w & m:
LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ケン・スコット(6/1)、リチャード・ランガム(6/10)、ジェフ・エマリック(6/22)
録音:1964年6月1日
MONO MIX:1964年6月10日(未使用MIX)、22日(英米盤用2種)
STEREO MIX:1964年6月22日
1964年7月10日 アルバム発売(
「A HARD DAY'S NIGHT」 B-6)
パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)
怒涛の「ジョン・レノン劇場」は、先行シングルのB面に敢えて甘んじた自信作
「YOU CAN'T DO THAT」で高らかに絶頂に達します。
「ポール、出番無しですよっ!」(キチホンさん声で)そして、鬼のレノンは最後に必殺技を未だ用意していました。其れが此の楽曲です。世界は「レノン節に包まれた」のです。興味深いのは、英国用と米国用に違う「モノMIX」を意識的に彼らが作った事実です。当時は「モノラル」こそが主流でした。ビートルズも、モノラルのミックス時にしか立ち会わなかったと云われています。実際に「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」までのモノラルとステレオの両方で発売されていたアルバムでは、圧倒的に「モノラル」の方が素晴らしいのです。此の楽曲なんか、最初のモノMIXは、結局はレコードにならなかったんですよ。何やってんだよ、マーティン。
ポールには、いや、他の如何なる作曲家にも永遠に書けないのが「レノン節」です。其の初期に於ける頂点を究めたのが、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」で在り、特に「B面」でした。其の中でも、最も美しいのが此の曲です。嵐の様な熱いレノン節が続いた後に、唐突に三本のアコギが鳴ります。「ロッカ・バラッド」の誕生です。さっきまでとは打って変わった穏やかなレノンの歌声が聴けます。曲は、例によって「自由自在」に展開してゆくのです。なのに壊れないんです。ジョンは自由だ。思うが侭に歌う。美しいよ、本当に、綺麗だ。ポールはジョンの死後に「合作だ」と主張しておりますが、此の曲のテーマを考えると首をひねるしかないですナァ。と申しますのは、此の曲はジョンが幼い頃に別れた父親を歌ったと云われているからです。
「英雄と悪漢」で在る「ブライアン・ウイルソン」と「ジョン・レノン」には、他の連中には無い「決定的な共通点」が在りました。其れは「父親への愛憎」です。故に、彼らは自身の息子や娘に対しておんなじ仕打ちをしてしまい、同じ様に「憎まれる」のでした。ジュリアンが「親父の噺は、もうウンザリだっ!」と云ったり、カーリー&ウエンディが「パパなんて大っ嫌いよっ!」と語る度に、僕らは悲しんだ。けれど、ジョンは其の「複雑な愛憎」さえも、こんなにも美しい曲へと昇華したのです。彼は「芸術家」でした。本物の「アーティスト」でした。ジョンは、自分が有名になったらノコノコと現れた父親に、彼が亡くなるまで何度も金を無心されつづけますが、黙ってずっと送金していたのだそうです。後に「お父さんは俺を捨てたけど、俺は捨てられなかった。帰って来て!」と絶叫したのは「真実」でした。だから、僕らは「ジョン・レノン」を信じた。其れは、彼の歌は、彼の「コトノハ」は、「真実」だったからです。
ジョンが生きている時に、彼を好きになれた。此れは、一生の財産です。1980年12月8日(日本時間:12月9日)に、僕は哭いた。此の世の終わりが来たと思ったよ。当時の僕は浪人生で、ジョンが引退していたなんて全く知らず何故新作を五年も出さないのか不思議だった。そんな時、新曲が発売された。シングル盤を買って、何度も聴いた。そして彼が殺される直前に、夢にジョンが現れた。僕がジョンの夢を観たのは、後にも先にも其の時だけで、やけにリアルな夢だった。僕は大学生になっていて、ジョンはヨーコと一緒に客員教授として招かれ、其れを受講している夢だった。そして、在ろう事か、僕は天下のジョン・レノンと口論していた。当然、英語で激しく罵り合った。原因が何だったのか分らないけど、兎に角、本気で喧嘩してしまったのだ。
目覚めて、とっても嫌な気分になった。何故?此の世界で最も尊敬する人が初めて夢に出て来たのに、僕は喧嘩なんかしたんだろう?と、不可解だった。そして、彼は殺された。「絶望」と云うコトノハの意味を、僕は知った。もう、何もかも嫌になった。何故、ジョンが殺されなきゃいけないんだ?次の日は受験用の健康診断だったのだけど、僕は一睡も出来なかった。ラジオで内田裕也が泥酔して泣いていた。早朝、自転車で駅へ行った。新聞は全部「ジョンが死んだ」って、一面で報じていた。ポールが「くだらない!」と云ったと書いてあった。ジョン・ライドンは「世界は何も変わらないさ!」と吐き捨てた。スプリングスティーンが「明日なき暴走」を20分間も演奏した。僕の「ROCK」が、確かに死んだ。泪も出なかった。何が何だか、さっぱり分らなかった。物凄い「喪失感」が襲って来て、気が狂いそうだった。壱度も実際に逢った事も無い異邦人が死んで、あんなに気持ちになったのは生まれて初めてだった。そして、もう二度と無いだろう。
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL」2008-10-21
(REMIX by 小島藺子)