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2009年05月23日

「僕たちの好きだった革命(改)」五日目(6/35&7/35)

Mccartney


昼の部/12:30開場、 13:00開演
夜の部/17:30開場、 18:00開演 
東京芸術劇場 中ホール


MAYBE I'M AMAZED



KOKAMI @ network vol.10『僕たちの好きだった革命』


昨日に続き、本日も昼夜公演が敢行されました。二日連続での昼夜公演って、、、

二幕構成で、二時間半以上にも及ぶ舞台です。「シーン零(最早御馴染みでしょうが、此の作品は観客が入場した瞬間から物語が始まってしまいます。)」と「カーテンコール」を含めれば三時間を超える公演なのです。其れを壱日に二回も行うと那奈時間近い緊張状態が求められます。単純に考えても、12時間近く東京芸術劇場に僕らの片瀬那奈ちゃん達は拘束されて居るのです。

かつて、桂由美せんせいのウエディング・ショーに登場した片瀬那奈は、なな、なんと壱日に三公演の主役を務めました。ファッション・ショーなど、生まれて初めて参加した僕たち那奈ヲタ(具体的に云えば、アンテツ、未亜/イコ、うっぴー☆の「三莫迦トリオ」である。)は、わざわざ平日に有給を取って駆けつけたのですが、敢えて名は伏せますが「片瀬の晴れ姿を是非観に来てやって下さい!」とアジッた「佐藤チーフマネさん」に睨みつけられたのです。「何でお前らが来てんだよ?」と、ハッキリと顔に書いて在りました。余りの理不尽な仕打ちに、初回だけで御暇した三人でしたが、「暴走する那奈ヲタ:うっぴー☆」は納得がいかず、再び現場に駆けつけたのでした。其処で彼が目撃したのは、壱回が二時間にも及ぶショーを三回も務めた疲れ切った「僕らの片瀬那奈ちゃん」でした。アノ、ファンを大切にする彼女が放ったのは「疲れた、、、」と云うひとことだけだったそうです。其の余りにも悲惨な彼女が、其れでもキチンと応えてくれた事に、盟友は「那奈ちゃん、綺麗だったよ、、、」と云うしか無かった。僕は其の噺を聴いて、盟友の暴走を糾弾したけれど、気持ちは分ったよ。何より、那奈ちゃんが素晴らしいと思った。

僕は「出待ち」を積極的にはしない。ショーが余りにも素晴らしかった時や、逆に納得出来なかった時とかに、僕は出待ちをします。僕は身銭を切って、片瀬那奈が踊るステージを只観て居るだけだ。此れまでも此れからも、僕は単純明快な「片瀬那奈ちゃんのファン」で「片瀬那奈ちゃんの観客」です。初演の時に、主演の中村雅俊さんが「兎に角、俺のファンの方々は、俺が存在しなきゃ生きて行けないって云ってくれて居るんだよ。俺には責任が在るんだ。」と云いました。確かに、まーくんのファンが命懸けだって事実は、劇場に行けば分るよ。でも、僕たち「那奈ヲタ」も、おんなじなんです。片瀬那奈が居ない世界は考えられない。僕たちは、10余年、真摯に片瀬那奈を追った。此れからも、追う。其れが「僕たちの生きる道」です。少なくとも俺は、自分の人生を彼女に捧げました。彼女が居たからこそ、僕が居るんです。

片瀬那奈には、其れだけの価値が在る。本当さ。俺が、証明してみせるよ。此の物語の結末は、もう解って居る。其れは「自分」か「片瀬那奈」の、どちらを選ぶかって事さ。俺は究極の選択に追い詰められたなら、迷わず「片瀬那奈」を選ぶよ。我が身を捨てて彼女を守るよ。銀河系中に誓う。

俺は、正気だし、本気だ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 22:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

FAB4-058:BABY'S IN BLACK

アストリット・キルヒヘア ビートルズが愛した女 Beatle Country


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ロン・ベンダー(8/11、14)、トニー・クラーク(10/26)、マイク・ストーン(11/4)
 録音:1964年8月11日(take 14)
 MONO MIX:1964年8月14日(ラフ・ミックス)、10月26日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-3)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


アルバム「BEATLES FOR SALE」は1964年8月11日に此の楽曲から録音が開始されました。正真正銘の「レノン・マッカートニー」作品です。ライヴでも御馴染みの、レノマカの「エバリー風二重唱」が存分に楽しめる曲を、ジョンとポールは過酷なツアーのホテルで書いたと云われております。絶対主導者:レノンは、ツアー中のホテルで相棒ポールとの二人部屋を要求し実行していました。世界中の憧れだったジョン・レノンと、ポール・マッカートニーだけが一緒だったのです。其の場所を得る為に、ポールは14才の時から努力を重ね、時には非情な手段まで使い、遂にはレノンに「俺と同室はポールだ。ジョージとリッチーは他の部屋にしろよな。」と云わせたのです。レノンの楽曲が二曲続き、此の「レノマカ」楽曲に繋がります。ワルツ風で、ポールによる高音のハモりが印象的ですが、おそらく詩はレノンでしょう。

「BABY'S IN BLACK」は、ビートルズのメムバーでジョンの親友であるスチュアート・サトクリフの婚約者アストリッド・キルヒヘアを歌った曲と云われています。スチュが夭折したショックから立ち直れないアストリッドを見て、ジョンは辛かったのでしょう。「自分が無理矢理スチュをバンドに入れなければ、もしかしたらスチュは21歳の若さで死ぬこともなく、芸術家夫婦としてアストリッドと幸せな人生を送れたのではないか?」と悔やんだのかもしれません。此の暗い世界観こそが当時のジョン・レノンでした。「NO REPLY」(アノコから返事がないから死にたい)、「I'M A LOSER」(俺は負け犬)と来て、トドメが此の「BABY'S IN BLACK」(アノコが喪服を着ている、どうしたらいいんだ?)です。世界制覇を成し遂げた楽団の王様:ジョン・レノンは「俺は裸の王様だ」と自ら宣言したのです。

暗く疲れ切った表情を晒したジャケットに象徴される様に、ビートルズは変わってしまいました。時間的な制約からカヴァーを6曲入れてお茶を濁したのだけど、オリジナル8曲だけを並べれば余りにも暗く落ち込んだ楽曲が連なっています。1964年のジョンは、悟ってしまったのです。「此れは嘘だ!」と「成功を手にして待っていたのは、絶望だった!」と、正直に吐露したのです。其れが遂に次作で「HELP !」と云う叫びになります。ジョン・レノンは真摯です。彼は生涯、真実を歌った。だからこそ、僕たちは彼が創った楽団を愛したのです。四時間にも及んだアルバム「BEATLES FOR SALE」セッションの初日は、結局、此の楽曲の14テイクに費やされました。しかも、完奏出来たのはたったの5回でした。其の原因は、追っかけジョージのリード・ギターがへっぽこだったからです。海賊盤で聴ける録音風景では、絶対王者ジョニーが「弟分ジョージ・ハリスンに駄目出しをする鉄拳制裁発言」が聴けます。其れを受けたジョージ・マーティンまでもが、ジョンに従うのです。ジョン・レノンは、最早「プロデューサー」でも在ったのでした。


(小島藺子)



posted by 栗 at 20:40| FAB4 | 更新情報をチェックする

「チーム片瀬を糾弾する」

ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃 [DVD]


チーフマネの不遜な態度は目に余るし、女子マネもヲタヲタするだけで、全く以てお話になりません。

あたくしは、本気で怒ったよ。チーフマネさんに告ぐ。挨拶した古参ファンを無視するのは何故なのか、応えたまえ。睨みつけて来たのは何故なのか、説明して下さいナ。こっちは必死で仕事を休んで駆けつけた現場で、毎度の事だけどチーフマネさんは俺たちを敵視した。「何で来やがったんだよ?」って顔で無視した。公的には「片瀬の晴れ姿を是非観に来て下さい!」とか云っといて、其れを信じた「那奈ヲタ」を排除しようとした。ファン在っての商売じゃないの?僕たちは、ずっと片瀬那奈ちゃんを応援して来ただけだ。片瀬那奈ちゃんを信じただけだ。其の何が悪い?キモヲタからだって守ったじゃないか。公的な逢える時にしか行かないじゃん。オフレコは明かして無いじゃん。チーフマネさん、昨日今日の付き合いじゃないだろ?反町さん担当時代からのメムバーだって居るんだぜ。

女子マネくんが片瀬クンが喜ぶのは「ファンレター」って書いた。だったらさ、此処は其れじゃん。好いよ、もう「チーム片瀬」なんか信じない。何度も云って来たけど、僕たちファンと君らスタッフは「永遠に分り合えない」んだよ。僕らは愛する那奈ちゃんに「無償の愛」を捧げて来た。如何なる営利も求めなかった。只、那奈ちゃんを愛し貢いだだけだ。チーフマネさんは「商品」としての「片瀬那奈」を守って居るだけだ。僕らが見守るのは、そうじゃない。

「虚構:片瀬那奈」を、僕らは単純に愛して居るんだよ。

結局さ、シュガー、ファンが怖いんだろ?ガクブルなんだろ?ケケケ


(小島藺子)



posted by 栗 at 01:13| IKO | 更新情報をチェックする