w & m:MACK DAVID/ BARNEY WILLIAMS / BURT BACHARACH
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス(2/11、2/25)、スチュワート・エルサム(2/20)
2E:リチャード・ランガム(2/11)、ジェフ・エマリック(2/20)、A.B.リンカーン(2/25)
録音:1963年2月11日、20日、MIX:1963年2月25日
1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
(
「PLEASE PLEASE ME」 B-3)
此の連載では、基本的に英国オリジナル発売順に楽曲を紹介しています。デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME」のA面は、
「BOYS」の後にセカンド・シングル
「PLEASE PLEASE ME」から両面、そしてB面はデビュー・シングル
「LOVE ME DO」から両面と、畳み掛ける様に中盤の山場がやって来ます。ヒット・シングルをアルバムにも収録するのは、当時の通例でした。と云うよりも、アルバムはシングルの寄せ集めと云って良い時代だったのです。されど、ビートルズが其の通例に従ったのは、此のデビュー盤だけでした。
此処で注目すべきは、彼等が既に「アルバムとシングルは別」と考えていたと思える曲順です。御馴染みのヒット曲と其れに負けず劣らずのB面曲が、合わせて四曲も在りました。其れなのに、其れらを真ん中にまとめて収録してしまったのです。其の前後が、たった壱日で録音された10曲なのです。其の理由は、録音をした事が在る片ならお分かりでしょう。真ん中の四曲こそが、実は「違和感」が在るのです。其れは、其の前後が実質的には、
「1963年2月11日(日)の、実況録音盤」だからです。だから、敢えて分けた。其れが、彼等の其の後に繋がります。
さて、怒涛のシングル曲四連発を受けて、ふたたびシレルズのカヴァーが登場します。たったの一日で10曲も録音を強行した1963年2月11日、前述の通り、当時は圧倒的なリーダーで在った「天下無敵のジョン・レノン」は風邪をこじらせていました。夢にまでみた「初のアルバム」を録音する当日に、在ろう事か声が出ないかもしれない事態に陥ったジョン。其のプレッシャーは想像を絶するものだったでしょう。実際に、午前中のセッションではポールがほとんどの曲を歌います。ジョージ、リンゴも歌います。ジョンは、歌えないのか?午後になってさらに高熱に悩まされたジョンは、底力を発揮します。此の名唱を聴いて下さい!此れが、今にも倒れそうな人間が歌ったとは、到底思えません。ジョンは、デビュー以前に出来上がっていました。
やっつけ仕事の10曲中で
「MISERY」と此の曲だけ、20日にジョージ・マーティンがオーバーダビングをしています。此の曲には、チェレスタとピアノを加えたのですが、結局はピアノは消去されました。此の楽曲は、シレルズのカヴァーと云うよりも、「THE BEATLES MEETS BART BACHARACH」と呼ぶべき名カヴァーでしょう。あたくしにとって「20世紀最大の作曲家」は、レノン・マッカートニーでも、ブライアン・ウイルソンでも、キャロル・キングでも、スティーヴィー・ワンダーでも、他の誰でも在りません。最も影響を受けた作曲家は「バート・バカラック」です。
2008年は、尊敬する作曲家である「バカラック先生(2月)」と「キャロル姐御(11月)」に逢えた年でもありました。でも、当時66才のキャロル姐御は「CHAINS」を誇らしげに披露したけれど、当時79才のバカラックは此の曲を演奏しなかったっ!御存知の通り、此の楽曲はビートルズ以外にも数多くのカヴァーが存在する「世紀を超えた名曲」です。参ったよ、バカラック先生。「俺様は、未だ未だ、ビートルズなんぞに介護される気はねぇよ」って事なんでしょう。恐るべき80才です。
其れにしても、レノンの此のヴォーカルの色っぽさは、何なんだ?ガールズ・グループが歌うよりも、遥かに艶っぽい。♪おほ〜んっ!♪とか、しゃくり上げる部分が堪りませんっ!完全に「他人が書いた曲を、手篭めにして居る」んですよっ。
正に、ジョンは「カヴァーの天才」でした。(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-16
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-9
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)