僕が初めてプロレスを生観戦したのは1984年で、既に23歳でした。小学生の頃には家でも日本プロレス中継を見せてもらえました。だから、馬場が初めてコブラツイストを使った試合も、其の翌週に猪木が卍固めを初公開した場面も観ました。田舎だったので新日の初期は放映してなかったけれど、アリ戦は土曜日の昼間にスライド放映していて、家族が誰もいなかったのでひとりで観ました。ある時から、急に父親が「プロレスは八百長だ」と云い出して、見せてもらえなくなっていたのです。
でも、僕が本当に「プロレス者」に変貌したのは、二十歳を超えた頃です。そうです、其の通りです。村松友視さんの名著「私、プロレスの味方です」を読んでしまったのでした。其れで「週刊ファイト」と「東京スポーツ」を定期購読する様になりました。つまり、僕は最初から「プロレスとは他の格闘技とは違う」と認識した上でハマったのです。
最初に生観戦した時、猪木・藤波 組は「MSGタッグリーグ戦」公式戦に出場しました。相手はアンドレと弱い外人(覚えてない)でした。どー考えても猪木組が格好良く弱い外人をフォールすると期待していました。なのに、猪木は負けた。なな、なんと、アンドレが一度も弱い相棒にタッチせず、最初からひとりで闘い続け、ドラちゃんをフォールしちゃったのですよ。二回目も六人タッグで、稲妻ケンゴがマードックに負けて猪木組は敗退しました。挙げ句に三度目の生観戦では、藤波が飛竜原爆固めで猪木から初フォールを奪うと云う衝撃的な幕切れだったのです。
結局、東北在住時代に二十代で生観戦した猪木は、全部負けたのです。社長でチャンピオンなのに、無様に負け続けたのです。
「猪木が勝ってダーッ!をやる場面を生で観たいっ!!」
きっと、僕が上京したモチベーションで最も大きかったのは、その想いだったと思います。
初出「COPY CONTROL AGAIN」 (姫川未亜/小島藺子)