「夢みる歌謡曲」を放置して、新たなる連載を始めます。あっちはあっちで、のんびりやりますよ。書きたい時に書きたいことを書くのが「COPY CONTROL」です。更に、其の根底には、常に「片瀬那奈」が潜在的に存在しています。
最近、かつての「日本人の為のビートルズ講座」や「2ちゃんねるビートルズ板での全曲カヴァーリスト」こそが、「片瀬那奈全記録」のプロトタイプで在ったと気が付きました。対象を変えただけと云うよりも、世間体を気にして権威ある存在を隠れ蓑にした「姑息な手法」だったんだなぁ、と我ながら呆れ返ったもんです。
「コピコン」を始めた時に、「此れで目論見は達成出来た」と思っていたのですが、そうではなかった。あたくしは「ザ・ビートルズ」や「スティーヴィー」と「片瀬那奈」を「同列に置きたかった」のではなかったのです。
「レッチリのライヴ」と「片瀬の舞台」がバッティングすると知り、何の躊躇もなく「片瀬」を選択した様に、例え其れがポールでもスティーヴィーでもマドンナでも、あたくしは悩むことなく「片瀬」を選ぶでしょう。此れは「コピコン」の雛形である「月刊・未亜」の前身だった「日本人の為のビートルズ講座」の其のまた前座として書いた「椎名林檎論」と「aiko論」の落ちでの「もし林檎と aiko がバッティングしたら多分 aiko を選ぶけど、同日に片瀬の握手会(当時は歌手デビュー前)が在ったら片瀬を選びかねない。」の焼き直しです。最初から、全く変わってませんでした。
あたくしは「其れが何故なのか?」を自問自答して来ました。其れが此の雑然とした「コピコン」の真相です。例えば、小島麻由美や椎名林檎やaikoに惹かれたのは、彼女たちの音楽に、かつて愛した洋楽や昭和歌謡を見たからです。はっぴいえんどやシュガーベイブまで溯っても、結局、其のルーツに強く魅了されてしまったのでした。10代の頃、山下達郎さんは「神」でした。でも、御本人の紹介で其の根源となった数多の音楽を知り、何回聴いても「ビーチ・ボーイズ」や「カーティス・メイフィールド」の方が気持ち良くなってしまったのです。20代では、大貫妙子先生に師事しました。此れこそがオリジナルだと確信していたけれど、やはり御本人の導きでお仏蘭西やアフリカ、ブラジルとワールド・ミュージックを聴いていく内に「あれれ?」ってことになってしまい、ついにシリータへ辿り着いた時、長い旅は終わりました。はっきり云ってしまえば、あたくしが好きなター坊は「70年代の旋律と声」なんです。其の原点がシリータだと知った時の衝撃は、計り知れないモノでした。
片瀬那奈に固執する理由とは、つまりはこーゆーことだったんです。あたくしは、かつて「ザ・ビートルズ」を唯一無二の絶対なる存在として選んでしまった様に、「片瀬那奈を見つけてしまった。」そーゆーことだったのでしょう。中学生が無邪気に好きになるのと、散々世の辛酸も舐めた中年が恋に落ちるのとでは、おんなじ道でも随分と違ってしまいますね。ま、やってることは、相変わらずだけどさ。
ザ・ビートルズにもルーツは在りますが、どうしても「ツイスト&シャウト」や「のっぽのサリー」の様なカヴァー曲でさえ、ザ・ビートルズの方が気持ちええんだから仕方ないんです。同じ様に、如何なる活動でも「片瀬那奈」の方が、其の手本とした存在よりも面白いんです。「こんなはずはない」って、懸命に彼女のルーツも聴いたり観たりしたけれど、あたくしには如何なる幻影も「片瀬那奈」には重ねることが出来ません。
故に「夢みる歌謡曲」で過去を振り返るのは、其処に「片瀬」を求めているわけでは無いのです。80年代アイドル歌謡よりも「片瀬那奈」が其れを歌うことの方が重要だし、彼女がそうしなかったのなら、あたくしは聖子も明菜もキョンキョンも聴き直すことはなかったでしょう。
そして、そんな完全なる那奈ヲタが片瀬を見初めたのは何時だったのか?を思い出してみたのです。当然、彼女は音楽活動をしていませんでした。あたくしは、TVの中でドラマに出て居る元気な女の子を好きになっただけだったんです。
エレナ様で遂に世間に其の本性を認知させ、舞台女優デビューを控えた「今」こそ、あたくしは「怪優・片瀬那奈」を語らなければいけないのでしょう。真摯に心を込めて書かせて戴きます。皆様、どうぞ、宜しく御願い致します。(つづく)
初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)