「内山理名7.2%、掘北真希6.5%...10〜12月期連ドラ視聴率バラす!」「業界激震 トップ女優'06年収&最新潜在視聴率 BEST 120」そんな扇情的な見出しに、まんまと乗せられ「FLASH EX」を買ってしまいますた。視聴率記事で小さく「エレナ(片瀬那奈)」を発見し、トップ120女優にはエントリーすらされて居ないことを確認したわけですが、此れは「とても興味深い資料」に、イコ的にはなったわけです。福田麻由子ちゃんが、推定年収「1,850万円」ですって、、、orz
ま、生臭い噺は此れくらいにして、ふたたび「怪優・片瀬那奈」を振り返ってみましょう。片瀬は、デビュー時から「変な役」ばかりやっていました。其れが、歌手デビューと連動して大きく変わって行ったのです。歌手時代(正式発表から実質的なラスト・ライヴまでと考えるなら、2002-11〜2004-7)には、自身が主題歌(「Shine」)を歌った「こちら本池上署」第2シーズン(TBS 2003)第2話にゲスト出演した以外には女優活動を封印してしまいました。そして、其処で演じた「幼稚園の先生・今日子」が、あまりにもシリアスで在ったことで、少なくとも私は疑問を感じたのです。
2004年8月に衝撃的な女優回帰が発表され、其の舞台も「月9」と申し分の無いカタチだったのですけど、「ラスト クリスマス」(CX 2004)、「不機嫌なジーン」(CX 2005)とつづいた「新生・女優・片瀬那奈」は、当時放映されていた「AUBE」のCF同様、居心地の悪さが在りました。はっきり云えば「つまんない」んです。「藤澤律子」も「岡元めぐみ」も、誰がやってもいい様な役でした。「プリティガール」(TBS 2002)で、稲森さん、米倉さんと「3トップ」だった片瀬那奈ちゃんが、「その他大勢にまで落ちてしまった」と思いました。ファンから観てもそんな印象なのですから、おそらく、世間には何もアピール出来なかったと云わざるをえません。
「プリティガール」には、長谷川京子さんも出演していたのです。でも、当時、彼女は端役でした。片瀬那奈が歌に専念して居る間に、世の中は大きく変わっていました。片瀬那奈のデビュー曲がオープニングにタイアップされた「逮捕しちゃうぞ」(2002 EX)に主演した伊東美咲さんも、其の当時は、まだまだ「顔」じゃなかった。片瀬那奈が一歩引いたことで、最も得したのは「みーたん」だと断言します。インセント&研音の「年上の後輩」である「みーたん」の噛ませ犬になったとも思える展開に、あたくしは、忸怩たる思いでした。が。「だから、片瀬那奈は片瀬那奈なんだ」と確信出来た時でも在りました。
「歌もやれたし、ふたたび女優へ」って、そんなに甘いわけがなかった。あまりにも急展開な「片瀬那奈」に、かつて「グラビア・アイドル」として愛した者も、「女優」として期待して居た方々も、「きれいなおねえさん」を求めたみんなも、そして、ようやく「歌手&DJ:片瀬那奈」へ追いついたヲタまでも、あっさりと置き去りにして、片瀬那奈は「一から出直して」いました。
丁度、其の頃、2004年の終わりに、私は片瀬那奈と逢うことが出来たのです。現時点で公式には最後の「歌手・片瀬那奈」を目撃した時、云いたいことは山程在りました。けれど、風邪をひいてボロボロだったことを感じさせない(いや、申し訳ないけど、ファンは分っていましたよ)、生歌「Shine」を聴き、其の後、無垢な人間性に触れてしまったのですから、片瀬那奈を信じるしかなかった。こんなにも心を揺さぶるひとって、何なんだろう?と、確かに思いました。
其れでも「大いなる危機感」が迫って来ました。「このまんまじゃ、いけない。」其れは、片瀬那奈ではなく、自分自身のことだったのかもしれません。気が付けばあたくしは、「the diary of nana katase」を立ち上げ、一気に「100記事」以上を書き上げていました。彼女が、一体、何処から来て何処へ行こうとしているのか?彼女が女優へ回帰した時に、遂に、心底、知りたくなったのです。(つづく)
初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)