僕が初めてテレビに出たのは、小学五年生の時だった。幼少時代から「少年少女合唱団」に入っていた僕は、10才にも満たない年齢で何度もステージに立っていた。其れで、場慣れしてるって思われて小学校の学芸会で主役をやらされ、テレビにまで出させられたのです。僕は、10才でした。
ローカル民放局の土曜日の昼のぬる〜い生番組でした。「年賀状を版画で作る小学生」って設定で、僕と男の子と女の子が選ばれて出演しました。僕以外の二人は、版画の先生に習っている生徒でした。だから、僕だけが何も知らずに出演したのです。
担任の美人音楽先生に「テレビに出るのよ、頑張ってね」と云われた僕は、前日に夜更かしして「版画の原画」を描いてもってゆきました。でも、其れは全くの「無駄」だったのです。スタジオに入ると、もう既に出来上がった版画が彫って在りました。とても小学生じゃ彫れない様な綺麗な作品でした。リハーサルが始まり、デレクターが僕に云った。其れは、生涯忘れられない「コトノハ」でした。
「ボクは、コレを自分で彫ったんだよ。アノきれいなおねえさんが、ボクに質問するからね。そしたらさ、ボクは、こう応えるんだよ。『此の龍の髭のトコロを彫るのが難しかったです!』ってね。わかった?じゃあ、練習してみよう。」
僕のポケットには、昨晩頑張って描いた絵が入っていた。でも、其れは使ってもらえなかった。「これを描いて来たんです」って、ちゃんと云った。そしたらデレクターは「なかなか上手だね、マンガ家になれるんじゃない?でも、今日はもう決まっているから、オジサンが云った通りにしようね」と云った。
僕は、本番で云われた通りの演技をした。テレビって、凄かった。学芸会の劇で主役をやって小学校中で知らない奴がいなくなったけれど、もっともっと、考えられない程に有名になってしまった。でも、劇に出た僕は「本物」だったけど、テレビに出た僕は「ニセモノ」だったんだよ。僕は、悔しかった。だって、みんな、「嘘」の僕を知っているんだもの。合唱団や演劇でやったのが、本当の僕だったのに、一番有名になったのは「テレビ出演」だった。だから、僕は「二度とテレビには出ない!」と決めたんです。
20代の頃、僕は放送業界にいたけど、ラジオしかやらなかった。其の理由は、此の「10才の時の苦い経験」からだったのです。なのに、僕はテレビに出てしまった。「AD歴那奈年」の20代は伊達や酔狂じゃない。絶対に使えない様なコメントをしたはずだった。那奈ヲタ仲間もみんな「未亜サン、アレは使えませんよ。確信犯だナァ」なんて云ってた。なのに、見事な編集で、一番目立つ「カタチ」で、バッチリと地上波で流れてしまいました。
「素晴らしかったです!」
「那奈ちゃん、最高でした」
「ありがとう!」と、わざわざテロップまで入れて頂いて、「面バレ」しちまったじゃまいかっ!!てゆーか、何だよ、アノ編集はっ!!
アレじゃ僕は「著しく語彙に乏しい高田」状態じゃん。確かに、使えるトコを繋ぐと、アレしかない。うっぴー☆なんか「只となりでニヤニヤしている友達」にしか見えないじゃん。うっぴーもコメントしたんだよっ。やっぱ、テレビってインチキだナァ。
初出「COPY CONTROL AGAIN」 (姫川未亜)