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2009年01月19日

「陵辱」

岡本太郎と太陽の塔 (小学館クリエイティブビジュアルブック)


☆本日の「カタセカイ・ニュース」☆

「太陽の塔」が総費用8000万円で改造されて20世紀少年に出てくる「ともだちの塔」になっていたので近寄ってきました(Gigazine 1/19)


えっと、世の中には「やって好い事」と「決してやってはイケナイ事」が在ると、あたくしは思います。そして、此れは「芸術作品」に対する冒涜としか思えません。

何て酷い事をしてくれたんだっ。金さえ払えばやれるって、こんなの身請けみたいなもんじゃん。無茶苦茶だよ。岡本先生が生きていらしたなら、どう思った?てか、許可が降りませんよ。

愛しの片瀬那奈ちゃんが出演し、あたくし自身も出ている「写真」です。大切な作品です。でも、此の所業だけは許せない。だって、此れって「モナリザに鼻毛を書いちゃった」とか「ゲルニカの馬に目を足しちゃった」とかってラベルの噺じゃん。

自分の作品で監督が「神」で在る事には、何の異議も唱えません。でも、此れは酷い。最低最悪だ。だから、今後、おんなじ事を、自分の作品にやられても文句は云えませんよ。

彼女が泣いてるよ。今度逢ったら、慰めてあげよう。可哀想だよ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 20:14| SEXY | 更新情報をチェックする

「GOING FOR THE ONE(究極)」

究極(紙ジャケット仕様)


「不思議なお話を」しよう。

俄に信じられないかもしれないけれど、事実だ。其れは、丸で恰も定められていた事のように、11年前に起こった。夢をみた。知らない「きれいなおねえさん」が手招きをした。僕は、目覚めて不動産会社に電話した。そして、1998年1月から此処にいる。

其の年の秋、具体的に云えば「1998年10月6日」の夕方に、「1998年10月7日」付けの「東京スポーツ」を買った。会社帰りにいつもの屋台へ行く途中、コンビニで買うのが当時の日課だった。朝は「日刊スポーツ」で、夕方は「東スポ」ってのは、僕が紛う事無き「プロレス者」だったがゆえだ。

其の当時、僕は「内山理名ちゃん」のファンだった。更には、「稲森いずみサン」のファンでも在った。1997年の首位「稲森サン」を、1998年に次点に蹴落としたのが「理名ちゃん」だった。だから、御誕生日マニアでも在る僕は、当然「理名ちゃん」の生年月日を認識していた。「1981年11月7日」と、しっかりと記憶した。「東スポ」を買ってプロレス面を熟読後に、芸能面を開いた。そして、其処に、アノコがいた。忽ち、彼女は「ランクイン」した。ちなみに、当時のメモに依れば、「旭化成キャンギャルよ、プロレスラーになってはくれないか?」と書いてある。何だかナァ。

根っからのアイドル好きだった僕(「DD」でした。)は、創刊号から「B.L.T.」を定期購読していて、其処でも「へんちくりんな四コマ?」を掲載するコに注目した。グラビア誌も買った。「ヤンサン」が好かった。そして、運命の時が来た。其れは「B.L.T.」誌上での対談記事だった。具体的に云えば、「B.L.T.」2000年3月号(発行/東京ニュース通信社)に掲載された「内山理名&片瀬那奈 ビックリ! 誕生日おんなじ対談」(目次表記)を読んでしまったのです。

「へぇ〜、理名ちゃんとおんなじなんだ」

当時の記録に寄れば、1999年のランクに、唐突に「7位」に躍り出て来た「少し背の高い女の子」が、2000年のランクでは「ベスト3」に入っている。そして、2001年には「首位」に立ち、2002年には消えた。其れは、彼女が「ランク外」の存在になったからだった。お相撲で云えば、大関を最高位としての「ランキング」だった僕のメモに、こんな記述が遺っている。

「片瀬那奈=横綱、NWF、御本尊様、絶対神!」

挙げ句に「渚カヲル」を気取った「恥ずかしいコメント」まで書いて在る。曰く、

「僕は、片瀬那奈に逢う為に生まれて来たのかもしれない」

そして、其の冗談は、本当になった。只、其れだけの噺さ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 12:35| HAPPY☆ | 更新情報をチェックする