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2007年11月25日

「夢みる歌謡曲」第5章の3:
テレビの中に「迷宮のアンドローラ」

シング!シング!シングルズ!!! [DVD]


「なんてったってアイドル」と高らかに宣言しながら、小泉今日子は「アイドル」からはみ出すことで人気を得ていました。

アイドル全盛期に「週刊プレイボーイ」誌のグラビアで「魚拓」ならぬ「人拓」を披露したことが在りました。オールヌードで、全身に青いアクリルを塗り(アクリル入りのバスタブにつかったのです)、正面と背後を曝け出しました。時代は未だヘアヌード解禁以前の1980年代後期の出来事です。歌もドラマも好調なトップ・アイドルがやる仕事では在りません。されど、歌謡界には「太陽:聖子ちゃん」と「月:明菜」がいました。おニャン子クラブと云う「化け物」も出現しました。ちなみに「なんてったってアイドル」の作詞は、他ならぬ「おニャン子」の仕掛人:秋元康です。

キョンキョンは、常に先鋭的でなければならなかったのです。ゆえに、作家陣も多種多様です。聖子ちゃんや明菜は、プライドが在りますから秋元康に発注などしません。今でこそ美空ひばりの「川の流れのように」を書いた男として名を馳せた彼ですが、当時は少女隊とおニャン子の作詞がほとんどで、放送作家あがりのパチモンみたいな輩だったのです。

早い段階で、彼女は作詞を始め、前出した通り作詞大賞を獲得するまでに成長します。現在では、誰も彼もが自作と称して職業作詞家のフィールドを浸食しまくっておりますが、其の先鞭をつけたのも彼女なのでしょう。

常に変化して行くことでしか、小泉今日子の生きる道は在りませんでした。例えば、パフィーちゃんは「月ひとしずく」がなければ誕生していません。パフィーちゃんは今でもそのまんまでいられるけれど、先駆者のキョンキョンは壱曲でやめてしまうのです。YUKIはヨーコ・オノさんを尊敬しているみたいですが、小泉クンはとうの昔に「女性上位ばんざい!」をカヴァーしているのです。

小泉今日子の箱は、そのまんま日本語ロックや歌謡曲を早回しで見る様な作品でした。近年は女優としての評価が高い彼女ですが、やはり彼女は歌手です。其れも「アイドル歌手」なのです。其の範疇から逸脱しようとしながら、どこかで踏みとどまっている絶妙なバランス感覚は稀有な才能です。

そして其れは、本来は「プログレ・ハウス」を嗜好しながら、万人が聴けるポップスへと向かった片瀬那奈に、しっかりと引き継がれていたと思います。

(つづく)


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 21:10| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする

「片瀬那奈マネ日記」#219

ロウ


サブタイトル「 ほどほどにお願いしますm(__)m」


那奈ちゃんは何でも徹底的に究めますからねぇ。しかし、、、

「50インチの大画面で毎晩、昼ドラ観て寝ますかっ!」

女子マネちゃんとチーフマネさんは、贈り甲斐が在ったわけですが、お仕事に影響する様では逆効果になってしまいますね。心配無用です。那奈ちゃんは寝ないでも遊んで働く永遠の「きれいなおねえさん」ですよ。順応性も抜群ですから、其の内に「魘されないと調子がイマイチ」なんて云い出しかねません。

さて、噺は変わりますが昨夜の「点と線」は面白かったです。原サンは被害者役だったのですね。理名ちゃんは、元気な娘さん役で好かったです。彼女のあーゆー気の強そうな役が私は昔から好きなんです。今夜も楽しみにしています。

そして、「暴ママ」サイトで「大輝くん」のインタビューがアップされたのですけど、「片瀬那奈さんは、どんな人?」って問いに、

「すごく かっこいいひと。」

と答えているんですよ。う〜む、流石は息子だ。分っているじゃないか。


(姫川未亜)



posted by 栗 at 17:21| pre-UNYO | 更新情報をチェックする

「夢みる歌謡曲」第5章の2:
テレビの中に「ねぇ・ねぇ・ねぇ」

KYON3


小泉今日子のデビュー曲「私の16才」と、弐枚目の「素敵なラブリーボーイ」は、カヴァー曲でした。林寛子のスマッシュ・ヒットだった「素敵なラブリーボーイ」は兎も角、デビュー曲が森まどかの「ねぇ・ねぇ・ねぇ」を改変したカヴァーだったってのがすぎょい。何だか「まわりはキョンキョンに期待していなかったんじゃないの?」と思える処遇です。彼女が頭角を現すのは5枚目の「真っ赤な女の子」とつづく「半分少女」の筒美作品あたりからで、那奈麻衣目の「艶姿ナミダ娘」の頃にはすっかりトップ・アイドルに成長していました。

1982年デビュー組は当たり年で、なんと中森明菜も小泉今日子もレコード大賞新人賞に選ばれていません。彼女たちの素行に問題が在ったなどと云う噂も聞きましたが、其の後の展開を見るまでもなく、デビュー時点でふたりは秀でていましたから、全くもってナンセンスな選考だったと思います。

キョンキョンは、同世代の女の子の半歩先を提示することで生きながらえ、現在ですら其れは有効な様です。例えば「GOOD MORNING−CALL(1988)」と云う楽曲が在ります。此れは未だ「コムロの世界」になる前にコムロに曲を書かせ、彼女が作詞した曲ですが、発注の時に当時流行って居たTMNの曲を参考資料として出し「此れと似た様な曲を書いて頂戴。無理なら、おんなじでもいいのよ」と云ったそうです。其の後も大瀧さん、近田さん、小林武史、陽水&民生などなどを顎で使いブレイク直前に起用する勘のよさを見せ付けます。

てかさ、「あなたに会えてよかった(1991年)」では、レコード大賞作詞賞を穫りやがったのですよ。いくらレコ大の権威なんか落ちたって云っても、アイドル歌手が作詞で賞を取るなんて前代未聞です。阿久悠や松本隆や秋元康とかの立場はどーなるのよ?其れで、職業作詞家とか職業作曲家とかが居心地悪くなって行ったのです。キョンキョン、恐るべしっ!

小泉今日子は、松田聖子や中森明菜とは違った処で大いなる存在でした。1980年代の「ジャパニーズ・グラフィティ」を撮るなら、BGMは聖子ちゃんしか有り得ないでしょう。一寸ダークな其れなら、明菜が似合うでしょう。K2は其のどちらでも在りません。

「木枯しに抱かれて」は、アルフィーの高見沢俊彦による楽曲で、彼女の記念すべき20枚目のシングル曲でした。オリコンでは3位止まりで、次作の「水のルージュ」は首位です。されど「水のルージュ」を記憶している片はどれだけいるのでしょう?常に首位だった聖子ちゃんや明菜とは違い、キョンキョンの首位の曲は何故か印象が薄いのです。寧ろトップ5に入って首位に届かなかった曲の方が心に残っているのです。

そんな中から、片瀬那奈は「木枯しに抱かれて」を選びました。「なんてったってアイドル」を歌う片瀬クンも観てみたかった気はしますが、首位曲で固めたカヴァー・ミニアルバムで敢えて此れを選び最後に収録したのは片瀬那奈の頑固さゆえでしょう。スタッフの意見も当然在って、片瀬クンが聴いたことも無い曲もカヴァーされていますが、「淋しい熱帯魚」と「木枯しに抱かれて」の二曲は間違いなく片瀬那奈の意志で選曲されたと思います。当時五才だった片瀬クンが、いたいけにTVに合わせてうたう姿が目に浮かぶのは、あたくしだけではないでしょう。

(つづく)


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 01:23| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする