nana.812.png

2009年06月07日

「36万アクセスへ、誓いの明日」

フィジカル・グラフィティ サムシング/エニシング?(ハロー・イッツ・ミー)(K2HD/紙ジャケット仕様) Journey Through the Secret Life of Plants


此処の総アクセス数が、36万を超えました。
こんな奇妙な世界を御愛読有難う御座居ます。


此の36万の内の「11万」は、合併した母体で在る「COPY CONTROL」の数字です。決してイカサマでは在りません。本隊は、既に此処に移動した記事は消えて居ります。本当は「11万」じゃ、少な過ぎるんです。かつて「コピコン」は此処の数十倍の支持を受けて居りました。僅か数人にしか存在を教えなかった場所に、毎日100人以上が来たのです。そして、彼等の大多数は云った。「片瀬那奈の記事が邪魔だ!」と。其れで、僕は此処を分家しました。メイン・カテゴリが追い出されたのです。「嗚呼、洋楽板からビーヲタが追い出された時とおんなじじゃん。」と、僕は思った。歴史は繰り返すのだ。そして、分家から半年間、此処の平均アクセスは壱日一桁でした。多くても20人も居なかった。確かに、誰にも云わなかったけど「此れじゃあんまりだ!那奈ちゃん、正直すまんかった」と思いました。酷い日には、三人しか踏まなかったのです。其の内の一人はあたくしで、もう一人は盟友:うっぴー☆です。だから、僕は三人目の誰かに向けて書いた。知らない誰かが、見てくれて居るから、其の人の為に書き続けました。其れが誰なのかを知らされた時の衝撃は、生涯忘れないでしょう。僕は、部屋に帰って号泣しました。生涯、此処を続けようと誓いました。

いつの間にか、アクセス数が増え、遂には母体をも呑み込んだ此処は、逆に本来のカタチに戻ったのです。「COPY CONTROL」のコンセプトは「アナログ二枚組」でした。何故「ホワイト・アルバム」の原題は「THE BEATLES」なのか?何故、ディランはアノ作品を「自画像」と名付けたのか?何故、スティーヴィー・ワンダーは1980年代からコンセプト・アルバムをヤメちゃったのか?何故、トッド・ラングレンは「SOMETHING/ANYTHING?」の内ジャケで太陽に向かって勝ちどきを上げたのか?何故、ZEPは「聖なる館」って曲を「聖なる館」ではなく、次の二枚組に入れたのか?更に云えば、何故、ジョージ・ハリスンは三枚組の箱でデビュウしたのか?

ジョージ・マーティンみたいに、みんなは云った。「コピコンに片瀬はいらない!」と。「ゼンキロ」でも那奈ヲタが云った。「ゼンキロに那奈ちゃん以外の話はいらない!」と。でも、此の過剰と饒舌こそが、片瀬那奈の記録だ。何卒、宜しく。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 18:56| LOOK UP THE # | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

FAB4-074:I'M DOWN

女はそれを我慢できない [スタジオ・クラシック・シリーズ] [DVD] パーマネント・ヴァケイション ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ [DVD]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 7)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年7月23日 シングル発売、パーロフォン R 5305(モノ)


「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」

ポールが敬愛するリトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It / 米 1956)」を観て、一気に書き上げたロケンロール。本国ではシングル「HELP !」のB面に収録され、通例通りオリジナル・アルバムには未収録ですが、他のB面曲とは違い有名な楽曲です。其れは、1965年以降の彼等の実演でラストを飾る曲に選ばれたからでしょう。おそらく、ポールが「女はそれを我慢できない」を観たのは、主演の「金髪グラマー:ジェーン・マンスフィールド」を観たいってモチベーションが音楽面よりも強かったに決まっているのだけど、結果的に「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」に代わる実演最終曲をモノにしました。が、待てよ。此の曲が「女はそれを我慢できない」同様にリトル・リチャード作で在る「のっぽのサリー」に似過ぎてはいないか?と云うか「女はそれを我慢できない」にも似過ぎてはいないか?つまり、

「のっぽのサリー」+「女はそれを我慢できない」
=「アイム・ダウン」じゃないのよさ。
(足して二で割らないのがポイントです。)

ポール、、、またやらかしたのね。此れはもう「潜在盗用」じゃ無いよね。本人がネタバレしてんだもん「『のっぽのサリー』に代わるライヴ最終曲を書こうとして『女はそれを我慢できない』を観たら閃いたんで、一気に書いた」と自白してるじゃん。だから、同日に録音した「卵料理」もみんなに「此れって盗作じゃないよね?」と訊きまくったわけだ。

「ポール、、、天然杉」

奇しくも、此の曲が録音された1965年6月14日は、三曲の「マッカートニー節」の傑作が連続して奏でられました。最初は「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」で、次が此の「I'M DOWN」で、最後が「YESTERDAY」です。フォーク・ロック、ハード・ロック、スタンダード・ロッカ・バラッドと変幻自在な名曲を三タイプも書き分け、続けて披露したのです。ジョン・レノンは嬉しかったでしょう。「お前ら観たか、此れが俺が選んだ相棒、兄弟、ポールの実力だっ!」と祝福するエレピが効果的です。

確かに元ネタはバレバレだけど、他の誰が此処まで「リトル・リチャード」を真似出来るでしょう?ポールこそが、白人最強のハードロック・ヴォーカリストです。エアロスミスやハートによるカヴァーを聴けば、如何にポールが凄いかが分ります。そもそも、リトル・リチャードって天才ですからね。黒人なのに白人の養子になったのは、彼が「同性愛者」だから実父に「お前みたいなオカマ野郎は、俺の息子じゃない!白い奴らにくれてやる!!」って地獄絵図だし、1955年にメジャー・デビューして名曲を量産して、1957年人気絶頂なのにヤメちゃって、神学を学んで牧師になっちゃって、1962年に復帰してって経緯からして「なんじゃそりゃ?」なのよさ。其れで英国ツアーの前座がビートルズだったわけですよ。リトル・リチャードのバック・バンドのギタリストには若き日のジミヘンが参加していたし、ビートルズが前座だった時の鍵盤が未だ10代のビリー・プレストンだったのですよ。みんな、リトル・リチャードの弟子じゃん。

さてさて、此の奇跡の「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」が、時を隔て突如として蘇った事が在ります。其れは2001年、あの忌まわしい同時多発テロで犠牲になった消防士の為に、父親もボランティア消防士をして居た(THE FIREMAN の由来は此れでしょう)ポールが発案し実現した「Concert For New York City」で起こりました。主催者で大トリで登場したポールは、在ろう事か「I'M DOWN」を絶叫し、「YESTERDAY」を歌い、トドメに「LET IT BE」までやらかしました。ポールは慈善公演で必ず「LET IT BE」を歌う事だけでも「おいおい、なすがままに、じゃ解決せんだろ?」とツッコミたくなるのだけど、「アイム・ダウン」で「イエスタデイ」で「なすがままに」じゃ全く救いが無いじゃん!間には悪名高き迷曲「フリーダム」までやってしまいました。「あたしゃカックン!〜昨日は好かったナァ〜自由ばんじゃーいっ!〜なすがままに〜もっかい、アメリカさいこーっ!」ってさ、、、レノンやジョージが観たら怒りを通り越して呆れ果てますよ。でも、ポールはやってしまいました。おそらく本人は「最後に亜米利加でビートルズが歌った曲だよ、最近演奏してなかったし、みんな大喜びさ」とか単純に思ってやったんですよ。

「ポール、全く、お前って奴は、、、」

時間軸を戻し、其の奇跡の三曲「夢の人」「アイム・ダウン」「イエスタデイ」がミックスされ完成した「1965年6月18日」は、ポールの23回目のお誕生日でした。其の時、遂に「レノン・マッカートニー」が完成しました。出来過ぎた様な展開ですが、歴史的事実です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 13:13| FAB4 | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」小平公演(21/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:30開場、 18:00開演 小平町文化交流センター


NO WORDS



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「さんぜんえん?」
「がくせい、にせんえん??」
「ぜんせき、じゆう???」
小平町のともだちが、裏山椎名(くりぼう)


「いきなりだナァ」で、突然ですけど「革命」千秋楽まで一気にアップしてしまいました。完売した会場も在りますが、より多くの方々に観て戴きたく思いまして、やってしまいました。

僕が此処を始めた時には「ブログ」とは「WEB上の日記」って認識がほとんどだったんです。通常の「HP」を作るよりも圧倒的に簡単に記事を書ける「BLOG」を「個人の日記」にしか使わないなんて勿体無いと思いました。其れで「COPY CONTROL」を始めた。最初から「片瀬那奈ちゃんと其れに関わる世界の記録」として始めたのだけど、「アングラだ」とか「前衛的でよく分んない」とか云われつつも、何故か其れ也に読まれて居ました。そんな時に「電車男の時刻表」と云うブログに出逢ったのです。未だ「電車男」が「2ちゃんねる」でのみ話題になって居た頃でした。其のサイト(最早、其れはブログを超えて居ました)を見て、僕は「片瀬那奈全記録」を発想したのです。「那奈ちゃんの活動を記録するブログをやってみよう!」と閃いた。

始めてから「そんな芸能人を記録するって発想のブログは他にも無いのかしら?」と探したら、色々と在りました。中でも衝撃を受けたのが、及川クンのファンが此処とおんなじ様な事を同時期に始めて居た事でした。「及川奈央はじめました〜ハダココ〜」ってブログで、現在も更新中で既に64万アクセス位でしょうか。兎に角、只只、及川クンの活動を記録し、先のスケジュールまでドンドンと予告し続けて居るのです。あたくしの様に余計な私見等が無い、本物の記録です。他の記録系ブログの多くが「違法なキャプチャ画像」を貼って居たのに、「ハダココ」には其れが無かったのも驚きました。姿勢が、真摯なんですよ。「及川クンには、凄いファンが居るんだナァ」って感心したものです。其れで、五年間禁じ手にして来たのですけど「ハダココ」のマネをして、うっかり未来までアップしちゃったのよさ。

「革命」とは関係無い話で失礼しました。

あっ。関係在るか。加藤鷹さんの「7000人」の一人は、及川クンだもんね。


(「ケガレシア礼賛」:小島藺子)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」

PS.「革命同志:キム&ハリケンレッド、御誕生日おめでとう。」


(ななごころ一同)



posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

FAB4-075:THE NIGHT BEFORE

Steelin' the Beatles HELP! - 4人はアイドル


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/17、2/18)、マルコム・デイヴィス(2/23)、フィル・マクドナルド(4/18)
 録音:1965年2月17日(take 2)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日(1)、4月18日(2:未使用)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-2)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


さて、先行シングルでの曲が先に出ちゃってますけど、アルバム「HELP !」の登場です。邦題は映画のタイトルに合わせ「HELP ! 4人はアイドル」です。前作映画同様、水野先生のセンス、すぎょすぎです。つまり、彼等の主演第二作映画のサントラ盤としての側面を持つのですが、前作映画と同じく「A面にサントラ用の新曲、B面は其れ以外の新曲」ってカラクリになっており、サービス満点です。米国では、キャピトルによって無茶苦茶に解体され、収録曲は四枚のアルバムに分散されます。唯一の救いは、其の内の壱枚が純粋なサントラ盤だった事でしょう。

アルバム冒頭は当然、先行シングル第二弾として大ヒット中で映画の主題歌「HELP !」です。そして、二曲目に此のポール・マッカートニー作のやっつけ仕事が出て来ます。アルバム「HELP !」は、見事に「レノマカ」+α=「ビートルズ」が均等に配分されています。全14曲でリード・ヴォーカルは「ジョン:6、ポール:5、ジョージ:2、リンゴ:1」です。然し乍ら、未だ未だジョンに分が在ったと云わねばならないのは「A面でのポール駄作」の存在ゆえです。此の「THE NIGHT BEFORE」や「ANOTHER GIRL」更にはボツになった「THAT MEANS A LOT」を聴くと、未だポールは完全には覚醒しておりません。此れらはアルバム「HELP !」セッションの始めの時期(2月〜3月)に録音された楽曲です。確かに、セッション最初のジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」で、ポールは「編曲家&演奏家」としては化けました。でも、未だ「自作自演歌手」としては「寝ぼけた侭」だった様子です。

たったの2テイクで、一発録りに限りなく近いラフな演奏で流す上に乗せた「ポールの過剰なダブルトラック声」は、かつての「HOLD ME TIGHT」「WHAT YOU ARE DOING」の悪夢を想起させます。実際に「THAT MEANS A LOT」が三度目の悪夢でした。アルバム「HELP !」でジョンが導入したエレピも、此の曲では余り好い効果を上げてはいません。後述する「ANOTHER GIRL」も同じ印象です。セッションは一旦、1965年3月30日の「THAT MEANS A LOT」リメイク(ポールは三たび、駄曲に他の連中を、なな、なんと「24テイク(実際には那奈テイクですけど、五十歩百歩です)」も付き合わせ、結局ボツになるのでした。)を最後に中断し、4月13日にジョン作(ポールが合作だと云っているし、完成版を聴けば其の通りなのだけど、どー考えても基本的にはジョンの曲じゃん!)の主題歌「HELP !」を録音し再び中断、5月10日にはジョンのカヴァー2曲をやって、運命の6月14日が来るのです。僅か三ヶ月後に別人の様な「世紀のメロディーメイカー」が現れます。一体、1965年の春、ポールに何が起こったのでしょう?また死んで蘇ったのかしらん。ポールって、何人いるのよさ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」滝川公演(22/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 たきかわ文化センター


I KNOW(I know)



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「こんな事は初めてだったんだっ!」と叫ぶ悩める主人公に、老賢者が「物事には、必ず始まりが在るものさ」なんて云う展開が映画なんかにはよく出て来る。つまり「終わりも在る」のです。

此処は、いつ何時でも、僕が「ヤ〜メタ」って云えば「ワンクリック」で消滅します。誰も協力なんかしてくれなかった。誰もね。そして、其れは当然だ。何故なら、此処は「個人ブログ」だからさ。過度の期待は、もう沢山だ。只見てるだけじゃないか。何を文句を云ってんのよさ?頭、平気かい?僕は、ボランティアじゃない。君たちの代弁者でもない。

僕は「個」だ。指図するなよ。あたくしは、お前の部下じゃない。


(小島藺子)



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2009年06月10日

FAB4-076:YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY
(悲しみはぶっとばせ)

You've Got to Hide Your Love Away Kojak Variety


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/18、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月18日(take 9)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-3)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


ジョン・レノン作のフォーク・ロックの傑作。前作から明らかにディランの影響を受けたジョンは、其れを咀嚼し「ビートルズ・サウンド」として大衆化してしまいました。恐るべき才気です。楽曲からして、ポール作の前曲「THE NIGHT BEFORE」との格差は、最早「絶望的に」勝っています。何もかもが革新的でした。全く電気式楽器を使わず、フォーク調なのにワルツのリズムで奏で、デビュー盤「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」でリンゴの代わりにアンディ・ホワイトを太鼓で雇って以来、初めて外部から客演させました。つまり、此の時まで彼等は「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、そしてマーティンの五人で演奏して来た」のです。呼ばれたのは「ジョン・スコット(後のジョニー・スコット)」でした。彼が吹くフルートが実に効果的に使われています。此の曲の編曲や製作過程が、ポール&マーティンによる永遠のスタンダード(小野未来ちゃんも絶賛!)「YESTERDAY」へと直結しています。

かつて1970年代の日本では「ビートルズの楽曲は、ほとんどがジョン・レノンが作詩し、ポール・マッカートニーが作曲している」なんて出鱈目が罷り通っていました。「こいつらは『ビートルズ革命』すらも読んでないんだな」と、中学生のあたくしは呆れ「音楽評論家なんて屑だっ!」と思いました。でも、確かにジョンにはポールには無い「詩的才能」が在ります。明らかにジョン・レノン作と分る楽曲の美しい詩が「作詩はレノン」なんて誤解を生んだのかもしれません。ま、単に「レノン/マッカートニー」だから「作詩/作曲」って思ったのが真相なんでしょうけどね。

解散状態になった1970年にジョンが初めてマトモなソロ作品として発表した「ジョンの魂」は、永遠のマスターピースです。其処での「裸のジョン・レノン」に僕らは聴く度に衝撃を受け続ける。されど、ジョンは元々そういう人だったし、真実だけを歌おうとしていたのです。「悲しみはぶっとばせ」は、そのまんま「労働者階級の英雄」へと繋がっています。愉快痛快な活劇映画で、ジョンとリンゴが「悲しみはぶっとばせ」を演奏する姿に惑わされてはいけません。更に云うなら「労働者階級の英雄」と「中流階級出身で大金持ちのジョン・レノン」が歌うペテンに騙されてもイカン!のです。でも、それでも、僕らは騙された。喜んでジョンの「まやかし」を受け入れた。其れは、どんなに毒舌を吐いても、誤魔化しても、もっと云えばどんなに陳腐な邦題を付けられようとも「ジョン・レノンの真実の心」が隠せなかったからでしょう。ジョン・レノンが作った音楽は、限りなく美しいのです。もしも、其れが「演技」だとしても、僕らは信じた。心を撃ち抜かれた。どんなに中傷されても、僕らのジョン・レノンは消えません。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

ドラマ8「ゴーストフレンズ」最終回(全10回)

明日への光(豪華盤)(DVD付)


NHK総合 毎週木曜日 20:00〜20:43

「さよなら、ゴーストたち」

【キャスト】
 福田 沙紀:神谷 明日香
 片瀬 那奈:小野 あやか
 水崎 綾女:青山 ミク
 西島隆弘、入山法子、愛衣、入江甚儀、モト冬樹、岡田義徳、中山恵、友近、小市慢太郎、鰐淵晴子 ほか

【スタッフ】
 脚本:増本庄一郎
 演出:梛川善郎



「一体、いつになったら出て来るんだ?」

と、全国那奈千万人の小野あやかフリークをドラマ本編とは別の部分でも「ハラハラドキドキ」させてくれた大爆笑の大団円でした。

何なんだ?コノ急展開はっ!!いえ、予想はして居りましたよ。もう前回まで「物語を広げ過ぎ」てましたから、怒涛の終息へと向かうしか無かったわけだ。アノ名作「西豪寺エレナ様物語」や「小早川妙子の恋」のカタストロフィーをも超えた無茶苦茶で無理矢理な最終回は、まるで「エヴァンゲリオン」並でした。もう手に汗握り爆笑しながらしっかりと鑑賞させて頂いたわよ。

「あのぁ〜、小野あやかサンがかつてゴーストを見えてたってのも、明日香の那奈年ぶっ飛び成長噺で説明つけちゃったの?オチはやっぱり三人目登場でつかぁ?」

ツッコミ処が満載過ぎで、頭がクラクラします。傑作です。流石は消費税割れドラマです。「フラガール」との共通キャスティングが話題になりましたが、那奈ヲタ的には「暴ママ、ふたたび!(「チャオ!ママ=古文の先生:中山恵さん」とも再共演してたのだよ)」でも在り、研音様と云うよりも「インセント(入山法子サン)」絡みでも在り、流石は日本放送協会サマだぜっ!って全方位外交だったわけですが、次週からは何やら「FLY」みたいなドラマが始まります。

小野あやか役は、すごく好かった。最終回もラストでやっと登場したわけですが、其の自然な演技がとても心に残りました。那奈ちゃん、お疲れ様でした。「幽霊友人」は「怪作」として後世に残るでしょう。


(小島藺子/姫川未亜)



ドラマ8「ゴーストフレンズ」NHK公式サイト


posted by 栗 at 20:47| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」伊達公演(23/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 だて歴史の杜カルチャーセンター 大ホール


I AM YOUR SINGER



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「革命同志諸君、北海道ツアー、お疲れっす!」

されど、休む間も無く今週末からは「みちのくシリーズ」へと向かうわけです。仙台ローカル番組へのTV出演も在るそうです。那奈ちゃん、美味しいものを沢山食べて、元気でね。


(姫川未亜)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

「Everyday I Write The Book」

Punch the Clock


最近は夜勤が多いので、なかなか眠る時間が取れず、何となく映画を観て居ます。

思えば、観て居ない映画が沢山部屋には在るのでした。今週は、毎日三本位観てます。夜働いて居ると、TVでも本放送のドラマなんかは観なくなるわけで、観れるのは再放送ドラマで、何故かそっちの方が面白かったりするんです。矢張り、もう「片瀬ドラマ」以外の新作は要らないな。

此処は、毎日書いて居るのだけど、毎日更新する必要は無いと思うのです。そんなに簡単な事じゃないでしょ?僕は、三人目の誰かに書いて居るんです。君の為じゃないよ。「何故、更新しないの?」とか云われても困るんだよね。だって、其れは、君の勝手な希望じゃん。だったら、君が書けば好いだけじゃん。僕に一体何を期待してるんだい?僕は、君とおんなじ「単なる片瀬那奈ちゃんのファン」だよ。


(小島藺子/姫川未亜)


posted by 栗 at 12:24| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-077:I NEED YOU

オールタイム・ベスト Gentle Guitar Dreams


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日、16日(take 5)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-4)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


いたいけジョージの、ビートルズ現役時代の公式盤で二曲目のオリジナル作品です。そして数在るジョージ・ハリスン作品の中で、あたくしが最も好きな曲です。中学生時代に多重録音してカヴァーした録音まで残っているのです。たぶん、コード進行も簡単だからやったのかもしれないけどさ。録音は1965年2月15日、つまりアルバム「HELP !」セッション初日に、ジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」、ポール・マッカートニー作「ANOTHER GIRL」に続けて行われました。アノ悪夢の「DON'T BOTHER ME」から一年半振りに、遂にジョージの出番が来たのです。テイク5でアコースティックな楽曲として完成した其れに、ジョージは翌日、新たな試みを加えます。相方のリンゴも、カウベルで盛り上げます。

「YES IT IS」でも演奏した「トーン・ペダル(所謂ひとつのワウワウ)」を、辿々しく弾くジョージも、イナタイ曲調も詩も、すがる様な哀願するワンコみたいな歌声も、何もかもが「可愛い」のです。いきなり「君は僕がどれだけ愛してるのか認識してない!」と始め「帰って来て、君が必要さ!」と畳み掛ける「ジャニーズも吃驚の小姓振り」も、此の時代のジョージなら大丈夫。日本人はジョージが好きだけど、ジャニーズも大好きです。そうです、其の通りです。ジョージこそが「ジャニーズの本質を体現した元祖」でも在るのです。何せ、ソロ・デビューまで「苦節15年!」の丁稚奉公だったのですよ。偉大過ぎる「レノマカ」の陰で、寡黙にコツコツと努力し、遂に花が咲くまで「第三の男」呼ばわりされ、ポールにダメ出しされたり、ジョニーに子供扱いされたりして耐えたのだよ。

「ビートルズって、ジョージの才能を開花させる為に存在した大いなる助走に過ぎないんじゃまいか?」と、同志:レコスケ声で叫びたいっ!!(ぜいはあ、、、)

だってさ、好い曲じゃないですか。「ポップス研究家:ジョージ」らしい、甘くドリーミーな楽曲は、明らかに「ブリル・ビルディング系」の王道アメリカン・ポップスの影響下に在りますが、既に此の時期のレノマカには書けなくなっていた(いや、幾らでも書けたけど、もう自分では歌えなくなっていた)永遠の美です。此の甘さが、此の時期の彼等には必要でした。だって「4人はアイドル」だったのですよ。最早、其れを体現出来るのは、ジョージだけでした。だから、あたくしは此の曲を愛しています。此の曲から、ジョージは本格的にスタートしたのです。

彼は生涯、壱度も此の曲を実演で披露しませんでした。彼が自作で披露した最も古い自作曲は「IF I NEEDED SOMEONE(恋をするなら)」で、次作「RUBBER SOUL」からの楽曲です。ベスト盤にも入らなかった。でも、あたくしがジョージの「オールタイム・ベスト」を選曲したなら、絶対に此の楽曲は入れます。「FAR EAST MAN」も入れます。ジョージの名曲群が遺されるのは素晴らしい事です。でも、矢張り、ベスト盤は「ファンがそれぞれ自分で作るモノ」だと思います。では、銀河系中のレコスケたちよ、御唱和下さい。

「ジョージ、愛してる」


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 18:44| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

「あらあらかしこ」で革命!

【LPサイズジャケット絵柄カレンダーなし】NIAGARA CD BOOK I


仙台放送 10:45〜11:40


「仙台放送で、生放送?!」

む、無念じゃ。何故、ボキは東京に居るのだっ!!


(姫川未亜)



杜の都「仙台」まで来てワンセグで見てました。

那奈ちゃんと雅俊さんは、番組スタートからラストまで登場。

食いしん坊の那奈ちゃんとしては、石巻グルメが一番気になったのではないでしょうか?

鰻、ラーメン、石巻焼きそば・・・  仙台ではダチョウも食べたそうです。

スタジオでパクパク食べてた「茶色い焼きそばアイス」は美味しかったのかなぁ。

舞台の宣伝で出たはずなのに、宣伝時間はちょっと少なかったような。。。

でも、仙台まで来て元気な那奈ちゃんが見れたからいいや。


さてと、そろそろ石巻まで行くとしますか。


(うっぴー☆)



「あらあらかしこ」仙台放送公式サイト


posted by 栗 at 11:47| TV | 更新情報をチェックする

「ふたりのシーズン」

Odessey and Oracle


最近、再放送して居る「ラスト・フレンズ」ってドラマの「岸本瑠可」が好きだ。

いや、そうじゃないんだ。彼女は「僕」に結構近い存在だから、何度も見てしまうんだろう。僕は、本当なら「性同一性障害」なのだから、女の子としての人格を尊重して生きれば幸せだったのかもしれない。でも、僕は「否」と云った。無理矢理、自分を男の子にしようとした。其れで「解離性同一性障害」の振りをした。そして出来上がったのは「男の子でも女の子でもない何か」だった。

僕は、完全に「心は女性」です。でも、男性的なモノに対する嫌悪感が異常に激しいのです。だから、僕は「同性愛者」では在りません。男性と付き合った事は無いし、興味も全く在りません。女の子としか付き合った事が無いんです。だって、女の子が好きなんだもん。女の子になりたいんだもん。でも、外見は違って好いのよさ。僕は男の子でも女の子でも在りません。僕が憧れるのは「カッコいい女性」です。でも、永遠に其れにはなれない。苦手なのは「オヤジ」です。絶対になりたくないよ。

もう、お分かりでしょう。僕の正体は「未来」です。弱き者を助けたい。此の世界の全てを救済するなんて、僕には一寸大変なのよさ。へんちくりんな僕は、子供にも老人にも好かれる。漫画みたいだからね。人間じゃないみたいだからね。そう、もう、とっくに僕は「ひとでなし」になったよ。でも、其れは「犯罪者」って意味じゃない。僕は「虚構」だ。此の世は、泡沫の幻さ。もう全部、分っちゃったんだ。「数式」だったんだ。

僕の名前は「栗」です。其れはつまり「小島藺子/姫川未亜」です。僕は「メシア」なんかじゃない。単なる「笛吹き妖怪」です。此れから何をすべきかは、イヤと云う位に知ってる。やっと、僕は僕になったよ。僕を司るのは「小島藺子」だ。でも、其れを感知して「お前はゲイか?」とかヌカしやがったら、噛むぞ。俺に噛まれたら、逝っちゃうよ。俺は俺だ。お前と違うのは当たり前じゃん。今までになかった「性別」なのよさ。いや、いっぱい居た。でも認知されなかっただけだ。簡単に云うなら僕は「恐るべき子供」だ。夢が叶ったズラ。

「やあ。俺は、怪物くんだ♪」



と、宣言する夢を見た。僕は泣いて居た。何故なのか、全く、分らない。


(「小島藺子/姫川未亜」=「栗」)




posted by 栗 at 18:21| IKO | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」石巻公演(24/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:30開場、 18:00開演 石巻市民会館


BE HERE NOW



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「片瀬那奈ちゃんは『革命(改)』が終ったら、
 電撃的に結婚引退しちゃうのかナァ。」(くりぼう)


「牧野レポ」

さてさて、仙台から塩竈、松島といった景勝地を経由しながら石巻へ。

松島に着いたときは雨でしたが、運転しながら横目でチラ見した景色は素晴らしく、今度またゆっくりと来たいと思いました。

石巻駅周辺になると「石ノ森萬画館」への案内看板があったりしながらも、本日の目的地である「石巻市民会館」へ。

雅俊さんの地元ということで、何かありそうな感じ(むっちゃんのブログ情報)。

開場前にまるかちゃんとお母さんに御挨拶。
遠征先で顔見知りに会うと嬉しいもんですね。

石巻公演で1番気になったこと。
それは、鴻上さんの姿が見えなかったことです。
シーンゼロでの「フォークソング部」にもいなかったし、ロビーや機材周辺でも確認できませんでした。

東京ではウケた台詞やギャグにも無反応。しかし、東京では誰も笑わなかったような台詞やギャグに大爆笑。地域によって反応もさまざま。面白いですね。

カーテンコールの最後に出演者全員で「私たちの望むものは」を大合唱。
1週間前からみんなで練習してたそうです。

リードギターは雅俊さん、サポートに森田ちゃん&大高さん。
ウクレレが田鍋っち、むっちゃん他3名でGAKUちゃんがカホーン。
那奈ちゃんは後ろで田島さんとニコニコ談笑しながら唄ってました。

雅俊さんの凱旋公演ということで、出演者全員気合が入ってたんでしょう。
特に大門隊長がカマしてましたね。

地方公演の旅は楽しいですよ。  


福島公演へ続く。


(うっぴー☆)



【革命同志リンク集】
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「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

「悼む」

PRO-WRESTLING NOAH 三沢光晴 [DVD]


地上波最後のプロレス中継となった「ワールドプロレスリング」を、普通なら余りにも深夜なので録画し翌日に観るのだけど、たまたま夜勤をやって居て、しかも通常より早い「午前1時55分」からの放送だから起きて観る事にした。始まった途端に、画面下に俄に信じ難いテロップが流れた。

「三沢が死んだ?何故だ?!」

最早「ベスト・オブ・スーパー・ジュニア」TV観戦どころでは無くなった。悪夢だ。アノ三沢が岩石落としを喰らった位で死ぬわけないじゃん!封印して居た地元へアクセスした「ノアだけは、本当にガチだった!」「三沢、ありがとーっ!!」等と追悼レスの嵐だった。マジなのか?ネット上のニュースでも「三沢、死す!」と書き立てて在った。「此の気持ちを理解出来る唯一の漢:アンテツ」に、深夜なのにメールした。眠れずに居たら、朝刊が届いた。一般紙なのに「三沢さん、試合で頭打ち死亡」と一面に載って居るじゃないか。コンビニへ走った。スポーツ紙全紙の一面に三沢が居た。

僕が11年前に、年間50興行も通って居たプロレス観戦をヤメたのは、本当は、猪木さんが引退したからじゃなかった。1997年、大好きだった尾崎魔弓が試合中にプラムを殺してしまったんだよ。其の直後に、友人と全日を生観戦した。完全に両腕を決められた状態で三沢が投げられ後頭部で受け身を取った瞬間に、友人が叫んだ。「三沢!もういいよ。もうヤメてくれ!!」友人は泣いて居た。観戦後、彼は云った。「イコさん、僕、もうプロレス生観戦をヤメます。もう見ていられない。」と。彼とは、其れまで五年以上も常に一緒に観戦して居た。関東は全会場、全団体を制覇し、一日に三興行を梯子したり、大阪まで逆密航したりもした。「いつか亜米利加へも一緒に行って、レッスルマニアを観ようぜ!」とまで誓って居た。彼は本当に生観戦をヤメてしまった。ひとりで暫く続けて居たのだけど、猪木さんが引退する事になって、僕もヤメてしまったのです。最後に生観戦したのは、1998年春のJWPの後楽園ホール大会だったと思います。もう尾崎はフリーになってたんじゃないかナァ。でも、逢いたかった。「頑張れよ!尾崎」って伝えたかったんだ。猪木さんの引退興行には、行かなかった。僕も「もう見ていられない」って気持ちになって居たんだと思う。(其れに「片瀬那奈」って云う新たなる希望が出現しちゃったからね。余りにもスムーズに「プロレス」→「カタセ」へと追っかけ熱が移行したのが「1998年」でした。)

僕らは「プロレス者」でした。バーリトゥードもK−1も、世間が大騒ぎする前から研究したけれど、やっぱりプロレスが好きだったんです。其の仕組みなんか、一般人よりもずっとよく解って居ました。生で観れば、分りますよ。其れに書籍も雑誌も新聞も映像作品も、鬼の様に研究したんです。其れでも、プロレスが好きなんですよ。

三沢の想い出なら、沢山在り過ぎる。僕にとっての最高の場面は、大好きな小川直也を子供扱いにした「ZERO ONE」でのタッグ戦です。「三沢、強し!」と思った。技が綺麗だった。受け身の天才だった。新団体を「ノア」と命名した志にも大きく感銘した。死んじゃいけないレスラーだった。悔しくて堪らない。此れでもプロレスは八百長なのか?三沢が死んだんだぜ。悲しくてやりきれないよ。だから、三沢、君に誓うよ。11年振りに、僕はプロレス会場に行くよ。また、始めるよ。此の侭じゃ、あんまりだ。こんな悲惨な結末で、俺が愛したプロレスを絶対に終らせない。

アキトシ!生きてくれ。お前のせいじゃない。合掌。


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:57| Comment(2) | KINASAI | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」福島公演(25/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


17:00開場、 17:30開演 福島県文化センター 大ホール


JET



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


【続・牧野レポ】

石巻から福島へ。
仙台で一泊し早起きしたので、山形経由で福島入りしました。

なぜ山形に寄ったのかというと、時期的に「さくらんぼ」に間違いない!からです。
「佐藤錦」発祥の地である東根や天童で美味しそうなさくらんぼを購入し、食べながら運転して福島へ向かいました。

福島県文化センターに到着してしばらくすると1台の観光バスが通り過ぎ、窓ガラスから革命メンバーの顔が見えました。
もしかしたら、松島でも観光してたのかもしれませんね。

今日のホールは2階席もありとても大きいです。

まずはシーンゼロ。今日の那奈ちゃんは何するのかな?と待っていると、田鍋さんと伊藤ノリちゃんに近寄りレッスンを、、、
ん、そうです、あの「まどか先生」が福島に戻ってきました。

福島だからもしかして?とは思ってましたが、実際に「フラダンス部」の活動を見れるとは。。。
途中からはGAKUちゃんも加わってましたよ。

さてさて本編ですが、本日もとても素晴らしかったです。
会場演出の都合上、客席を使う場面での動きが他とは少し違いました。

カーテンコールでは、スタンディングオベーションでの大拍手。
すごい盛り上がりです。

雅俊さんが「皆さん、もっとこの作品を好きになってください。そして育てていってください。またこの作品で皆さんに会えると思います。」みたいなメッセージで客席のボルテージは最高潮。
メンバーがステージから掃けて、客席の灯りが点いても誰ひとりとして帰らずに拍手が鳴り止まない。
するとメンバー再登場で例の「シュプレヒコール」を。
その中で那奈ちゃんが1番元気に煽ってたなぁ。。。

福島最高!です。

「フラガール」いわき公演も素晴らしかったけど、「僕たちの好きだった革命」福島公演も素晴らしい。

また福島で「革命メンバー」に会いたいです。ありがとう!


あっ、そういえば福島でも鴻上さんを見かけなかったなぁ。


(うっぴー☆)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

FAB4-078:ANOTHER GIRL

ALL BECAUSE OF YOU GUYS(紙ジャケット仕様) jane.jpg Jane Asher's Book of Cake Decorating Ideas


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日、16日(take 1)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-5)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「一筆書きの人:ポール・マッカートニー」の覚醒直前を伝える「やっつけ仕事」です。1965年2月15日、新作録音初日、革新的なジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」の録音に全力疾走したポールは、自作を軽く一発録音で完成させてしまいました。いえ、其れで好いのだ。こんな楽曲は、軽く流してサントラ面の息抜きにして、次から二連発で来る「愛しのジョン」の楽曲を引立て様じゃないか!と、未だポールは思っていたのです。「ボキはジョンのメンゴだもん!うふっ☆」てなもんですよ。此の楽曲も決して悪くは在りません。此のロカビリー風マッカ節は、近年の怪作「THAT'S ME」へとまっすぐに繋がっています。イントロ無しで始まり、リンゴでも歌えそうな単調な曲が、流れる様に急転してメロディアスになる中間部が「ギラリ!」と光ります。でも、マッカにとっても、無論レノンにとっても「大した曲じゃねーや」ってなもんや、です。

ところが、此処でトンデモな事態が派生します。確かにビートルズは一発で此れをやっつけました。でも、リード・ギターが「へっぽこりん」だったので、録音し直したのです。いたいけジョージは、後の地獄を予感させられたでしょう。ポールに云われ、10回も録音しました。其れでもポールは「オッケー!ジョージ良くやった」とは云わなかった。「鬼の完璧主義者:ポール・マッカートニー」は、「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」とおんなじ仕打ちを、かつての相棒ジョージにします。ポールは最初「レノマカ」では無く「マカハリ」だったのだよ。ポールの相棒はジョージだったのです。二人で「マッカートニー / ハリソン」として共作していたのに、ポールはジョージとの共作タッグを見限って、ジョンに擦り寄ったのだっ!

なな、なんと、散々ジョージのギターにダメ出しし捲くった翌日に、ポール・マッカートニーは「えーいっ!分からず屋めぇーっ!!」と鉄腕アトムの大義名分決め台詞の様に(アトムは、一応は「おんなじロボット同士なんだからさ、仲良くしよーよ」とか云って、其れでも暴走する敵役を10万馬力で破壊する時に「こんなに云っても分らないのかぁーっ!!」と自分を正当化する為に絶叫するのでした、、、僕は小さい頃から「アトムって、おっかねえ、、、」と思いました。)、いたいけジョージのギターを消去し、、、自分でリード・ギターを弾いたのです。僕は、思う。

「ポールって、おっかねえ、、、」


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

「無念だ!」

理想主義者


「うるぐす」を録画しながら観て、チャーリー・ブラウンみたいに「ためいきばかり」になってしまった。

盟友:エッチューさんが語った様に「リングで死ぬ」なんて有り得ないレスラーが、三沢光晴だ。絶対に有り得ない事だって、僕らは信じて居たはずだ。生で彼の試合を一度でも見た事が在るのなら、誰もがそう思って居ただろう。徳光さんは解って居るよナァ。「プロレスは受け身の競技」と云い切った。「三沢はストロング派だ」と断言した。確かに人間的にも立派だったけれど、そうした「人間:三沢光晴」を讃えるエピソードよりもVTRを観て思わず云った「彼のレスリングは、素晴らしいね」に泣いた。徳サン、ありがとう。

三沢にとって、此の人生の結末は、幸せだったのだろうか?レスラーなら「リングで死ぬ」ってのは理想だろう。かつて、アントニオ猪木の売りは、正に其れだった。「こんなプロレスを続けたなら、なんちゃらかんちゃら」とファンを煽動し、実際に自作自演でホーガンに殺される演技を完璧に演じた。馬場サンは忸怩たる思いだった。「カンちゃんの芝居には付き合ってられんよ」と無視した。

でも、弟子の三沢は怒った。本気で「だったら、俺がやってやるっ!」と誓ったのだ。三沢の道は、馬場サンでは無く、猪木の其れと似て居た。全日の社長になったのに、独立してノアを旗揚げした。日プロを追い出されて新日を創った猪木よりも、三沢の選択の方がリスキーだ。安定した雇われ社長の座を自ら捨てて「理想」に向かったのだから。其れが「私利私欲」では無かった事を、僕ら「プロレス者」は知って居る。どんなに誹謗中傷されても、三沢は最後まで「プロレスは、真剣勝負だ。世間に認知させてみせる!」と闘った。そして、リングで死んだ。

「三沢殉職」の意味は、重過ぎる。漫画じゃないんだぜ。
「あしたのジョー」じゃないんだよ。なんて理不尽な世界なんだ。

一体、誰が三沢を殺したんだ?


(小島藺子)


posted by 栗 at 01:31| KINASAI | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

「あふれる熱い涙」

船出―三沢光晴自伝


イコおねえちゃんが「東京スポーツ」をかってきたので、ぼくはビックリした。

もうずいぶんまえから、イコおねえちゃんは「東スポ」も「ニッカン」も「デイリー」もかわなくなっていたからです。まえはまいにちかっていたのだけど、となりのタバコやさんのオジサンがいなくなってからは、かうのをやめてしまっていた。たまにコンビニにいってイコおねえちゃんがスポーツしんぶんをかうのは、片瀬那奈ちゃんがのっているときだけなので「ははぁ〜ん、きょうの東スポには、片瀬那奈ちゃんがのっているんだな」とぼくはわかった。

でも、それはハズレでした。いちめんにコワイしゃしんがのっていて、ぼくはめをそむけました。イコおねえちゃんは「みさわぁ〜!なぜしんだぁーっ!!」とふるえながら「東スポ」をよんで、ないていた。DVDで「ゼロワン」というむかしのプロレスをながして、みはじめました。「はしもとーっ!みさわーっ!」とさけびながら、ごうきゅうして、いっぱいいっぱいむかしのプロレスをみていました。ぼくが「プロレスなんて、もうはやらないよ。ハッスルとかのほうがおもしろいじゃん!インリンさまとボノちゃんがみたいナァ。でなかったら、アメリカのおねえちゃんがでてくるWWEとかさ」とわけしりがおでいうと、イコおねえちゃんはキシンのひょうじょうで「たわけものっ!プロレスだけがガチなのよさっ!!み・さ・わ!み・さ・わ!み・さ・わ!み・さ・わ!〜」とくるったようにぜっきょうしました。

これはたたごとではないとサッチしたオリコウサンのぼくは、すばやくわだいをかえようと「東スポ」にめをはしらせるとミルコ・クロコップのしゃしんがのっていたので「イコおねえちゃん、やっぱりそうごうかくとうぎだよね?しんけんしょうぶっていうんでしょ?」としったかぶりをしていいました。つぎのしゅんかん「みさわのエルボー!」とさけびながらイコおねえちゃんのひじてつがぼくのあごをちょくげきし、ぼくはしっしんすんぜんになった。イコおねえちゃんは「ばかやろーっ、そーごーもけーわんもぜんぶヤヲにきまってんだろーがっ。ガチなのはプロレスだけなんだよっ。」とかんぜんにじょうきをいっしためつきで、じごくのそこからひびくようなひくいこえではきすて、しずかにわらいました。わらっているのに、イコおねえちゃんのめはなみだでいっぱいでした。とてもとてもかなしそうだった。

それで、ぼくは「ねえ、こんど、プロレスにつれていってくれますか?」とイヤイヤながらおねがいしました。イコおねえちゃんは、だまってうなずいた。そして、ずっと、むかしのプロレスをみつづけています。そしていった。「くりぼう、やっぱりコジマがみたいよね?」と。ぼくはよくわからないので、てきとーに「うん!」とこたえたら、イコおねえちゃんは「うんうん、コジはいいよね、コジってさプロレス・ゲームをやるときに、かならずミサワでたたかうんだよね、ただのファンじゃん!ぎゃはははは」などとじょうきげんでコアすぎるはなしをはじめたので、ぼくはねたふりをしています。


(くりぼう)



posted by 栗 at 00:10| KINASAI | 更新情報をチェックする