録音された楽曲です。確かに、セッション最初のジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」で、ポールは「編曲家&演奏家」としては化けました。でも、未だ「自作自演歌手」としては「寝ぼけた侭」だった様子です。

たったの2テイクで、一発録りに限りなく近いラフな演奏で流す上に乗せた「ポールの過剰なダブルトラック声」は、かつての「HOLD ME TIGHT」「WHAT YOU ARE DOING」の悪夢を想起させます。実際に「THAT MEANS A LOT」が三度目の悪夢でした。アルバム「HELP !」でジョンが導入したエレピも、此の曲では余り好い効果を上げてはいません。後述する「ANOTHER GIRL」も同じ印象です。セッションは一旦、1965年3月30日の「THAT MEANS A LOT」リメイク(ポールは三たび、駄曲に他の連中を、なな、なんと「24テイク(実際には那奈テイクですけど、五十歩百歩です)」も付き合わせ、結局ボツになるのでした。)を最後に中断し、4月13日にジョン作(ポールが合作だと云っているし、完成版を聴けば其の通りなのだけど、どー考えても基本的にはジョンの曲じゃん!)の主題歌「HELP !」を録音し再び中断、5月10日にはジョンのカヴァー2曲をやって、運命の6月14日が来るのです。僅か三ヶ月後に別人の様な「世紀のメロディーメイカー」が現れます。一体、1965年の春、ポールに何が起こったのでしょう?また死んで蘇ったのかしらん。ポールって、何人いるのよさ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」滝川公演(22/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 たきかわ文化センター


I KNOW(I know)



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「こんな事は初めてだったんだっ!」と叫ぶ悩める主人公に、老賢者が「物事には、必ず始まりが在るものさ」なんて云う展開が映画なんかにはよく出て来る。つまり「終わりも在る」のです。

此処は、いつ何時でも、僕が「ヤ〜メタ」って云えば「ワンクリック」で消滅します。誰も協力なんかしてくれなかった。誰もね。そして、其れは当然だ。何故なら、此処は「個人ブログ」だからさ。過度の期待は、もう沢山だ。只見てるだけじゃないか。何を文句を云ってんのよさ?頭、平気かい?僕は、ボランティアじゃない。君たちの代弁者でもない。

僕は「個」だ。指図するなよ。あたくしは、お前の部下じゃない。


(小島藺子)



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posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

FAB4-076:YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY
(悲しみはぶっとばせ)

You've Got to Hide Your Love Away Kojak Variety


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/18、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月18日(take 9)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-3)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


ジョン・レノン作のフォーク・ロックの傑作。前作から明らかにディランの影響を受けたジョンは、其れを咀嚼し「ビートルズ・サウンド」として大衆化してしまいました。恐るべき才気です。楽曲からして、ポール作の前曲「THE NIGHT BEFORE」との格差は、最早「絶望的に」勝っています。何もかもが革新的でした。全く電気式楽器を使わず、フォーク調なのにワルツのリズムで奏で、デビュー盤「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」でリンゴの代わりにアンディ・ホワイトを太鼓で雇って以来、初めて外部から客演させました。つまり、此の時まで彼等は「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、そしてマーティンの五人で演奏して来た」のです。呼ばれたのは「ジョン・スコット(後のジョニー・スコット)」でした。彼が吹くフルートが実に効果的に使われています。此の曲の編曲や製作過程が、ポール&マーティンによる永遠のスタンダード(小野未来ちゃんも絶賛!)「YESTERDAY」へと直結しています。

かつて1970年代の日本では「ビートルズの楽曲は、ほとんどがジョン・レノンが作詩し、ポール・マッカートニーが作曲している」なんて出鱈目が罷り通っていました。「こいつらは『ビートルズ革命』すらも読んでないんだな」と、中学生のあたくしは呆れ「音楽評論家なんて屑だっ!」と思いました。でも、確かにジョンにはポールには無い「詩的才能」が在ります。明らかにジョン・レノン作と分る楽曲の美しい詩が「作詩はレノン」なんて誤解を生んだのかもしれません。ま、単に「レノン/マッカートニー」だから「作詩/作曲」って思ったのが真相なんでしょうけどね。

解散状態になった1970年にジョンが初めてマトモなソロ作品として発表した「ジョンの魂」は、永遠のマスターピースです。其処での「裸のジョン・レノン」に僕らは聴く度に衝撃を受け続ける。されど、ジョンは元々そういう人だったし、真実だけを歌おうとしていたのです。「悲しみはぶっとばせ」は、そのまんま「労働者階級の英雄」へと繋がっています。愉快痛快な活劇映画で、ジョンとリンゴが「悲しみはぶっとばせ」を演奏する姿に惑わされてはいけません。更に云うなら「労働者階級の英雄」と「中流階級出身で大金持ちのジョン・レノン」が歌うペテンに騙されてもイカン!のです。でも、それでも、僕らは騙された。喜んでジョンの「まやかし」を受け入れた。其れは、どんなに毒舌を吐いても、誤魔化しても、もっと云えばどんなに陳腐な邦題を付けられようとも「ジョン・レノンの真実の心」が隠せなかったからでしょう。ジョン・レノンが作った音楽は、限りなく美しいのです。もしも、其れが「演技」だとしても、僕らは信じた。心を撃ち抜かれた。どんなに中傷されても、僕らのジョン・レノンは消えません。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

ドラマ8「ゴーストフレンズ」最終回(全10回)

明日への光(豪華盤)(DVD付)


NHK総合 毎週木曜日 20:00〜20:43

「さよなら、ゴーストたち」

【キャスト】
 福田 沙紀:神谷 明日香
 片瀬 那奈:小野 あやか
 水崎 綾女:青山 ミク
 西島隆弘、入山法子、愛衣、入江甚儀、モト冬樹、岡田義徳、中山恵、友近、小市慢太郎、鰐淵晴子 ほか

【スタッフ】
 脚本:増本庄一郎
 演出:梛川善郎



「一体、いつになったら出て来るんだ?」

と、全国那奈千万人の小野あやかフリークをドラマ本編とは別の部分でも「ハラハラドキドキ」させてくれた大爆笑の大団円でした。

何なんだ?コノ急展開はっ!!いえ、予想はして居りましたよ。もう前回まで「物語を広げ過ぎ」てましたから、怒涛の終息へと向かうしか無かったわけだ。アノ名作「西豪寺エレナ様物語」や「小早川妙子の恋」のカタストロフィーをも超えた無茶苦茶で無理矢理な最終回は、まるで「エヴァンゲリオン」並でした。もう手に汗握り爆笑しながらしっかりと鑑賞させて頂いたわよ。

「あのぁ〜、小野あやかサンがかつてゴーストを見えてたってのも、明日香の那奈年ぶっ飛び成長噺で説明つけちゃったの?オチはやっぱり三人目登場でつかぁ?」

ツッコミ処が満載過ぎで、頭がクラクラします。傑作です。流石は消費税割れドラマです。「フラガール」との共通キャスティングが話題になりましたが、那奈ヲタ的には「暴ママ、ふたたび!(「チャオ!ママ=古文の先生:中山恵さん」とも再共演してたのだよ)」でも在り、研音様と云うよりも「インセント(入山法子サン)」絡みでも在り、流石は日本放送協会サマだぜっ!って全方位外交だったわけですが、次週からは何やら「FLY」みたいなドラマが始まります。

小野あやか役は、すごく好かった。最終回もラストでやっと登場したわけですが、其の自然な演技がとても心に残りました。那奈ちゃん、お疲れ様でした。「幽霊友人」は「怪作」として後世に残るでしょう。


(小島藺子/姫川未亜)



ドラマ8「ゴーストフレンズ」NHK公式サイト


posted by 栗 at 20:47| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」伊達公演(23/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 だて歴史の杜カルチャーセンター 大ホール


I AM YOUR SINGER



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「革命同志諸君、北海道ツアー、お疲れっす!」

されど、休む間も無く今週末からは「みちのくシリーズ」へと向かうわけです。仙台ローカル番組へのTV出演も在るそうです。那奈ちゃん、美味しいものを沢山食べて、元気でね。


(姫川未亜)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

「Everyday I Write The Book」

Punch the Clock


最近は夜勤が多いので、なかなか眠る時間が取れず、何となく映画を観て居ます。

思えば、観て居ない映画が沢山部屋には在るのでした。今週は、毎日三本位観てます。夜働いて居ると、TVでも本放送のドラマなんかは観なくなるわけで、観れるのは再放送ドラマで、何故かそっちの方が面白かったりするんです。矢張り、もう「片瀬ドラマ」以外の新作は要らないな。

此処は、毎日書いて居るのだけど、毎日更新する必要は無いと思うのです。そんなに簡単な事じゃないでしょ?僕は、三人目の誰かに書いて居るんです。君の為じゃないよ。「何故、更新しないの?」とか云われても困るんだよね。だって、其れは、君の勝手な希望じゃん。だったら、君が書けば好いだけじゃん。僕に一体何を期待してるんだい?僕は、君とおんなじ「単なる片瀬那奈ちゃんのファン」だよ。


(小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 12:24| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-077:I NEED YOU

オールタイム・ベスト Gentle Guitar Dreams


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日、16日(take 5)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-4)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


いたいけジョージの、ビートルズ現役時代の公式盤で二曲目のオリジナル作品です。そして数在るジョージ・ハリスン作品の中で、あたくしが最も好きな曲です。中学生時代に多重録音してカヴァーした録音まで残っているのです。たぶん、コード進行も簡単だからやったのかもしれないけどさ。録音は1965年2月15日、つまりアルバム「HELP !」セッション初日に、ジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」、ポール・マッカートニー作「ANOTHER GIRL」に続けて行われました。アノ悪夢の「DON'T BOTHER ME」から一年半振りに、遂にジョージの出番が来たのです。テイク5でアコースティックな楽曲として完成した其れに、ジョージは翌日、新たな試みを加えます。相方のリンゴも、カウベルで盛り上げます。

「YES IT IS」でも演奏した「トーン・ペダル(所謂ひとつのワウワウ)」を、辿々しく弾くジョージも、イナタイ曲調も詩も、すがる様な哀願するワンコみたいな歌声も、何もかもが「可愛い」のです。いきなり「君は僕がどれだけ愛してるのか認識してない!」と始め「帰って来て、君が必要さ!」と畳み掛ける「ジャニーズも吃驚の小姓振り」も、此の時代のジョージなら大丈夫。日本人はジョージが好きだけど、ジャニーズも大好きです。そうです、其の通りです。ジョージこそが「ジャニーズの本質を体現した元祖」でも在るのです。何せ、ソロ・デビューまで「苦節15年!」の丁稚奉公だったのですよ。偉大過ぎる「レノマカ」の陰で、寡黙にコツコツと努力し、遂に花が咲くまで「第三の男」呼ばわりされ、ポールにダメ出しされたり、ジョニーに子供扱いされたりして耐えたのだよ。

「ビートルズって、ジョージの才能を開花させる為に存在した大いなる助走に過ぎないんじゃまいか?」と、同志:レコスケ声で叫びたいっ!!(ぜいはあ、、、)

だってさ、好い曲じゃないですか。「ポップス研究家:ジョージ」らしい、甘くドリーミーな楽曲は、明らかに「ブリル・ビルディング系」の王道アメリカン・ポップスの影響下に在りますが、既に此の時期のレノマカには書けなくなっていた(いや、幾らでも書けたけど、もう自分では歌えなくなっていた)永遠の美です。此の甘さが、此の時期の彼等には必要でした。だって「4人はアイドル」だったのですよ。最早、其れを体現出来るのは、ジョージだけでした。だから、あたくしは此の曲を愛しています。此の曲から、ジョージは本格的にスタートしたのです。

彼は生涯、壱度も此の曲を実演で披露しませんでした。彼が自作で披露した最も古い自作曲は「IF I NEEDED SOMEONE(恋をするなら)」で、次作「RUBBER SOUL」からの楽曲です。ベスト盤にも入らなかった。でも、あたくしがジョージの「オールタイム・ベスト」を選曲したなら、絶対に此の楽曲は入れます。「FAR EAST MAN」も入れます。ジョージの名曲群が遺されるのは素晴らしい事です。でも、矢張り、ベスト盤は「ファンがそれぞれ自分で作るモノ」だと思います。では、銀河系中のレコスケたちよ、御唱和下さい。

「ジョージ、愛してる」


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 18:44| FAB4 | 更新情報をチェックする