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2005年06月11日

「レッツ・オンド・アゲン」がまた輝けば

多羅尾伴内 [DVD]


1. 「レッツ・オンド・アゲン」私論

大滝さんの大誤算は、自己レーベルを潰れたエレックからコロムビアに移籍する際に「年間4枚」の契約をしてしまったことでした。いえ、其の時にはナイアガラには大滝さん以外に「SUGAR BABE」「ココナツ・バンク」「布谷文夫」とコマが揃っていたわけでして、1976年にはエレック時代の2枚と新作2枚(「トライアングル1」と「GO! GO!」)で乗り切ります。しかし、タツローと銀ちゃんのバンドは解散し「トライアングル1」を最後に、彼等はみんなでナイアガラを去りますから、移籍早々「ひとりぽっち」になってしまうのです。ゆえに1977年と1978年で、大滝さんはひとりで8枚のアルバムを出さなければならなくなってしまいました。で、実際には1976年から1978年の期間でしたけど、「GO! GO!」から「レッツ・オンド・アゲン」まで、2年で8枚出してしまったんですな。

アイデアは豊富だったのでしょうけど、あまりにも無謀であり、なによりも全く売れなかったんですから、もーどーしよーもないんです。此の時期で一番売れた「CMスペシャル1」ですら2万4千枚、あの傑作「ナイアガラ・ムーン」がたったの2千枚、「レッツ・オンド・アゲン」は多くても500枚だって云うんですからね。1996年盤CDの解説で大滝さんが書いているのは事実なんですよ。つまり、あたくしは500人のうちのひとりだったのね。嗚呼、掛け値無しの大莫迦じゃん。

とは云え、此のアルバムにはお世話になりました。なんせ天下の「ロンバケ」のひとつ前の作品なんですから、そりゃーもー「大滝の前のレコードを聴かせてケロケロ」って云う輩全員に「此れだよーん」と聴かせてやりましたよ。だって、ホントのことだもん。ケロケロ


2. 「レッツ・オンド・アゲン」逸話

「スネークマン・ショー」でも活躍した小林克也さんが「ナンバー・ワン・バンド」を出す時に、大滝さんに試聴盤を聴いて戴き感想を伺ったら、師匠曰く

「うーん、面白いねぇ、僕のレコードの10倍は売れるよ。保証します。」

世の中「ロンバケ」の時代ですから「ええっ?大滝さんの10倍って、そりゃ何千万枚ってことかぁ?話半分でも凄いよ、ベストヒットUSA!!」と小林さんは有頂天になったんですけど、なんか売れないのね。5千枚くらいしか売れないってんで「大滝さん、全然ダメなんですけどぉー」ってお伺いを立てたら、師匠曰く

「当たったね。僕の『レッツ・オンド・アゲン』は500枚だから、丁度10倍だね。」

と、云うのは嘘です。ホントは小林さんのは1万枚くらいは売れたので、20倍なんですよ。師匠は一寸見栄をはったんですな。「1千枚しか売れなかったから」ってね。


3. 「レッツ・オンド・アゲン」がまた輝けば

世の中に所謂「ナイアガラー」なる輩たちを作り出したのは、勿論「大瀧詠一」の活動すべてが面白いからなんでしょーけど、「はっぴいえんど」や「ロンバケ以降」よりも「70年代ナイアガラ」に其の肝が在ると思われます。ナイアガラーは当然マニアです。ま、現在で云う「ヲタ」の元祖みたいな連中ですけど、一寸違う。で、大瀧さんは其のボスなんですな。徹底的にマニアックで、深い音楽の造詣をこれでもかとレコードに刻み、DJ(現在の様な意味ではありません)としても鬼の様に「趣味趣味音楽」をかけ続けて、数多の弟子を輩出した師匠なんです。

「はっぴいえんど」と云うバンドは、基本的に東京のぼんぼんが集まったのですけど、大瀧師匠だけは東北出身でした。上京し印刷会社に就職して、最初の呑み会で「大瀧、おまえも何かやれ」と云われザ・ビートルズの「ガール(一説には、ミッシェル)」を歌ったら、社長に「お前はクビだ。歌手になれ。」と云われ、音楽家の道へと進んだってのが「嘘のよーなホントの話」らしいです。

「NIAGARA MOON」「GO! GO! NIAGARA」「NIAGARA CM Special」「NIAGARA CALENDAR」などのコンセプト・アルバムは、宝の山と云って良いでしょう。「MOON」以外は、まだ深く語ってませんが、これから毎年出る「30周年盤」の時にでもゆっくりとね。

で、今回取り上げている「多羅尾伴内楽團」ってのは、大瀧師匠版「YMO」で在りまして、此れは長く再発されてないんです。唯一「VOL.3」に予定され制作開始された「レッツ・オンド・アゲン」だけが1996年に再発されたので、かろうじて入手可能なんですけどね。あたくしとしては70年代のナイアガラ作品は、1500円(税込)をみつけたら、すべて入手すべきだと思いますよ。高値が付いてる80年代の再発なんか無視してええよ。もうCD媒体としての「20年の寿命」が来てるし、もともと初期のCDは音が悪いんですから完全なマニア向け骨董品です。其の点、アナログは良く出来てましたね。少なくともビートルズのアナログがまだ聴けるんだから、40年以上は保つんですもん。

音楽を言葉で解説するなんてことが、如何に「無意味」なのかを「レッツ・オンド・アゲン」は教えてくれました。例えば「337秒間世界一周」が、何れだけの「ワールド・ミュージック」を内含していよーが、「禁煙音頭」を歌うのが誰で、コーラスがビーチ・ボーイズ風で、間奏で歌うのが誰であろーが、発表当時は歌詞のみしか掲載出来なかった「河原の石川五右衛門」が何れだけアナーキーであろーが、ラスト2曲で布谷文夫の怪唱へと雪崩れる頭で、密かに確認出来る、あの「颱風」を思い起こさせる大瀧師匠のカウントが、哀しくもかっこよかろーが、んなこたーどーでもええのよ。

よーするに、此れが「面白い」なら其れでええんだ。あたくしは「面白かった」し、今でも「愉快」で、未だに「謎だらけ」なんだよ。例えば、此のアルバムのジャケットが何故「ABBEY ROAD」なのかなぁ?とか思ってたら、クレージー映画のラスベガスだったりもしてね。細野さんにも共通する「無国籍音楽」が、未だに真に受け入れられない不可思議さなんかもね。つーか「YMO」とか「ロンバケ」なんて、ホントはもっと謎だらけなんだけどさ。

そーゆーくだらねーことを考えちゃう輩が27年も経つのに「なかなか」いないので、こーやってえらそーに講釈たれられるわけだな。あ、つまりニーズも無いのかしら。

兎も角、1978年11月25日は「日本語ロック史」にとって「夜明け」だったと云えるでしょう。「ONDO」と「YMO」と「RINGO」が、同時に出現したのですから。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-6-9〜6-11 全3回連作



posted by 栗 at 18:35| ONDO | 更新情報をチェックする