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2006年06月27日

『「ぷっ」すま』

30th Party


テレビ朝日 23:15〜24:10

ゲスト/アンガールズ、片瀬那奈

テーマ/「ココ1当てま SHOW!!」


あたくしが何故かだらだらと長年毎週観ている深夜番組に、那奈ちゃんが「番宣」初登場!!だぞ。

なにやっても、那奈ちゃんは可愛いなぁ。(ぼそっ)つーか、これは負けた方がおいしいので、どんどん「NG」出して罰ゲームを、ってそれじゃ番宣出来ないしナ。いや、こっちは那奈ちゃんがゲラゲラ笑ってるのを見たいわけで、って、だから番宣はどーすんだよ?「で、怪獣強いナ。てへへ」

食べ物なら、那奈ちゃんでしょ。当ててドローながら、番宣ゲットだぜっ!!やったぁーーーっ!!!(単なる実況で、すまんかった。)

で、やっぱ、本人は「やる気」だったんだな。流石、那奈ちゃん。


(小島藺子/姫川未亜)



「花村大介ふたたび」
posted by 栗 at 23:59| TV | 更新情報をチェックする

「夢みる歌謡曲」第1章の5:
片瀬那奈「Past Masters」

GALAXY/TELEPATHY (CCCD)


さて、ここで片瀬那奈ちゃんの歌手デビューまでの流れをざっと振り返ってみましょう。片瀬那奈ちゃんの芸能界デビューは、1998年まで遡ります。

スカウトによってモデル業を中心とした事務所(インセント)に所属した小島那奈子は、本名でファッションモデルとしてほんの僅かな期間活動した後、「1999年度旭化成水着キャンペーンガール」のオーディションに合格し、自ら命名した「片瀬那奈」としての道を歩み始めました。お披露目は1998年10月5日、当時16歳の彼女は有名な「ハプニング」にも動じず、堂々のデビューを飾りました。(余談ですが、片瀬那奈が現在も所属する「インセント」には他に、同じく「研音」とマネジメント契約している「大女優!」伊東美咲さんと「インセント」の「大看板!」井上和香さんがいます。片瀬那奈はこの「インセント三人娘」では最年少ですが、芸歴は一番長いのです。ん?一番地味だって?そこがええんだよ。ぼそっ)

キャンギャルとして(そしてハプニングによって)世に出た片瀬那奈ですが、「ヤングサンデー」誌を中心にグラビア・アイドルとして活躍すると共に、翌1999年初頭からは「JJ」のモデルにも抜擢され最年少表紙モデルにもなっています。さらに3月には「未来の月9女優養成番組」と言われた「美少女H2」(第18話「最後のデート」)で主演、女優デビューも果たします。

その後の活躍は、御存知の通りです。女優としては、「GTOドラマスペシャル(CX)」の準主役を皮切りに、「天国のKiss(EX)」で連ドラ初出演、秋には早くも月9(「氷の世界(CX)」)にレギュラー出演し、翌2000年には「FLY(NHK)」で実質的な主演を果たします。CMでは若干19歳で「三代目きれいなおねえさん」にも抜擢され、お約束の「スキャンダル」も経験しました。

ココでのポイントは「片瀬那奈」と言うタレントの、デビュー時からの「全方位戦略」です。彼女は最初から、そのファン対象を絞れなかった。デビュー直後の「週刊プレイボーイ」誌(1998年 No.48 12/1日号、11月17日発売)で、「幅広く活躍して、女の子にも、男の子にも好かれる人になることが、今の課題!」と発言した片瀬那奈は「本気」だったのです。

片瀬那奈に歌手デビューのオファーが正式なカタチで舞い込んだのは、遅くとも2000年でしょう。既に本格的なグラビア初登場である「ヤングサンデー」誌(1998年 No.48 11/12号、10月29日発売)で、冗談半分ながら「歌手デビューに向けて歌のレッスンを毎日3時間もしてるの。」と発言していますが、より具体的になったのはドラマ出演が本格化した頃であろうと考えられます。2000年からの、片瀬那奈がレギュラー出演した連ドラで在京局制作の作品を追って見ましょう。「新宿暴走救急隊(NTV 2000)」「できちゃった結婚(CX 2001)」「プリティガール(TBS 2002)」、この流れを、その主題歌やサントラ盤を中心に考えると、自ずと「avex からの歌手デビュー」が、見えて来るでしょう。

満を持しての歌手デビューを前に、片瀬那奈サイドは大きな賭けに出ました。これは彼女のマネジメント契約が、2002年から完全に「研音」へ移ったことも影響していたのかもしれません。片瀬那奈は、長年お世話になった「ヤングサンデー」誌上(2002年 No.23 5/23号、5月9日発売)で「グラビア卒業宣言」と同時に「今年後半、みんなをあっと驚かせるかもよ?」なるメッセージを残し、「2001年のおとこ運」→「できちゃった結婚」→「プリティガール」で、せっかく真のメインキャストまでのし上がった女優業すら、あっさりと休止してしまいます。そこまでストイックな姿勢で望んだ「歌手・片瀬那奈」が、最初につまずいたのが、前回述べた「第四弾シングルの発売中止事件」だったのです。そして、そこから、片瀬那奈の歌手活動は怒濤の展開へと進むのでした。(もうすこし、つづく)


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 22:41| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする

「夢みる歌謡曲」第1章の4:
片瀬那奈「タイトル未定」

Necessary/EVERY***(初回限定盤)(CCCD)(DVD付)


現在の処、片瀬那奈唯一のフルアルバムである「TELEPATHY(2003)」は、歌手・片瀬那奈の金字塔となる傑作でした。それまでの三枚のシングルが何であったのか、そして片瀬那奈が目指す音楽とは何なのか、そのすべてが集約されたこの作品までの「一年余の期間(2002-4〜2003-7)」は、おそらく当初の予定通りに進められた綿密なプロダクションだったと思います。もし、片瀬那奈の音楽作品を一枚だけ選ぶとしたらCCCDと言うハンデこそあれ、迷わずこのアルバムを推します。捨て曲なしのそれぞれ独立した13トラックが、美しいトータル性を持って連なる流れにデビュー作で完成品を作ってしまった片瀬那奈の「強さ」と、それゆえの「不運」すら感じます。

ライヴ活動も軌道に乗り、アルバム発表後初となるシングルが9月に発売告知され、正に順風満帆に思えたのですが、このシングルが発売中止となったことから雲行きがおかしくなって行きます。結局10月に仕切り直しで発売された第四弾シングル「Necessary / EVERY***(2003)」は、当初の予告とは大きく違う作品となっていました。

9月10日に発売予定だった「タイトル未定」は、後に「Necessary」になるCMタイアップ曲に、カップリングとして初回盤には「他アーティストとのコラボレート作品」を、通常盤には「アルバム収録曲のリミックス音源」を収録すると公式発表されました。これぞ「TELEPATHY」以後を予感させるものとして計画されていたのは明らかです。しかし、実際に発売(10/16)されたシングルは、初回盤も通常盤も音源としては同じ新曲が入ったものでした。お得意のピクチャーレーベル3種も無く、その代わり(?)avexで5種のピンナップをシングル持参一枚につき1種ずつランダムに手渡しすると言う「前代未聞のキャンペーン」までやってしまいます。

しかも、延期したにも関わらずレコーディング時の片瀬那奈は「人生最大の風邪」をひいている状態。(その哀れな姿は、初回盤の付属DVDに収録されています。重病で鼻をすすりながら掠れた声でインタビューを受けるアイドルって、一体、、、。)楽曲は、片瀬那奈のシングルの中でもかなり上位に入る二曲です。「シングル最高傑作!」との声も多くありました。体調不良とはいえ、片瀬那奈のポテンシャルは揺るぎなかった。いや、でもね、DVDで悲惨な姿まで晒し、プロモも同作品映像をフルで収録すると言う「出血大サービス!」な展開(つまり、もう後がないっ!)には、一抹の不安を感ぜずにはおれない秋でした。(まだまだ、つづく)


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 01:02| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする