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2009年06月01日

「グッド・バイ・マイ・ラブ」

グッド・バイ・マイ・ラブ


急告!我々「ななごころ」は「片瀬那奈マネ日記」の記録公開を放棄致します。記録活動は継続致しますが、全て非公開で行います。「JMCD」カテゴリを、消します。裏方は裏方です。勘違いし過ぎなのよさ。マネ日記での浮かれ振りにも辟易してたんだけどさ、公式BBSまで私物化しちゃったわけで、もうお終いなのよさ☆古参ファンは全員、匙投げたぞ。左様なら、検温ちゃん。僕たちが愛し続けるのは「片瀬那奈」だけです。今後は出典を「マネ日記」と明記して記事に発展させる事は在るでしょうが、単なるスタッフまでもをのぼせ上がらせる様な記述はヤメます。「女子マネちゃん」なる名称を広めてしまったのは、あたくしにも責任が在るのです。あのさ、最後だから「のっぽのサリー」しとくよ。女子マネくんよ、片瀬くんに学び、片瀬くんを学びなさいナ。担当マネなら、全てを捧げなさい。君はさ、沢山、嘘をついたんだ。最初に最も巧妙で永遠に許されない嘘を云ったんだよ。其れは「私は片瀬さんを愛して居ます!」って事さ。「私は担当する片瀬さんを愛して居るからこそ、ファンの皆様へ紹介出来るんです!」って、君は云ったんだぜ。自分では最高の言い回しって思ったのかもしれないけどさ、少なくともあたくしは「此の新参マネにとって、那奈ちゃんって、商品なの?僕たちって顧客ですか?はあ、トンデモじゃん!」って思いました。最初っから「底が丸見え」だったんだよ。おまいとはさ、永遠に分り合えないです。出しゃばっちゃって見苦しいのよさ。おまいは、裏方なんだよ。身分を弁えなさい。御本尊様に黙って仕えなさい。シュガーはもう手遅れだけど、未だ君は間に合うかもしれない。悔い改めなさい。以上!「あっ。以上は書かなくて好いからね!」


(「ななごころ」代表:小島藺子)






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「那奈への扉」改訂版 肆

Shine/REVENGE~未来(あす)への誓い~(CCCD)


やあ。「小島ファミリー」の「小島藺子(こじまいこ)」です。

此処も「沢山のサイトを統合したカタチ」になりましたので、カテゴリ紹介が必要だと思いましてですね、やりますです。

「読みたいトコだけ、読んで、、、」(福田沙紀ちゃん声で)


01.「ACTRESS」

「片瀬那奈ちゃんの女優活動を記録して居るカテゴリ」です。当然乍ら、此れらの作品は、全て「片瀬の館」に保存されて居ります。2009年現在、片瀬那奈ちゃんの肩書きは「女優」です。元々、僕は「女優としての彼女に魅了され、彼女のファンになった」んです。具体的には「GTOドラマスペシャル(1999)」でした。「美少女H2(1999)」も当然、リアルタイムで観て居りますし、其れ以前のモデル時代(1998年)で「東スポ」を飾った時から好きでした。でも「内山理名ちゃんヲタに成り掛かって居た1999年の僕」を「完全無欠の片瀬那奈ヲタ」にしたのは「山口梨香」でした。あたくしが銀河系で最も敬愛する「全能の人」は「片瀬那奈ちゃん」ですが、多彩な彼女のメインは矢張り「女優」です。だからこそ、昨年(2008年)に彼女が初座長を務めた「舞台:フラガール」を、僕は命懸けで追いました。赤坂(東京)23公演は、全て行きましたし、制作発表にも参加させて戴きました。つづく全国公演は、残念乍ら四公演しか参加出来なかったけれど、全36公演中27公演に参加する事が出来ました。2007年に彼女が初舞台を踏んだ「僕たちの好きだった革命」は、東京8公演、千秋楽の大阪と計9公演しか観劇出来なかったのですが、其の初日、初めて目の前で演じる「女優:片瀬那奈」を観て、僕は泣いた。其れは「僕と那奈ちゃん」の歴史だったのです。昨年の「フラガール」では、最前列ど真ん中で観劇した夜(8/5)、僕は「腰が抜けて」居ました。其れ程に、生で観る「演技者:片瀬那奈」は圧倒的だったのです。其れまで「歌手」や「舞台挨拶」や「トークショー」等で、何度も逢って居たのに、全く違う感動が沸き上がったのです。故に、トップは此のカテゴリになりました。


02.「MUSIC」

「片瀬那奈ちゃんの音楽活動を記録して居るカテゴリ」です。あたくしは、自他共に認める「銀河系壱の片瀬那奈音源コレクター」としても一部で有名で、生業のひとつで在る「道具商(東京都公安許可古物商許可証所有)」は、単に「那奈ちゃんのプロモ盤やサンプル盤を合法的に入手する為に取った」と揶揄されて居りますです。那奈ちゃん本人は「シングル6枚、アルバム3枚、計9枚出しました(はーと☆」なんぞとヌカして居りますが、「片瀬の館」には既に「那奈拾種類もの作品が補完」されて居ります。更に云えば、歌手時代の片瀬那奈が存在したからこそ、僕らは集った。其れまで、僕は「片瀬那奈ちゃんには生涯、逢えないだろう」と思って居ました。事実、歌手になるまで彼女はファンと接するイベントを、ほとんど行って居なかったんです。モデル時代を除けば、東京では唯一の機会だった「ナナノナツ」の時(2001年)に、仕事で行けなかった事で、絶望して居ました。ところが、翌2002年末から、正に「一週間に十日来い!」状態だった「夢の日々」が在った!そして僕らは、只「片瀬那奈」の名の元に集い「生涯の友」になったのです。だからこそ、昨年(2008年)、たった壱曲だったけど復活した「歌手:片瀬那奈」に、僕らは歓喜した。「DJ:NANA」も含め、彼女の音楽活動は終わってはいません。信じられないでしょうけど、かつて「歌手:片瀬那奈」は、ファンの前に何度も降臨しました。歌い踊るだけではなく「DJ:NANA」として皿まで回したのです。其のほとんどに参加させて戴いた者として「記録せねばならないっ!」と突き動かされて始めたのが「COPY CONTROL(2004-8〜2009-3)」でした。其の最初の記事を観て戴けば、一目瞭然です。「コピコン」は「NANA KATASE 777 完全セットリスト」と云う記事から「2004年8月8日」に、いきなり出現しました。「コピコン」とは、初めから「ゼンキロ」だったのです。

03.「EVENT」

「片瀬那奈ちゃんの講演活動を記録して居るカテゴリ」です。僕らは、いつも何時だって、那奈ちゃんが「来てね☆」と云えば、行きます。そして、其れは「幸せな時間」になると決まって居ます。那奈ちゃんに逢えば、みんな、きっと彼女を好きになります。「あんな人、他に居ないっ!」「片瀬サンって、本当に素晴らしい人ですね」「やっぱり、那奈ちゃんだっ!」そんな賞賛が、自然と起きるのです。老若男女、みんなが那奈ちゃんの虜になります。
「迷わず逢えよ、逢えば分るさ。」


04.「TV」

「片瀬那奈ちゃんのTV出演活動を記録して居るカテゴリ」です。那奈ちゃんは多彩なので、女優や歌手以外でも沢山のTV出演が在ります。此処では其れを、知り得る限り記録して居ります。主に「バラエティ番組」のゲスト出演が中心です。女優や歌手での出演記録は、それぞれのカテゴリに記して居ります。


05.「RADIO」

「片瀬那奈ちゃんのラヂヲ出演活動を記録して居るカテゴリ」です。那奈ちゃんは「那奈色の声」を持って居ます。そして「大人のファン」中心の「ななごころ」会員世代は「ラヂヲ好き」が多いのです。「那奈ちゃん、またラヂヲ番組もやって頂戴、お願い☆」


06.「CM」

「片瀬那奈ちゃんのCM出演活動を記録して居るカテゴリ」です。片瀬那奈ちゃんは未だに「きれいなおねえさん」と紹介される事が多い程に、TVCFの世間への影響力は絶大です。確かに、CMタレントとしての彼女(あたくしの場合は「MIU」でした。)に魅了されて、より「那奈ヲタ偏差値を上げた同志も多いでしょう。


07.「MAGAZINE」

「片瀬那奈ちゃんが掲載された雑誌を記録して居るカテゴリ」です。此れは、「マガジン・バスター(那奈ちゃんが連載した雑誌は、何故か尽く休刊してしまいます。)」の異名を持つ片瀬クンの、「破壊と創造」=「芸術」の、麗しき足跡でも在ります。


08.「PRODUCE」

「片瀬那奈ちゃんのブランド『So close, 7』での活動を記録して居るカテゴリ」です。デザイナーとしての彼女は、結婚引退しても続きます。今の処、此の活動だけは生涯続くと確信出来るのです。片瀬那奈は「表現者」です。彼女が表現活動をヤメられるわけが無いんです。だから、どんなカタチでも構わない。僕らの前から、消えないでね、那奈ちゃん。貴女が居なきゃ、貴女じゃなきゃ、ダメだってバカボンが、貴女が積み上げた10余年で、沢山存在するんですよ。那奈ちゃんにはさ、僕らを魅了しちゃった責任が在るんだよ。もう僕らは、那奈ちゃんじゃなきゃ、ダメなんだよ。ずっと、追っかけさせて下さい。お願い☆


09.「7D」

「NANA DIARY」=「本物の片瀬那奈ちゃん本人が書いた日記(古参ファンが笑うフレーズ)」を記録して居るカテゴリです。僕らは「其のコトノハ」に、何度も勇気づけられた。那奈ちゃん、有難う!


10.「YUMEKAYO」

「夢みる歌謡曲」と云う名の「歌謡曲論」って仮面を被った「歌手:片瀬那奈試論」を試みて居る長期シリーズです。現在、最終章「片瀬那奈がきこえる」絶賛連載中!書籍化決定か!?


11.「ERENA」

「怪優・片瀬那奈・試論」〜「進化論」で、「女優:片瀬那奈」を考察して居る連作です。


12.「LOOK UP THE #」

「キリ番報告」です。


13.「MIAMIA」

此処の原点で在る「COPY CONTROL(2004〜2009)」の、更なる起源のひとつで在った「月刊・未亜(2002〜2005)」の名物企画だった「未亜イコ対談」をまとめたカテゴリです。真面目な芸術サイトで在った「hilite」で、こんな莫迦な展開を許して41回も連載させて下さった「417編集長(現・東京レコード社長)」に、感謝致します。とは云え、「月刊・未亜」を勝手に終了させたと同時に「COPY CONTROL」や「那奈ちゃんねる」「さかさま」そして此処「ゼンキロ」等で、此のスットコドッコイな「妄想対談」は、不定期で続いて居ります。此れってさ、実は「壱番書くのが大変」なのよさ。「下らない事を真面目にやって居る」わけですからね。ま、つまり、
「未亜イコ対談」は、不滅なのよさ。


14.「KINASAI」

「プロレス」を、熱く語る、カテゴリです。片瀬那奈ちゃんに出逢うまで、僕は「プロレスの追っかけ」でした。たまたま、アントニオ猪木さんの現役引退と片瀬那奈ちゃんのデビュウが重なった事で、僕の「追っかけ」歴は「プロレス」から「那奈ちゃん」へ見事にスライドしたのでした。


15.「FAB4」

「THE BEATLES 全曲解説」です。「THE BEATLES」=「片瀬那奈」と云う発想、つまり、「ビートルズを研究する様に那奈ちゃんを考察したって好いじゃん!」って「初期衝動」から、僕は此処を始めました。ゆえに、此処の存在証明として、自己同一性の為に、此の連載をやって居ます。「アゲン」「コピコン」で二回連載が中断し、今度こそ「参度目の正直」です。必ず、最終回まで辿り着きますよっ。


他にも幾つかの隠しカテゴリが存在しますが、余り気にしないで頂戴。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 13:47| INDEX | 更新情報をチェックする

FAB4-067:I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY
(パーティーはそのままに)

Retrospective 1979-1989 idwsps.gif


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(9/29)、マイク・ストーン(9/29、11/4)、トニー・クラーク(10/26)
 録音:1964年9月29日(take 19)
 MONO MIX:1964年10月26日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-5)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


1964年9月29日、過密スケジュールをこなし、約一ヶ月半振り(同年8月14日以来!)アビイロード・スタジオで「BEATLES FOR SALE」の録音に臨めた彼等は、未だ前作同様に「全曲オリジナル作品で!」と強く望んでいたと思われます。其の証拠に、此の日録音されたのはB面で仲良く並ぶ三曲「EVERY LITTLE THING」、「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」そして「WHAT YOU ARE DOING」の「レノマカ新作!」でした。しかも御丁寧にアルバムの曲順通りに進められており、時間的余裕の無さが明らかに感じられます。

結局、19テイクにも及んだ此のジョン・レノン作だけが何とか完成し、「EVERY LITTLE THING」は前出の通り翌日に手を加えられ、「WHAT YOU ARE DOING」に至っては、なな、なんとアルバムのモノラル・ミックスが行われた10月26日に「リンゴのうた」と同様にギリギリで最録音されます。其れに関しては、次項で大いに書き倒しましょう。如何にも此の時期のジョンらしい斜に構えた作風です。路線はA面での「負け犬宣言!新生ジョン・レノン」です。19テイクも重ねたものの、未だ未だジョンは納得がいかなかったでしょう。此のジョン・レノン作品には、原石状態で放り出された様な感も在ります。一寸デモっぽいって云うのか、裸なジョンが感じられます。されど「LOST LENNON TAPES」が魅力的な様に、ジョン・レノンには「未完成」をも「作品」にしてしまう「天賦の才能」が在ります。

此のアルバム用に、ジョージが「YOU KNOW WHAT TO DO」と云うオリジナルを書きデモを録音した事実は、現在では「アンソロジー 1」で容易に聴けます。当時のジョージは「WITH THE BEATLES」収録の「忘れたい過去」の駄曲「DON'T BOTHER ME」での屈辱からか自作は其れっきりになり、得意のカヴァー曲や兄貴:ジョニー作品で逃げていました。でも、追っかけジョージは懸命にジョンに学び習作を続けてもいました。次作アルバム「HELP !」では、満を持してジョージ作品が二曲も採用されます。其れが、ジョンが教え手助けをした成果だった事が現在では知られています。ジョンはジョージを可愛がっていました。実際、解散間際でも「ジョージの曲が俺やお前の書いた曲より採用率が低いのは問題だろ?」と相棒ポールに詰め寄るジョン発言が遺されています。

「I NEED YOU」「YOU LIKE ME TOO MUCH」がアルバム「HELP !」に採用されますが、其の中のひとつで在る「YOU LIKE ME TOO MUCH」が、此の「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」にとても良く似ています。「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」でも、ジョージがジョンに寄り添うように歌っており、「YOU LIKE ME TOO MUCH」でジョンはエレクトリック・ピアノでアシストしています。未完成で放り出した「パーティー」を「そのまま」に出来ず、ふたたびジョージ作品として焼き直したのではないのかしら?と思えてなりません。其れが「ジョンらしいリベンジ」だったと思えるのです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 16:28| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

FAB4-068:WHAT YOU ARE DOING

LOVE Lisa Lauren Loves the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(9/29-30、10/27)、マイク・ストーン(9/29-30)、A.B.リンカーン(10/26)
 録音:1964年9月29日、30日、10月26日(take 19)
 MONO MIX:1964年10月27日
 STEREO MIX:1964年10月27日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-6)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


「世紀の天才メロディー・メーカー」と同時に「世紀の天然バカボンのパパ」の側面を持つポール・マッカートニーの「レノマカ史上最大の駄曲!」が此れです。かつて「阿呆みたい」こと「HOLD ME TIGHT」でやらかした愚の骨頂を、ふたたび、ポールは犯しました。「BEATLES FOR SALE」用にポールが単独で書けた新曲は、此れと「EVERY LITTLE THING」のみです。8曲のレノン・マッカートニー作品が収められたものの、ジョンは多忙な中でも3曲の力を込めた新曲(「NO REPLY」「I'M A LOSER」「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」)を書きましたし、合作の2曲(「BABY'S IN BLACK」「EIGHT DAYS A WEEK」)でも主導権を握り、ポール作の「EVERY LITTLE THING」でもリード・ヴォーカルを担当しています。対してポールは五年も前に書いた旧作「I'LL FOLLOW THE SUN」のリメイク(オリジナルと聴き比べれば、此れすらレノンとの合作と云えるかもしれません)と、ジョンに丸投げした「EVERY LITTLE THING」、そして此のヘッポコ曲しか用意出来なかったのです。

ところが、こんな駄曲にまたしてもポールは固執し、なな、なんと多忙で締め切りに追われる状況にも関わらず三日間も費やして録音したのでした。嗚呼、酷い、酷過ぎる!兎に角、曲が出鱈目なのですから、何度試みても駄目なんですよ。「HOLD ME TIGHT」大失敗の教訓なんて、ポールの頭には在りません。なにせ次作アルバム「HELP !」でも「THAT MEANS A LOT」で三たびやらかしてしまいます。幸いにも其れは没になりますが、此の「WHAT YOU ARE DOING」は発表されてしまったのだ。本当に、時間が無かったのです。もうモノラル・ミックスをしなければならない日に、「リンゴのうた」をカヴァーでやっつけて、此れを再々録音したのですよ。つまり、此れが「BEATLES FOR SALE」で最後に録音された楽曲なのです。構成が無茶苦茶な曲ですので、幾らティンパニー(リンゴ担当)や12弦ギター(ジョージ担当)で盛り上げたり、ジョンがアコギとコーラスで絡んでも、「俺様ポール」の過剰な歌唱やあざといベースで台無しです。こんなんじゃ、誰もカヴァーしようって思わないのも当然です。「LEAVE MY KITTEN ALONE」を入れれば好かったのにね。ホント、「WHAT YOU ARE DOING?」と、ポールを小一時間問い詰めたくなりますよ。

世紀の駄作「LOVE」に此の曲が使われたのは、ポールのゴリ押しだったんじゃまいか?駄作に駄曲でピッタリでしたけどね。本当に、ポールには駄曲が在ります。此れが半年後に「YESTERDAY」「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」を書く天才と同一人物作とは、俄に信じられません。ひょっとして、ポールは1964年末に死んだんじゃまいか?「ポール死亡説」では1966年って事になって居るけど、アレは二人目が死んだって話なんじゃまいか?其の後は参人目なんじゃまいか?

「おいおい、ポールは綾波かよっ!」


(小島藺子)



posted by 栗 at 01:57| FAB4 | 更新情報をチェックする

「よっ!太っ腹だぜ、那奈ちゃん!!」

ゴールデン☆ベスト ゴールデン・ハーフ




今年の夏物は「革命」専念の為に見送った「正義と真実の人:片瀬那奈ちゃん」ですが、またしても半額セールをやってしまいました。元々「So close, 7」ってリーズナブルなブランドなのに、其れが半額って、、、

でもさ、「So close, 7」って目立つんだよね。キラキラなんだもん。目立ちたく無いんだけどナァ。ボキは「策士」なんだからさ。


(姫川未亜)



posted by 栗 at 13:00| PRODUCE | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」札幌公演(18/35)

僕たちの好きだった革命 ヘルメットをかぶった君に会いたい word music 2


18:00開場、 18:30開演 札幌市教育文化会館 大ホール


POWER TO THE PEOPLE



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


さあ、「革命全国ツアー」の開始です。

初演時同様に、前半は北海道公演から東北公演へと「北国の旅」「みちのくシリーズ」が展開されます。北海道は「GAKUちゃん」の、そして東北は「まーくん」の凱旋公演でも在りますので、大いに盛り上がるでしょう。

那奈ちゃん、ファイトだっ!!☆クンのブログ更新はいつなんだ?女子マネちゃんも頑張れ!

「えいえい、おーっ!!」(海智クン声で)


(小島藺子/姫川未亜)



and it's for you.
【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 21:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「THE LOVELY ANNA」

Heart: Dreamboat Annie Dreamboat Annie Live


「ななごころ」会長:アンテツに告ぐ!

おめでとう!!君は何処まで最強を極めるのだっ。


まあやちゃんに可愛い妹が出来ました。「銀河系壱の那奈ヲタ:パパ&姉妹」、、、
敵わんっ!!逆立ちしたって無理です。参りました。
やったぜ、アンテツ!!やっぱ、君こそが眞の那奈ヲタだ。
もう一度、おめでとう!!嬉しいよ、あにい。最高だよ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 22:44| HAPPY☆ | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

FAB4-069:EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY
(みんないい娘)

Blue Suede Shoes: A Rockabilly Session Essential Sun Collection


 w & m:CARL PERKINS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジェフ・エマリック(10/18)、ロン・ベンダー(10/21)、マイク・ストーン(11/4)
 録音:1964年10月18日(take 1)
 MONO MIX:1964年10月21日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-7)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


アルバムを締めるのは、またしても「一発録り!」での完全実況カヴァー曲です。FAB4の全員が敬愛する「カール・パーキンス」ナムバーを、いたいけジョージが元気溌剌!で歌い弾きまくります。其の歌声には「STEED(シングル・テープ・エコー・アンド・エコー・ディレイ)」と云う名の深いエコーが掛かっていて、かなり変です。前作「A HARD DAY'S NIGHT」でもジョージが初めて弾いたリッケンバッカー12弦の音色がアルバムに統一感を持たせていましたが、此の「BEATLES FOR SALE」も彼によるカントリー風ギターが全篇に渡ってサウンド面の要になっています。早弾きなんかよりも、ずっと難しいのが独特の音色です。ジョージは本物のギタリストなのです。

そんな努力家ジョージを、ボス:ジョニーは認め、アルバムの最後と云う重要な位置を与えました。此れまで、其処にはレノンがいました。ジョージが主役の楽曲で終る英国オリジナル・アルバムは、此れのみです。其れは此の作品のカラーを決めたのが「ジョージのギター」だったからでしょう。日本人はジョージが好きですが、此の「ビートルズ '65」も好評です。後の「カントリー・ロック」の元祖とも云える味を出したのは、ジョージでした。其の彼がソングライターとしても開花する日も、実はすぐそこに来ていたのです。でも、其の前に子分ジョージの活躍に地団駄を踏む男がいました。

其の名は「ポール・マッカートニー」

前作「A HARD DAY'S NIGHT」よりも悲惨な状況に陥った彼は、遂に次作で覚醒します。ジョージ・マーティンは、此の作品を余り評価していません。確かにマーティン好みの音では無いし、現場に居たからこそ、やっつけ仕事で捏ち上げた作品と知っているからでしょう。然し乍ら、デビュー盤が基本的にはたった壱日で録音された様に、長い時間を掛ければ好いってもんでも無いのです。カヴァー曲のほとんどが正真正銘の実況録音一発録りであったのは、彼等の確かな演奏能力を伝えます。同時期に「ハリウッド・ボウル」での実況録音が米キャピトルの要望で実現(1964年8月23日)しますが、没になります。翌年も再挑戦し、其れもお蔵入りとなり、結局陽の目を見たのは1977年です。挙句に未CD化ときたもんだ。「ライヴは酷いな」と云う評価が関係者間では出ていたわけですが、観客は絶叫し音楽なんかよく聴こえてなかったし、彼等もプレイバックの音すら歓声にかき消される状況で、世界で初めてスタジアムで生演奏したのです。そんな状況に疲れ切ったアーシーなレノン、本当に疲れちゃったポール、ひとり溌剌とギターを弾きまくるジョージ(でも彼だって疲れてますよ、ジャケットでは無精髭まで生やしてます)、そして何も考えていないリンゴ。狂乱の1964年は終わりました。世界のアイドルとなった彼等の、驚くべき1965年が始まるのでした。


(小島藺子)



posted by 栗 at 13:50| FAB4 | 更新情報をチェックする

「SELF PORTRAIT」

Self Portrait


中学生の頃に知り合った数少ない洋楽ファン同級生の中のひとりと、別々の高校に行ってからも家が近かったのでたまに逢って居た。1976年の話だ。

社長の息子(何故か、あたくしの友人、先輩、後輩、知人には昔から其れが多い)だった彼が新しく買ったレコードを持ってやって来た。「最近、何を買ったの?」と云うから「米盤のポールの『BAND ON THE RUN』だよ」と応えた。そいつは「米盤?何処で買ったんだよ?其れを貸してくれよ。でもさ、お前、未だビートルズばっか聴いてんの?」と云った。僕は「え?まあ、そうだけど、ソロとか全然集めて無いしさ。ジョージの三枚組欲しいナァ。。。」とか普通に応えたら、そいつは「あのさ、他も聴けよ。俺が今回持って来たのはコレだから、貸すから聴いてみろよ。」と偉そうにヌカして「BAND ON THE RUN」を持って帰って行った。そいつが置いて行ったのは変な髭面のオヤジが横向いてにやけているジャケットで「ボブ・ディラン / 欲望」と書いて在った。其れが、僕とディランの出逢いだった。

確かに15才の僕は、其の音楽に、得も知れない衝撃を受けた。丁度、NHK-FM でディラン特集を二週間位やったので、全部エアチェックした。其の時は、彼とビートルズの関係なんて全く知らなかった。高校で出逢った洋楽仲間は、みんな「ハード・ロック」か「プログレ」にハマって居て、全く話が通じなかった。

僕は今、「SELF PORTRAIT」ってディランの怪作をレコードで聴いて居る。「FAB4」の連載が「HELP !」になるから、音源は在るけど矢張り「片瀬みたいにデカイ!」ジャケットを見乍らじゃないと筆も進まないので、LPを買いに行ったら無かったので代わりに買ったのだ。「ま、此の時期なら、ディランでも在りじゃん!二枚組でたったの那奈百円ってのも好いよ。」とか下町レコの土田社長と話してさ。昔から、何故かディランで一番好きなレコードが此れだった。其れで、久しぶりに聴いて居て思った。「此れって、『COPY CONTROL』の元ネタじゃん!」と。。。そう、此処の原点で在る通称「コピコン」のコンセプトは、「ディランの自画像」だったのだよ。此れは、自分自身でも気が付かなかった「潜在盗用」だ。僕自身が「ホワイト・アルバム」こと「THE BEATLES」を模したとばかり思って居たのに、正体はおんなじ二枚組でもディランの方だったのだ。正に「驚愕の事実です!」だよ。「ジョージ・ハリスンは間違って居ない!」と思った。大瀧師匠の「あの裁判官は、音楽を何にも解ってないね」ってコトノハは真実です。

其れにしても「片瀬那奈」のサイトを「ボブ・ディランの怪作」から発想したなんて、俄に信じられないでしょう。僕自身だって意識してなかったんだ。でも、本当です。

此処は、片瀬那奈ちゃんに宛てた「恋文=僕の自画像」です。


(「小島藺子/姫川未亜」=「栗」)



posted by 栗 at 19:23| IKO | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

FAB4-070:TICKET TO RIDE(涙の乗車券)

キープ・ミー・ハンギング・オン 涙の乗車券


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15、2/18)、ジェリー・ボイズ(2/15)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日(take 2)
 MONO MIX:1965年2月18日(英国用)、3月15日(米国用)
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年4月9日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5265(モノ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-7)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


1965年第壱弾シングル曲で、ジョン・レノンの作品。結果的に、主演映画第二作「HELP !」にも印象的に使われ、其れに連動した彼等にとって英国オリジナル五作目「HELP !」のサントラ面で在るA面のラストも飾った傑作です。アノ矢沢永吉さんも此の曲をラジオで聴いて音楽を志したと公言する程に、1965年の世界では衝撃的な「ヘヴィー・メタル」の創造でした。当然、通例通りに「ボス:ジョニーの自信作から録音」ってなわけで、「HELP !」セッションも此の曲から始まりました。

「流石はジョン・レノン!」と云いたい処ですが、此れは「レノン・マッカートニー」の眞の幕開けとなった曲でも在ったのです。確かに、書いて歌うのはジョンだ。しかし、此の恐るべきサウンドを生み出したのは、つい三ヶ月前までは寝ぼけていた「ポール・マッカートニー」でした。印象的過ぎる「いたいけジョージの12弦イントロ」を「邪魔だっ!どけっ!!」とばかりに、高らかにリード・ギターを奏でるのも、重厚で饒舌なベースを弾くのも、モノラル盤で聴けばハッキリと分る「ジョンの絶唱を後方から援護する高音ハーモニー」も、全部ポールです。リンゴによる太鼓も「おいおい、此れがリッチーかよ?」と耳を疑う程に凄まじく「歌っている」のですが、其れすらもポールが指導したのでした。しかもだ、たったの「2テイク」でやらかしたのですよ。後の「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO(ジョンとヨーコのバラード)」での「摩訶不思議(ジョンとポールだけでビートルズの音を奏でた)」は、もう此処で出来上がっていました。

「怪物:ポール・マッカートニー、覚醒!!」

此処に、新たなるビートルズが出現しました。其れは、簡単に云う事が出来ます。

「ジョンとポールでビートルズ」になってしまったのです。

レノンが待ち望んでいた時が、遂にやって来ました。相棒が、肩を並べたのです。当時の最新技術は、既に録音だけなら「ジョンとポール」だけで可能な状況に在った。「ビートルズで最も上手いギタリストで、リンゴよりも太鼓も上手で、ベースも鍵盤も管楽器も何でもかんでもこなせ、曲も書けて歌えて編曲も出来る」音楽バカボンの出番がやって来ました。バンド内パワーバランスをも覆す未来を、此の楽曲はしっかりと記録しています。前作ではあんなにも疲れ切って居たはずのジョンの魂の絶唱が、其れを祝福します。

更に云うなら、ジョン・レノン作の楽曲が素晴らしいのです。其れは、此の曲の有名なカヴァー作品で在る「ヴァニラ・ファッジ」盤や「カーペンターズ」盤を聴いて頂ければお分かりでしょう。どんなアレンジを施されても、ジョン・レノンの美しい旋律は残ります。そして、如何なる名唱もジョン・レノンの歌に敵わないのだよ。矢張り、ジョン・レノン恐るべし!そして、彼を慕い続けたポール・マッカートニーが全身全霊でサポートしました。最強タッグ「レノン・マッカートニー」、此処に完成。

余りにも感動的な、歴史的名曲名演です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

「ピアノは友達」

ビリーヴァー


あのさ、いきなりだナァ。伍連発更新って、、、迷惑メールかと思ったよ。

星村麻衣 公式日記

「ピアノは友達」

本日、始動。



「WELLCOME BACK!マイマイ☆」


(ななごころ一同)


posted by 栗 at 18:42| MAI☆ | 更新情報をチェックする

ドラマ8「ゴーストフレンズ」第9回(全10回)

空想科学入門! (ナレッジエンタ読本 9)


NHK総合 毎週木曜日 20:00〜20:43

「最後の手がかり」

【キャスト】
 福田 沙紀:神谷 明日香
 片瀬 那奈:小野 あやか
 水崎 綾女:青山 ミク
 西島隆弘、入山法子、愛衣、入江甚儀、モト冬樹、岡田義徳、友近、小市慢太郎、鰐淵晴子 ほか

【スタッフ】
 脚本:高山なおき
 演出:梛川善郎



リアルタイムの「革命」の旅に熱中時代な「可愛い同志(敢えて名は伏せるが、女子マネちゃんで在る)」に代わって

「小野は小野でも未来じゃないよ、『あやか』だよ!」(日比野クン声で)

を紹介し記録する事こそが、

「何ら『虚構:片瀬那奈』と利害関係の無い、彼女の『純粋なファン』が集い『非営利な応援』を続けるしか無い場所」で在り続ける此処の役目です。(きっぱり!)

再々放映された「暴ママ」で、ともさかサン演ずる「蓮くんママ」が云った通り、物事は一面から見ただけでは何にも解らないのです。ハッキリと申し上げれば、一番近くに居るからこそ「灯台下暗し」になってしまう危険性も在るのです。其れで、あたくしは、裏の裏を話しましょう。全く「幽霊友人」とも「小野あやか」とも関係の無いコトノハを書いてみましょう。其れが、此処の「売り」です。(ニヤリ)


(小島藺子)



ドラマ8「ゴーストフレンズ」NHK公式サイト


posted by 栗 at 20:47| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」中標津公演(19/35)

僕たちの好きだった革命 ヘルメットをかぶった君に会いたい word music 2


18:30開場、 19:00開演 中標津町総合文化会館しるべっとホール


GET ON THE RIGHT THING



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「直感重視!」

僕が「片瀬那奈」を「御本尊様」なんて云い出したのは、たぶん、彼女が未だに自信満々に云う此のコトノハを、事実、体現して居る姿を見続けたからだろう。

那奈ちゃんは、かつて(2006年10月2日)

「私に関わる全ての人たちに幸せが訪れますように!」

と、高らかに宣言した。僕らは感動した。自分も、そうしなきゃって思ったんだ。

「何故、アンタは其処まで片瀬那奈が好きなのか?」と問われる時に、其れ以前は上手く云えなかったのだけど、此れで応えられる指針が出来たのだ。

なのに、僕が其れを云うと「そんなの、誰でも思ってる事じゃん!」って嗤われた。「誰だって、幸せを求めてる」って云われた。でも、そうなのかい?「シアワセ」って何?僕はさ、其れを那奈ちゃんに出逢って、初めて知ったんだよ。

16才の彼女は、まっすぐに、云った。「幸せ」って、ひとりじゃダメだって云った。自分の快楽じゃないって、云った。まわりのみんなが楽しく愉快になるのが幸福だと云った。みんなに好かれる人になるって云った。そして、其れを実践し続けて居る。理想を現実にしようとして居るんです。眩しいよ、那奈ちゃん。でも、出来るんだって分ったんだ。那奈ちゃんを観て来たら、絵空事なんて無いって思えたんだよ。可能性ってゼロじゃないんだ。「分相応」とか「身の丈に合う」とか、何故に自分で限界を決めちゃうの?って、那奈ちゃんは叫んで居る。ほら、簡単な例を示せば「なんちゃら限定」とか縛りの在るイベントでも、那奈ちゃんは「来なきゃダメじゃん!」って云うでしょ?那奈ちゃんは「挑戦してから文句云えっ!」って、ずっと云ってるよ。

「片瀬那奈は、救世主です。」

世迷い言だと思って下さって結構です。でもね、彼女の様な心を持たなきゃ、此の世界は滅びるんだよ。だから、僕は那奈ちゃんに師事した。世界が終るなんて、イヤだからさ。こんなにも美しい世界を壊しちゃいけないじゃん。那奈ちゃんに学んで、再び「未来」が信じられたんだ。那奈ちゃんは、恩人で先生なんだよ。俺は、那奈ちゃんの弟子なんだよ。守るのは当然だし、其の思想を広めるのも務めなのです。等と夢想するけれど、、、

ま、此れも「ハーフ・シリアス」。


(小島藺子)



【革命同志リンク集】
「中村雅俊マイホームページ」
「塩谷 瞬『Shun Shioya official site』」
「GAKU-MC 『ガク問ノススメ』」
「GAKU-MC ナラデワ」
「武藤晃子の六畳一間」
「澤田育子の食べる前に撮るッ!!!」


posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

FAB4-071:YES IT IS

Bridge School Concerts, Vol. 1 ジョン・レノン全仕事1 ア・ハードデイズ・ナイト〜世界を抱きしめて (小学館文庫)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/16、2/18)、ジェリー・ボイズ(2/16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月16日(take 14)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年4月9日 シングル発売、パーロフォン R 5265(モノ)


「此のB面を聴けっ!」

と萩原健太氏声で怒鳴りたくもなる、ジョン・レノン作の傑作ロッカ・バラッド。此の楽曲は、長い間、オリジナル・フォーマットでは「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」のシングル盤B面でのモノラルしか聴けませんでした。彼等は、アルバム「HELP !」には此れも、後述するシングル盤「HELP !」のB面曲で在る「I'M DOWN」も収録しなかったのです。潔いぜ、ビートルズ!当然乍ら守銭奴キャピトルはそんな事は知らぬ顔で「BEATLES VI」なる編集盤に疑似ステレオを捩じ込みます。そんな経緯から、此の楽曲のリアル・ステレオ・ヴァージョンは、なな、なんと制作されてから23年後に「PAST MASTERS VOL.1」で初めて公開されたのでした。「PAST MASTERS VOL.1」には此の楽曲の兄弟みたいなレノン作の「THIS BOY(こいつ)」のリアル・ステレオ・ヴァージョンも初収録され、其れは事件でした。現在では容易に聴けますが、僕たちは其れまで血眼になって探したのです。有り難みが全く違います。

録音に5時間!も掛けた入魂作で、其の内の3時間を費やしたのが「ジョン、ポール、ジョージによる三声コーラス」です。ジョン・レノンの「THE BEACH BOYS」への、いやさ「ブライアン・ウイルソン」への赤ら様な対抗意識が伺えます。ジョージによるトーン・ペダル・ギターも哀愁に満ちて素晴らしいです。当初よりシングル候補として「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」と争った名曲なのですが、両面を制してしまったボス:ジョニーは「こっちはボツな」と敢え無く「只のB面のみ収録作」へと決断し実行しました。ジョンって、すげえ、、、理由は単純明快で「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」の方が断然革新的なサウンドだと確信したからでした。

ジョン・レノンと云う奇才は、平気で自作をボツにします。後の「ACROSS THE UNIVERSE」やアノ「JEALOUS GUY」の原曲で在る「CHILD OF NATURE」すらも、ポールやジョージの曲を世に出す為に捨てたのです。驚くべき事に「CHILD OF NATURE」は、2009年の現在でも公式音源では未発表です!そんな未発表音源が、未だ未だ沢山あるのですよ。「小野洋子さん、何卒、宜しく!」此の佳品もそんなジョンの審美眼から「埋もれた名曲」にされました。「ポールは確かに美しい旋律を書くけど、俺だって昔から『THIS BOY』とか『YES IT IS』とか書いたんだぜ。ま、たかがB面だから聴いた事ないだろうけどさ」と生前のジョン・レノンは悪戯っぽく笑って語りました。カッコいいナァ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 12:11| FAB4 | 更新情報をチェックする

「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(26)

和泉式部日記―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)


「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(1)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(2)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(3)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(4)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(5)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(6)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(那奈)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(8)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(9)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(10)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(11)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(12)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(13)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(14)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(イコ)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(16)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(17)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(18)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(19)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(20)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(21)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(22)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(23)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(24)
「片瀬那奈マネ日記」サブタイトル集(25)のつづき


438.「ただいま稽古中」(4/14)
439.「浴衣」(4/15)
440.「っデカ(笑)」(4/15)
441.「祝 HPリニューアル」(4/16)
442.「ネプリーグ」(4/20)
443.「祝ドラマアカデミー賞」(4/23)
444.「制服発表」(4/23)
445.「MORE 6月号」(4/28)
446.「メロンパン」(4/29)
447.「夢」(5/1)
448.「番宣隊長、出陣!」(5/2)
449.「イケタク」(5/4)
450.「舞台後のトークショーのお知らせ」(5/5)
451.「ザ!世界仰天ニュース」(5/6)
452.「笑っていいとも!」(5/11)
453.「笑っていいとも!」(5/13)←前回とは同名異内容
454.「『ゴーストフレンズ』第6話」(5/14)
455.「公開稽古」(5/18)
456.「『歌のおにいさん』DVD-B0X 受付開始!」(5/19)
457.「『革命』二日目」(5/20)
458.「『革命』三日目」(5/21)
459.「『革命』四日目」(5/22)
460.「『革命』五日目」(5/23)
461.「『革命』六日目」(5/24)
462.「『革命』七日目」(5/26)
463.「『革命』八日目」(5/27)
464.「『革命』九日目」(5/28)
465.「『革命』十一日目」(5/30)
466.「『革命』十二日目」(5/31)
467.「革命 地方一日目」(6/2)
468.「革命 地方二日目」(6/4)


以上。

「御本尊様&聖母様からのコトノハ」そして「あんなちゃん爆誕!」の恩赦です。正直云って、ナンバリングは、もう自信在りません。受け取ったモノだけを記録させて戴きますので、悪しからず御了承下さい。こうしてタイトルと日付を羅列するだけで、確かに御本尊様の足跡が見えます。女子マネちゃんは頑張っているよ。ありがとう。最近、綺麗になったよ。ま、お互いに頑張りましょう。負けるなよ、あたくしは「君の味方」だ。

(此処でいきなり「001:アンテツ会長」への私信。「ななごころ」より、「まあやちゃん」に ID「070」を、そして「あんなちゃん」に ID「077」を、あたくし「009:未亜/イコ」から献上致します。)

「同志:女子マネちゃん」よ、目覚めなさい。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 18:27| UNYO | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

「CREA」2009年7月号

CREA (クレア) 2009年 07月号 [雑誌]


発行/株式会社文藝春秋

「ファッション通がこっそり教えます!
 今、ファッションサイトに夢中です!!」

に登場。カラー2頁(P34〜P35)、目次(P5)にも1カットあり。

 photographs:Keita Hagiwara(model),etc.
 styling:Kozue Ohnuma(kind)
 hair&make-up:Rie Aoyama(nude.)
 text:Yuki Imatomi


「元祖で本家の電脳女優!片瀬那奈」此処に在り
特集記事の巻頭でジャンプし勝ち誇る笑顔から、自信と誇りが伺えます。

「絶対に買い!」

表紙とカバーインタビューは、年上の後輩:みーたん。誌面には、「JJ」先輩:アンナさん、親友:瀬戸サン、ゲーム仲間の三浦春馬クン、何度も共演した蔵之介サン&直人ちゃん、などなど、「カタセカイ住人」満載で、トドメに「辛酸なめ子」で「コア」な片までフォローした、完璧な作りです。此れは、現物保存だっ!つまり最低二冊買い決定です。

「流石、文藝春秋だぜっ!」

かつて、2002年秋、僕はバンド仲間とスタジオ・セッションした後、太鼓叩きの部屋で宅呑みする途中で立ち寄った高円寺のコンビニで「CREA」2002年10月号を見つけ即買いした。ギタリストとドラマーは唖然となり「なんで女性ファッション誌なんか買うの?高いじゃん。読むトコ無いじゃん!」と云った。僕は「だって、此の表紙は片瀬那奈だよ。印象が違うけど、絶対にそうだ。」と返した。バンド仲間は呆れ返った。当時、那奈ちゃんはグラビアから消えて居た。何処に行ったのか、分らなかったんだ。それで、僕は女性誌を買う様になった。其れまでは仕事でしか関わって居なかった(会社にはサンプルが山程在る)女性ファッション誌を、身銭を切って買い続ける日々が始まったのでした。



(小島藺子/姫川未亜)



「CREA WEB」



posted by 栗 at 13:33| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

「女子マネちゃん!うしろ、うしろ!!」

番組誕生40周年記念盤 8時だョ!全員集合 2008 DVD-BOX【通常版】


あのさ、『FRaU7月号』にも『CREA7月号』とおんなじ記事が載ってんの?此れ、マズイでしょ?訂正しましょうね。

『FRaU7月号』って来週(6/12)発売だと思うんだけど、、、講談社だしさ、なるほど、其れにも那奈ちゃんが載ってるんだ。有難う!女子マネちゃん☆


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:05| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-072:BAD BOY

Bad Boy BeatlesVIalbumcover.jpg


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット
 録音:1965年5月10日(take 4)
 MONO MIX:1965年5月10日
 STEREO MIX:1965年5月10日

 1965年6月14日 アルバム発売(「BEATLES IV」A-4)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)


此の曲は、「厄介な案件です。」アルバム「HELP !」セッションでは、シングルやアルバムに収録された楽曲以外にも録音された物件が在ります。其れは他のセッションでも同じで、通常なら其れらは「没音源」となり「海賊盤」でしか聴けなかったりする運命を辿るのです。此の「HELP !」セッションでも、ポールの駄作「THAT MEANS A LOT」とか、リンゴの唄「IF YOU'VE GOT TROUBLE」等の、タイトルを聞いただけで「ダメだ、こりゃ」な屑曲も録音されたものの、幸いにも未発表に終ったわけです。そんなクズ曲が現在では堂々と「アンソロジー」とか云って正規盤になっているのですよ。確かに「SESSIONS」なるブートで其れを初めて聴いた時、僕らは歓喜しました。でもね、所詮はボツ音源なのです。「IF YOU'VE GOT TROUBLE」よりも「ACT NATURALLY」の方が圧倒的に優れていたからこそ、「HELP !」での「壱曲だけのリンゴちゃん」は、そっちになったのだ。それでええじゃまいか。

ところが、「守銭奴:米国キャピトル」は、そんな「ビートルズの真摯な志」など「屁の河童」だったのだよ。1965年5月10日、彼等は「DIZZY MISS LIZZY」と此の「BAD BOY」を録音し、ミックスまで完成します。どちらもジョン・レノンの師匠の一人で在る「ラリー・ウィリアムズ」のカヴァーで、ジョンが最も得意とする楽曲でした。前作「BEATLES FOR SALE」での急場しのぎでのカヴァーでは無く、天才歌手ジョン・レノンが望んで行った事だったのでしょう。二曲やって好い方を選ぼうと思ったのでしょう。結果的に「DIZZY MISS LIZZY」がアルバム「HELP !」を「芸術作品」に昇華させるに到ったアルバム最後(其れは、つまり「YESTERDAY」の次の曲でもあります)に収められます。しかし、此の日の二曲は翌日には大西洋を渡り米国キャピトルに届けられてしまったのでした。そして、未だ英国ではアルバム「HELP !」が発売される遥か前に発売されてしまいます。本来ならボツ曲だった「BAD BOY」が本国英国で発売されるのは、1966年12月の事でした。そうです、あたくしが最初に買った彼等のベスト盤「オールディーズ」に「未発表曲!」として収録されたのが此れだったのよさ。でも、亜米利加ではとっくに発表されていたのでした。此の辺の経緯が、例の「ブッチャー・カヴァー事件」に繋がるのです。

前作のセッションでも「LEAVE MY KITTEN ALONE」を平気でボツにしたジョンは、今回も此れを捨てました。其の潔い姿勢こそが、彼等を永遠にしました。リンゴの唄なんか削ってでも、ジョージの作品を二曲も入れなくとも、ポールに自分と同じだけの場所を与えなくとも、誰も文句なんか云わなかったでしょう。ジョンが「二曲とも入れようぜ」と云えば、当然収録されたでしょう。でも、ジョンは、またしても我を捨てた。本物のリーダーです。凄過ぎる。そりゃ、他の三人がついて行くよ。分け分んない事(例えば、東洋人女性を録音現場に同席させちゃうとか、、、)をやらかしても、「否!」って云えません。結局は、ポールもジョージもリンゴも「凄玉・ジョン・レノン」の信望者でした。彼こそが、ビートルズの正体だったのです。小野洋子さんが「ビートルズはジョンが創って、ジョンがリーダーの楽団です。」と喧伝し続けるのも、ビリー・プレストンが「ジョンは最後までビートルズのリーダーだったよ。1969年に再会した時だって、ポールじゃない、他の誰でもない。ジョンがチーフ・ビートルだったよ。」と云ったのも、嘘偽りは無く紛れも無い「真実」です。但し、ジョンのそばには常にポールが居ました。其れを忘れちゃ、イカンよ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 20:36| FAB4 | 更新情報をチェックする

「僕たちの好きだった革命(改)」池田公演(20/35)

僕たちの好きだった革命 Revolution 〜私たちの望むものは〜 word music 2


18:30開場、 19:00開演 池田町田園ホール


WHO CAN SEE IT



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


「にせんごひゃくえん?」
「がくせい、せんごひゃくえん??」
いけだのともだちが、裏山椎名(くりぼう)


「女子マネちゃん、平気?」マジで心配だよ。僕たちは何ら利害関係が無い単なるファンだからさ、幾ら誤報を飛ばされたって好いのよさ。間違った情報を信じて雑誌を探して買ったら「那奈ちゃん、載ってないじゃん!」なんて事は何度も在ったよ。取材を受けた雑誌を教えてくれるだけで有難いんだよ。昔はさ、必死で自力で探してたんだよ。其れを「公式BBS」とか「ファン・サイト」とか「2ちゃんねる」とかでファン同士で情報交換してたんだよ。だから僕らは集ったんだよ。「片瀬那奈」って虚構の元に集い、仲間になったんだよ。だから、僕らの事なんかじゃないんだ。僕らが心配して居るのは「利害関係が在るクライアントを誤報した」って君の立場だよ。すぐに訂正しなきゃダメでしょ?って話なのよさ。「こんなんじゃ、もう片瀬さんの取材は出来ませんね!」とか云われたらさ、困るんだよ。もうスタッフ噺なんて書く気が失せたのに、何故、書かせる?好い加減にして頂戴。


(小島藺子/姫川未亜)



【革命同志リンク集】
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「GAKU-MC ナラデワ」
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2009年06月07日

FAB4-073:HELP !

Shades of Deep Purple コブラの悩み(紙ジャケット仕様)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(4/12)、フィル・マクドナルド(4/18、6/18)
 録音:1965年4月13日(take 1-12?)
 MONO MIX:1965年4月18日(1〜3)、6月18日(4)
 STEREO MIX:1965年4月18日(1)、6月18日(2)

 1965年7月23日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5305(モノ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-1)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


1965年第二弾シングル曲で、前作から連続してジョン・レノンが主導の作品。然し乍ら、楽曲を聴けばお分かりの通りポール・マッカートニーが大いに協力しており、合作だとポールは語っています。あたくしも、確かに合作だと思います。二週間後(8/6)に発売される彼等の英国オリジナル五作目のアルバムでA面冒頭を飾り、タイトルにもなり、主演映画第二弾のタイトルにもなった、1965年前半を、いやビートルズを象徴する傑作で、代表曲です。元々は単に「BEATLES PRODUCTION 2」と仮題された彼等の主演映画第二作は、「EIGHT ARMS TO HOLD YOU」と勝手に決められ、レノマカは何とかそんな陳腐なタイトルを持つ曲を書こうとしたものの、出来たのは「EIGHT DAYS A WEEK」だったわけで、「確信犯:レノマカ(主にレノン)」の意志で却下されます。ジョンは前作映画同様に題名も決めてしまいました。

其れが此の「HELP !」です。現在では、此れが当時の「人間:ジョン・レノン」の真実の悲痛な叫びだった事は知られていますが、発表当時に其れに気付いた者は皆無に等しかったのです。総天然色の楽しいビートルズ活劇映画の主題歌として、愉快な大衆音楽として、此の楽曲は受け入れられ全世界で大ヒットしました。後にジョン自身が「あんなアップテンポでポップな編曲(追っかけコーラス部分は、当然乍らポールが編曲)にしたのは失敗だった。ビートルズ時代の最高の自信作だが、是非録音し直したいよ」と吐露し、実際にスローテンポでピアノ弾き語りの「HELP !」を「LOST LENNON TAPES」で聴く事も出来ます。でも、個人的な悲痛な叫びを大衆音楽にしてしまった事こそが、ジョンの才能だと思います。ポールが中心となってかけたオブラートが、其れを可能にしました。誰もが深い意味が在るなんて考えずに、此の楽曲を楽しく愉快に受け入れてしまったのです。此れは恐るべき事実です。

さて、データでお分かりな様に、此の楽曲は正式なデータでもモノラルが四種、ステレオが二種、合計六種ものミックスが行われております。基本的に彼等が現役時代に発表した楽曲には「ミックス違いは在るが、テイク違いは、ほとんど無い」のです。此の時点までなら、デビュー曲の「LOVE ME DO」と二曲目の「PLEASE PLEASE ME」が例外で「2テイクが公式に発表された」曲でした。ところが、此の曲は公式にはモノラルもステレオも同じ「テイク12」から作られたとなっているのですが、何回聴き比べても両者でのジョンのヴォーカルが全く違います。史上三曲目の「異なる二つのテイクが公式発表された楽曲」と考えるしかありません。マーク・ルウィソーン著の「レコーディング・セッション」によれば「HELP !」の録音は「1965年4月13日」の「12テイク」で、其の全てはブートレグで出回り容易に聴けます。なのに、其の何処にも「モノラルでのジョンの歌声」は存在しません。更に云うなら「映画での歌声」もありません。一体、いつ、別テイクは録音されたのでしょう?

前述の通りジョンは「HELP !」を相当気に入っていたもののビートルズでのヴァージョンには納得しておらず、新たに録音し直そうと考えていました。更に、1981年に計画されていた来日公演では一曲目に「HELP !」の新ヴァージョンを披露しようと決めていたと云われています。其れは、永遠に叶わぬ夢となってしまいましたが、実現していたなら世の中は変わらなくとも多くの人々の人生を変えたでしょう。1965年には届かなかったジョンの悲痛な叫びは、1981年なら多くの人々に理解できたはずです。「HELP !」は現在でも歌い継がれる名曲となりましたが、ジョン・レノンが本当に望んだカタチでは遺されずにいます。1990年にポールがライヴでカヴァーした時にピアノの弾き語りでスローに演奏したのを聴いて、「やっぱり、ポールはジョンを分かっているんだナァ」と当然過ぎる事なのに感動しました。


(小島藺子/姫川未亜)



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