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2009年03月22日

「友よ!〜私達の望むものは〜」

Revolution ~私たちの望むものは~


昨日(3/21、ナイアガラ記念日)、帰宅したあたくしは、レノンの教えを守りTVを稼働させました。(ジョン・レノンが起きて部屋にいる時には視聴していなくとも必ずTVを付けっ放しにしていた事は、ビーヲタの常識です。)

すると、画面には10チャンネルの料理番組が映し出されました。何故「テレ朝」だったのかと云うと、録画予約していた最新の番組が「ベスト・ヒット・USA 2009(地上波版)」だったからです。普通なら音声を消してレコードをかけたりするのだけど、あたくしは一寸だけ見入ってしましました。

其れは、かつて片瀬那奈ちゃんも出た事の在る「二人の食卓」と云う番組でした。友人や憧れの女性タレントの為に男性タレントが料理を振る舞うと云う内容の番組で、昨日のゲストは歌手の「アグネス・チャン」さんと、俳優の「今井雅之」さんでした。

アグネスと今井さん、俄に関連性を想像出来ない組み合わせに興味を持ち、うっかり観てしまったんです。そしたら、今井さんは子供の頃からの熱狂的な「アグネス信者」だと云うじゃないのよさ。強面のバイプレイヤーで在る今井サンが、すっかり少年に戻り、アグネスを「女神様、マリア様、アグネス様」と呼び炒飯を作る姿だけでも涙モノでしたが、彼の実家の部屋(現在も少年時代の侭で保存されている、、、)の写真が公開された時に、僕は我が目を疑ったぞ。

其処は、壁全面に貼り巡らされたアグネス等身大ポスターや、彼女のグッズ等が辺り一面に存在する、正に「アグネスの部屋」でした。対象が「片瀬那奈ちゃん」に変わっただけで、あたくしが住む「片瀬の館」とおんなじでした。更に、「信者:今井」は云った。

「此の真ん中の写真が壱番のお気に入りで、僕はマリア様と呼んでいまして、アグネス様が好きな御言葉『愛と平和に溢れた世界』を、毎日此のポスターを拝んで唱えていたんです。」と。おいおい、其処までおんなじじゃん。

【注】未亜は、那奈ちゃんの等身大POPに「那奈ちゃんに関わる世界がみんな幸せになりますように」と、毎日拝んでおります。御本尊様本人にお逢いした時には、自然と跪き拝んでしまった経験が何度も在ります。そんな時、未亜の隣には、決まって「打ち合わせも無く同じ様に拝んでいる:アンテツ」がいます。其れが「那奈ちゃん拝み隊(電エース&未亜/イコによるユニット)」結成へ繋がったのでした。(事情通・小島藺子・談)

対象は違えど、君と僕たちはおんなじ事をやって来たんだ。だから、云う。

「今井雅之よ、君は、同志だ」


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 17:34| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-001:LOVE ME DO

Love Me Do Reviewing the Situation


 w & m:McCARTNEY / LENNON

 P:ジョージ・マーティン(9/4、'63-2/25)、ロン・リチャーズ(9/11)
 E:ノーマン・スミス
 2E:A.B.リンカーン('63-2/25)
 録音:1962年9月4日(リンゴ)、11日(アンディ)
 MONO MIX:1962年9月4日(リンゴ)、11日(アンディ)
 STEREO MIX:1963年2月25日(アンディ)

 1962年10月5日 シングル発売(最高位17位)
 パーロフォン 45-R 4949(モノ)

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 B-1)


さあ、満を持して始まります「ビートルズ全曲解説」の最初は、当然乍ら、記念すべき 、

ビートルズのメジャー・デビュー曲です。

彼らの楽曲には「ミックス違い」は多いのですが、明白な「テイク違い」はほとんど存在しません。あの「ACROSS THE UNIVERSE」ですら、すべて同一テイクから作られたミックス違いなのです。此の曲は、そんな彼らには珍しく2テイクが聴ける楽曲です。英国シングル初回プレスのみが、リンゴ・スターが太鼓を叩かせてもらえたヴァージョンで、其れ以後のシングルとアルバムは、セッション・ドラマー:アンディ・ホワイトが叩いています。リンゴはタンバリン担当に格下げされました。(現在では、両ヴァージョンに加え、前任のピート・ベストが叩いたヴァージョンまで容易にCDで聴けます。)よっぽど屈辱的だったのか、リンゴは40年後にソロ・アルバムで此の曲をカヴァーするのですが、何故か其の時も自分では太鼓を叩いていません。

兎も角、彼等(ジョン&ポール)が出逢い、既に、苦節五年余の下積みを経ておりました。遂に、怪物が世に出たのです。が、、、何じゃこりゃ?天下無敵のビートルズのデビュー曲にしては、些かお粗末なポール作(ジョンも多分に協力したので合作なのだけど)の「LOVE ME DO」ですが、流石の彼らも極度のプレッシャーでガチガチになっています。特にリンゴが太鼓を叩いたヴァージョンは酷い演奏です。ジョンはハモニカを吹きすぎて、投げちゃっていますよ。と云いますのも、本来、此の楽曲は無敵の「レノマカ」によるデュエットだったのです。Aメロでの決めの低音で♪LOVE ME DO〜♪と歌うのは、当然ながらジョンでした。然し乍ら、当時のバンドは「ソロ歌手と楽団」が慣例で、EMIが選んだのは社交家のポールだったわけですよ。当時、絶対的なリーダーだったジョンは「重役サン達に疎まれる存在」でした。故に、ハモニカを吹かせ楽団員の立場へと落とし込められたわけです。だから「キーが高いポール」じゃ間抜けな感じになっちゃったわけよ。ポールは「いきなりだナァ、とジョンのパートを歌わされて面食らったよ。アレはやっぱりジョンが歌うべきだった」と語っております。

ちなみに、リンゴのドラムに駄目出しをしたのは、、、

「ポール・マッカートニーですっ」

後の「ホワイト・アルバム録音時の、リンゴ脱退事件」や、近年の「ライヴ8での、リンゴいらない事件」の首謀者でも在るポールは、最初からリンゴの太鼓がお気に召さなかった御様子です。きっとポールはこう思ったのでしょう。

「俺様の方が、もっと太鼓も上手いぜ!」

後にジョージ・マーティンはリンゴに詫びて、リンゴは「オラ、そんなこたぁ気にしてないよ」と笑って済ませたらしいのですが、ポールが悪いわけじゃん。ポールが謝らなきゃイカンのに、有ろう事かリンゴを殴って脱退させ自分で太鼓を叩く暴挙までやらかすのだよ。さてさて、地味なデビュー曲がチャートで17位にまで行ったのにも「カラクリ」が在ります。敏腕マネジャーのブライアン・エプスタインは、リヴァプールの大きなレコード店で支配人をしていました。ジョンに「逢った途端にひと目惚れ」して、マネジャーに転職したのです。そうです、その通りです。彼は愛しのジョンの為に、ポケット・マネーで「LOVE ME DO」を壱萬枚買い占めたのでした。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-12
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-8-30

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 18:57| FAB4 | 更新情報をチェックする

「ジャンク SPORTS WE LOVE SPORTS スペシャル!」

心の壁,愛の橋


フジテレビ 19:00〜20:54

MC:
浜田雅功、内田恭子、三宅正治(フジテレビアナウンサー)
スタジオゲスト:
 古田敦也、哀川 翔、上地雄輔、テリー伊藤、土田晃之、見栄晴、
 片瀬那奈渡辺満里奈、横野レイコ

哀川翔のラリー愛!?VS美人女優○○フェチに古田ア然
女優の片瀬那奈は大のサッカーファン。昨年、スーパースターのクリスティアーノ・ロナウド(マンチェスター・ユナイテッドFC)と仕事で会い、大興奮したという。片瀬がロナウドと会っている間、勝手に妄想した“赤面”の内容とは?
(以上、重要部分のみ番組案内より引用。)



本日開催の「東京マラソン 2009」絡みのスペシャルですので、「すわっ!生放送?いざ、お台場か?!」と色めき立ちましたが、片瀬那奈ちゃん登場部分は録画です。

で、とりあえず云うけどさ。那奈ちゃんが喜々として「サッカーを語る事」、例えば「リアルタイムで観なきゃ」とか、「脚だけで誰か解る」とかってさ。

「那奈ヲタが那奈ちゃんに対してやってんのと、おんなじじゃんっ!」

更には、「同志:土田クン」が評した「片瀬はオヤジ論」とかってさ、そのまんま「那奈ヲタ論」でも在るわけさ。「飼い犬は飼い主に似る」とは云いますが、、、

「那奈ヲタは、片瀬クンに似るのだ」

いや、那奈ちゃんだけじゃなく、此の番組で語られているのは「ファン論」です。「ファン」とは「追っかけ」とは、如何なるモノか?を、其の対象にもなっている著名人がほとんど仕事を忘れて夢中に語りまくっているのですよ。

そして、其の姿勢が、対象が「サッカー」と「片瀬那奈」と云う違いだけで、僕らと那奈ちゃんは全く以て「同一」なのです。だからこそ、僕らは彼女を選び、彼女を愛して来たんです。那奈ちゃんの「考え」は、彼女の真摯な「願い」は、僕らの「理想」です。

「立てっ!那奈ヲタよ。此の世界を救えっ!!」


(小島藺子/姫川未亜)



「ジャンクSPORTS」フジテレビ番組案内
「ジャンクSPORTS」フジテレビ公式サイト


posted by 栗 at 20:57| TV | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

「ワタシハ、ロビタ」改訂版

火の鳥 復活・羽衣編


「チヒロ」で在った此処は、「レオナ」で在った「コピコン」と「ひとつ」になりました。

片瀬那奈ちゃんに関する「NANA」カテゴリは、既に「来るべき世界」に向けて此処へ補完済みです。現在は「月刊・未亜」や「アゲン時代のNANAカテゴリ」、そして「公式BBS時代の未亜発言(公式データ消失)」や「2ちゃんねる時代のイコ発言(●無しだと読めなかったり、スレッド全削除されたモノも含む)」を復刻中です。

問題は、「コピコン」での連載で「片瀬那奈ちゃんを冠にしていないモノ」です。具体的には「FAB4(THE BEATLES 全曲解説)」「PARIS(FLEETWOOD MAC 論)」「KINASAI(プロレス時評)」などですが、時評で在るモノ(「KINASAI(プロレス時評)」等)に関しては当時の日付で復刻し、時事ネタとは関係の無いモノ(「FAB4(THE BEATLES 全曲解説)」等)はリマスター版で新作として順次発表する事にしました。「コピコン」は、現在から過去と未来へ向けて復刻されます。

現時点で、此処「ゼンキロ」の記事は「約3,500」です。其れに「コピコン〜アゲン〜コピコン」の、言わば「裏・ゼンキロ」の「約2,000」が加わるのです。更に、「月刊・未亜」等の「コピコン以前の記事(約1,000)」も此処へ帰結します。

つまり、現時点で「六千五百件」もの「片瀬那奈ちゃんに関する記録」が、確かに此処に印されるのです。我ながら、呆れ返る程の「那奈ヲタ」振りです。アンテツあにいは、あたくしが此処を始めた頃に云いました。

「未亜さんが始めたのは、立派な文化事業ですよっ!
 きっと、将来、教科書にも載りますよっ!!」


僕は、「何を大袈裟な事を云ってるんだ?」と笑った。でも、嬉しかった。「那奈ちゃんも、きっと喜んでくれてますよっ!」と彼や仲間たちが励ましてくれた。その気にさせられた。其れで、此処は此処を始めた時よりも以前をも内包する「片瀬那奈が誕生してからの全記録」へと変貌した。

此処は、「片瀬那奈全記録」です。でも、敬愛する大切な人を追う記録は「時代」を映す。そして、何かを探究すれば其れは「思想」になる。僕は、此処にいる。此処は、「片瀬那奈ちゃんを愛する那奈ヲタの描く記録」だ。でも、其れが、僕の存在証明だ。僕の心だ。僕は、那奈ちゃんを追う。其れこそが、僕に天が与えた「使命」だ。さあ、最後通告だ。

「SHINE ! ! 」


初出:「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:12| IKO | 更新情報をチェックする

FAB4-002:P.S. I LOVE YOU

オリジナル・サウンドトラック 『P.S. アイラヴュー』 MEET THE BAD BOYS


 w & m:McCARTNEY / LENNON

 P:ロン・リチャーズ(9/11)、ジョージ・マーティン('63-2/25)
 E:ノーマン・スミス
 2E:A.B.リンカーン('63-2/25)
 録音:1962年9月11日
 MONO MIX:1962年9月11日
 STEREO MIX:1963年2月25日

 1962年10月5日 シングル発売
 パーロフォン 45-R 4949(モノ)

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 B-2)


デビュー・シングルのB面も、ポールの曲が選ばれました。矢張り当時の慣例から、ビートルズも「ポール・マッカートニーとザ・ビートルズ」として売り出したかった上層部の思惑が伺えるチョイスです。初期の彼らでは、明らかにジョンの才能が突出していたのですが、何せ「天下無敵のジョン・レノン」です。EMIサイドが用意して居たデビュー曲候補の「HOW DO YOU DO IT」を歌わせたら「他人の曲なんかやってらんねーっ!」とばかりに投げっ放しでやる気を見せません。ちなみに「HOW DO YOU DO IT」は「Gerry & the Pacemakers」に回されジョージ・マーティンのプロデュースで英国1位の大ヒット曲となりますので、マーティンの選曲センスは全く間違っていなかったわけです。ただ、ジョン・レノンが「こんな曲でデビューするのは御免だ!」と嫌がったのですよ。

其の点、ポールはお利口サンでした。持って生まれた社交性を駆使し、まんまと自作曲でデビュー・シングル両面を埋める事に成功します。でも、ジョンはもっと上手でした。此の時のセッションで、彼は次のシングルとなり、初のナンバー1を獲得する曲を既に披露していました。其の曲は「PLEASE PLEASE ME」と云います。今更当たり前すぎて説明するのもアレなんですけど、「LENNON / McCARTNEY」(デビュー当時は「McCARTNEY / LENNON」だった!)とクレジットされた曲の大部分は、どちらか片方が書いた作品です。彼ら二人は、未だ10代の頃に「此れからは片方だけで書いた曲もすべて合作として発表しよう」と云う取り決めをしました。此の連載では「太字で記した方が主に書いた」としています。「P.S. I LOVE YOU」は、所謂ひとつの「此のB面を聴け!」的な名曲です。こっちをA面にするって話も出たそうですが、此れはB面だからこそ光る曲なのです。イントロなしで唐突に始まり、ジョンのコーラスをバックに間奏すらなく朗々と一気に歌い上げるポール節炸裂!の可愛い作品です。

確かに、後の例えば「I WILL」(1968)などに代表される「ホラね、書けちゃった、ボク☆」ってな感じの、所謂ひとつの「マッカ節」の発芽は此のB面にこそ在ります。されど、何故に「LOVE ME DO」がA面だったのか?其れを探究せずに「屑曲じゃん!」で済ましたらお終いですよ。1962年の世界で、「LOVE ME DO」みたいな曲は無かったわけです。此の愛らしいB面は、夢見るアメリカン・ポップスへのオマージュです。彼等はブルージーでマイナー進行の黒人音楽への憧憬をA面にした。されど、其の革新性は無視され、レノンのドスの効いた「ラヴミドゥー!」入りの眞なる姿では音盤化されなかったのです。「20世紀最大の音楽チーム」と歴史に遺った「レノン/ マッカートニー」には、長い下積み時代に書き貯めた膨大なストックが在りました。其の中から、彼等が選んだのが「LOVE ME DO」だったのです。其れは、大いなる挑戦でした。

ポール作品が両面を独占したビートルズの英国オリジナル・シングル盤は、後にも先にも此れのみです。其れがよっぽど嬉しかったのか、1990年になって彼は「P.S. LOVE ME DO」と云う怪作を発表してしまいます。ハンドマイク片手に楽器を持たず喜々として歌うポールを観て、多くの心あるビートルマニアはガックリと肩を落としました。あっ。此の曲でもリンゴは太鼓を外されて、アンディ・ホワイトが担当しています。リンゴはマラカスを不機嫌そうに振っております。デビュー盤で二曲ともドラムを叩いていない事実が、後の名演までも「本当はリンゴじゃなく、セッション・ドラマーが叩いている」なる噂を呼ぶ事になるのでした。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-12
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-8-31

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 01:44| FAB4 | 更新情報をチェックする

「RULe」Vol.14 Summer

Golden Best ~15th Anniversary~ (通常盤)


発行/ディノス

(奥付発行日:2009年3月23日)


参ヶ月に壱度のお楽しみ「RULe」が、発行日にやって参りました。が。「君がいない」(泉水ちゃんよ、永久に。)いえ、当然ながら那奈ちゃんの写真は載っております。でも、肝心の「So close, 7」特集が無いのです。

理由は、昨年と同じでしょう。此の2009年初夏、片瀬那奈ちゃんは舞台に専念するのです。かつて、女優を休業してまで音楽活動に邁進した様に、昨年の夏に初主演舞台に賭け、「So close, 7」秋物を発表しなかった様に、(事実、今回同様「RULe」Vol.11」には「So close, 7」特集が無かった為、此処に記録されておりません。)

いつもいつだって、御本尊様の志はブレない!

多彩な才能を持ちながらも、掛け持ちをしない。其の責任感と真摯なる気持ちが、類い稀なる唯一無比の「タレント(才能)」にした。何と云う潔さなんだ。貴女は、漢の中の漢ですよっ。ミスター女子プロレスの代議士:神ちゃんよりも男前だっ!片瀬那奈こそは、我が師です。敬服致します。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 15:52| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

「巨大モンガー!」

太陽戦隊サンバルカン VOL.5 [DVD]


此処の総アクセス数が、突然「壱拾壱萬」程、加算されまして、

「参拾肆萬」超えしました。

34万ですよーっ!すげぇ、すげぇ。自画自賛。パチパチパチ、ギロギロばっちーん!

いえね、此れって「インチキ」でも「如何様」でも「さかさま」でも在りません。単純に、吸収合併した「COPY CONTROL」の閉鎖までのアクセス数を加えただけです。今後も「那奈ちゃんねる」とか「さかさま」とか、全部此処に集めちゃうわけでして、「あっ。」と云う間に壱佰萬超えちゃうんだわさ。20くらいのサイトやブログを作って、必死で書いて来た甲斐が在ったわよ。

てのは、いつも通りの「面白半分(ハーフ・シリアス)」で、こんな事は今回限りです。此処は「COPY CONTROL」から生まれ、独立し、其の母体をも呑み込んだ。其の事実だけは印さねばなりません。「コピコン〜アゲン〜コピコン」ってあたくしの遊びに付き合って下さった「11万」のアクセスを捨てるわけには行かないのです。其れにしてもだ、「コピコン」が11万で「ゼンキロ」が22万って世界になっていたわけね。完膚無きまでに叩きのめされちゃってたんだナァ。ま、此れで「完全なる合体」です。で、当然乍ら、此処の発足日は「2004-8-8」になりました。

さて、「やろうぜ、御本尊様。」


(小島藺子)



posted by 栗 at 22:17| LOOK UP THE # | 更新情報をチェックする

2009年03月24日

FAB4-003:PLEASE PLEASE ME

Please Please Me [12 inch Analog] Beat En Francais


 w & m:McCARTNEY / LENNON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:A.B.リンカーン('63-2/25)
 録音:1962年11月26日
 MONO MIX:1962年11月30日
 STEREO MIX:1963年2月25日(take 16、17、及び 18 の編集ヴァージョンより)

 1963年1月11日 シングル発売(最高位1位 or 2位)
 パーロフォン 45-R 4983(モノ)

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 A-7)


「やったな、君たちは初のナンバー・ワンをモノにしたぞっ!」

録音が終了した途端、英国紳士ジョージ・マーティンが珍しく興奮してビートルズに云いました。そして、一ヶ月半後に発売された彼らの二枚目のシングルは、マーティンの予言通りに首位を獲得したのでした。めでたし、めでたし。

かつて「ビートルズ物語」では、此れが定説でした。しかし、2000年に発表された「1」には、在ろう事か「PLEASE PLEASE ME」が収録されていなかったのです。英米どちらかのチャートで首位を獲得した楽曲のみで構成されたCDには、大傑作「PLEASE PLEASE ME」ではなく、英国17位の(しかも、エプスタインが買い占めて無理矢理チャートを操作した)「LOVE ME DO」なんぞが堂々と壱曲目にのさばっていたのです。(1964年の米国制覇時に、ドサクサに紛れて過去のシングルもガンガン発売した米国では「LOVE ME DO」まで首位を獲得しちゃったのよさ。)「PLEASE PLEASE ME」は、実際には「2位」止まりだったと云うのが、現在では知られています。いや、首位を獲得したローカル・チャートも在ったみたいなのですが、有名チャートでは、今一歩届かなかった様です。

此れは、松田聖子ちゃんの名曲(最近CMでフカキョンも熱唱!)「青い珊瑚礁」が2位止まりだった未来を予見する様な「歴史的事実」です。思えば、聖子ちゃんもデビュー曲「裸足の季節」は最高12位、2ndの「青い珊瑚礁」が2位止まり、そして其の二番煎じだった3rd「風は秋色」で首位と、ビートルズとおんなじ道を辿りました。

「聖子ちゃんは、日本のビートルズなのかっ!」

あっ。今、ボキは多くの音楽ファンを一気に敵にまわした悪寒が走った。其れでも更に続けるなら、此の連載の最終部に出て来る逸話、『「クリムゾン・キングの宮殿」が「ABBEY ROAD」をチャート首位から引きずり降ろしたっ!』ってのも事実では無い様です。だって、あたくしもプログレならクリムゾンが好きだけど、そんなの日本だけの評価ですからね。世界的には、売れてないっすよ、フィリップ翁。

ま、本当の噺だけど冗談は此れ位にして、此の楽曲でジョン・レノンの大逆襲が始まりました。ビング・クロスビーの歌詞からパクリ、ロイ・オービソンの曲と歌唱法からパクったと自ら堂々とカミングアウトした「PLEASE PLEASE ME」を聴いたジョージ・マーティンは「名曲だが、そんなスローテンポじゃダメだな」と、現在我々が耳にしているアップテンポに変更します。ジョンは「てやんでいっ!」と思いながらも、渋々承諾し、見事に特大ヒット曲をモノにしたのでした。でも、ファンって贅沢なのです。僕らは「幻のスローテンポ・ヴァージョン」も聴きたくって、今日も海賊盤を漁るのです。嗚呼。

此の楽曲も「LOVE ME DO」と同じ様に、彼らには珍しく「2テイク」が存在します。そして其の違いは、ハッキリと分ります。片方のヴァージョンで、ジョンが歌詞を間違えて笑いながら歌っているのです。多くのビートルマニアが愛するのは、其の「歌詞を間違えてしまったジョン」の方だと断言します。確かに完成度ではモノの方が断然好いのだけど、其れは本人達も気合いが違っていたわけです。でもね、ハッキリ云えば「手抜き」の「ジョンが歌詞を間違えて笑いながら歌う」ステレオが、とても愛らしいんですよ。抜けた感じが好いのよさ。其れは、たぶん40年近く付き合って辿り着いた境地なのでしょう。「FAB4の失敗」こそが、愛おしいのです。だから、みんなブートなんかを喜々として買って来たんじゃまいか?

兎も角「首位問題なんて、どーでもええやん?」と思える程に、掛け値無しの傑作です。後に詳しく語る彼等の記念すべきデビュー・アルバムも、一般的には「PLEASE PLEASE ME」と呼ばれています。然し乍ら、彼等の処女作の眞のタイトルは「PLEASE PLEASE ME With Love Me Do and 12 other songs」と云います。此れは大変重要で、必ず試験に出ますので覚えて置きましょう。では、此の辺で本日のヨタ噺はおしまいです。


「あっ。此の曲で太鼓を叩いて居るのは、紛れも無く、リンゴ・スターです。」


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-13
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-1

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする

「WBC二連覇達成記念大盤振る舞いか?」

悪なあなた~歌謡番外地




かつて「食わず嫌い」で那奈ちゃんと対決した「4番:城島選手」は散々でしたが、優勝したから、ええじゃまいか!ええじゃまいか!こんな時だけ、俄国粋主義者になり、俄ベースボール・ファンになるわけですが、ま、兎に角目出度いから美味い酒が呑めるわけだ。

偶然ながら、かつては「ベイスターズ命!」と公言していた片瀬那奈ちゃんが、「優勝記念で半額だよっ!」(森田ちゃん声で)此れは、「お買い得だよっ!」(更なる森田ちゃん声で)


(小島藺子)



posted by 栗 at 19:23| PRODUCE | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

FAB4-004:ASK ME WHY

VIVA MARIYA!! Live_at_The_Star-Club.jpg


 w & m:McCARTNEY / LENNON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:A.B.リンカーン('63-2/25)
 録音:1962年11月26日
 MONO MIX:1962年11月30日(take 6 より)
 STEREO MIX:1963年2月25日(take 6 より)

 1963年1月11日 シングル発売
 パーロフォン 45-R 4983(モノ)

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 A-6)


ビートルズの出世作となった2ndシングルは、デビュー盤での憂さを晴らすかの様に両面ともジョン・レノンの作品が選ばれました。1962年11月26日のセッションでは、ポール・マッカートニー作の「TIP OF MY TONGUE」も録音された様です。然し乍ら、当時のジョンとポールでは、其の実力差は歴然としていました。はっきり云って「TIP OF MY TONGUE」は、後に「世紀のメロディーメイカー」と呼ばれるポールが書いたとは到底思えない「駄曲」でした。ポールには信じられない様な駄作があります。対して、ジョンの完成作には其れは皆無に等しい。今後も此の展開は続きますが、其れはレノンとマッカの作詞作曲法が真逆だったからこそ起こりました。

彼等は、其の生い立ちなど共通する部分が多い「兄弟」です。然し乍ら、其の肝心な音楽家としての考え方や方法論が、合わせ鏡の様に「真逆」だったのです。簡潔に云うなら、ジョンは推敲を重ねて曲を書く人です。だからこそ、レコードになった作品は一部(洋子サン主導の前衛作品)を除けば「完璧」です。駄曲など在りません。でも、ポールは「曲が降りて来る」とか「其の辺に浮かんでる」とか平気で云う「天然」です。彼は、最初から「完成型」として曲を書けてしまえる人なのです。だから多作で、当然、駄曲も出るわけです。

さてさて、此の楽曲も「此のB面を聴けっ!」と云わざるを得ない、B面ならではの名曲です。短いイントロに続き、ジョンが一気に歌い上げます。迸る芳醇なメロディーが、通常の展開を許しません。ジョンの曲が素晴らしいのは、正に此の点です。「A→B→A→B」なんて当たり前なルールは、ジョン・レノンには無い。彼は「自由」でした。いや、殺されるまで、ずっとずっと「自由」でした。

曲の構成的には、彼の遺作に収められた「(Just Like)STARTING OVER」と変わらない、自由奔放な「レノン節」が奏でられます。エンディングの中途半端なマイナー・コードに、其れまで聴いた事のなかった「何か」を感じました。其れが、滅茶苦茶にやった結果では無く、鬼の様に推敲を重ねて練り上げた結果からの「自由奔放ごっこ」だと知るのは、彼が殺されてから公開された「THE LOST LENNON TAPES」を聴いた時でした。でも、通常の音楽理論を壊してしまったジョン・レノンの作風に、大いに魅せられてしまった。何よりもジョンの歌声が素晴らしい。本当に、美しい音楽です。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-13
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-3

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする

「カタセ式」

ねじ式 (小学館文庫)


昨日は、WBC連覇で沸き返りました。職場でも、みんな結果が出るまでは仕事が手に付かなかった。丁度、昼休みの時間に先取点を取ってくれたのは好いのだけど、畳み掛けるべき時なのに「4番:城島」凡退で転けた。ドンマイ!と「漢・原監督」は我慢したが、次のチャンスだった無死一三塁から「4番:城島」が、まさかの三振。つづく「5番:小笠原」までも「ヒット&ラン」を失敗して三振、併殺。ドンヨリとした「オヤジの負のパワー」に包まれた食堂に、僕は居たたまれなくなりました。「こりゃ、今日の午後は日本のオヤジはやる気でねーぞ。」と思わざるを得ませんでした。

其の後、14時半からの休憩までは、誰かがトイレに行くとかの口実で途中経過を報告する展開となりました。おやつ時間の休憩で食堂へ行ったら、TVの前にオヤジが連なっていましたよ。「同点で延長になった」って情報までしか知らなかった僕らは「5:3」と云うスコアに「何が起こったんだ?」と思った。でも、リアル・タイムの展開にこそ「オヤジ心(いや、其れがすなわち「片瀬那奈ちゃん的な心」なのだ)」は疼く。

其の時のリアルは、「3番:青木」が敬遠された処だったのです。「はあ?参番を敬遠して、四番で勝負?おい、城島、舐められてるぞっ!確かに、此処まで全打席凡退で好機を逃した戦犯だ。でもさ、何が起こったのか知らないけど、二点勝ってんじゃん。気楽じゃん。ランナー二人いるじゃん。リラックス、リラックス。でも、此処で三振しやがったら、在る意味『神』だな。」なんぞと「悪魔くん心」で観てたら、期待通りの「三振」ですよ。まわりのオヤジどもが「城島、氏ねよっ!」と喚く中、あたくしは「城島ちゃん、外さないナァ。期待以上のダメ振りじゃん。流石は、那奈ちゃんと闘い敗れた過去を持つ漢ですよっ。」と、小さくガッツ・ポーズをとりました。

優勝の瞬間、食堂には「おいおい、おまえら本当に休憩時間なのかよ?」と思う程のオヤジども(其れは男子だけでは無く、女子も含め、たかが野球の展開に仕事が手に付かない程に夢中になっていた連中の総称です)は、狂喜乱舞した。「やる気まんまん」になって、「さぁ、バリバリ仕事して、さっさと帰ってゆっくり夜の再放送特番を観るぞっ!」と顔に書いて在ったよ。かく云うあたくしも、ハラハラドキドキで、ダルが三振を取って決まった瞬間には「うぉっしっ!やったぁーっ!!」とか口走っていたのです。

あのさ、あたくしって「オヤジ」じゃなかったのよさ。いや、今でも普通は「女の子よりも女の子らしい」って人格を持つ人なのよさ。なのに、ダンダンダンと「新橋で呑んでるオヤジ」みたいな側面が出て来たわけよ。其れは、今回みたいにスポーツ観戦している時とか、お莫迦さんな若造を叱っている時とかに顕著に現れるのよさ。

其の理由を、僕は知ってる。其れは、

「片瀬那奈ちゃんの影響です。」(キッパリ!)


(姫川未亜/小島藺子)



posted by 栗 at 01:35| IKO | 更新情報をチェックする

「Poco'ce」2009年4月号

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発行・編集/株式会社ネオメディア

(フリーペーパー)

表紙、及び「Cover Interview」に登場。カラー3頁(表1、P8〜P9)、目次にも別ショットあり。

「ダメだなって時は、一回テキトーになる(笑)
 ふとした瞬間にトンネルを抜ける道があるんです」


 モデル:片瀬那奈
 撮影:久保真二
 取材・文:Poco'ce 編集部
 ヘアメイク:青山理恵(nude.)
 スタイリスト:大沼こずえ(Kind)


本日は20数日振りに、うっかりと地下鉄に乗りました。当然、此の雑誌をゲットする為です。コンビニに配送されるよりも駅が早いってのは、一応「物流」も生業にしておりますゆえ、解っておりました。狙いは「大江戸線の汐留駅」です。在ったよ。むふふふ

此の春から夏に賭ける「2009年小野時代」を爽やかにスタートさせる那奈ちゃんの美しい写真(鮮やかな黄色いワンピに蒼いタイツ姿の全身ショットには、暫し見蕩れますよっ!)に、「革命」再演に向けた意気込みを中心にした最新インタビューは、「滅多に乗らない電車に乗った甲斐が在ったぜっ!」と思わせるに充分過ぎました。

「一緒に楽しんでいきましょうね!」

と高らかに那奈ヲタにアジテーションする御本尊様に、目頭が熱くなりました。

那奈ちゃんって、本当に素晴らしいナァ。此れが「0円」って、世の中、捨てたもんじゃないですよっ。ネットでも観れますが、是非、紙媒体でも持っていたいアイテムです。

此れは「ちょっと幸せ(poco felice)」じゃないです。「至福」ですよっ。


(姫川未亜)



[ポコチェ] free magazine Poco'ce


posted by 栗 at 20:44| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

「片瀬那奈マネ日記」#430

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実 <新装版>


サブタイトル「Poco''ce」


以上。

「女子マネちゃん、グッジョブ☆」

アウト・テイクを知り得るのは、スタッフのみです。僕らには難儀なのだよ。女子マネちゃんは、THE BEATLES に例えれば「ジェフ・エマリック」みたいな立場なのですから、こうした情報を公開して下さるのは嬉しいです。

僕らは、「マーク・ルウィーソン」です。「片瀬那奈研究家」に過ぎません。只、「あたくし(未亜/イコ)」とか「アンテツ」とか、10年間も「日々是カタセ日和」で生きて来た輩は、那奈ちゃんが「脚だけでサッカー選手を当てられる」と同じ様に、色んな「魔法」が使える様になるのです。アントニオ猪木さんも語って下さいましたけど「此の道だと決めて、10年位其れに邁進すれば、絶対に夢は叶う!」のですよ。

親愛なる片瀬那奈ちゃん。こんなにも、僕らを夢中にさせてくれて、有難う!僕らはみんな、君と出逢って幸せになったよ。そして、もっともっと幸せになるんだ。君は、素敵だ。那奈ちゃんが銀河系で壱番だよ。那奈ちゃんを追えば「楽しい未来」が待っている。此れは、絶対的な「真理」です。


「感謝!◎+」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 21:12| pre-UNYO | 更新情報をチェックする

「僕はプロレス者(キナサイへの誘い)」

猪木語録 元気ですか!一日一叫び!


「プロレス者」としての僕は、アントニオ猪木の引退と共に終わったと思っていました。かつては、年間50興行位は軽く生観戦していたのです。後楽園ホールに行くのは、毎週日曜日のルーティン・ワークでした。一日に三興行を梯子したのだって、一度や二度では在りません。地方へも逆密航していました。現在、片瀬那奈ちゃんのイベントの為に仕事を休む様に、平気でプロレス観戦の為に有給を取っていたのです。

関東地区で行かなかった会場は無いし、観戦しなかった団体も在りません。テケツ代だって安くはないのに、映像作品やグッズなども、鬼の様に購入していました。一体、どーやって当時の給料でやり繰りしていたのか自分でも不思議ですよ。プロレスの現場へ行くって事に関しては「やり尽くした」と思っていました。通算で、おそらく最低でも500興行は生観戦したはずです。14年間、クソ真面目に生観戦したのです。もういいじゃないか、猪木も引退したんだし、もう充分だろう、そう思って10年が経ちました。

なのに、僕の「プロレス心」は、鎮静しなかった。僕の大好きだった「昭和プロレス」は、もうDVDの中にしかないのに。雨の日も風の日も、駅まで自転車で買いに行った「週刊ファイト」も休刊してしまったのに。其れが何故なのかなんて、僕にも分りません。でも、きっと「プロレス者」として生き続けなければならないと決意したキッカケだけは、分っているんです。

僕が住む下町(通称:片瀬の街)の近所(「てか、隣なんだけどさ」)の煙草屋サンで、毎週「週刊ファイト」を買っていました。「ニッカン」も「デイリー」も「東スポ」も、歩いて1分の隣の其処で買っていたんです。でも一昨年、御主人が亡くなって、新聞を取り扱ってくれなくなったんです。

未亡人に僕は「なんで新聞を置かなくなっちゃったんですか?」と訊きました。彼女は、こう応えました。「だってさ、たった一人しか買わないのに、ずっとウチのひとったら『あいつが買いに来るから置かなきゃダメなんだ』って云ってさ、売れ残りの返品とか大変だからヤメちゃったのよ」と。

変だナァ、とは感じてたんですよ。「何で、スポーツ紙の朝刊も夕刊も全部置いてくれて、プロレス新聞まで常備してんだろ?」ってさ。亡くなった御主人は、こうも云ったそうです。「なんかさ、そいつは、たまにスポーツ新聞を全部買うんだよ。俺はさ、どうも、女優かなんかの贔屓なんじゃねぇかって思ってんだよ。誰だか分らないんだけど、兎に角、そいつが買うんだから置かなきゃイケナイだろ?」と。

「あの、其の『たった一人』って、僕のことだと思います。」と僕は云いました。「なんだ、あんただったのかよっ!」と、未亡人は笑いました。

そして、僕は「プロレス者」に復帰したのでした。


(小島藺子/姫川未亜)



初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-5-26

(原題:「僕はプロレス者」)



(REMIX by 小島藺子/姫川未亜)2009-3-25



posted by 栗 at 23:12| KINASAI | 更新情報をチェックする

2009年03月26日

FAB4-005:I SAW HER STANDING THERE

Three Hearts To Be Continued Tiffany


 w & m:McCARTNEY / LENNON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/11)、A.B.リンカーン(2/25)
 録音:1963年2月11日、MIX:1963年2月25日

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 A-1)


シングル「PLEASE PLEASE ME」がバカ売れしちゃったので、ジョージ・マーティンは賭けに出ました。「兎に角、さっさとアルバムを出そう。こいつらの旬を逃してはイカン!」シングル二枚の四曲が、既に在りました。当時の英国では14曲入りがアルバムの定番です。残り、10曲が足りません。切羽詰まったマーティンは、ビートルズに、スタジオ・ライヴで、たったの一日で10曲を録音させたのです。

そうなのです。ビートルズの記念すべきデビュー・アルバムで在る「PLEASE PLEASE ME」は、基本的には「たったの一日で録音された」のです。デビュー・シングル同様、デビュー・アルバムの最初もポール・マッカートニーの作品から始まります。原題は「SEVENTEEN」と云い、実際に録音時も其の名前でコールされていました。ベーシストで在るポールのカウントから始まる、サイコーなロケンロールですけど、普通はカウントってドラマーがやるんだよね。ビートルズの場合、リンゴは滅多にカウントを担当出来ません。カウント入りの曲を思い浮かべて下さいナ。一番多いのがポール、次がジョン・レノン、そんでもってジョージ・ハリスン。

「哀れなり、リンゴ・スター☆」

冒頭のカウントは別テイクからの流用ですが、演奏自体はオーヴァー・ダビングを加えたものの基本的には同一テイクの一発録りです。ホウイチくん(敢えて名は伏せるが「中山康樹」氏で在る)が「途中で繋いでいる」なんぞとエラソーに書いておりますが、耳が在ればそんな愚かな見解は出て来ません。大体やね、此の時代って「2トラック」なんですよ。あーたさ、録音した事ないし、聴いて無いでしょ?オーヴァー・ダビングするのと、別テイクを繋ぎ合せるのは、全く違うのよさ。

「アンソロジー」関連音源を貶すのは構わないけど、実は聴いて無いね。バレバレじゃん。挙句に2009年のリマスター祭りに便乗して旧作を焼直しただけのダメ本を出した時には「モノラルの箱しか買わない」と堂々とぬかしやがったのだよ。アノね、あーた、一般的に流通しているのはステレオのリマスター盤であって、其れに便乗してクズ本を全く再検証もせずに再販しやがって、盗人猛々しいぞ。聴きもせずにガイド本を出すって何じゃらホイ。悲劇としか云えないのが、そんな敢えて名は伏せないが「中山康樹」氏のビートルズ本が安いからとばかりに図書館などにもあって、いたいけな初心者が出鱈目を信じてしまう事なのだ。ま、其れも修行かもしれませんね。あたくしも、昔は散々「インチキ・ガイド本」に騙されました。でも、21世紀にもなって其れはないざんしょ。

最近でもポールは此の曲を演奏していますが、ビートルズ解散以降、長い間封印していた楽曲でもあったのです。解禁したのは、1986年6月20日の「プリンス・トラスト」でした。客席で立ち上がり踊る「故・ダイアナ妃」の姿に萌えたナァ。

「ポールが歌えば、ダイアナも踊る!」

いえ、其れは本当に「衝撃的な映像」だったのだよ。だって、此の日本でおんなじ事なんて許されないじゃん。アノコ様とかコノコ様とかがさ、例えば「矢沢サンの武道館に貴賓席とかが在って、其処でキャロル時代のロケンロールとか演られて、思わずタオルを投げ乍ら踊り狂っちゃいましたよっ!」なんて事なわけだ。そりゃ、マズイでしょ?でもさ、ダイアナは「其れをやっちまった」んだよ。

「王子の立場無しですよっ!」
(虎キチの弁当屋声で)(もっと云うなら、麗しの「うらら姫」声で!)

さて、此の楽曲は、「珍しくもジョンがカヴァーした数少ないポール作品」でも在ります。1974年にエルトン・ジョンのライヴに飛び入りしたジョンは、こんな格好良過ぎる台詞をぬかしやがって、此の曲を演奏したのです。

「いつもは別れたフィアンセ(ポール)が歌うけど、今宵は僕が歌うよ」


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-14
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-4

(REMIX-2-4 by 小島藺子)2009-9-9



posted by 栗 at 00:02| FAB4 | 更新情報をチェックする