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2008年04月14日

「地獄のプロレス」

バイオレンスジャック 7 復刻版 (7)


「プロレス者」が「U」と云う時、其れは猪木の命令で前田やラッシャーが出向して出来た「ユニバーサル」を指すのでは在りません。

勿論、当然至極、新日にUターンした「UWF軍団」でもないし、長州の顔面を蹴り猪木に「プロレス道にもとる」と解雇された前田が旗揚げした「新生UWF」でも在りません。況や、高田なんぞを神輿に担いだ「UWFインター」で在るわけが在りません。

其れはスーパータイガー(佐山サトル)が参戦した「1984・7・23 後楽園ホール(無限大記念日)」から、彼が去り同時に団体が崩壊した「1985・9・11 後楽園ホール」までの、たったの壱年間を指すのです。

思えば、其れ以前の「タイガーマスク時代」も、たったの「壱年半の出来事」だったのです。僅か三年足らずで佐山が成し遂げた「前衛プロレス」は、素晴らしすぎた。眞の天才である彼が若干20代半ばでプロレス界を去らねばならなかったのは、彼が正に「20世紀最大の天才レスラー」であったからなのです。

猪木信者であるあたくしが云いましょう。
佐山は「猪木を超えた唯一無二の弟子」です。


「伝説の虎戦士スーパータイガー」のジャケットには「蒼き虎」のマスクを被った姿が映っています。しかし実際にDVDを観ると収録された全17試合中、マスク姿で闘う試合は前半のたったの5試合だけなのです。残りの12試合は、素顔の「佐山サトル」で闘っているのです。

佐山は、初めて素顔で闘う相手にマスクマンの「マッハ隼人」を選びました。虎の仮面を付けた侭で、いつもの入場シーンが在り、リングインします。其処で、いきなり「自らマスクを脱ぎ捨てる」のです。カッコいい。(いえ、別に、試合中に後輩・川田に「マスクを取れ!」と命じて脱がせた二代目を揶揄しているんじゃないですよ。)

マッハ隼人は「U」向きでは無い選手でした。ラッシャーや剛と一緒に退団してもおかしくなかった。けれど、其処はプロレスラーです。堂々と佐山に向かって行きました。されど、マスクを捨てた佐山は、余りにも強かった!

佐山に一方的に蹴りまくられ、関節を決められ、コーナーに逃げるマッハに、佐山は鬼の形相で呼び掛けます。其れは、背筋が凍る様な「地獄のひとこと」でした。

「来い此の野郎、真ん中に来い、此の野郎」

虎の仮面を脱いだ下には、もっと恐ろしい「猛虎」がいたのでした。


【あたくしの好きなヤジ】

(延々とグランドの攻防をつづける佐山&前田を観て)
 客A:グランドばっかで客が退屈してるぞっ!
 客B:うるせー!帰れ
 客C:そーだ、帰れ、お前は新日でも観てろ!
(場内大歓声)



初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 19:52| KINASAI | 更新情報をチェックする

「鬼の号泣」

最強格闘技伝説 [DVD]


佐山サトルは「天才」だ。昨日放映された「中邑 vs 棚橋」も「セーム・シュルト vs マーク・ハント」も、壱回見るのも苦痛に感じるほど退屈な試合で、速攻HDDから消去されました。なのに、四半世紀も前の佐山の其れは、未だに何度も繰り返して観てしまうのです。其れは決して「ノスタルジー」では在りません。単純明快に、佐山の方が断然に面白いのです。

「伝説の虎戦士スーパータイガー」には、奇妙な試合が幾つか収録されています。最もへんちくりんな其れは、最後の前田戦です。前田がセメントを仕掛け、佐山がプロレスで対抗した其の試合は、観客が水を打った様に静まり返っています。明らかに尋常ではない前田の本気度200%の攻撃と、其れを完璧な技術で防御する佐山の闘いに、マニアで知られた「U」のファンが「此れは唯事ではない!」と気付き、言葉を無くしてリングを凝視しているのです。

もうひとつは、未だ若手だった高田に負けてしまう試合が在ります。実はほとんどコンプリートに近く収録されている此の作品には、最も重要な試合が未収録なのです。いや、其の試合は未だかつて商品化されていません。1985・1・20 後楽園での高田戦で、佐山は左肩に物凄い量のテーピングをしています。実は、其の僅か四日前の 1985・1・16 大阪で藤原戦が行われたのです。其の試合こそが(おそらく余りにも凄惨で在るから)映像作品として残されなかった「幻の試合」なのです。

藤原は、前年12月の「ノー・フォール・ルール」で佐山に蹴り倒され続け惨敗しました。其の余りにも壮絶な試合は、当時「世界のプロレス(東京12チャンネル系)」で放映され、あたくしも観ましたし、当然DVD化されています。其れで藤原が「あのルールはキック主体の佐山に有利だ。今度はノー・ロープ・ブレイクにしろ!」と再戦を迫り、佐山が受けたのです。関節技の鬼にとって、相手がロープに逃げられなければこっちのもんです。果たして、藤原の目論見通りに完璧な関節技で佐山を捉えました。しかし、佐山はギブアップしなかった。遂に、藤原は佐山の腕を折ってしまったのです。

「俺は、仲間の腕を折ってしまった!」そう云って藤原はリングで号泣しました。四日後、佐山は折れた腕で高田と闘い、レフェリーストップで敗れたのでした。確かに「U」もプロレスです。でもな、

此れのどこが八百長なんだよっ!


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 12:08| KINASAI | 更新情報をチェックする

「THAT WAS ME」

追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル(DVD付)


ようやく「COPY CONTROL」のカテゴリ「NANA」を此処へ移転完了致しました。

何度も何度も繰り返し語って参りましたけれど、此処「the diary of nana katase 片瀬那奈全記録」通称「ゼンキロ」は、あたくしの個人ブログであった「COPY CONTROL」通称「コピコン」が起源です。

元々「コピコン」は片瀬那奈ちゃんの記事で始まっていましたし、洋楽やプロレスなどに関して書いても、すべては「カタセカイ」の範疇であると主張していたのですが、理解を得られず「ロックやソウルに関する文章を求めているのに、何故に片瀬那奈の噺が出てくるの?」と批判されることとなったのでした。

そう云った経緯で、致し方なく「ゼンキロ」を立ち上げたのです。但し、あたくしも当初は本当に単純なる「片瀬那奈ちゃんの記録」をメモする様な軽い気持ちで始めたわけでして、正直云ってメインのサイトではなかったのですよ。

ゆえに、あくまでも、メインは「コピコン」で在ったわけです。実際に、以前は「コピコン」の方が圧倒的に多くの読者を得ておりました。ですから、必然的に那奈ちゃんに関する文章も「コピコン」の方が「チカラ」が入っていました。

「ゼンキロ」がメインになったのは、更新数が飛躍的に伸びた「2006年秋」頃だったと思います。其れが何故なのか?は、当時の記事を読んで戴ければお分かりになるでしょう。簡単に云えば、片瀬那奈ちゃんから「此処を読んでいる」との事実を直接知らされたのです。僕が何にも教えてなかったのに、彼女は全部知っていました。あんなに感動した瞬間は、なかったナァ。

今回、こうして閉鎖した「コピコン」の記事を移転してみると、此処の記録がより深みを増したんじゃないかしら、と自負しております。次に復刻されるのは「コピコン」以前に書いていた「月刊・未亜」です。

僕が、片瀬那奈ちゃんに関して書いた文章は、此処にすべて回帰します。


(姫川未亜/小島藺子)



posted by 栗 at 01:28| MIAMIA | 更新情報をチェックする