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2009年03月25日

「僕はプロレス者(キナサイへの誘い)」

猪木語録 元気ですか!一日一叫び!


「プロレス者」としての僕は、アントニオ猪木の引退と共に終わったと思っていました。かつては、年間50興行位は軽く生観戦していたのです。後楽園ホールに行くのは、毎週日曜日のルーティン・ワークでした。一日に三興行を梯子したのだって、一度や二度では在りません。地方へも逆密航していました。現在、片瀬那奈ちゃんのイベントの為に仕事を休む様に、平気でプロレス観戦の為に有給を取っていたのです。

関東地区で行かなかった会場は無いし、観戦しなかった団体も在りません。テケツ代だって安くはないのに、映像作品やグッズなども、鬼の様に購入していました。一体、どーやって当時の給料でやり繰りしていたのか自分でも不思議ですよ。プロレスの現場へ行くって事に関しては「やり尽くした」と思っていました。通算で、おそらく最低でも500興行は生観戦したはずです。14年間、クソ真面目に生観戦したのです。もういいじゃないか、猪木も引退したんだし、もう充分だろう、そう思って10年が経ちました。

なのに、僕の「プロレス心」は、鎮静しなかった。僕の大好きだった「昭和プロレス」は、もうDVDの中にしかないのに。雨の日も風の日も、駅まで自転車で買いに行った「週刊ファイト」も休刊してしまったのに。其れが何故なのかなんて、僕にも分りません。でも、きっと「プロレス者」として生き続けなければならないと決意したキッカケだけは、分っているんです。

僕が住む下町(通称:片瀬の街)の近所(「てか、隣なんだけどさ」)の煙草屋サンで、毎週「週刊ファイト」を買っていました。「ニッカン」も「デイリー」も「東スポ」も、歩いて1分の隣の其処で買っていたんです。でも一昨年、御主人が亡くなって、新聞を取り扱ってくれなくなったんです。

未亡人に僕は「なんで新聞を置かなくなっちゃったんですか?」と訊きました。彼女は、こう応えました。「だってさ、たった一人しか買わないのに、ずっとウチのひとったら『あいつが買いに来るから置かなきゃダメなんだ』って云ってさ、売れ残りの返品とか大変だからヤメちゃったのよ」と。

変だナァ、とは感じてたんですよ。「何で、スポーツ紙の朝刊も夕刊も全部置いてくれて、プロレス新聞まで常備してんだろ?」ってさ。亡くなった御主人は、こうも云ったそうです。「なんかさ、そいつは、たまにスポーツ新聞を全部買うんだよ。俺はさ、どうも、女優かなんかの贔屓なんじゃねぇかって思ってんだよ。誰だか分らないんだけど、兎に角、そいつが買うんだから置かなきゃイケナイだろ?」と。

「あの、其の『たった一人』って、僕のことだと思います。」と僕は云いました。「なんだ、あんただったのかよっ!」と、未亡人は笑いました。

そして、僕は「プロレス者」に復帰したのでした。


(小島藺子/姫川未亜)



初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-5-26

(原題:「僕はプロレス者」)



(REMIX by 小島藺子/姫川未亜)2009-3-25



posted by 栗 at 23:12| KINASAI | 更新情報をチェックする

「片瀬那奈マネ日記」#430

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実 <新装版>


サブタイトル「Poco''ce」


以上。

「女子マネちゃん、グッジョブ☆」

アウト・テイクを知り得るのは、スタッフのみです。僕らには難儀なのだよ。女子マネちゃんは、THE BEATLES に例えれば「ジェフ・エマリック」みたいな立場なのですから、こうした情報を公開して下さるのは嬉しいです。

僕らは、「マーク・ルウィーソン」です。「片瀬那奈研究家」に過ぎません。只、「あたくし(未亜/イコ)」とか「アンテツ」とか、10年間も「日々是カタセ日和」で生きて来た輩は、那奈ちゃんが「脚だけでサッカー選手を当てられる」と同じ様に、色んな「魔法」が使える様になるのです。アントニオ猪木さんも語って下さいましたけど「此の道だと決めて、10年位其れに邁進すれば、絶対に夢は叶う!」のですよ。

親愛なる片瀬那奈ちゃん。こんなにも、僕らを夢中にさせてくれて、有難う!僕らはみんな、君と出逢って幸せになったよ。そして、もっともっと幸せになるんだ。君は、素敵だ。那奈ちゃんが銀河系で壱番だよ。那奈ちゃんを追えば「楽しい未来」が待っている。此れは、絶対的な「真理」です。


「感謝!◎+」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 21:12| pre-UNYO | 更新情報をチェックする

「Poco'ce」2009年4月号

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発行・編集/株式会社ネオメディア

(フリーペーパー)

表紙、及び「Cover Interview」に登場。カラー3頁(表1、P8〜P9)、目次にも別ショットあり。

「ダメだなって時は、一回テキトーになる(笑)
 ふとした瞬間にトンネルを抜ける道があるんです」


 モデル:片瀬那奈
 撮影:久保真二
 取材・文:Poco'ce 編集部
 ヘアメイク:青山理恵(nude.)
 スタイリスト:大沼こずえ(Kind)


本日は20数日振りに、うっかりと地下鉄に乗りました。当然、此の雑誌をゲットする為です。コンビニに配送されるよりも駅が早いってのは、一応「物流」も生業にしておりますゆえ、解っておりました。狙いは「大江戸線の汐留駅」です。在ったよ。むふふふ

此の春から夏に賭ける「2009年小野時代」を爽やかにスタートさせる那奈ちゃんの美しい写真(鮮やかな黄色いワンピに蒼いタイツ姿の全身ショットには、暫し見蕩れますよっ!)に、「革命」再演に向けた意気込みを中心にした最新インタビューは、「滅多に乗らない電車に乗った甲斐が在ったぜっ!」と思わせるに充分過ぎました。

「一緒に楽しんでいきましょうね!」

と高らかに那奈ヲタにアジテーションする御本尊様に、目頭が熱くなりました。

那奈ちゃんって、本当に素晴らしいナァ。此れが「0円」って、世の中、捨てたもんじゃないですよっ。ネットでも観れますが、是非、紙媒体でも持っていたいアイテムです。

此れは「ちょっと幸せ(poco felice)」じゃないです。「至福」ですよっ。


(姫川未亜)



[ポコチェ] free magazine Poco'ce


posted by 栗 at 20:44| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

「カタセ式」

ねじ式 (小学館文庫)


昨日は、WBC連覇で沸き返りました。職場でも、みんな結果が出るまでは仕事が手に付かなかった。丁度、昼休みの時間に先取点を取ってくれたのは好いのだけど、畳み掛けるべき時なのに「4番:城島」凡退で転けた。ドンマイ!と「漢・原監督」は我慢したが、次のチャンスだった無死一三塁から「4番:城島」が、まさかの三振。つづく「5番:小笠原」までも「ヒット&ラン」を失敗して三振、併殺。ドンヨリとした「オヤジの負のパワー」に包まれた食堂に、僕は居たたまれなくなりました。「こりゃ、今日の午後は日本のオヤジはやる気でねーぞ。」と思わざるを得ませんでした。

其の後、14時半からの休憩までは、誰かがトイレに行くとかの口実で途中経過を報告する展開となりました。おやつ時間の休憩で食堂へ行ったら、TVの前にオヤジが連なっていましたよ。「同点で延長になった」って情報までしか知らなかった僕らは「5:3」と云うスコアに「何が起こったんだ?」と思った。でも、リアル・タイムの展開にこそ「オヤジ心(いや、其れがすなわち「片瀬那奈ちゃん的な心」なのだ)」は疼く。

其の時のリアルは、「3番:青木」が敬遠された処だったのです。「はあ?参番を敬遠して、四番で勝負?おい、城島、舐められてるぞっ!確かに、此処まで全打席凡退で好機を逃した戦犯だ。でもさ、何が起こったのか知らないけど、二点勝ってんじゃん。気楽じゃん。ランナー二人いるじゃん。リラックス、リラックス。でも、此処で三振しやがったら、在る意味『神』だな。」なんぞと「悪魔くん心」で観てたら、期待通りの「三振」ですよ。まわりのオヤジどもが「城島、氏ねよっ!」と喚く中、あたくしは「城島ちゃん、外さないナァ。期待以上のダメ振りじゃん。流石は、那奈ちゃんと闘い敗れた過去を持つ漢ですよっ。」と、小さくガッツ・ポーズをとりました。

優勝の瞬間、食堂には「おいおい、おまえら本当に休憩時間なのかよ?」と思う程のオヤジども(其れは男子だけでは無く、女子も含め、たかが野球の展開に仕事が手に付かない程に夢中になっていた連中の総称です)は、狂喜乱舞した。「やる気まんまん」になって、「さぁ、バリバリ仕事して、さっさと帰ってゆっくり夜の再放送特番を観るぞっ!」と顔に書いて在ったよ。かく云うあたくしも、ハラハラドキドキで、ダルが三振を取って決まった瞬間には「うぉっしっ!やったぁーっ!!」とか口走っていたのです。

あのさ、あたくしって「オヤジ」じゃなかったのよさ。いや、今でも普通は「女の子よりも女の子らしい」って人格を持つ人なのよさ。なのに、ダンダンダンと「新橋で呑んでるオヤジ」みたいな側面が出て来たわけよ。其れは、今回みたいにスポーツ観戦している時とか、お莫迦さんな若造を叱っている時とかに顕著に現れるのよさ。

其の理由を、僕は知ってる。其れは、

「片瀬那奈ちゃんの影響です。」(キッパリ!)


(姫川未亜/小島藺子)



posted by 栗 at 01:35| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-004:ASK ME WHY

VIVA MARIYA!! Live_at_The_Star-Club.jpg


 w & m:McCARTNEY / LENNON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:A.B.リンカーン('63-2/25)
 録音:1962年11月26日
 MONO MIX:1962年11月30日(take 6 より)
 STEREO MIX:1963年2月25日(take 6 より)

 1963年1月11日 シングル発売
 パーロフォン 45-R 4983(モノ)

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 A-6)


ビートルズの出世作となった2ndシングルは、デビュー盤での憂さを晴らすかの様に両面ともジョン・レノンの作品が選ばれました。1962年11月26日のセッションでは、ポール・マッカートニー作の「TIP OF MY TONGUE」も録音された様です。然し乍ら、当時のジョンとポールでは、其の実力差は歴然としていました。はっきり云って「TIP OF MY TONGUE」は、後に「世紀のメロディーメイカー」と呼ばれるポールが書いたとは到底思えない「駄曲」でした。ポールには信じられない様な駄作があります。対して、ジョンの完成作には其れは皆無に等しい。今後も此の展開は続きますが、其れはレノンとマッカの作詞作曲法が真逆だったからこそ起こりました。

彼等は、其の生い立ちなど共通する部分が多い「兄弟」です。然し乍ら、其の肝心な音楽家としての考え方や方法論が、合わせ鏡の様に「真逆」だったのです。簡潔に云うなら、ジョンは推敲を重ねて曲を書く人です。だからこそ、レコードになった作品は一部(洋子サン主導の前衛作品)を除けば「完璧」です。駄曲など在りません。でも、ポールは「曲が降りて来る」とか「其の辺に浮かんでる」とか平気で云う「天然」です。彼は、最初から「完成型」として曲を書けてしまえる人なのです。だから多作で、当然、駄曲も出るわけです。

さてさて、此の楽曲も「此のB面を聴けっ!」と云わざるを得ない、B面ならではの名曲です。短いイントロに続き、ジョンが一気に歌い上げます。迸る芳醇なメロディーが、通常の展開を許しません。ジョンの曲が素晴らしいのは、正に此の点です。「A→B→A→B」なんて当たり前なルールは、ジョン・レノンには無い。彼は「自由」でした。いや、殺されるまで、ずっとずっと「自由」でした。

曲の構成的には、彼の遺作に収められた「(Just Like)STARTING OVER」と変わらない、自由奔放な「レノン節」が奏でられます。エンディングの中途半端なマイナー・コードに、其れまで聴いた事のなかった「何か」を感じました。其れが、滅茶苦茶にやった結果では無く、鬼の様に推敲を重ねて練り上げた結果からの「自由奔放ごっこ」だと知るのは、彼が殺されてから公開された「THE LOST LENNON TAPES」を聴いた時でした。でも、通常の音楽理論を壊してしまったジョン・レノンの作風に、大いに魅せられてしまった。何よりもジョンの歌声が素晴らしい。本当に、美しい音楽です。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-13
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-3

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする