w & m:LENNON /
McCARTNEY P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ケン・スコット(10/8、10/12)、マイク・ストーン(10/8)、ロン・ベンダー(10/21)
録音:1964年10月8日
MONO MIX:1964年10月12日(英国用)、21日(米国用)
STEREO MIX:1964年10月12日
1964年11月27日 シングル発売
パーロフォン R 5200(モノ)
1964年とは「ビートルズが全米を制覇した時」でした。其の壱年前に、ビルボード・チャートの首位に「日本語」で立った楽曲が在りました。御存知「スキヤキ」こと「上を向いて歩こう」です。坂本九ちゃんが「また『上向き』かい?」とイヤになる位に「不慮の事故」で亡くなるまで歌わされた楽曲が、日本発売されたのは1961年10月です。公的に発表されたのは、先駆けること二ヶ月前の1961年8月、NHK「夢であいましょう」での「今月の歌」としてでした。其れから二年近く経って
「天下無敵のビルボード首位!1963年6月15日に週間首位、ビルボード誌1963年年間ランキングでも第10位!!」と云う、「前人未到」の今後おそらく起こらないであろう「ミラクル」を成し遂げたのですが、何故にそんな「東洋の島国でのヒット曲」が、FENでも「普通に日本語で流れ、来日アーティストが日本語で歌う」のかを説明するには相当の時間が必要です。
只、10代の頃「FEN」ばかり聴いていた時に、突然「上を向いて歩こう」が日本語で流れた瞬間の「疑問」と「感動」が忘れられないのです。確かに、中学生から「ポップス少年」だったので「スキヤキ」が「世界的に有名な唯一の日本の曲」って知識は在りました。でも、其れは「英語で歌われた」と思っていました。でも、そうぢゃなかった。日本語のまんまで、ビートルズの
「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」よりも前に、全米制覇してしまっていたのです。さて、枕が長過ぎで、どーもすいませんですますまんねん。
大傑作A面
「I FEEL FINE」がレノンの会心作だったので、ポールは「B面で恋」をします。粋なレノンの実験作の裏で、野暮な歌をがなったのです。此の「レノマカ」の対比こそが、彼らを「完全無欠」にしました。お互いに無い部分を、常に補ってしまうのです。そりゃ、ファンは堪らんよ。「ハズレ無し」ですもん。此の曲ってさ、マーティンが約10年後にジェフと最録音したのが納得出来る位に、
「酷過ぎですっ!」全く以て、天然莫迦ボンのポールは、何故にこんな「駄曲」を作り、他の三人もやる気なしで、無茶苦茶な演奏をし、ポール自身も「世紀の音痴」振りを遺憾なく発揮しまくった楽曲を平気で「シングルB面」として発表しやがったのでしょう?レコードになったのは「テイク6」ですが、全那奈テイクでやっつけちまったセッションの最終テイクである「那奈ちゃん」は、少しは彼らの「未発表音源」に興味を持った片なら、すぐに辿り着く「魔境」です。「那奈分」にも及ぶ「出鱈目な演奏とポール発狂!の絶唱」は、彼らが「1964年に既に到達していた」事実を教えてくれます。彼らは、間違いなく、意図的に「ラフな演奏」を試みています。A面「I FEEL FINE」同様、此のB面も「大いなる実験」でした。そして、此の楽曲で、ポールは「やってはイケナイこと」をやらかします。其れは、、、ハッキリ云いましょう。
「盗作」です。此の楽曲には、瓜二つの「インスト」による「スマッシュ・ヒット」が存在します(JOHNNY AND THE HURRICANESの「Crossfire」、1959年、全米23位)。だから彼は翌年に「覚醒」した時、「此れは夢で聴いた旋律だから、もしかしたらパクリかもしれない。潜在盗用を、弟分のジョージよりも遥か前にやらかしてしまうかもしれないっ。イカン!みんなに聴いてもらおうっと。」となるわけよ。
そう、ポールには「前科」が、いっぱい在ったのよさ。勿論、ジョンやジョージにも「元ネタ」は在ります。でもね、其れらは「云われなきゃ分んない」って類いなのですよ。つまり、其れは最早「盗作」では無いのです。されど、「天然・ポール」には「捻り」が無かった。だからこそ、彼は「スタンダード」を書けたのです。でも、大丈夫。彼が目覚める日は、もうすぐでした。ええ、たったの半年後には、彼が「THE BEATLES」を「ビートルズ」にしちゃうんだよ。「卵」は、もう、ポールの中に宿っていました。だからこそ、彼は「咆哮」しました。
「音楽よ、お前は俺の女だっ!」と絶叫したのです。てかさ、ポールとリンゴって「音痴で女好き」なのよさ。「長生き」の秘訣だよね。「生き残り二人」に見習うべきは、其処だね☆
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL」2008-10-23
(REMIX by 小島藺子)