w & m:
LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ジェフ・エマリック(4/16、6/22)、A.B.リンカーン(4/20)、
デヴィッド・ロイド(4/23)、ケン・スコット(6/9)
録音:1964年4月16日
MONO MIX:1964年4月20日、23日、6月9日
STEREO MIX:1964年6月22日
1964年7月10日 シングル発売(最高位英米1位)
パーロフォン R 5160(モノ)
1964年7月10日 アルバム発売(
「A HARD DAY'S NIGHT」 A-1)
パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)
ビートルズのオリジナル・アルバムはすべて大好きです。でも其の中でも此のシングル曲で始まる「A HARD DAY'S NIGHT」は、格別に好きなんです。此の連載を始めて、駆け足で此処まで来て、いよいよ「A HARD DAY'S NIGHT」に関して書く事になり、絶句してしまいました。余りにも好き過ぎて、何を書けばいいのか分らなくなってしまった。英国盤のモノとステレオ、米国盤のサントラ、そして「SOMETHING NEW」などの関連アルバムを繰り返して聴き、映画を観ていたら「もう言葉なんかいらない」と思いました。そう、アルバムを聴いて、映画を観てもらえば好いだけなんです。アルバムの英国オリジナル盤には、A面が映画に使われた曲で、B面は他の新曲が入っています。両面通して聴いても30分一寸で終わってしまうので、何度も繰り返して聴くのです。45年近く前の音楽だけど、全然飽きない。
最初に其のアルバムを聴いたのは中学時代で、女友達からレコード(確か、日本盤のジョージが真ん中に映っているジャケのモノでした。女子はみんな「ジョージが好き」だったからネ)を借りてテープにダビングして、あんまりにも好きなのでいつも持ち歩いていました。当時(1970年代前半)の中学生は全作品なんかとても個人じゃ買えないから、全校でも数少ない「ビートルズ仲間の同級生や先輩、後輩(各クラスに一人位しか居なかった)」を探して、お互いにトレードしてダビングするのが普通でした。レンタル店なんてなかったんですよ。在る日、確か「マリリン・モンローの三本立て映画」を市民会館で上映するので、部活帰りにうっかり学生カバンを自転車のカゴに入れたまんまで観て戻ったら、置き引きされていました。カバンはゴミ箱に捨てられていたのですぐに帰って来たけど、此のアルバムのテープとかギターのストラップなどは盗まれていました。其れで、悔しくってお金を貯めてレコードを買ったのです。アノ時のテープは、一体どんな運命を辿ったのでしょう?もしも盗んだ人が聴いて気に入ってビートルズのファンになっていたりしたなら、其れは其れで、
「素敵な話じゃないか」(セックル王子声で)
ジョン・レノンが爆発しています。英国公式アルバムに於いて、全曲レノン・マッカートニーによる新作書き下ろし13曲中、ジョンは9曲で歌い、10曲を単独で書き、1曲はポールとの共作です。ポールの単独作はたったの2曲です。此れは「ジョン・レノンのソロ作品集」と云ってしまって好いでしょう。映画でも、一見リンゴの出番が多いので彼が主役に観えますが、一番輝いているのはジョンです。此の「A HARD DAY'S NIGHT」と云う一連のプロダクションは、正に
「才気溢れるジョン・レノン当時若干23才の若者の為に在った」のだ。勿論、なかなか決まらなかった初主演映画のタイトルを発案したのはリンゴです。でも、其の文法を無視したセンスを採用し「先に題名が決まっている曲」を難なく書いて来たのはジョンでした。もしも、リンゴの何気ない言葉に「チーフ・ビートル」であるジョンが飛びつかなければ、初主演映画の題名は「ビートルマニア」になっていたんですねぇ、其れでね、「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」ってトンデモ邦題を付けたのは、「故・水野晴郎先生」なんですよ!「ヘルプ!4人はアイドル」も、そうなんですよ!「いやぁ、ビートルズって、本当に好いもんですね!」(山下奉文大将声で)
印象的過ぎるイントロとエンディングでの12弦ギターを弾くのはジョージです。書いたジョンがキーが高くて歌えなかったミドル部分を歌うのはポールです。此のミドル部分が、実はポール作なのでは?との説も在ります。彼らには「書いた奴が歌う」との暗黙の了解が在りましたし、譜面が書けないジョンが「自分が高くて歌えないライン」をどうやって書いたのか?との疑問も在るからでしょう。されど、此れは「200%、ジョンの単独作品」です。何の事は無い、ジョンはミドル部分を「裏声」で歌って書いただけです。其れは、ポールとの二重唱で在る
「IF I FELL(恋におちたら)」のデモを聴けば、容易に導き出される結論です。確かに、四人が一丸となって弾けています。でも、其れでも、
此の時代のビートルズはジョンの為に在った!相方のポールは、敗北感しかなかったでしょう。いや、ジョンに申し訳なくって仕方無かったでしょう。だって、共作とされた13曲の内、自分が書けたのは「たったの2曲」だったのですからね。ポールは3曲でリード・ヴォーカルを担当していますが、其の中で最も素晴らしいのは
「AND I LOVE HER」です。アルバムに必ず一曲は在る「ポール節、炸裂!」の名曲です。そして其れは、ジョンとの合作なのだ。
「ジョン、正直すまんかった。俺だって、いつかきっと!」ポールはそう誓いました。ジョンよりふたつ下の彼が23才になった時に、出逢った時からジョンも待ち望んでいた「約束の日」はやって来ます。そして、其れはビートルズと云うバンド内の「パワー・バランス」を、根底から覆す程の出来事になるのでした。只、其れは、もう少し後のお話です。
「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」で始まった「4トラック時代」の最初に作られたのが、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」です。当時の彼らは其れでもステレオよりもモノラルを重視していました。其れはデータを見れば一目瞭然です。厄介な(いや、在る意味、サイコーな)米国キャピトルとユニバーサルでの編集盤やジャケット違いの各国盤も登場し、更には映画版まで在る為、いよいよ「泥沼のミックス違い道」探究者(ま、只のビーヲタなわけだが)にとっては堪らない時代に突入しました。此の曲でも
「エンディングの長さが違うぞっ!」なんて些細な事に気付いては「鬼の首でも取ったかの様にはしゃぎまくる莫迦野郎ども」がいるわけですよ。ま、其れはあたくしもおんなじです。だってさ、楽しいんだよ。みんなも、本での知識じゃなくって、実際に聴き比べて発見して下さいね。絶対にハマります。
其れにしてもだ、イントロの印象的過ぎる「ジャーンッ!」って「G7sus4/D」を、12弦で格好良くキメてくれるジョージに憧れたあたくしに、「ウルトラ・レア・トラックス」は残酷でした。現在の若人は「アンソロジー」なんて公式海賊盤で「無様なジョージ」を簡単に聴けちゃうんだもんナァ。最初から何でも在るって、不幸だよ。其れで、オリジナルの英国盤は当然好きだけど、米国盤の赤いジャケットも相当好きです。映画の正真正銘のサントラ盤で、キャピトルではなく映画を製作した「United Artists」から当初は発売されたので日本盤が出ていません。だから幻のレコードのひとつでも在りまして、最初に入手して聴いた時には感動しました。普通は「幻の〜」ってのは、実際に聴いてしまうと「嗚呼、幻は幻の侭で好かったんだ、、、」って事になる場合が多いのですが、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の米国盤は、数少ない例外でした。キャピトルではなかった為か、ジャケット・デザインも米国盤ではピカイチ!です。
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-13
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-11
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)