w & m:CARL PERKINS
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ケン・スコット(6/1)、リチャード・ランガム(6/4)、ジェフ・エマリック(6/22)
録音:1964年6月1日
MONO MIX:1964年6月4日
STEREO MIX:1964年6月22日
1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」B-2)、パーロフォン GEP 8913(モノ)
カール・パーキンスのカヴァー曲で、当時英国ツアー中だったカール本人がレコーディングを見学しています。残念ながら、其の時には共演していませんが、後に(ジョンの他界後)ポール:「GET IT(1982、アルバム「TUG OF WAR」収録)」、ジョージとリンゴ:「BLUE SUEDE SHOES / ROCKABILLY SESSION WITH CARL PERKINS AND FRIENDS(1996)」の三人は尊敬する偉大なロケンローラーとの共演を果たす事となります。
ビートルズは、此の曲を正式録音した後も
「HONEY DON'T」、
「EVERYBODY TRYING TO BE MY BABY(みんないい子)」とカヴァーし、「BBC LIVE」や「アンソロジー」などで聴ける様に「BLUE SUEDE SHOES」「LEND ME YOUR COMB」「SURE TO FALL(IN LOVE WITH YOU)」「TENNESSEE」「GONE GONE GONE」「YOUR TRUE LOVE」などなど多くの曲を取り上げました。
メムバー四人全員がリード・ヴォーカルを担当したカヴァー曲のオリジナル・アーティストは、おそらくカール・パーキンスだけだと思います。彼の楽曲を好んで演奏していたのは未だ無名だったハンブルグ時代からの事で、メジャー・デビュー直後にカールの英国公演で知り合い親交を深めた「自分の弟子」で在るビートルズをカールも可愛がっていたのでしょう。其れが、此の曲の録音を「わざわざ見学する」と云う行動に出た理由だと思われます。ビートルズは、どんなに有名になり売れても「先達を尊敬する気持ち」を忘れませんでした。
元々は後の「HONEY DON'T」同様に、ジョン・レノンが得意とし歌っていた曲です。リーダー:ジョンは、自分の十八番をリンゴに譲ったのです。やっぱ、偉いよナァ。だってさ、そんな事をしたのは、ジョンだけなのよさ。ポールは自分の十八番を「ビートルズ現役時代」には、ジョージやリンゴには歌わせなかった。ジョンは「眞のビートルズのリード・シンガー」だったので、レパートリーが豊富でした。だから「此れなら、リンゴでも歌えるナ」って思った楽曲を譲ったのです。
「偉いぞっ!ジョン・レノン」アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」には、リンゴが歌う曲が収録されていません。此れは「リンゴにも壱曲は歌わせる」と云う暗黙の掟に反する事で、結果的には「A HARD DAY'S NIGHT」を初期の最高傑作にした要因にもなりました。(おいおい、リッチーの立場って、一体、、、)でも、ちゃんと壱曲は歌わせていたわけです。「A HARD DAY'S NIGHT」はオリジナルだけで勝負する事に決めたので、リンゴの歌はEP盤に回されただけです。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とEP盤「LONG TALL SALLY」は同時進行だったので、合計17曲で「A HARD DAY'S NIGHT」セッションと考えるのが妥当だと思います。(まあ、
「CAN'T BUY ME LOVE」と同日録音の「ドイツ語接待版二曲」も入るのかもしれませんが。)
此の楽曲は、先に述べた通り元々はジョンが歌い、レコードでリンゴが歌いました。更には1989年からの世界ツアーでポールも歌いました。全てCDで容易に聴けますので、ジョン、ポール、そしてリンゴによる歌を聴き比べられる絶好の楽曲です。そんな珍しい曲は、他にはないと思います。おそらく、ジョージの歌唱も在るでしょう。だって、全員がカールを敬愛しているのだもの。結論から云えば
「ジョン・レノンの圧勝」ですが、是非、皆さんも聴き比べてみて下さい。「百聞は一見に如かず」です。何故、あたくしが「ジョンは天才歌手」と断言するかが、はっきりと分るでしょう。
(小島藺子)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-10
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-10
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)