「なんてったってアイドル」と高らかに宣言しながら、小泉今日子は「アイドル」からはみ出すことで人気を得ていました。
アイドル全盛期に「週刊プレイボーイ」誌のグラビアで「魚拓」ならぬ「人拓」を披露したことが在りました。オールヌードで、全身に青いアクリルを塗り(アクリル入りのバスタブにつかったのです)、正面と背後を曝け出しました。時代は未だヘアヌード解禁以前の1980年代後期の出来事です。歌もドラマも好調なトップ・アイドルがやる仕事では在りません。されど、歌謡界には「太陽:聖子ちゃん」と「月:明菜」がいました。おニャン子クラブと云う「化け物」も出現しました。ちなみに「なんてったってアイドル」の作詞は、他ならぬ「おニャン子」の仕掛人:秋元康です。
キョンキョンは、常に先鋭的でなければならなかったのです。ゆえに、作家陣も多種多様です。聖子ちゃんや明菜は、プライドが在りますから秋元康に発注などしません。今でこそ美空ひばりの「川の流れのように」を書いた男として名を馳せた彼ですが、当時は少女隊とおニャン子の作詞がほとんどで、放送作家あがりのパチモンみたいな輩だったのです。
早い段階で、彼女は作詞を始め、前出した通り作詞大賞を獲得するまでに成長します。現在では、誰も彼もが自作と称して職業作詞家のフィールドを浸食しまくっておりますが、其の先鞭をつけたのも彼女なのでしょう。
常に変化して行くことでしか、小泉今日子の生きる道は在りませんでした。例えば、パフィーちゃんは「月ひとしずく」がなければ誕生していません。パフィーちゃんは今でもそのまんまでいられるけれど、先駆者のキョンキョンは壱曲でやめてしまうのです。YUKIはヨーコ・オノさんを尊敬しているみたいですが、小泉クンはとうの昔に「女性上位ばんざい!」をカヴァーしているのです。
小泉今日子の箱は、そのまんま日本語ロックや歌謡曲を早回しで見る様な作品でした。近年は女優としての評価が高い彼女ですが、やはり彼女は歌手です。其れも「アイドル歌手」なのです。其の範疇から逸脱しようとしながら、どこかで踏みとどまっている絶妙なバランス感覚は稀有な才能です。
そして其れは、本来は「プログレ・ハウス」を嗜好しながら、万人が聴けるポップスへと向かった片瀬那奈に、しっかりと引き継がれていたと思います。
(つづく)
初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)