「プロレス者」が「U」と云う時、其れは猪木の命令で前田やラッシャーが出向して出来た「ユニバーサル」を指すのでは在りません。
勿論、当然至極、新日にUターンした「UWF軍団」でもないし、長州の顔面を蹴り猪木に「プロレス道にもとる」と解雇された前田が旗揚げした「新生UWF」でも在りません。況や、高田なんぞを神輿に担いだ「UWFインター」で在るわけが在りません。
其れはスーパータイガー(佐山サトル)が参戦した「1984・7・23 後楽園ホール(無限大記念日)」から、彼が去り同時に団体が崩壊した「1985・9・11 後楽園ホール」までの、たったの壱年間を指すのです。
思えば、其れ以前の「タイガーマスク時代」も、たったの「壱年半の出来事」だったのです。僅か三年足らずで佐山が成し遂げた「前衛プロレス」は、素晴らしすぎた。眞の天才である彼が若干20代半ばでプロレス界を去らねばならなかったのは、彼が正に「20世紀最大の天才レスラー」であったからなのです。
猪木信者であるあたくしが云いましょう。
佐山は「猪木を超えた唯一無二の弟子」です。
「伝説の虎戦士スーパータイガー」のジャケットには「蒼き虎」のマスクを被った姿が映っています。しかし実際にDVDを観ると収録された全17試合中、マスク姿で闘う試合は前半のたったの5試合だけなのです。残りの12試合は、素顔の「佐山サトル」で闘っているのです。
佐山は、初めて素顔で闘う相手にマスクマンの「マッハ隼人」を選びました。虎の仮面を付けた侭で、いつもの入場シーンが在り、リングインします。其処で、いきなり「自らマスクを脱ぎ捨てる」のです。カッコいい。(いえ、別に、試合中に後輩・川田に「マスクを取れ!」と命じて脱がせた二代目を揶揄しているんじゃないですよ。)
マッハ隼人は「U」向きでは無い選手でした。ラッシャーや剛と一緒に退団してもおかしくなかった。けれど、其処はプロレスラーです。堂々と佐山に向かって行きました。されど、マスクを捨てた佐山は、余りにも強かった!
佐山に一方的に蹴りまくられ、関節を決められ、コーナーに逃げるマッハに、佐山は鬼の形相で呼び掛けます。其れは、背筋が凍る様な「地獄のひとこと」でした。
「来い此の野郎、真ん中に来い、此の野郎」
虎の仮面を脱いだ下には、もっと恐ろしい「猛虎」がいたのでした。
【あたくしの好きなヤジ】
(延々とグランドの攻防をつづける佐山&前田を観て)
客A:グランドばっかで客が退屈してるぞっ!
客B:うるせー!帰れ
客C:そーだ、帰れ、お前は新日でも観てろ!
(場内大歓声)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)