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2009年03月29日

「My Cherie MAYAYA」

My Cherie Amour


まやや、御誕生日おめでとう。

君と出逢って、もう10年になるんだね。出逢った頃には、お互いに反目してた。年齢も19も違って、とても10年後の未来に「永遠の友」になっているなんて夢想だにしなかった。

女子大生だった君も、気が付けば「三十路」で、結婚も決まった。君の旦那さんの凱旋公演を観たのは、僕だけだった。空港に見送りに行ったら、見送りは僕だけだった。いつの間に、そんな仲良しになっていたんだろう?

僕は、君を心から愛しているよ。来日したら、また呑もうぜ、ライバル。

あっ。那奈ちゃんのワンピ、着れる様になったかい?


(小島藺子/姫川未亜)



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FAB4-008:CHAINS

The Complete Cookies パールズ


 w & m:GOFFIN / KING

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/11)、 A.B.リンカーン(2/25)
 録音:1963年2月11日、MIX:1963年2月25日

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 A-4)


ビートルズは、メムバーが四人全員が歌えた。

其れゆえに、普通のバンドでは有り得ない事が、解散後に起こりました。なんとまあ、メムバー全員が、ソロ歌手としても成功してしまったのです。はっきり云って、そんなバンドは他に思い当たりません。解散後に四人ともソロでも全米チャート首位を獲得してしまったバンドなんて、他に在るでしょうか?いや、無い。

EMIと契約する前に、1962年の元旦、彼らは正月返上で「デッカ・オーディション」に挑み、無惨にも落とされました。其の時のドラマーは、ピート・ベストです。彼は歌わせてもらえなかったので(理由は定かではないけど、太鼓も今イチだったことから察するに、歌はもっと酷かったのでしょう)、ジョン、ポール、そしてジョージが歌っています。

現在では容易に聴ける其の音源では、緊張しちゃったのか、ジョンとポールは実力の半分も出せていません。只一人、一番若いジョージが生き生きと歌っています。特に、ゴフィン&キング作品のカヴァー「TAKE GOOD CARE OF MY BABY」は名唱です。現に結局はオーディションを落とした「世紀のホウイチ:デッカ」は、当時の慣例から誰かひとりをリード歌手に据えようと考えましたが、其れは「ジョージ」が第一候補だった模様です。

デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME」から、基本的に「ジョン&ポール」が核で在ったビートルズですが、バンドは四人平等がモットーだったと思えます。ジャケットには解散まで、常に四人が同じ大きさで映っていますし、ジョージとリンゴにも僅かな例外を除いて、リード・ヴォーカルを最低壱曲は担当させています。ゴフィン&キング作品で、オリジナルは黒人三人娘の「クッキーズ」が歌ったスマッシュ・ヒット曲で在る「愛の鎖」を、ジョン、ポール&ジョージが歌います。リードを取るのは、最年少のジョージです。此の三人によるハーモニーは、最後の「ABBEY ROAD」まで彼らの大きな武器のひとつとなります。

ビートルズは、ガールズ・グループのマイナー曲を好んでカヴァーするかなり「へんちくりんなバンド」でした。現在の日本なら、新人男性ロック・バンドが、例えば「風間三姉妹のシングルB面曲をカヴァーしちゃう」みたいな感覚です。(おいおい、それじゃ「浅香唯メドレー」じゃん!)他の連中とは違うレパートリーを演奏して目立ちたかったからだと云う理由だけではなく、彼ら三人によるコーラスには、間違いなくガールズ・グループからの影響が多大に感じられます。そんな「ユニセックス的な魅力」も、彼らを化け物にした要因のひとつだと思います。ちなみに、作者のキャロル・キング姐御本人が、最近のステージでも「ま、ビートルズも、所詮はあたしの弟みたいな連中なのよ(はーと」とか云って、此の曲を楽しそうに演奏しています。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-15
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-7

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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