ビートルズは(その後のソロ時代も含めて)常に変化して来たので、「新曲」は本当に「新しく出した曲」ではなく「新しい音楽」だったのです。では、只変わり続けるのがええのかと言うと、そうではありませんね。「ホワイト・アルバム」の様な雑多な音楽性を提示しても、そのすべてが「ザ・ビートルズ」であるわけでして、彼らの楽曲は年代をシャッフルしても聴けてしまうのです。それだけ、芯がしっかりとあるわけだね。それは、きっとジョン・レノンの声であったり、ポール・マッカートニーのコード進行であったり、ジョージ・ハリスンのオブリガードであったり、リンゴ・スターの鼻だったりするのでしょう。
生前のジョンや、今なお挑み続けるポールの様に、スティーヴィーやマドンナも「時代遅れになること」を恐れています。それはポップ・ミュージックの宿命です。かつてマイク・ラヴは、スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」を聴いて「ゲッチャ・バック」を書きました。今でこそ懐メロ公演専門になっていますけど、20年前には「まだまだ若いもんには負けないぞ」って気概があったわけだよ。つーか、ビーチ・ボーイズは「アン・アメリカン・バンド」なのだから、♪あ〜めりか生まれさ♪(竹中直人・訳)なんて歌われてもドンと構えていればええんです。なのに、わざわざその若僧のヒット曲をショートケーキするんだよね。
そう言えば、手塚治虫先生が、亡くなるまで新人にメラメラとライバル意識を燃やしていたのも有名な話です。新人だった内田春菊が初めて逢った時に、手塚先生は彼女のデビュー作から全部読んでいて「あの作品のあの部分が良いね」とか事細かに批評され驚いたとか、そーゆー話は沢山ありますね。人は変わっていくものです。ずっと同じ気持ちで、同じスタイルで永遠に生き続けることなど出来ません。変わりゆくものに心を奪われるのも、自分自身もまた常に変わりたいとの願望があるからなのでしょう。なのに、その一方で「変わらないもの」への憧憬も強いのです。
「ファンの皆様の為に」なんて言うコには、魅力を感じないな。置いてけぼりにしてくれよ。あたくしにとって、片瀬那奈はそんなコだ。決して芯がぶれない。ずっと同じことばっか言ってる。ファンに対しては凄く優しいけど、絶対に自分を曲げない。「ビートルズと同じ様に片瀬那奈を語る」と言うコンセプトが「COPY CONTROL」の始まりでした。でも、それは洒落でもあったのだ。ただ、本気で真摯に書いて来ました。それでもやはり「そんなばかな、けらけら」と考えていたのは、他ならぬあたくし自身だったのだ。「片瀬那奈なんぞが、天下のビートルズと同じなわけねーだろ?」と思い込ませないと、自分の情熱に負けてしまいそうだったんだよ。正直、すまんかった。
片瀬那奈とビートルズはおんなじだ。あたくしは高らかに宣言しよう。そして、それを自分の為に証明するのが、ココの存在意義だ。あたくしはプロレス者なので、理論武装は得意だぞ。でもな、君たちを説き伏せたいんじゃないんだよ。あたくしは自分を納得させたいだけだ。「どうして、こんなにも毎日、片瀬那奈が気になるのか?」を、あたくしが知りたいのです。
2006年6月12日 イコちゃん(本物)・談 /(聴き手・未亜)
初出「COPY CONTROL」 (姫川未亜)