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2008年04月06日

「遅れて来たプロレス者」

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)


僕が初めてプロレスを生観戦したのは1984年で、既に23歳でした。小学生の頃には家でも日本プロレス中継を見せてもらえました。だから、馬場が初めてコブラツイストを使った試合も、其の翌週に猪木が卍固めを初公開した場面も観ました。田舎だったので新日の初期は放映してなかったけれど、アリ戦は土曜日の昼間にスライド放映していて、家族が誰もいなかったのでひとりで観ました。ある時から、急に父親が「プロレスは八百長だ」と云い出して、見せてもらえなくなっていたのです。

でも、僕が本当に「プロレス者」に変貌したのは、二十歳を超えた頃です。そうです、其の通りです。村松友視さんの名著「私、プロレスの味方です」を読んでしまったのでした。其れで「週刊ファイト」と「東京スポーツ」を定期購読する様になりました。つまり、僕は最初から「プロレスとは他の格闘技とは違う」と認識した上でハマったのです。

最初に生観戦した時、猪木・藤波 組は「MSGタッグリーグ戦」公式戦に出場しました。相手はアンドレと弱い外人(覚えてない)でした。どー考えても猪木組が格好良く弱い外人をフォールすると期待していました。なのに、猪木は負けた。なな、なんと、アンドレが一度も弱い相棒にタッチせず、最初からひとりで闘い続け、ドラちゃんをフォールしちゃったのですよ。二回目も六人タッグで、稲妻ケンゴがマードックに負けて猪木組は敗退しました。挙げ句に三度目の生観戦では、藤波が飛竜原爆固めで猪木から初フォールを奪うと云う衝撃的な幕切れだったのです。

結局、東北在住時代に二十代で生観戦した猪木は、全部負けたのです。社長でチャンピオンなのに、無様に負け続けたのです。

「猪木が勝ってダーッ!をやる場面を生で観たいっ!!」

きっと、僕が上京したモチベーションで最も大きかったのは、その想いだったと思います。


初出「COPY CONTROL AGAIN」 (姫川未亜/小島藺子)



posted by 栗 at 21:31| KINASAI | 更新情報をチェックする

「金曜日の午後八時」

空手バカ一代 (7) (講談社漫画文庫)


今月は、公式発表では未だ片瀬クンのTV出演番組がひとつしかないです。あたくしは片瀬クン以外では、ケガレシア様(最近、此処の検索語句で一番人気は此れです)と「ベストヒットUSA」とプロレスとセクスィー部長くらいしか録画予約しておりません。ゆえに、必然的に♪ウチのTVは猪木だけ♪(デヴィッド・ボウイ声で)になっています。

昨晩から今朝に掛けては、客人が来ていたからレコードもかけたりしたのですが、一人に戻ったら早速「アントニオ猪木全集」に GET BACK です。針を落としてないレコードが35枚位在ります。莫迦か、自分、、、でもね、猪木の試合が其れだけ面白いのですよ。

日プロ時代からリアルタイムでお茶の間で観ていたし、1985年からはヴィデオにも録画し、レーザーディスク箱も持っていました。生観戦した試合も多いです。つまり、此の2774分で未見の試合など全く無いと云っても過言では在りません。其れも、繰り返し何度も観たのです。結果も過程も全部記憶していて、猪木の試合後のインタビューなんか全部マネ出来る程です。嗚呼、其れなのにまた観なければいられないっ!

今は肆巻目の「異種格闘技戦」を観ています。此のDVDは試合のテーマごとに編集されているのです。其れは其れで面白い。されど、猪木の凄いところはだ、大物外国人との試合も、大物日本人との試合も、異種格闘技戦も、弟子たちとの試合も、未知なる強豪との試合も、すべて同時進行で行っていたことなのです。

此のDVDを全部観終わったなら、今度は年代順に組み替えて観てみようと思っています。実況を聴いていると分るのですが、例えばザ・モンスターマンとの異種格闘技戦の二ヶ月前にはアンドレとシングルで闘い、前週にはシンと、翌月にはハンセンと闘っているのですよっ!凄過ぎる。やはり、猪木は最強です。


初出「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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「リュークとジーン」

いま、会いにゆきます スタンダード・エディション [DVD]


「本日のカタセカイ・ニュース」

喜びいっぱい!中村獅童が離婚後、長男と1年半ぶりに対面(サンスポ 4/6)


「子供には、罪はないです」


(小島藺子)



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